著者:鈴木理生、出版社:筑摩書房
江戸時代、徳川幕府が250年間も続いた理由は、
男子の名義による相続
その男子の母親の出身や身分は問わない
すべての武士に適用される
以上は、逆にいうと、一般的には女子にも男子と同じ相続権があったこと、むしろ女子優先だったことを意味している。「農工商」では、女子相続が主流だった。
庶民は、武家とは正反対に、女子の誕生を待ち望んでいた。
10世紀から江戸時代まで、男を選ぶのは、女とその家族というより氏族全体の意向だった。男はタネを提供するだけで、その男のタネからできた子は成人するまで、女の家が育てた。女持ちの氏族が、その男に似合う適齢の女を「投資」して、権力財力を維持していた。いわば、「男買い」「男への投機」のようなものだった。
商家の場合は、当主といえば婿養子が常識であり、家付きの妻には頭があがらなかった。
江戸時代の女性は、物見遊山・芝居・信心などを口実として、男性を「囲ったり」、陰間(かげま)茶屋に通ったり、女性グループでの観光旅行などでも性的享楽を大いに愉しんでいた。江戸では、性の欲望を処理できた場所は、男は吉原一ヶ所に限られていたが、
女は七場所も認められていた。
家付きの妻は、性生活に不満があれば、七場所をはじめとして、自分用の寮に男を呼ぶのも自由だった。働きのいい女が、好みの男を自宅に飼っておく風潮は普通のこと。
そうだったんですかー・・・。開いた口がふさがりませんでした。日本の女性は、昔から強かったんですよね。私は弁護士をしていて、つくづくそう思います。もちろん、弱い女性もいることは認めますが・・・。
お世継ぎのつくり方
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