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2025年2月 の投稿

企業法務弁護士入門

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 松尾 剛行 、 出版 有斐閣
 今や企業法務が若い人に圧倒的な人気です。先日聞いた話では、東大ロースクール生は、40人のクラスで35人が企業法務を志望していて、五大事務所に内定しているそうです。もちろん私は企業法務を否定しませんし、日本社会に大いに必要だと考えています。それでも、企業法務以外に選択肢がないかのような昨今の風潮は残念でなりません。弁護士の仕事は地域的にも、仕事のうえでも、もっと多様なんです。それぞれ自分の人生をかけていきていて、弁護士をしている。そのことを法曹をこれから目ざそうとしている若い人に知ってほしいと切に願っています。
 そんな私が、なぜこの本を読んだのかというと、最近の企業法務の業務の実情を知りたかったからです。私の要望にしっかりこたえてくれる内容の本でした。
 企業法務弁護士になりたいという学生のもっているイメージは…。
 〇キラキラした仕事ができる
 〇一般民事を扱うより、仕事が楽そう
 〇感情論の比重の強い一般民事より合理的でロジックにもとづいて仕事ができる
 〇裁判所に行かず事務所で仕事ができる
 〇親族相続法や刑事法は扱わない
 これについて、企業法務を扱うべきベテラン弁護士である著者は誤解と過大評価があるとしています。
 キラキラ…仕事の実際は地味。
 楽な仕事…大きなプレッシャーを受ける
 合理的・ロジック…法務担当者の悩みを聞き、精神的なケアも必要
 事務所で仕事…面談しての仕事は欠かせない
 親族・相続、刑事を扱わない…社長の家族関係は扱うし、企業をめぐる犯罪を扱えなかったら困る
 著者の以上の回答は、いちいちうなづけるものばかりです。
 では、企業法務の特徴は何か…法務部門が行うリスク管理の過程に貢献し、組織としての意思決定に支援するところだと著者は考えている。
 なるほど、そうなのでしょう。
 企業法務であろうとなかろうと、弁護士実務は、正解のない問題に取り組むという特徴がある。誤りはあっても、唯一の正解というのはないのです。
 新人弁護士に欠けているものは、失敗の経験。なるほど、これは言いえて妙です。まったくそのとおりです。私も数々の恥ずかしい失敗を重ねてきました。
 弁護士業務ではバランスが重要、これまた、そのとおりです。仕事をすすめるうえでのバランス、利益衡量のバランス、仕事と家庭のバランス。いろんな面のバランスをうまくとっていかないと決して長続きしない。どこかに正解があるということはないので、自分なりに精一杯考え、必要なコミュニケーションをとり、周囲の人を巻き込んで正解をつくり上げていく。
 企業法務の弁護士であっても、私のような地方の一般民事・家事を扱う弁護士であっても、目の前には生身(なまみ)の人間がいることを忘れずに取り組むのです。
 弁護士にとって重要なものの一つに、人当たりの良いことがある。いつも明るく前向きにアドバイスすることで、法務担当者にとって相談したい弁護士になるべき。
 これは法務担当者には限りません。相談者が帰るときには明るい、晴れやかな顔をしているのが理想です。
 たとえば、「贈賄(ぞうわい)のリスクがあるから、やめなさい」と回答して終わってしまったら、法務担当者は次から相談に来ない。では、どうしたらリスクを回避できるか、一緒に悩みを共有して、打開策を探っていくべきなのです。
企業法務と刑事弁護は縁がないように見えるが、実はそうではないと著者は強調しています。著者自身が刑事弁護人として現役とのこと。私も、弁護士である限り、刑事弁護人の仕事は続けるつもりです。そのほとんどが国選弁護人ですけれど、やむをえません。
 従業員の横領、性犯罪そして取締役の背任・横領など、企業内外をめぐる刑事犯罪の発生は必至です。そのとき、私は刑事弁護はやってない、分からないという対処はもちろんありえます。しかし、企業にからむ捜査対応では刑事弁護人の経験を生かすことができるものです。もちろん、本格的な刑事弁護はその道のプロに依頼したほうがいいことは多いでしょうが、それでも刑事弁護人の経験の有無は大きな意味をもってくると私も思うのです。
 さすがの内容がぎっしり詰まっている本でした。
 最後にもう一回。弁護士の仕事は企業法務だけではありません。若い人たちに、地方で困っている人はたくさんいますし、いろんな新しい分野にぜひ進出していって開拓していってほしいと呼びかけたいと考えています。
(2023年11月刊。2300円+税)

2月1日早朝、ミャンマー最後の戦争が始まった。

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 フレデリック・ドウボミ、ラウ・クォンシン 、 出版 寿郎社
 ミャンマー(ビルマ)の軍事クーデターに対抗する民衆の姿をマンガで知ることが出来ました。
 日本に住んでいるミャンマー人は2021年12月には3万7千人だったのが、2年後の2023年12月には8万6千人となった。急増したのはミャンマー軍事クーデターによって、国外脱出を試みる若者が増えたから。
軍事クーデターが起きたのは2021年2月1日の早朝のこと。ミャンマー国軍のミンアウンフライン総司令官が前年11月の総選挙には不正があったと主張して起こしたもの。しかし、「不正」の確たる根拠は示されていない。
 その前の2017年8月、70万人以上の少数民族ロヒンギャがミャンマーでの迫害を逃れてバングラデシュへ移動した。
この本の作画を担当したラウ・クォシンは幼少期を京都で過ごしている。中国に渡り、今は香港から台湾に移り住んでいる。
 2020年11月の総選挙で勝利したアウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NCD)
による民主的な政権は短期間のうちに終わらされた。
クーデターの翌日、国民は鍋やフライパンを叩いて抗議した。ミャンマーには金物(かなもの)を叩いて悪霊(あくりょう)を追い払う風習がある。
軍事クーデターによって、2020年11月の総選挙で当選した多くの議員が逮捕された。アウンサンスーチーは2月1日に逮捕された。不法に無線通信機を所持していたという罪で3年の実刑判決が出た。アウンサンスーチーは、多くのミャンマー人にとって、一家の長であり、母親のような存在。彼女の父親であるアウンサン将軍は、独立運動のヒーロー。イギリス軍や日本軍と命をかけて戦った。
 デモ参加者はインターネットで連絡をとりあったので、軍はアクセス制限を始めた。
 ミャンマーの若者には、「ミルクティー同盟」の一員だと考える者もいる。これは、台湾・香港・タイの若者たちが中国とタイの政府軍の権威主義体制に反対してつくったオンライン組織。
 タイの民主化運動で三本指(親指と小指を除く)を立てるのが抵抗のシンボルとなったのがミャンマーでも広がった。
 中国政府は以前のようにビルマ軍を完全には支持していないが、見捨てたわけでもない。
 ビルマ民族の若者のなかに、カチン民族やカレン民族のゲリラを公然と支持する動きも出ている。ヒロンギャに対する認識を改めた人も少なくない。
ミャンマーは今、恐怖の中にあるのに、世界は、それをただ見ているだけ。
ビルマ軍幹部は、クーデターを非難した国連のミャンマー大使を解任できず、その後も任務についたまま。ビルマ軍よりも国民統一(NUG)のほうが正当なミャンマーの代表として国際社会に認識されている。
 自由選挙で軍の代表が勝利したことは一度もない。
 ミャンマーの置かれている実情を少しばかり知ることができました。
(2024年10月刊。2200円)

ルポ超高級老人ホーム

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 甚野 博則 、 出版 ダイヤモンド社
 入居一時金が3億円、そして毎月の支払額が70万円という老人ホームが東京にはあるそうです。高級どころではありません、スーパーリッチ層が入居する、文字どおり超高級の老人ホームです。
 さて、そこではどんなサービスが受けられるのか、本当にそれだけの大金を支払う価値があるのか、住み心地は本当にいいのか…。いろいろ疑問が湧いてきますよね。
 もちろん、私はそんな大金なんてもっていませんので、自分が入るつもりで、この本を読んだのではありません。私の知らない別世界を少しのぞいてみたかったのです。
 5億円以上の金融資産をもつ超富裕層が日本には9万世帯いる(2021年)。
 東京・世田谷の老人ホームは入居一時金が4億7千万円。うひゃあ、す、すごーい…。月々の生活費は夫婦で80万円。ここに入居する人は入居一時金の3倍ほどもっているのが条件のようです。つまり、15億円もっている人です。いやはや、そんな大金をもっている人が日本に「ごまん」といるというわけです。田舎にいると、とても信じられない金額ですが、そんな人たちがきっといるというのだけは断言できます。
 ここは3000坪の敷地に10階建ての中規模マンション風。150室あって、定員は200人。麻雀が圧倒的に人気で、陶芸工作室のため、専用の窯(かま)まで備えている。
 ここには、財界の大物たちが入居している。入居者のうちに10人ほど亡くなっている。空室は、わずかに10部屋。入居できるのは70歳から。
この施設に介護職として勤めている人は給与は23万円から27万円ほどでしかない。やっぱり給与は安いというしかない金額ですよね。
 全国的に、老人ホームの入居者は女性のほうが多い。
 東京にはタワーマンション型の高齢者対応マンションがある。地上31階建てで、銀座三越まで歩いて30分で行ける。
 共同生活に向かない人は、自分を優先してくれと求める人。また、スタッフを指名する人も入居を断っている。
 ある超高級老人ホームの入居者のうち8割が、自宅を残したまま。安心感のためらしい。ところが、実は看板倒れの、暴力団が裏に潜んでいるような超高級老人ホームがある。
 経営者が介護職員の人員配置基準の数をごまかしている施設は珍しくない。調理場には窓がなく、一種しかない調味料はカビだらけ…。いやはや、なんとひどいことでしょう。
 介護職員も低い賃金で、そのうえ自由がないので、人員を確保するのに苦労している。そりゃあ、そうでしょう…。
 高級老人ホームで、「高級」とは何か…。それは友だちが出来る環境がととのっているかどうか。なるほど、ですよね…。
 この本の結論は、超高級老人ホームは決してユートピアではない、ということです。
 「高級」とは、客を錯覚させるための巧みな演出があるかどうかだ。なーるほど、ですよね。勘違いしている人って多いですよね。
 インタビューしてまわった著者自身は、ごく普通の暮らしを過ごし、今までどおりの人間関係を保ちながら老後を過ごせたら、それでいいと考えています。私も基本的に同じです。老後に、田舎で花や野菜を育てるのもいいですよ。それも、もちろん元気なうちだけですが、老後の楽しみを若いうちから自分にあったものを確保しておくことがとても大切です。私の場合は、それは本を読み、そして書くことです。
(2024年8月刊。1760円)

遊牧民、はじめました

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 相場 拓也 、 出版 光文社新書
 モンゴル大草原の掟(おきて)というサブタイトルのついた新書です。衝撃的な面白さでした。モンゴルの大草原で生活するということが、どれほど大変なことなのか、ひしひしと迫ってきました。
モンゴル草原の大地とは、人間にはあまりにも残酷な「失望の荒野」でもある。
 凍りつく大地と、実りの少ない草の原野である。そんな場所での生活は、生きるだけでも精いっぱいで、人間本来の野生の生存本能が試される。
 突然の生命の終わりや、命をつなぐための家畜群の全滅に向きあったとき、遊牧民が絶望しないための心理操作として、「自分の責任ではない」という単純明快な答えが用意されている。荒々しい自然と対峙したとき、巻き起こる災害に対処しなければならないとき、あらゆる不幸に対して、「自分のせいではない」と思えることこそが、草原の民の心の強さなのだ。うむむ、そういうことなんですか…。
モンゴルでは、酒は社会の悪しき潤滑油でもある。
 単調でエンターテインメントのない草原の暮らしでは、気晴らしや息抜きが少なく、心のゆとりを感じにくい。酒を飲むこと、来客と世間話をすることが数少ないストレス発散になっている。
 モンゴル人は、起きてほしくないことは、とことん口にしない。会話のなかで否定形を一切使わない返答は、自分の未来を否定しないためのモンゴル流の口頭技法。口に出して現実になることを恐れているため、未来や過去を否定しないような回避法が根底にある。
 モンゴル遊牧民の心持ちは、悲観を前提とした悲壮感に満ちた生。単調で、死と隣りあわせの遊牧生活に、南国風の楽観論が育(はぐく)まれることはなかった。
 遊牧民は、その歴史上、常に不知と暴力にまみれた社会だった。組織内や親族内でもめごとが発生したとき、「話し合い」による解決はほとんど実践されない。
 モンゴル人とのあいだで、一度でも人間関係に亀裂が生じると、それはもはや回復できないほどの破綻を意味している。
 遊牧民の社会には「末っ子」が家督を継ぐ末子相続という習慣が今でも連綿と受け継がれている。この末子相続は、親族間や氏族内関係を複雑にする原因にもなっている。
 末子は、両親が死ぬまで同じ天幕で共に暮らすのが通例。末子相続は、地域コミュニティの富の偏在を肯定的に推し進める。末子相続というシステムのもと、遊牧民は、「富や名声とは、努力で勝ち得るものではなく、親の経済力や生まれで決まる生来所与のもの」という強い感覚がある。末子への羨望(せんぼう)と、それに由来する闘争こそが遊牧民の戦いの根源に直結している。
モンゴル人と接していると、人間関係を長続きさせるのが不得意だと実感される。
 モンゴル人に対して、決して怒ってはいけないし、直接的に物事を伝えたり、批判してはいけないし、相手のへそを曲げさせてはいけない。
 モンゴル人は、本質的に好戦的な心を宿し、暴力行使へのハードルの低い人々である。
 遊牧民と親しくなるためには、手土産、酒盛りそして一芸披露が必要。
 遊牧民はとにかく話題に飢えている。情報ネットワークを重視する遊牧コミュニティでは、隣人・知人の行動はきわめて重要な判断基準になっている。遊牧民の日常会話のほとんどは家畜と人間(親戚・知人・隣人)、そしてお金の3つしかない。
遊牧民が移動するのは、自らの意思というより、家畜を養うための水と草を探し求めて、家畜によって移動させられているというのが実態。遊牧民は、自由気ままに草原を放浪して生きていられるほど、楽な稼業ではない。移動とは、単純に牧草資源を探し求めているわけではない。家畜とは遊牧民のすべてであり、すべては家畜から育まれる。
 モンゴル人の食文化では、ただ茹(ゆ)でただけのヒツジ肉がごちそう。調味料は塩を少々で、他には何もない。
 モンゴル人の住居である天幕は、入って右側が「女性の場」、左側が「男性の場」と決まっている。そして、出入口の扉は、かつての遊牧民の王国が征服を目論む侵攻方向と一致している。
 モンゴルの女性は、しっかりしていて、凛とした強さと、しなやかさで、男性優位のイスラームのコミュニティを生き抜いている。
 かつての遊牧民の社会では、人生は30歳にみたない程度で終わっていた可能性がある。
 遊牧民としてのモンゴル人の大草原での厳しい生活、そこから来る人間形成について、驚くばかりで、まったく目を開かされた気がしました。
(2024年9月刊。1100円)

弁護士の日々記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 前田 豊 、 出版 石風社
 福岡の弁護士である著者が20年前に弁護士会の役職にあったときの随想、そして最近の世相に思うことをまとめた本です。
 私は、白寿(99歳)を祝った著者の父親の被爆体験を初めて識りました。長崎で19歳のとき被爆したのです。三菱造船稲佐製材工場で働いていました。
 突然、空気中が溶接ガスの火花の色みたいになって爆風に飛ばされた。もう、これで死ぬのだと思った。何にも分からず、十数分くらいたったと思う。
 三菱長崎製鋼所のあたりでは、市民や学徒動員の負傷者でいっぱいだった。まさに、この世の地獄だった。大橋から下の浦上川を見ると、そこも傷を負った人たちでいっぱいだった。死体もごろごろしていた。
 救援列車に乗った。いったん乗って、降りて、戻ってくるのを待つと、超満員で汽車が戻ってきた。重傷者は、血止めの方法を教えれくれとか、殺してくれとか、苦しんでいる人が多くいた。車内はまさに地獄状態だった。やっとこさで乗り、列車の連結のところに立ちずくめで諫早駅まで行った。
 焼けたふんどしに裸足(はだし)姿で駅から2キロ歩いて、家に着いた。畳に腹ばいになったあとは、何にも分からない。翌日、体全体が痛む。頭の毛が燃えた悪いにおいがする。昼間はハエがたかる。夜は蚊が刺す。弟たちがウチワであおいでくれる。火傷(ヤケド)にはイノシシや穴熊の油を父が塗ってくれる。背が自分の死を待っている状態で過ごす。8ヶ月後、ようやく歩けるようになった。
そんな状態にあったのに、99歳まで長生きしているとは、まことに人生とは分からないものです。
 さて、随想のほうは20年前の司法をめぐる話題が豊富に提供されています。読んで、そうか20年前というと、裁判員裁判が始まったころなんだなと自覚させられました。
 そして、法テラスもこのころ(2006年10月)スタートしたのでした。いろいろ批判もあるのですが、それまでの法律扶助制度に比べたら、格段の前進であることは間違いありません。
 現在、天神中央公園にある貴賓(きひん)館に福岡控訴院(福岡高等裁判所の前身)があったことを初めて知りました。その後、赤坂近くの城内に移り、今は六本松にあります。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
 それにしても、今の仙人姿は、どうなんでしょう…。相談に来た人に近寄りがたいという印象を与えていませんか。それとも奥様のお好みによるものなのでしょうか。
(2025年2月刊。1760円)

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