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2025年11月 の投稿

ヒトの意識の進化をたどる

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 ジョン・パリングトン 、 出版 丸善出版

 この本のテーマに直接は関わりませんが、紀元前1153年のエジプトで、ピラミッドをつくる作業に従事していた職人たちが報酬の小麦の支払いが遅れていることからストライキをしたこと、長いストライキをうったあと、要求はすべて認められたとのこと。そんな記録があったなんて知りませんでしたし、驚きました。それから3千年後の現代日本ではストライキは完全に死語となっていて(フランスではそうではありませんし、あのアメリカでも、最近、スタバの労働者が全国でストライキを敢行しています)。なんと日本は遅れていることかと嘆くばかりです。

 さらに、この本ではもう一つ、イギリスの炭鉱労働者のストライキがJGBTコミュニティと連帯したことも紹介しています。私も映画をみて知りましたが、1984年のサッチャー首相のときです。日本の高市首相はサッチャーを手本としているようですので、日本でも、そんなストライキを実現したいものです。

狩猟採集社会は、何よりも、協力すること、争いを最小限に抑えること、そして全員の役割を尊重することを保証するのを重視する傾向がある。そこでは、年配者は、技術と経験から愛情と尊敬をもって扱われるが、特権はもっていない。争いを少なくすることが重視されている。

 この本で主張されている主なものは、人のもっとも内なる思考は、「内言」とは、内心のつぶやきのことでしょうか…。内言は発話とは重要な点で異なる。ヒトの内的意識は言語で構成されている。

ヒトは他の動物とどこが違うのかが、この本で一貫して追求されています。生物学的にもっとも近縁な類人猿であっても、人のように周囲の世界を変える能力をもっていない。

ヒトの自己意識は、人にユニークな二つの特徴の結果として生じている。一つは言語能力、二つ目は道具を設計し使用することによって周囲の世界を絶えず変容させる能力。そして、もう一つ。ヒトの脳は、サル類の脳よりはるかに大きいというだけでなく、構造も機能も根本的に異なっている。

人類進化の正しい流れを初めて明らかにしたのはエンゲルスだ。

ヒトの言語は、抽象的表像の相互連絡システムであり、複雑な意味を伝えられるように文法で結びつけられている。ヒト以外のチンパンジーやゴリラには文法の能力がなく、抽象的な表象で概念的に世界を表す能力がない。

地球の生命には、生存と繁殖という2つの原理がある。

ヒトの言語は、単なるコミュニケーションの手段ではない。ヒトの思考過程には言語が中心的な役割を果たしている。

ヒトの脳は、単なるワープロでも電気回路でもない。脳は、ニューロンからなる電気的回路で構成されているだけではなく、グリアが脳機能に基礎的な方法で貢献している。そして、異なる周波数の脳波が脳領域内や脳領域間における重要な相互作用を介在させている。

脳は中央処理装置をもっていない。

脳には興奮性と抑制性のニューロンがある。通常は、興奮性のニューロンは興奮性ニューロンだけでなく、抑制性ニューロンからも入力を受けていて、ニューロンのインパルスが制御できないほど広がることを防いでいる。入力は、興奮と抑制のバランスが絶えず変化する非常にダイナミックのものである。

全部理解できたとは、とても言えませんが、重要な指摘があると思いながら、脳の働き・意識との関係を知りたくて、ともかく読みすすめました。

(2025年7月刊。2750円)

 日曜日、チューリップを植えました。ちょうど近所の子が遊びに来ていたので手伝ってもらいました。チューリップの球根は生協に予約して余るほど買っておいたつもりなのですが、まったく足りません。

 球根を植えるときは、白内障の手術のあとなので、ゴーグルをしています。眼科医によると、あと1ヶ月ほどはメガネをつくらないほうがいいというので、前に使っていたのを引っぱり出して使っています。

 自動車の免許証更新のとき、それで大変な目にあいました。視力検査でひっかかったのです。0.6が見えませんでした。検査官から白内障の手術を受けたのなら裸眼で見えるでしょ、と言われましたが、すっきりは見えますが、視力が良くなったわけではありません。なんとか合格して新しい免許証をもらうことができました。

 車なしでは動けません。ありがたいことです。

本なら売るほど(1)

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 児島 青、 出版 KADOKAWA

 読書好きが高じて古本屋を始めた青年をめぐる話が展開していくマンガです。

マンションの1室を全部本だらけにしてしまう話があります。3千冊くらい収納するとのこと。

 私は、子どもたちが巣立って出ていったあと、子ども部屋を書庫にしました。特注で本棚を設置してもらったのですが、本を並べるのを優先したら、棚のあいだが窮屈になり、どこに何があるのか、一覧性が難しくなりました。自宅だけでなく、事務所にも書棚がありますので、少なくとも蔵書は1万冊以上はあると思います(2万冊といいたいところですが、数えたことはありませんし、数える気もありませんので、真相は藪の中です)。

 古本をネットで買うこともありますし、東京・神田の古本屋買いを探訪したこともあります。毎月、40冊以上は本を買いますし、少なくとも月に30冊以上は本を読みます。この20年以上、毎日1冊の書評をアップしてきましたが、読んだ本の7割から8割ほどを紹介していることになります。

私が読んだ本は古本屋に持ち込めません。だって、読んだら年月日を書き込み、サインしますし、本文の評価できるところは赤い傍線を引いているからです。自分の本なのです。それでも、近頃は、かなり捨てましたし、身近な人に引き取ってもらって減らしました。でも、どんどん買って、また読みますので、全体としては相変わらず増えていくばかりです。

このマンガにも、本に囲まれた生活をしたいという人が登場しますが、私もその一人です。あとは、庭でのガーデニングです。朝起きて、雨戸を開けると、緑々した山並みを眺めることが出来ます。稲づくりの田んぼは減ってしまいましたが、それでも畑はまだ残っています。庭で花と少しばかりの野菜を育てながら、夢中になって本を読みふけるのです。なので、テレビは見ません。インターネットを見るのは事務所だけです。

古本屋にからむ人生もいろいろあることを思い起こさせてくれるマンガ本です。1月に発刊して、すでに8刷というのは、すごいです。

(2025年9月刊。792円)

甦れ!神の鳥ライチョウ

カテゴリー:生物・鳥

(霧山昴)

著者 中村 浩志 、 出版 山と渓谷社

 中央アルプスに野生のライチョウを復活させるプロジェクトの実情を一貫してリードした鳥類学者の著者が明らかにした本です。私が欠かさず視聴しているNHKの「ダーウィンが来た」でも紹介されましたので、その一端は知っていましたが、その苦難の取り組みの全体像を初めて知りました。

 環境庁の新しい課長は、業務を監督することしか念頭になく、ライチョウ復活に手を貸そうという気はさらさらなかったという、官僚行政に対する手厳しい批判もなされています。つまり、ライチョウ復活は自然との闘いだけでなく、官僚行政とも戦う必要があったのです。

 ところで、日本のライチョウは、神の鳥として古来より大切にされてきた山の鳥なので、人間を恐れることがないという貴重な特性をもつ鳥だそうです。たしかに、珍しいですよね。その特性を生かして復活作戦はすすんでいきます。

 ライチョウは基本的に一夫一妻のつがいとなって繁殖するが、雌の数より雄の数は常に多い。日本のライチョウは、北アルプス、南アルプスそして御嶽(おんたけ)の3地域はそれぞれDNAを調べてみると、違うグループをつくっている。2万年前から3万年前の最終氷河期、まだ大陸と日本列島が陸続きだった時代にライチョウの祖先は日本列島に入ってきた。

ライチョウの巣を探すときは、巣から出た抱卵中の雌は、20分ほど外で採食したら巣に戻る。急いで餌(えさ)を食べようとするため、1分間に100回ほどもついばむ。採食を終えた雌がどこに戻るかを見て巣を発見する。

 ライチョウの捕食獣としてキツネとテンがいる。なので、ライチョウを守るためにキツネやテンの駆除を申請し、認められた。さらに高山にまでサルが群れをなして上ってくる。サルは集団になって高山までやってきて、子育て中のライチョウを脅かす。

 ライチョウをケージに入れて保護しようとするとき、決してライチョウをおどしてはいけない。ライチョウに対して、危害を与えない安全な存在と思わせる必要がある。ケージに収容するとき、雛(ひな)を人の手で捕まえ、ケージに入れるのではない。そんなことをしたら、雌親は警戒の声を発して偽傷行動を始め、それを見た雛は、人を怖い存在だと自らに刷り込んでしまう。ケージ保護が可能なのは、人を恐れない日本のライチョウだけ。

 ライチョウの親鳥は、弱った雛を見捨ててしまう。元気な雛だけ世話をする。そのほうが、結局、多くの雛を残すことができるから。

ライチョウの雛は、母ライチョウの盲腸糞を食べて、自らの腸内細菌を育てて生きていく。

ライチョウが日本アルプスなどに生き残ったのは、強風と多雪のなか、ハイマツが安全な営巣かつ隠れ家となったことによる。そして、ライチョウは神の鳥なので、狩猟の対象になってこなかったから。

 いろんな奇跡と、並々ならぬ苦労のおかげでライチョウが復活したことを知って、元気が出てきました。

(2025年9月刊。1980円)

映画をつくる

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 山田 洋次 、 出版 大月書店

 1978年に文庫本で刊行されたものの新装版です。フランス人ジャーナリストのクロード・ルブラン(『山田洋次が見てきた日本』の著者)が解説しています。

 1978年というと、山田洋次監督はまだ47歳、寅さんシリーズもまだ途中のころです。さすがに含蓄のある話が盛り沢山です。

 映画に力があるかないかは、どうしてもつくらずにはおれないという内部に燃えあがった最初の衝動の力の強さの度合いによる。なるほど、そうなんでしょうね…。

 脚本をつくるときは、3人くらいの仲間と相談しながら書いていく。脂汗を流し、食欲を失い、ときにはノイローゼ気味になって苦しみながら考え出す笑い話が、作品となったときには、そのおかしさだけが伝わり、生みだすまでの苦しさ、つらさは消えてしまっている。そうでなければならない。この映画の作者たちは、冗談半分に、いつも気易く、軽々とつくっているのではないかと思わせるようでなければならない。そのためには、どうしてもつくり出すプロセスのなかで作者が楽しんでいなければならない。なるほど、そういうものなのですね。

 血のにじむような苦心と努力の末に、この作品をつくったのですよ、と観客に訴えたとしても、それは作品の値打ちとはあまり関係がない。作者が実に気楽に、それこそ小鳥がさえずるように軽やかにつくっている様子が想像できて、観客も気持ちよくなってしまう。そんな作品をつくることこそ、本当の苦労がある。いやぁ、そういうものなんですか…。

芸術は、もともと人を楽しませるためにあったはず。

 人間には常に毒があるが、その毒を笑いで吹き飛ばしているところに落語の健康さがある。なので、落語を愛する庶民は健康なのだ。落語における笑いとは、人間を客観的にリアルに描いたときに起きる共感の喜びのようなもの。

映画の本質はモンタージュである。映画は嘘。現実にはありえない人物を創造して、その人物があたかもその辺にいるような、いや少なくともいてもおかしくないと観客が感じるようにしなければならない。

作品をつくるうえでもっとも大事なことは、さまざまなことがらを体験する、ふと見る、本を読む、人から聞く、なんでもいいけれど、そうしたことから何かを深く感じることのできる人間でありうるかどうか、つまりモチーフをいただきうる人間でありうるかどうかということ。

自分の書く脚本、自分の演出について、常に疑問を投げかけていく。本当にこれでいいのか、間違ってはいないかと疑いをもち続ける精神を大事にしたい。

俳優にとって、その日常と変わりない動作を演技としてできるということは、それができたら一人前の俳優と言っていいほど難しいこと。カメラの前で、日常をふるまうように自然に演技をするためには、実は大変な努力と緊張が必要なのだ。

俳優がカメラの前に立つと、監督には、その俳優の生い立ち、素性がよく分かる。生い立ち、素性というのは、いい仕事を経験してきた俳優なのか、そうではない俳優なのか、ということ。

 私も、モノカキに精進している者として、山田洋次監督のこれらの指摘はズバリ胸に刺さりました。ちょうどいい具合に新装版が刊行されたことに感謝するばかりです。

(2025年10月刊。2200円)

南京事件(新版)

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 笠原十九司 、 出版 岩波新書

 日本人、日本軍って、どうして、こんなに残酷なことが出来た(出来る)のか、たまりませんし、本当に残念でなりません。

 南京大虐殺について、今でも「ウソだ」と叫ぶ人がいて、それを信じている人が少なくないのも本当に残念です。つい先日、弁護士会の文書を作成中に、南京事件の被害者数(20数万人)に触れたところ。「一説によれば」と書き加えるような指摘を受け、唖然としました。

 たとえば、当時、南京には20万人しかいなかったから、虐殺された人が20万人とか30万人というのはウソだという「批判」があります。しかし、20万人というのは、南京城内の安全区の人口であって、周辺から避難してきた人を含めると200万人ほどに膨れあがったのです。また、日本軍(皇軍)は、昔も今も規律正しい軍隊だから、そんな非道なことをするはずがないと信じている人がいます。たしかに、日本にいるとき、また日本に帰国してからは善良な夫であり、父であったかもしれませんが、中国の殺し殺されという過酷な戦場をくぐり抜けた日本人将兵は、疲労困憊(こんぱい)して、食料も現地調達というなかで、中国兵を人間とみないで、ただひたすら鬼となって中国の人々の殺戮を繰り返したのです。

 南京政略は、当初の大本営の方針ではなかった。現地の軍トップたちが功名を競いあうなかで突っ走ったもの。なので、兵站(へいたん。食料の確保)も十分な手当てはなされなかった。そして、南京を陥落させたら、中国軍は降伏して戦争は終わると日本軍トップは考えていた。しかし、蒋介石は、さらに奥地の重慶で軍を再編して徹底抗戦の構えを崩さなかった。中国軍を甘く見ていたわけです。

 昭和天皇は結局、南京が陥落したことで、人々が熱狂するのを受けて、南京政略を偉大な成果だと賞賛した。この天皇の賞賛が陸軍上層部の尻を叩いたのです。これは決定的に間違っていました。

重慶に対する無差別爆撃がありましたが、同じような無差別爆撃を南京にもしていたのです。

日本全土を火の海に沈めてしまったのは、アメリカ空軍のカーチス・ルメイ将軍でしたが、戦後になってこのカーチス・ルメイに対して最高クラスの勲章(勲一等)を日本政府は贈呈したのです。信じられない暴挙です。

上海派遣軍司令官に任命された松井石根大将に与えられた任務に、南京政略は含まれていなかった。 松井は当時59歳で、同期ではもっとも昇進が遅かった。そこで、功名心を立てようとしたと考えられる。

この上海派遣軍は必要な兵站機関をもっていなかったし、法務部も在しなかった

 南京政略に従事していた日本軍は、士気の低下、軍紀の弛緩(しかん)、不法行為の激発が深刻な問題となっていた。

南京でまだ戦闘が続いているのに、12月11日、誤報から南京城政略として、成功を喜ぶ国内の状況に接して、南京の日本軍は怪げんな思いだった。日本国内は戦勝ムードに沸きかえった。

日本軍は自らも食料が乏しいので、捕虜をかかえることは不可能だった。そこで、方針として捕まえた中国兵の全員殺害を実施していった。

 日本軍占領下の南京は、「陸の孤島」となり、「密室犯罪」が出来る状況だった。そんななかで、日本軍兵士による強姦が横行したのです。

著者は結論として、被害にあった兵士と民間人あわせて20万人前後であるとしています。中国側のいう「30万人」という数字も、あながち誇張とは考えられないのです。

 南京事件を否定するかのような教科書(令和書籍)が文科省の検査に合格するなんて、いったい日本政府はどうなっているのか、と思います。 改めて広く読まれるべき新書だとつくづく思いました。

(2025年9月刊 1120円+税)

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