弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2025年5月 1日

「治安維持法100年」

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 萩野 富士夫・歴教協 、 出版 大月書店

 治安維持法が制定されたのは、今からちょうど100年前の1925年。その後、2度の改正を経て、猛威をふるった。そして、日本国内だけでなく、植民地として支配していた朝鮮と台湾にも運用された。
 日本では1945年に廃止されたが、朝鮮と台湾では戦後も長く戒厳令が敷かれたりして、人権を蹂躙する治安体制が続いた。
 1925年に制定された治安維持法は1945年に廃止されるまでの20年間、社会変革の運動や思想をおさえこみ、戦争遂行の障害とみなしたものをほぼ完璧に封殺した。
治安維持法の成立は、普通選挙法の成立と同じ時期。このことは私も知っていましたが、同時に日ソ国交の成立とも関連しているのこと、これは全く知りませんでした。ロシア革命が1917年に成功して、それからまだ8年しかたっていませんでしたから、日本の支配層が非常なる危機感をもっていたのでしょうね...。
弾圧のなかで思想転向者が多数うまれた。その方向で転向を促進するため、思想犯保護観察法が1936年に成立・施行された。
1925年に制定されたときの治安維持法はわずか7条だったのが、1941年3月、2度目の改正によって65条にまで増えた。それまで拡張解釈していたのを条文にした、つまり運用の実態を条文化した。これって、いかにも本末転倒ですよね。
1945年8月の日本敗戦後も日本政府は治安維持法を廃止など念頭になく、運用の継続を図った。驚くべきことです。そこで、GHQ(占領軍)が10月15日に「人権指令」を発して、ようやく治安維持法は廃止された。
1945年8月15日をもって直ちに収容されていた政治犯全員が釈放されたというわけではないのです。そのため、三木清などが敗戦後なのに、刑務所のなかで病死しています。本当に残念なことです。
特高警察の解体も、GHQの指令によってようやくなされたのでした。ところが、特高警察官たちは、しばらく野に伏せていただけで、やがて大手を振って表に出てきて、国政トップにまで出世していきました。ひどいものです。
朝鮮半島での治安維持法の運用は、日本以上に苛烈でした。
拷問もひどいもので、それによって得た「自白」により、死刑が科されていった。
日本では判決として死刑はなかったが、朝鮮では48人が死刑判決を受け、最終的に18人が死刑となった。
中国の「満州国」でも治安維持法と同旨の法令があった。七三一部隊の殺戮工場へ「マルタ」として送られた人々も少なくないようです。
この本には、治安維持法に抗した人々の運動が紹介されています。この人たちは、治安維持法に反対するためというより、自分たちの目ざすものを一生けん命に追い求めていたところ、官憲のほうが、それを許さず、治安維持法違反として次々に検挙していったのだと思います。京都学連事件。長野県の教員赤化事件、兵庫県の新興教育運動、唯物論研究会、北海道綴方教育連盟...。
そして、治安維持法が、今、再び生き返り、日本を戦争へもっていこうとする動きがあるという警鐘が乱打されています。この12月、長崎の人権擁護大会で、日弁連(日本弁護士連合会)は「戦争をしない、させない、長崎宣言」を採択しようとしています。
再び千雄の惨禍を受けないよう、過去の歴史に学ぶことの大切さを改めて認識させてくれる本です。ぜひ、あなたもご一読ください。ついては、昔学生の眼から見た昭和初めの時代を描く「まだ見たきものあり」(花伝社)もおすすめします。
(2025年3月刊。2200円+税)

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2025年5月 2日

永遠の化学物質、水のPFAS汚染

社会


(霧山昴)
著者 ジョン・ミッチェル ・ 小泉 昭夫 ・ 島袋 夏子 、 出版 岩波ブックレット

 日本にある米軍基地から有害物質PFAS(ピーファス)が大量にたれ流されています。いつものとおり日本政府は厳しく取り締まろうともしません。本当に情けない限りです。まるで植民地政府です。
 トランプ大統領は石破政権に対して、これまで以上に日本の負担を増やせと要求しています。「思いやり予算」というのは、何の法的根拠もなく、ひたすら奴隷が御主人様に差し出している大金のことです。おかげでアメリカ人(とくに軍人)はパスポートなしで自由に日本への入出国ができ、タダで優雅な邸宅に住んでいます。
 テフロン化工のフライパンがかつて大流行しました。このテフロンのもとがPFASです。
PFASは化学的に安定しているので、自然界で分解するのに数千年もかかる。まるで、放射能みたいです。この科学的安定性が危険性につながっている。
 ごくわずかな量でも、PFASは深刻な健康被害につながる恐れがある。ところが、日本では危険性の認識がゼロに近い。たしかに、私もアメリカ映画「ダーク・ウォーターズ」を観るまで、PFASの毒性を気にしたことなんてありませんでした。
 この映画では、デュポン社がテフロンの危険性を承知のうえで、もうかるからという一点で、販売規制することなく、大々的に売り出していたこと、その真実(危険性)が明らかにならないよう、あの手この手を使っていたこと、これをアメリカの企業弁護士が被害者側に立って地道な膨大な作業の末に、勝訴したという実話にもとづいています。
アメリカではデュポン社と3M。日本では、ダイキン工業と旭硝子などがPFASを製造し、使用していた(いる)。PFASは、アメリカの主要産業に莫大な利益をもたらした。
日本でPFAS汚染がもっとも深刻なのは、東京の横田米軍基地。多摩川のPFAS汚染に関連している。そして、沖縄。米軍基地から大量のPFAS汚染が広がっている。
通常のフィルターでは、PFAS汚染は取り除けない。なので、処理施設に堆積する。
アメリカでは、排水溝の汚泥を肥料として農家に販売しているため、そんなところで飼育された家畜の食肉や牛乳がPFAS汚染にさらされ、拡大している。
 そして、鳥類はテフロンの煙の影響を受けやすい。
瞬時に消火できるというPFASを含む泡消火剤を米軍基地は大々的に使ってきたし、今も使っている。2019年9月時点で、全国にPFASを含む泡消火剤が39万リットル以上あると公表されている。PFASによる発がん性、そして発達への悪影も心配されている。
 いやはや、なんということでしょうか...。アメリカ様の前では、国民の生命と健康さえも保障されていないということです。そんなの嫌です。かのトランプの奴隷になんか、絶対になりたくありません。
(2024年8月刊。680円+税)

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2025年5月 3日

本の江戸文化講義

日本史(江戸)


(霧山昴)
著者 鈴木 俊幸 、 出版 角川書店

 大学でゼミの先生から講義を受けている気にさせる本です。
 江戸時代が進むなかで、江戸だけではなく、全国的に無学文盲の人がいなくなり、みんなが本を読むようになりました。そして、本は買う本と借りて読む本の2つがありました。借りて読むほうの本はたくさんの人が読むため、本の表紙は厚い紙で出来ている。
 なるほど、なるほど、そうなんですね。
そして、本を読むのは黙読ではなく、声を出して読みます。素読と同じです。ほら、「し、のたまわく...」というやつですよ。
 戦国時代と江戸時代の大きな違いは、強力で安定的な政権が生まれ、長期にわたって戦争のない時代が誕生したこと、260年あまり一つの政権によって一国が保たれていたのは、世界史上ほかにないこと。
 ええっ、そ、そう言い切っていいんでしたっけ...??
 この長期にわたる安定の最大の要素は、民衆の幕府への信頼。平和の時代をもたらし、維持していることを民衆は素直にありがたく思っていた。
 民衆が平楽を享受していたことは私も間違いないと思いますが、さすがにここまで言い切っていいのか、やや、ためらってしまいます。
 江戸時代の人々は、日本が「鎖国」していたとは思っていなかった。「鎖国」というのは近代になって貼られたレッテルにすぎず、実態のない幻想だ。
 なるほど、朝鮮通信使は何十年かに一度、大行列を仕立てて国内を巡行しましたし、オランダのカピタンたちも江戸まで出かけていますよね...。
 生活の隅々にまで及ぶ厳しい農民統制を示す「慶安の触書」なるものは、今では教科書から一掃されている。これは幕府によって全国的に出されたものではないことが分かったから。
 江戸時代、身分は固定されたものではなかった。有力町人は、お金の力で名字帯刀(みょうじたいとう)を許された。検地にしても農民が自由に売買するため、農民のほうから実施するよう願い出ることもあった。
 江戸時代の百姓は、かなり自由に、したたかに生きていた。
西洋諸国とは違って、民衆が文字を手に入れ、文章を理解することを江戸時代の為政者は怖れなかった。むしろ、触書を理解し、道徳を身につけるのに有用だと判断して、民衆が文字知を獲得することを阻害しなかった。
 寺子屋が全国各地にあった。都市部では「女寺屋」といって女子だけを受け入れるところもあった。千葉県東金(とうがね)の寺習塾の記録によると、文政4年(1821年)に男子59人、女子27人、天保2年(1831年)に男子33人、女子24人。天保9年(1838年)に男子40人、女子33人だった。授業料(束脩。そくしゅう)は半年500文。
江戸時代、本に定価はなかった。売値は、客と交渉して決まった。
日本近世は、パロディの時代。男色を「アブノーマル」として排除しようとするのは明治になってからのこと。江戸時代には、マイノリティでもなんでもなかった。武将に稚児はつきものだったんですよね。
井原西鶴を現代の小説家のように考えてはいけない。江戸時代にそんな職業はない。十返舎一九は初めて原稿料だけで生活できた。たいてい「副業」をもって、それによって生活していた。
「南総里見八犬伝」は発売1年間にせいぜい500部ほどの発行部数でしかなかった。
蔦屋重三郎は、時代の動きを敏感にとらえて、それに対応する天才的な能力のあった希有(けう)な本屋。惜しいことに脚気(かっけ)のため、寛政(1797年)に48歳で亡くなった。ビタミンB1の不足。白米の食べすぎかな...。
江戸時代の本屋と書物そして文化人の動向を詳しく知ることが出来ました。
(2025年1月刊。2200円)

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2025年5月 4日

罪名、1万年愛す

社会


(霧山昴)
著者 吉田 修一 、 出版 角川書店

 ミステリー小説なんですが、戦後の混乱状況に生きた人々の戦後をたどる話として読ませます。
 「1万年愛す」というのは、ルビーのペンダントの名前。今の価値だと35億円にもなろうかという、とんでも高貴な至宝です。なぜ、そんなものが、この本のタイトルなのか...。そんな至宝を島に住む招待主が所持しているというのです。でも、それがホンモノなのかは、最後まで分かりません。
そもそもの事件が起きたのは、なんと45年前の1978年、多摩ニュータウンの団地に暮らしていた主婦が突然、失踪してしまったこと。
 そのとき、ひょんなことから、この超大金持ちが容疑者の一人となった。そして、その容疑者に対する捜査にあたっていた元警察官も、この島に招待された。なんだか不思議な話ですよね...。
 そして、話はさらにさかのぼって、日本敗戦後の上野駅にたむろしていた戦災孤児の話になるのです。そこでともに生きていた仲間から、成功した人間も出たのです。そして、死んだ人の戸籍をもらって生きていったのでした。
 そんな孤児が社会的に成功して今があるわけです。主婦失踪事件も意味のある行為であって、殺人事件ではなかったのでした(ネタバレ、ごめんなさい)。
 まあ、さすがに手慣れた様子で話が展開していきますので、いったい、この先どうなるんだろうと思って一気読みしてしまいました。
(2024年10月刊。1980円)

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2025年5月 5日

ひろい海にぼくたちは生きている

人間


(霧山昴)
著者 長倉 洋海 、 出版 ありす館

 この著者(写真家)の写真と文章には、いつも感服しています。子どもたちの目がキラキラ輝いているのに心が惹かれます。
 今回の子どもたちは基本的に一日中、海上で生活しています。東南アジアにスールー海というのがあるそうです。初めて知りました。インドネシアでしょうか、ボルネオでしょうか...。フィリピンではなさそうです。
陸に上がるのは、とった魚を売りに行くときだけ。固い地面を歩くのは不思議な感じがするというほど、海上生活が中心です。舟の上にすべてがある。料理も食事も、みんな舟の上。
 赤ん坊が生まれると、すぐ海に入れる。まず、泳ぎを覚えるため。とれた魚を町で売って、また海に戻っていく。
 島に生えるヤシの木と魚で、自給自足の生活を営む人々。ヤシの木は、実だけでなく、殻も葉も幹も、すべて役に立つ。ヤシ殻からロープをつくる。とった魚は、みんなで分けあう。
島には、電気もガスも、水道もない。冷蔵庫もない。足りなくなったら魚もヤシもまた取ればいい。水は、雨水を水槽に貯めておく。
 子どもたちは、学校に通う。ヤシガニは青色で、手の平よりも大きい。ヤシの実は、ラグビーボールの大きさだ。
 青い空と広い海のなかで、子どもたちが屈託のない笑顔を見せている。この素敵な笑顔がずっとずっと続いていくことを願うばかりです。
 今回も素晴らしい写真を見せてもらって、ありがとうと著者に声をかけたい気持ちで一杯になりました。
(2024年12月刊。1980円)

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2025年5月 6日

エッシャー完全解読

人間


(霧山昴)
著者 近藤 滋 、 出版 みすず書房

 なぜ不可能が可能に見えるのか、こんなサブタイトルがついています。なるほど、エッシャーの絵って不思議ですよね。一見すると、何の変哲もない精密画なのですが、よくよく見ると、不思議だらけです。どんどん階段を上にのぼっているかと思うと、いつのまにか下に進んでいます。そして、川の水が滝のように流れ落ちているのですが、その落ちた水が、どんどん上にあがっていて、再び滝になって落ちていきます。まったくありえません。
 人間の眼は、いかに錯覚にとらわれているか、それを何より証明するものです。
 エッシャーのだまし絵は見飽きることがありません。著者は、それがなぜなのか、科学的に究めています。すごいです。
著者がエッシャーのだまし絵に出会ったのは中学生のとき。少年マガジンの表紙(1970年2月8日号)に「物見の塔」があったそうです。この「塔」の絵も不思議なものです。建物のなかにあった梯子(はしご)を人間がのぼっていますが、いつのまにか建物の外に出ているのです。ありえません。
 そして、1階と3(2?)階の向きがまるで違うのに、違和感がありません。
 エッシャーの絵は自然で写真的に見えるのに、全体としては不可能建築になっている。
エッシャーはアメリカの雑誌「タイム」に取りあげられ、一躍、人気作家になった。1954年のこと。
 エッシャー自身は学校では数学が苦手で、いつも落第点をとっていた。今と違ってコンピューターを活用できるわけではないので、エッシャーは手作業でトリック絵を描きあげていった。
 エッシャーの風景画は、その対象をきわめて正確に写しとっている。
 エッシャーは、どう考えても存在しえない構造の建築物を、限りなく自然に描くことで、実在しうるものと錯覚させることを狙ったのだろう。
 エッシャーのトリックは次の三つから成る。
 ①原則として、線遠近法の決まりごとは厳格に順守する。
 ②見る人が錯覚を起こすように建物の構造を変える。
 ③違和感の原因になる構造を、建物以外のアイテムでごまかす。
 エッシャーは、自分では「デッサンが下手だ」と言ったが、それは、存在しないものを空想で描くことは出来ないという意味。
 エッシャーの絵を一人で黙って見つめているだけで、画面中にたくさんトリックがあることに気付かせない。でも、どこか変だなと思って、よくよく見ていると、トリックがあることが分かってくる。
 エッシャーの絵をもう一度よくよく見ることにしましょう。楽しい本でした。
(2025年1月刊。2700円+税)

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