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2024年9月 の投稿

海と路地のリズム、女たち

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 松井 梓 、 出版 春風社
 アフリカの小さなモザンビーク島に住み込んで、人々の日常生活を細やかに調べあげ、分析している、面白い本です。
 モザンビーク島は、かつてはポルトガル領東アフリカの中心拠点として栄えた、せわしい島だった。今では、時間も現金も、漁業を中心にゆっくりとまわっている。
 居住地区は一見スラムのように過密なのに、どこよりも治安がいい。夜中に女性一人で歩いても少しも不安を感じない。小さな島の居住地区に人々は稠密(ちゅうみつ)に住まい、女性たちは友人や隣人どうし親密につきあう。身体を近づけあって相手に触れて親しさを確認し、秘密を打ち明けることで心を近づけあう。近隣の家を頻繁に行き来し、半開きの勝手口から声をかけて入っていっては、その家の女性とおしゃべりやゴシップに興じつつ隣人たちの台所事情ものぞいていく。そこで相手に食べるものがないとみれば、自分がつくった料理を皿に盛って相手の家に届けたりもする。
 まあ、ここまでは、なんとなく理解できます。驚くのは、この親密な関係が実は永続性がないことがしばしばだということです。その大きな原因の一つがゴシップです。あけすけなゴシップが行きかい、当の本人の耳にも入ります。そして疎遠な関係になります。ただ、徒党を組んで、誰かが孤立させられるというのはなさそうです。すると、どうなるのか…、また、女性たちはどうするのか、気になります。
 彼女たちは、目の前を濃密に飛びかうゴシップの渦中で、関係を悪化させすぎずに、しかし緊密に共在するのです。
 モザンビーク島で繰り広げられるゴシップは、その真偽を問わないままに他者の評判を流布する極めていい加減な社交であり、他者への応答をあるべき態度とする共生の倫理からすると、限りなく非倫理的な行為だろう。著者は、このように評しています。日本では考えられないと思います。
 著者が居住し、分析の対象とした人々の地区は島の南側の中流・下流層の人々が住む「バイロ」と呼ばれる地域。北側は、「シダーテ」という富裕層が多く住む地域。バイロの住民の大半はムスリム。バイロの女性は、夫の稼ぎをあてにせず、みずからも稼ぐ、堂々と振るまう「強い」女性たちが住んでいる。
 バイロの人たちは、必ずしも安いとはいえない鮮魚を毎日食べて暮らしている。それは島外から流入する現金があるため。
バイロでは、日々、隣人とのあいだで、皿に盛った調理ずみの料理を交換するやり取りが見られる。バイロでは、頼母子講(シティキ)が盛んにおこなわれている。
 島の離婚率の高さ、一夫多妻制のため、女性は夫と離別したあと、みずからの親族のもとに出戻ることが多い。
相手の家族が生活に困っているとみると、子どもの食事の分は助けるが、それは決して一家全員の分まではない。一定の距離を保つように線が引かれている。
 二つの家族のあいだで、相手の家族がひもじそうだとみてとると、孫の分のみ料理を分け与えるが、家族全員の分までは与えない。それは、お返しがあることを前提として、相手の生計の過度な負担とならないようにする配慮になっている。両者の関係性が負担になりすぎない距離感で保たせられている。これは、日本の昔の長屋であった共生、扶助関係とも違うのでしょうね。
 バイロの近所づきあいは、2~3日のうちに料理のお返しが求められている。共在を可能にする委ねすぎない身構え。そして、ゴシップの渦中で共在する。当初から、相手に過度に期待し、依頼でいばることをしないからこそ、深刻な裏切りも不信も生まれない。
 女性たちには、隣人たちと日々密に接し、相手とつながろうとしてしまう一方で、最後のところで相互に心理的な結びつきや連帯を求めすぎたり、みずからを相手に委ねすぎたりしてしまわない身構えがある。うむむ、そうなんですか…。大変興味深い社会生活の実情と分析でした。
 指導教官として小川さやか教授(「チョンキンマンションのボスは知っている」という面白い本の著者)の名前があげられているのを知って、同じような手法の調査だと納得しました。それにしても、男性、そして子どもたちが全然登場してこないのには、いささか欲求不満が残りました。
(2024年3月刊。5500円)

未来にかけた日々(前編・後編)

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 勝目テル 、 出版 平和ふじん新聞社
 戦前、関東消費組合連盟で活動し、戦後も民主的な活動を続けた著者がその人生を振り返っています。国立国会図書館のコピーサービスで読みました。本当に便利な世の中になったものです。著者が70歳前半の1975年9月に刊行されています。
 著者がまだ30歳台前半のころ、いかにも活気盛んな年頃です。そして、著者によると、1930年、31年は、戦前の日本の労働者の闘いがもっとも華やかな時代だったというのです。帝国主義政府の圧制が強まり、治安維持法が猛威をふるっていましたが、労働者も小作人も屈することなく、大勢が声を上げて圧制と果敢に闘っていたのです。
 1931年、労働者によるストライキは2284件で、小作人を中心とする農民の闘いも活発で、小作争議2478件も起きた。
どうですか、今の日本と比べて圧倒的に多いではありませんか。東京・新宿のデパートが閉店を強行するというので労組がストライキをしたとき、久々のストライキだと世間の注目を集めたことはまだ記憶に新しいところです。現代日本では「死語」同然のストライキですが、帝国政府の強権的な圧制の中で、労働者も農民も大きく声をあげ、ストライキに突入していました。現代に生きる私たちは、同じ日本人として彼らに敬意を表するだけでなく、労働者としての当然の権利を行使すべきだと考えています。それでは次に行きましょう。
 女性の参政権、投票権が戦前には認められていなかったことを体験として知る人は今や、ほとんどいません。昨今の女性は、せっかく敗戦後に勝ちとった選挙権を放棄している人が、あまりに多い状況は、本当に残念です。まあ、これは男性も同じことです。
 1932年2月、衆議院は婦人公民権案が可決された。ところが、貴族院で否決され、女性の選挙権は認められなかったのです。「女性に選挙権なんか与えたら、日本の美しい風俗がこわれるから」というのです。笑止千万です。衆議院で可決されたという事実は私は知りませんでした。
 同じ1932年3月には20日から23日まで、東京の地下鉄が全面ストップしました。地下鉄で働く労働者がストライキに突入し、地下の電車に籠城したからです。150人が参加しました。警官隊が地下に突入しようとしましたが、争議団が「触ると死ぬぞ」と大書して通電した柵で対抗したため突入を断念し、結局、労働者側が大きな成果を勝ちとり、その勝利で終わりました。
 そして、同年8月1日は国際的な反戦デーで、「米よこせ」の運動が大々的に取り組まれました。農村では娘の身売りなど、大変深刻な状況が生まれているなか、政府は米が余っているとして、1升わずか8銭で海外に米を売ろうとしていたのです。それを聞きつけた市民が大手町にあった農林省へ「米よこせ」を要求して押しかけました。
 日本人は昔から裁判を嫌っていたというのが根拠のない間違いであるのと同じように、日本人は昔からモノ言わない、羊のようにおとなしい人間ばっかりだというのも、まったくの間違いなのです。日本人だって、立ち上がるときはあります。声を上げ、要求を大勢で叫んだのです。
 先日、台湾の民主化運動を紹介する本を読んで日本とは決定的に違うのは、台湾には運動によって成果を勝ち取った成功体験が、最近、二つはあるそうです。ところが、日本では10年前の安保法制反対運動は弁護士会を含めて大きく盛り上がりましたが、安保法制法は制定されてしまいました。また、集団的自衛権の行使も認められるようになりました(幸い、まだ、現実の行使はありません)。日本に欠けているのは成功体験、そして自信をもった若者の運動です。本当に残念です。
 1933年11月、著者が治安維持法違反で検挙され、両国警察署の留置場に入れられていたときのエピソードは、まさしく胸を打ちます。
 11月7日は、ロシア革命の記念日。これを監房内で祝うことを企画していると、そこに布施辰治弁護士が両国署にまわされてきたのです。そこで、著者は革命記念日と布施辰治弁護士の歓迎会を企画して、看守長の同意を取りつけ、ついに実現したというのです。これには、いくらなんでも…と、びっくりたまげました。
 さらに、遠い親類にあたる海軍少将を動かし、なんと両国署から出ることが出来たというのです。いやはや、権力機構というものの、いいかげんさも知ることができました。
(1975年9月刊。定価不詳)

「挑戦と闘い」の軌跡、そして絆

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 篠原義仁弁護士 、 出版 追悼集刊行委員会
 篠原さんは私が50年前に弁護士になって入った事務所の先輩弁護士の一人です。もう一人、杉井厳一弁護士(故人)がいますが、私は、この二人には絶対に追いつき、追いこすことは不可能だと、たちまち悟りました。
 篠原さんは、ともかく「口八丁、手八丁」の典型です。その手厳しい評言は、ときに言われた人の心を傷つけることもあったことでしょう。公害問題を扱う篠原さんは、自らが「口害」発生源でもあったのです。でもなぜか、その「口害」が私に向けられたことはありませんでした(ひょっとして、私が鈍感だったというだけのことかもしれません)。
 篠原さんは、群馬県の安中(あんなか)公害を初め、川崎大気汚染公害をふくむ公害問題など、数多くの事件を扱い、公害弁護団をリードしていきました。そして、篠原さんは、自由法曹団で幹事長をつとめ、3.11のあとは団長に就任もしています。弁護士会のほうには役職についてはいません。ほかには「九条の会」でも岡田尚弁護士と一緒に活躍していますが、篠原団長のころ、自由法曹団は10年間で団員が500人も増え、2000人を超えました。
 ところが、今では若手が入団せず、老年団員の死亡・脱退という自然減のなかで、絶対数が減少して、2000人を割り込んでいます(と思います)。
 自由法曹団では70歳になった団員を古稀団員として表彰することになっていますが、ちょうど篠原さんは自分自身が対象となり、団長として自らを表彰するという事態になりました。
 篠原さんは、弁護士になってからは「シャイで照れ屋を速射砲の毒舌で隠した」という佐伯剛弁護士の指摘はそのとおりだと私も思います。
 そして篠原さんは、本人が古稀になったときの自己紹介で、小学生くらいまでは、言葉が出ないことを周囲が心配していたというのには、びっくり仰天してしまいました。人間って、変わるものなんですね…。
 篠原さんは、2021年8月26日、まだコロナ禍の真最中に、77歳で亡くなりました。本当に残念です。そして、篠原さんが亡くなってもう3年もたつのかと思うと感無量です。
 私が故郷に戻って10年目の記念パーティーを開いたときには、篠原さんはわざわざ川崎からやって来て祝辞を述べてもらいました。
 本当にお世話になりました。ありがとうございました。いろんな人の思いがあふれている素晴らしい追悼集です。
(2024年2月刊。自費出版)

王墓の謎

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 河野 一隆 、 出版 講談社現代新書
 やはり、常識というか、通説は疑ってみるものなんだということが分かる新書です。
 たとえば、仁徳天皇陵は、クフ王のピラミッド(エジプト)や秦始皇帝陵(中国)に匹敵する規模。そして、疑問は…。それだけの墓を潔く技術があるのに、なぜ生活に直結するような社会のインフラにエネルギーをしなかったのか…。
次に、王は、本当に権力者だったのか…も、著者は疑っているのです。
 殷(いん)の王墓は地下深くに巨大な墓室が造営されているが、地上には墓であることを示すしるしはない。そして、殷の王陵のそばにある殉葬抗には、3000体以上が確認されている。3000人以上が殺され埋められたということです。よくも反乱が起きなかったものですね。
著者は「弱い王」という概念を提起しています。それは、権力者が神格化することでなったのではなく、神聖性をまとわせるために社会が必要とし、殺されるために選出された人間。生贄(いえにえ)のように神へ贈与されたのが「弱い王」。死ぬことと引き換えに神と協力できた王が神聖王。つまり、王墓とは、神聖性が特定の王に固定化されるリスクを回避するために人類が発明した優れた機構。王は強い権的な支配者ではなく、自然災害、人為災害など社会の存続を揺るがすような重大な局面に瀕したとき、成員の中から選ばれた人物であり、その人物が威信財を携えて神に捧げる役回りを演じた舞台が王墓なのである。なんだか、これまでの通説とはちょっと違っていますよね…。
 メキシコのテオティワカンには記念建造物はあるが、王墓はない。
エジプトでは、ファラオの関心が現世から来世のほうに重きが置かれるようになった。葬送複合体の中心はファラオの遺骸を納めたピラミッドから、太陽神ラーを祭るための神殿へ移っていった。ファラオが死後に太陽神ラーの下で神となるのであれば、王墓よりも神殿に直接礼拝するほうが祈願がかなえられるだろうと人々が考えるようになった。王が神格化を強めれば強めるほど、人々は王墓を重視しなくなるというパラドックスが生まれた。その結果、王墓はファラオの私的な意思で築かれるものに変質した。
 人々と神聖王との心的関係がもはや回復できないほど隔ててしまうと、ついに王は性格を一変し、むき出しの権力を誇示する「強い王」権力王が誕生した。そうなると、人々の自発的な協力は望めず、強制的な徴発をせざるをえなくなる。
 王墓が全国いたるところにあることの意味が少し分かった気にさせられる、面白い新書です。
(2024年5月刊。940円+税)
 台風一過、朝は涼しくなりましたが、日中はまだ炎暑が続いています。
 庭に出るとツクツク法師が鳴いていますし、彼岸花系統の白い花がたくさん咲いています。サルスベリも、白い花を咲かせています。
 朝顔の花も、紅いの、白いの、そして淡い水色の花が咲いています。
夕方、日が暮れるのが早くなりました。

痛快生活練習帳

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 旺文社ムック 、 出版 旺文社
 団塊世代への提案本です。といっても私たち団塊世代は今や後期高齢者(75歳以上)になってしまいました。今さら何を提案するのかと思うと、実は、この本は今から25年も前に刊行されたものです。
なので、団塊世代は50歳代に突入したばかりで、まさしくバリバリの現役世代でした。だから旅に出ようという呼びかけに素直に応じられます。旅といっても千差万別。豪華なシティーホテルに一人で宿泊するというのもありますが、たいていは自然豊かなところへ足を運びます。東海道五十三次の旅を再現しようという人もいます。まだまだ歩けるのです。足腰が弱ってきたら、もう無理できません。
スズムシなどの「鳴く虫」を自宅の書斎の虫かごで飼って育てている人がいます。その虫の数は、なんと4万匹。たいしたものです。スズムシ、カンタン、マツムシ、クツワムシ、キリギリスなど13種類の鳴く虫を育てているというので圧倒されます。昆虫少年がそのまま大人になったのですね。
 福岡の大学教授が現職のまま漫才師としてプロデビューしたという人がいるのには驚かされます。久留米そして福岡にも、弁護士でありつつ、漫才師を目ざしている人がいます。
 団塊世代が好んで読む本には、ロマンと痛快がある。これには多読主義者の私にも異論はありません。「旅する巨人」という、宮本常一と渋沢敬三を主人公とする本、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」は私も読んで、いい本だと思いました。
 そして、江戸時代の商人であり、哲学者でもある山片蟠桃(ばんとう)には心が惹かれます。
 スマホを持たない(持ちたくない)私は、海外旅行は断念して、国内旅行に専念しようと考えています。全国47都道府県の全部に行きましたが、まだ行っていない島はいくつもありますし、足を運んでいない遺蹟や歴史的名所も多いので、そこを少しずつ行ってみようと考えています。歩けるうちが人生の華(はな)ですから…。
 本箱の隅に眠っていた本を引っぱり出して読んでみました。
(1999年10月刊。952円+税)

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