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司法権力の内幕

著者  森 炎 、 出版  ちくま新書
 元裁判官が裁判所内の不合理を告発した本です。
裁判所は組織の体をなしていない。
 東京地裁では、会議のあとの懇親会のとき、若手裁判官たちが地裁所長に酒を注ぎに行っていた。それが慣行(しきたり)になっていた。大阪地裁では、所長のところに注ぎに行くというしきたりはなかった。
 東大法学部の「優秀」組で権力志向の強い人間は、行政官になる。それも財務官僚や経産官僚になる。
 私の知るところでは、自治省や警察庁のほうが、もっと権力志向は強いと思います・・・。
 東大法学部にあって、財務官僚や経産官僚の選択も不可能でないなかで、あえて裁判官を選んだこと自体が、その人は権力志向を捨てている。だから、裁判官にはエリートはいないといって差し支えてない。精神においてのエリートはいない。
 「エリートの権化」のような人は、裁判所のなかでは、見つけたくてもどこにもいない。
 1955年生まれで、両親とも弁護士という元裁判官ですが、この点については、私には同意できません。「エリートの権化」のような裁判官は実際にいます。ただ、そのような人は、私の知る限り、真のトップには立てないようには思いますが・・・。また、裁判官を志向した時点で「すでに権力志向を捨てている」というのは、美化のしすぎだと思います。裁判官になってからも、上ばかりを向いて、上を目ざしている、目ざしているとしか思えない人がいる、それも少なくないのは間違いないと思います。といっても、そのとおりになるとは思えないのですが・・・。
 最高裁事務総局勤務を目ざして任官する人は、一人もいない。
 この点は、私も、そのとおりだと思います。しかし、漠然とではあれ、最高裁を目ざす人はいるのではないでしょうか。そんな人は、とかく無難な判決を書くようになります。失点を恐れるからです。いわば、体制順応です。
裁判所の組織としての問題は、最高裁事務総局が現場を支配していることにあるのではなくて、人事が支離滅裂なことにある。
 民間のような透明性のある評価基準がなく、すべてがブラックボックス化しているのが問題である。そのうえ、結果も良くない。
民間企業に果たして透明性のある評価基準があるのでしょうか。私には、そうとは思えません。むしろ、裁判所のほうが、まだましだとしか思えません。
 裁判官には個室が与えられていない。それは、相互に監視するためである。
 裁判官は、外の世界における行動の自由を事実上制限されている。裁判所と官舎とを公用車で往復させられる。そのうえ官舎に帰ったあと余暇の時間さえ、自由にさせない。たとえば、自家用車の所有や運転は、慣行として半ば禁じられている。旅行もできない。宿泊をともなう旅行は、所属する地裁所長に申告しなければいけない。
 同意できない部分も多々ありますが、本書は、自分自身の体験をもとにしていますので、裁判所の実情と、その問題点を知るうえでは欠かせない本だと思いました。
(2013年12月刊。760円+税)

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