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2025年8月 の投稿

虚構の日米安保

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 古関 彰一 、 出版 筑摩選書
 日本の現状に対する鋭い指摘がオンパレードの本です。剣山の針が膚に突き刺さってくるような痛みすら覚えました。
 日米安保条約の危険な本質、それを日本政府が今日に至るまで嘘で塗めてきたこと、多くの日本人が易々と騙されたまま、怒りをもって異議を唱えようとしないこと…、著者は、これらすべてに対して、本当にそんなことでよいのか、そう厳しく告発しています。
 日本敗戦後、日本を支配したアメリカは、憲法を制定させたあと、朝鮮戦争が勃発すると、すぐに自衛隊を発足させて日本の再装備を進めていったし、日本政府もそれを受け入れた。ところが、日米両政府の思惑はまったく異なるものだった。アメリカは、冷戦下、ソ連などの共産勢力の誇張政策を阻止し、アジア・太平洋諸国の安定のために、米軍の指揮下で行動する日本軍を再興しようと考えた。これに対して日本政府は、まさしく戦前の日本軍をアメリカが興してくれるものと考えた。
日本政府は憲法9条と自衛隊の矛盾を真剣に考えてはいなかった。憲法9条を「棚上げ」しておけばいいくらいの考えだった。もちろん、それは立憲主義の考えではない。アメリカ政府は立憲主義を当然視するので、このような日本政府の「見解」を疑問視した。しかし、日本政府は「協議」すればいいと言ってはぐらかし続けた。
アメリカの特使をつとめて来日したジョン・ドーダレスは、「日米政府間で協議していれば憲法9条は改正されるのか?」と嫌味を言ってのけた。
 日米間で、安保共同宣言(1996年)はあるが、それは政府間のものに過ぎず、国家同士の合意ではない。この状態が今に至るまで65年間も続いている。
 幣原喜重郎首相(当時)がマッカーサーと会談して、「戦争の放棄」を発案・提起したという「説」を、著者は否定しています。当時の幣原はGHQ案の9条に反対していたし、マッカーサーに対しても「戦争の放棄などと言っても誰もついてこない」と言って、たしなめられたりしたというのです。
 たしかに、マッカーサーはいつだって長広舌を振るい、他人の進言をとり入れるような性格の人間ではなかったという指摘がされています(他の本で)。アメリカにとって、日本が再軍備して憲法を改正するというのは、アメリカ政府の決定に全面的に従属するための再軍備であり、そのための憲法改正である。自衛隊の司令官は日本人ではなく、アメリカ人がなるということ。こんなことを日本政府が受け入れて日本国民に対して説明できるはずもありません。そこで、日本政府はどうしたか…。
文書に残さない。口頭という奥の手を使った。ところが、電文という公文書で、アメリカ側には文書が残る。日本側に文書はないので、国民に説明しなくてもよい。これが吉田茂首相(当時)のとった高等戦術だったのです。そうはいっても、アメリカ側には不安が残ったので、日米合意を何度も持ちかけた。
米軍基地の管理権は米軍にあり、日本政府は指一本も出せない。これが日米地位協定第3条。オスプレイが配備され、墜落し、有毒ガスが発生し、PFASが検出されても、米軍人が凶悪犯罪を犯しても、まさに日本は植民地同然の治外法権がまかり通っています。米軍にとって、「基地の自由な使用」こそが日米安保なのである。
アメリカ人将兵は、日本の運転免許証がなくても日本全国、どこでも自由に運転できるとのこと。呆れを通りこして、怒りを覚えます。「日本人ファースト」を唱え、外国人排斥を叫ぶ参政党には目を光らせてほしいところですよね。
著者は問いかけます。なぜ日本政府は、ここまで恥も外聞もなく卑屈なのであろうか…。同感です。この本でも砂川事件の最高裁判決について、田中耕太郎最高裁長官が米国大使・マッカーサー2世と密談を重ねていて、その指示を受けていたことを特記しています。本当にひどい話です。私も、それを知って以来、田中耕太郎を史上最低の下衆野郎(げすやろう)として呼び捨てにしています。ところが、現代日本の裁判官は、こんなひどい事実を知っても田中耕太郎を庇(かば)うのです。まさしく自分は田中耕太郎と同類だと自認しているわけです。
岸信介首相とハーター米国務長官の交換公文(1960年)は、核を搭載した米軍機が日本に飛来した際、また米艦船が日本の港湾に侵入した際、日米の事前協議の対象とはしないとした。このことは秘密にされていた。大平首相は、外務大臣のときに知らされたが、沈黙を守った。
非核三原則を提唱したとして佐藤栄作首相はノーベル平和賞を受賞したが、実は、当時沖縄には1300発の核兵器が配備されていて、それは知悉していながら不問に付していた。
また、事前協議については、米軍に「重要な配備の変更」がなければ行わないとされていた。要するに、核兵器の日本への持ち込みは黙認するという密約があった。
「非核三原則」の一つ、「核を持ち込ませない」は空文化していた。
沖縄の返還にあたって、「核抜き、本土並み」となったと表向きされていたが、実のところアメリカ(当時はニクソン大統領)が核兵器を外から持ち込むのについて、日本(当時は佐藤栄作首相)は、事前協議において遅滞なく承認するという合意議事録を作成していた(1969年11月19日)のようです。そして、日本国民に知らせることはありませんでした。佐藤首相が持ち帰った文書は、佐藤栄作の死後、自宅の机の中から発見された。これほど重要な公文書がきちんと保管されていなかったというのも驚かされます。
ライシャワー元駐日大使は、「日本政府は日本国民にウソをついている」と断言した(1981年5月18日)。
この本では、日本政府が日本国民に向かってごまかし用語を多用していることも指摘しています。たとえば、PKOについては「平和維持作戦」と訳すべきところ、「平和維持活動」とし、軍事作戦とは違うと印象づけようとしている。また、国際法上の「難民」なのに、より一般的な「避難民」という用語を用いている。これは、避難民として保護はするけれど、国際法上の難民の権利は認めないことを意味している。
安全後生関連の言葉が、国民に受け入れられるように、いかに数多くの表現が書き換えられ、改記されてきたのか。調べるほどに、その多さに驚かされた。政治用語の改案が大きく変わり始めたのはこの30年、有事法制になってからのこと。武器を「防衛装備品」に、「敵基地反撃能力」を「反撃能力」としている。「敵」を「攻撃する能力」は、「敵」から「攻撃された際に反撃する能力」に変わった。
330頁もの長編力作です。盆休みの半日で必死に読みふけり、大変勉強になりました。
(2025年3月刊。2090円)

概説・日本法制史

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 出口 雄一・神野潔 ほか 、 出版 弘文堂
 改めて日本法制史を読むと、知らないことがたくさんありました。
鎌倉時代の執権は、政所別当と侍所別当を兼ねる役職からなる。
 鎌倉時代の訴訟は三問三答式。訴人(原告)が問注所(裁判所)に訴状と証拠書類の写し(具書案)を提出し、また訴人は論人(被告)に訴状を届ける。論人は、反論(陳状)を提出する。このやりとりは3度まで。そして両者の対決がある。訴人と論人が担当の奉行からの質問に答える。そして、裁許状(判決文)が作成される。現代日本の労働審判は3回期日で終わりですので、発想は似ている気がします。
 戦国時代の刀狩令では、槍・弓・鉄砲は没収されず、刀、脇差ばかりが没収された。これは帯刀する権利を武士、奉公人で独占し、他の身分には許可制とする、身分政策だった。
 江戸時代、村の百姓も脇差は差すことができ、村には野獣狩りのための鉄砲はたくさんあった。一揆のとき、百姓たちは鉄砲を使わないという暗黙のルールがあった。
 江戸時代、三代将軍家老のときまで六人衆がいて、老中・若年寄制はまだなかった。六人衆が亡くなったとき、補充されず、老中と若年寄が制度として確立した。
 幕末のころ、隠れ切支丹を幕府は取り締ったが、明治政府は開港・開国のなかで、キリスト教禁令を解除せざるをえなかった。ただし、明治政府がキリスト教の信仰を制限つきでありながら認めたのは、明治22(1889)年の大日本帝国憲法だった。それまで隠れ切支丹だった人々が大挙して長崎で出現したのです。同じことが久留米の先にも起きました。浮羽の先の今村地区です。明治になってから立派な教会堂が建設されました。改築されて、今も堂々とした教会堂として現存しています。
 帝国憲法(明治憲法)は君主主権をうたっています。国民主権ではありません。先日の参院選で「躍進」した参政党の新日本憲法草案は、国民主権ではなく天皇主権に戻すというものです。今どき信じられない発想です。参政党の草案には、憲法が権力を縛るものだという発想がまったくありません。そして、日本国憲法で保障している、表現・言論の自由などの基本的人権の保障がほとんど抜け落ちています。恐ろしい内容です。そんなことを知らないで、ムードに流されて参政党に投票した国民が少なくなかったように思われます。
 日本を名実ともに法治国家にして、人権がきちんと保障されるようにしたいものです。そのための不断の努力が求められています。
(2023年10月刊。3960円)

統一教会との格闘、22年

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 鈴木 エイト 、 出版 角川新書
 安倍晋三元首相が奈良県で白昼、手製銃で殺害されたのは今から3年前の2022年7月8日のことでした。ようやく、この秋から裁判が始まります。
銃撃して1人の人間を殺害したことを許すつもりはまったくありませんが、山上被告が統一協会(決して教会ではありません)の被害者であることは間違いありません。
報道によると、山上被告の母親は今でも統一協会の信者だそうです。自分たち一家が経済的に丸裸にされ、生活保護を受けざるをえないほど追い詰められてもなお信者だというのです。まことに洗脳というのは恐ろしいものだと思います。
統一協会の教祖であった文鮮明はとっくに死んでいます。今から13年前の2012年9月3日、風邪をこじらせ肺炎から意識不明となって病死しました。92歳でした。今、その妻が教祖を引き継いでいるようですが、そのナンバー2だった信者は前大統領の妻に高級バッグ等を贈ったとして、つい先日、韓国で逮捕されています。
 文鮮明の息子たちの多くはアメリカにいるようですが、利権をめぐって醜い争いをしていると報道されています。
安倍殺害事件のころから急に全国的に有名になった著者は、実に22年前から、街頭やビデオセンターでの統一協会への勧誘行為への妨害行動をしてきました。驚嘆します。
 実は私も、統一協会のビデオセンターに押しかけて妨害行動をしたことがあります。
 そのとき、ビデオセンターの責任者の女性(当時30代と思います)はすぐに110番しましたので、パトカー2台、警察官が6人ほどやってきました。私はバッジもつけていて弁護士だと名乗って、被害回復のための交渉に来ていると自己紹介しました。すると、警察官は、110番した女性責任者のほうに事情を聴きはじめたのでした。結局、私は騙しとられていた300万円の全額を取り戻すのに成功しました。
 統一協会は駅頭などで「手相を見ています」「自分の運勢を知りたくないですか」などと、宗教色を見せずに声をかけてビデオセンターに誘い込もうとします。そこで著者は、いや、これは宗教団体の勧誘行為だと対象とされた人々に教えてやるのです。たいした度胸です。
 それにしても、統一協会からガッポリ献金と票をもらい、お互いに持ちつ持たれつの関係にある自民党の国会議員がなんと多いことでしょうか。その典型が萩生田光一議員です。今でも、しれっとして国会議員なのですから、呆れてしまいます。
 統一教会の信者は、お金だけでなく、秘書にもなって国会議員を取り込んでいます。本当に怖いです。自民党のほうは利用しているだけ、のつもりでしょうが、客観的にみれば、統一協会のほうが自民党議員をしっかり利用している関係にあります。今、タカ派の若手ホープとして売り出し中の小林鷹之議員も統一協会とは密接なつながりがあるようです。
統一協会の教義によると、日本は韓国に罪滅(ほろ)ぼしのため仕えるべき国なので、献金をするのは当然だというのです。ということは、「日本人ファースト」なんていうものではありません。どうして、超タカ派の自民党議員が「韓国ファースト」の宗教と結びつくのか、不思議でしかたありません。
それにしても、著者が地道な活動を22年間も続けているというのには頭が下がります。
(2025年3月刊。1040円+税)

虫・全史

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 スティーブ・ニコルズ 、 出版 日経ナショナルジオグラフィック
 昆虫は、種の数と個体数のいずれでも、これまで地球上に存在した動物のなかで、もっとも繁栄しているグループ。今までに110万種が確認されていて、それ以外に未発見の種が世界中には500万種いるとみられている。そして、個体数は1000京匹という。つまり、地球上に生息する動物の4分の1が甲虫で、10分の1がチョウかガという計算になる。
 昆虫は節足動物。つまり、節足動物門に属している。クモやムカデなども節足動物。動物には32の門がある。節足動物門はずば抜けて大きい。
 体長2メートルもの節足動物の化石が発見されている。アノマロカリス類だ。
オルドビス紀の海には、奇妙な生き物の集団であふれていて、その多くが節足動物だった。節足動物は、今から5億年ほど前のカンブリア紀の初期か、その始まる直前の海で進化した。頑丈な外骨格とさまざまな用途をもつ脚のおかげで、節足動物はすぐに優位な立場を確保した。
 昆虫のもっとも古い祖先は海洋生物だったに違いない。オルドビス期(4億8千万年前のころ)の初期に水生の昆虫が陸地に上がって生活するようになった。
 昆虫は、その多様性に対応するために、27の「目(もく)」に分けられている。
昆虫のなかでは、完全変態する種類がもっとも多い。完全変態とは、成虫とは全然異なる幼虫段階のある昆虫のこと。
 ネムリユスリカは、幼虫期が完了するまで、何度でも必要なだけ乾燥と蘇生を繰り返すことができる。ネムリユスリカは、幼虫のときには、身体の水分の95%を失っても死なない。幼虫は、マイナス270度から102度までの温度変化に耐えたあと、水を吸収すると生き返る。
アフリカのウガンダでは、1本のアカシアの木に、37種もの昆虫が共存している。
 もっとも重い昆虫は、ニュージーランドに生息する、飛べないコオロギ、オオウェタで、重さは71グラムもある。もっとも長い昆虫は、ナナフシで、ボルネオ島で発見された個体(メス)は、体長40センチもある。
酸素濃度が節足動物の体の大きさに実際に影響しうることが判明した。酸素がカンブリア爆発の火種(ひだね)になった。
 昆虫は人間の食べ物にもなる。世界中で、2000種の昆虫を人間が食べている。
 昭和天皇は、蜂の子ごはんを大好物にしていた。
 昆虫の脚は、6本。6本もの機態的な脚があることが、昆虫の多様性に役立った。飛翔能力の進化は、昆虫の成功の大きな要因になった。
 チョウの幼虫は、葉をむしゃむしゃ食べるが、成虫は蜜(みつ)を吸う。カマキリは魚を捕らえて食べる。
 シロアリは、世界に2500種いて、生態系は他のほとんどの昆虫よりはるかに大きい。シロアリは土壌に酸素を運び、大量の糞を取り除き、地下深くから無機物を運び上げる。
600頁もの部厚さで、昆虫に関する全容を教えてくれる、百科全書のような本です。
(2024年8月刊。3960円)

高所綱渡り師たち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 石井 達朗 、 出版 青弓社
 30年以上も前のことですが、ナイアガラの滝を、アメリカ側とカナダ側のそれぞれから2回、訪れたことがあります。大変なスケールの滝で、圧倒されました。この滝にロープを渡して綱渡りをした人が何人もいるようです。
 一番最初は、1859年6月30日で、フランス人のブロンディン。
 峡谷の幅は335メートルあり、そこに396メートルのロープが設置された。ロープは直径8.3センチの麻綱。ロープの巻き上げ機などない時代なので、人力で張ったので、ロープの中央部分は陸地に固定された箇所より15メートルも低かった。つまり、ブロンディンは、水面から53メートルの高さからロープを歩き始め、38メートルの高さまで、ロープを下っていく。そして、そのあと、再び53メートルの高さまで昇る。
バランス棒は長さ11.6メートルある。ブロンディンは身長163センチ、体重は63キロ。安全対策など何もなく、命綱はない。バランス棒だけが命の綱。行きは15分、帰りは7分で渡り終えた。見物人は8千人ほど。収入は250ドルであり、ロープ代だけで350ドルかかったので、完全な赤字。それでもナイアガラの滝で綱渡りした男として高く評価された。世間は、ブロンディンが単なる奇人・変人ではなく、畏怖すべき曲芸師だと認めた。
 女性もナイアガラの滝の綱渡りに成功している。イタリア生まれのマリア・スペルテリーは1876年7月、23歳の若さだった。ロープの上を後ろ向きに歩いたり、目隠しをしたまま歩いたり、また桃を入れるバスケットを足に固定させたり、いろいろな技も見せている。
 バランス棒はロープが揺れたときに身体のバランスを保つために必須のアイテム。バランス棒なしの、素手で渡るのは不可能ではないが、相当に難易度が上がる。日本の曲芸師は、棒をもって渡るのを「カンスイ」といい、手に何も持たないで渡るのは「素渡り」という。
曲芸師が、ロープからわざと落ちて、とっさに片腕でロープをつかみ、ロープにぶら下がる。そして、やおらロープの上に体を持ち上げ、ロープに座る。
 野外の高所での綱渡りする者にとって、予期せぬ突風は最大の敵となる。ワイヤーの質、その設置方法、バランス棒、綱渡り師の体調など、すべてが完璧であったとしても、予期せぬ突風に突然襲われたら、大変危険。うむむ、こればっかりは自然の脅威ですからね…。
 「七人のピラミッド」を演じている様子の写真がありますが、見るだけでハラハラさせます。
 七人は文字どおり運命共同体。ワイヤーの上に四人、その上に二人、その上に一人。
 三層で、「四一二一一」という体勢をつくる。一本のワイヤー線の上に全員が乗っているので、一見すると平面的。しかし、生で見ると、いかにも立体的。七人全員が長く両端がしなっているポールを持っている。七人のバランス棒は、七本が同じように動くのではない。各自が自分の体のバランスと自分の位置でのバランスを微妙に調整し、かすかに波打つようにポールを揺らしながら進行する。いちばん上の女性は、椅子の上に座ったままポールでバランスをとっている。
 この芸を17日間に38回もやり遂げた。すごいですね。1997年のことのようです。
2001年、倉敷チボリ公園では、「八人のピラミッド」を成功させたのでした。いやあ、信じられません。私は、現地で、観たくなんかありません。だって、生(なま)だと、失敗したのを目撃しかねないじゃありませんか。目の前で人が死んだり、大ケガしたりするのを見るなんて、私には耐えられません。
 9.11でテロ対象となった世界貿易センターも高所綱渡りの場になったようです。いやはや、なんと恐ろしい…。よくぞ調べあげたものだと感心しました。
(2025年4月刊。3740円)

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