法律相談センター検索 弁護士検索
2024年9月 の投稿

袴田事件

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 青柳 雄介 、 出版 文春新書
 事件発生は1966年6月30日のこと。清水市にあった味噌製造会社の事務宅が放火され、焼け跡から一家4人の惨殺遺体が発見された。「犯人」として逮捕されたのは、従業員で元プロボクサーの袴田巌(30歳)。直接証拠は何もないまま死刑判決となり、1980年に死刑は確定した。それからすでに40年以上がたっている。死刑囚は確定したら数年のうちに処刑されることが多い。しかし、2014年3月27日、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は再審の開始と同時に、死刑と拘置の執行停止を決めた。
「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、(袴田を)犯人と認めるには合理的な疑いが残る」
「拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にある」
袴田厳を取り調べしたときの状況が録音されていて、法廷で再現されました。それによると、長時間の取調べのなか、尿意を訴えても、便器を取調室に持ち込んでさせているのです。そして、取調官は袴田厳に対して、「お前、もうあきらめなさいよ。婆婆に未練をもつのはもうやめなさい。はっきり言ってね、あきらめなさい」と迫った。ひどいものです。
そして、「血染めのパジャマ」とされていますが、実際には、「肉眼で確認できないほどわずかなものだった」のです。そのうえ、袴田のズボンとされたものを袴田はいくら努力してもはくことができなかった。この現実に対して検察官は「袴田厳が太った」とか、強弁しています。 また、衣類に「鮮やかな赤み」が1年2ヶ月間も味噌につかっていたなんて信じられません。
まさしく警察によるデッチ上げ(冤罪事件)ということができる事件です。
袴田厳が福岡拘置所にいたのは19年間のうちに、十数人の死刑囚仲間が死刑へ消えていった。
現在、死刑囚として確定しているのは133人。うち70人が東京拘置にいる。
再審判決が迫っていますが、今度こそ、無罪判決を出してもらいたいものです。
(2024年8月刊。1100円+税)

ドキュメント・生還2

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 羽根田 治 、 出版 山と渓谷社
 私は九重山を歩いたことくらいはありますが、本格的な登山をしたことはありません。また、したいとも思いません。苦労して頂上にのぼって、はるか彼方まで見通したら、さぞかし気持ちがいいだろうというのは分かりますが、それまでの苦労に耐えられそうもありません。登山ではありませんが、大学2年生のとき、授業をズル休みして尾瀬沼に行ったのは、今もいい思い出になっています。
 この本は山で遭難して無事に生還した人たちの手記、聞き取り、そして対談から成っています。みんな長期間の遭難です。重傷を負いながら13日間、道を間違えて8日間、とかです。2週間とかではなく、3週間も山中で一人生き抜いた人もいます。人間の生命力はなかなかのものなんですね…。
ヤマの地図をスマホのアプリで活用するYAMAPは福岡の春山九州男弁護士の長男さんが創設した会社だと聞きました。便利なようですね。
でも、バッテリーが切れてしまったらどうしようもありませんよね。やはり水が大切。石をひっくり返して、アリやミミズを食べたり、苔をむしって食べたとのこと。でも、それで空腹感が満たされるほそのことはない。食べられる山野草の知識があれば良かったでしょうね。
 死ぬかもしれないとは考えないようにしていた。絶対に助かるんだという気持ちでずっといた。簡単にあきらめないということなんですよね。寒いので、夜は寝ずに乾布摩擦をして、昼に寝る。日にあたると、太陽エネルギーのすごさを感じた。太陽光を浴びることによって、体に活力が湧いてくる。
 絶対に無理はしない。迷ったら引き返す。引き返す勇気が大切。ライターやマッチは必需品。脱水症状にならないように、沢の水を積極的にたくさん飲んだ。
 この本の最後に、「自己責任なんだから遭難者なんか助ける必要はない」とか、「救助費用を税金でカバーするな。全額自己負担にしろ」と、心ない攻撃をしてくる人が少なくないとのこと。悲しい現実です。そんなことを言う人は、きっと本人は他人からたすけてもらった経験がないのでしょうね。
人間は誰だって失敗するわけです。その失敗をした人を切り捨ててしまったら、この人間社会はますますギシギシしてしまいます。助けられる限り全力で救出するのは当然のことです。
アメリカ軍の不要不急の高額な戦闘機やイージス艦などを買うお金(税金)は日本は持っているのです。そんな戦闘機を買うよりも生きた人間の救出に使うほうが、よほどいい税金の使い道です。
(2024年6月刊。1760円)

アーリヤ人の誕生

カテゴリー:インド

(霧山昴)
著者 長田 俊樹 、 出版 講談社学術文庫
 新インド学入門というサブタイトルのついた刺激的な文庫本です。
 本論に入る前に、最後の補章にある論述がとても印象に残りました。文系と理系の研究のすすめ方の違いです。理系では再現可能性の有無が重要になる。同じ条件なら、誰がやっても同じ結果が得られなければならない。しかし、文系ではそんなことは必要ない。ひたすら、独創性があるかどうかがカギとなる。理系の評価基準で文系の成果物を「零点」と評価するのは、おかしい。なーるほど、そうですよね。文系では、誰がやっても同じ結果というのを求められることはまずありません。
ついでに言えば、私が50年にわたって扱ってきた裁判では、民事も刑事も、双方の主張がくい違っているとき、どちらが正しいのか、最後まで分からないということは決して珍しくありません。最高裁判所まで行って確定した判決が、実は間違っていたというのは、今も、そして、これからも決して珍しいことではないと思います。真実(真相)は、思い込みも含めて、簡単に分かるものではないのです。
 「役に立つ大学教育」というのは、大変な問題があると私も思います。何が「役に立つ」のかは、実のところ、長い目で見ないといけないものです。目先の、投資したらすぐにでも回収できるか、という近視眼的なモノの見方だけで大学を運営するのは、大変危険だと私も思います。大学は、いろんな意味で、「遊び」が必要なところなのです。
その意味で、北欧のように、大学には20歳過ぎてからゆっくり入学できるようにしたらいいと思いますし、大学生にはアルバイトしなくても勉強し、生活できるように、学費をタダにし、生活費も支給してやったらいいのです。日本は今、軍事予算を倍増しようとしていますが、そのお金を教育予算に振り向けたら、すぐに簡単に実現できます。
さて、ここから本題です。インダス文明は大河文明ではない。インダス川流域に分布する遺跡は多くないし、川の水だけでなく、モンスーンによる降雨を利用した農業もあった。インダス文明の時代、すでに大河ではなかった。
 「古代四大文明は、いずれも大河文明だ」と教えられてきたし、今も教科書はそうなっている。なので、これが簡単に書き改められることはないだろう。でも、違うものは違う。いやあ、これには大変驚きました。そうなんですか…。
 世界一の人口を誇るインドについて、人名、地名のカタカナ表記は、現地発音を無視している。たとえば、マハートマー・ガーンディー。日本では「ガンジー」と表記される。しかし、おかしい。ヒンドゥーをヒンズーと表記するのもおかしい。世界一の人口を誇るインドには多種多様な民族と言語がある。なので、単一的なインド観から、多元的インド観へ改められるべき。
 インドのことは、すべてサンスクリット語文献で理解できるというのは勝手な、間違った思い込みというのが著者の主張です。「あるべき」インドから、「ありのままの」インドに、ということです。よく分かります。
 著者は、ムンダ語族を専門に研究した学者であり、6年間の留学経験もあります。奥様もムンダ人のようです。
 さて、「アーリヤ人」です。「アーリヤ」とは、サンスクリット語で、「高貴な」という意味のコトバ。「インド、ヨーロッパ語族」の自称。そして、「アーリヤ人の侵入」というのは、考古学的な痕跡がないというのです。それでも、サンスクリット語とギリシア・ラテン語は系統関係を有する。つまり、ことは単純ではないということ。
 ムンダ人は、農業を生業とする農民族であり、インドに東南アジアから稲作をもたらしたのは、ムンダ人の先祖たち。ムンダ人は、乳製品をまったく摂取しない。
 知らない世界が目の前に一気に広がった気のする文庫本でした。
(2024年6月刊。1100円+税)

スラムに水は流れない

カテゴリー:インド

(霧山昴)
著者 ヴァルシャ・バジャージ 、 出版 あすなろ書房
 そもそもの問題は水不足にある。インド有数の大都会であるムンバイ。そこのスラムにはムンバイの人口の40%もの人々が住んで生活している。ところが、水はムンバイ市全体の5%しか供給されていない。水不足は3月がきびしい。
 そんなスラム街に住む15歳の兄と12歳の妹(主人公)と両親。
 ムンバイに水道はあっても各家庭まではなく、家の外にチョロチョロ流れる蛇口まで、毎日、水をバケツを持ってもらいに行かなければいけない。水が出るのは朝2時間と夕方1時間のみ。各家庭はタンクを備えて、そこに水を貯めておく。蛇口で水をバケツに入れるためには列をつくって並ばなければならない。
ところが、よからぬ連中が夜に盗水し、それを売って莫大な利益を上げている。それを偶然、兄は目撃し、良からぬ男に顔を見られてしまった。
 これはタダではすまされない。仲の良い兄は遠くの親戚の農場に身を隠すことになった。
 そのうえ、母親が病気になったので、実家に戻って静養するという。その期間、主人公は母がメイドとして働いている家でメイド見習いとして働かなくてはいけなくなった。
その家は、高級マンション。主人公と同じ年齢の娘がいて、その部屋にはバス・トイレがある。これに対して、主人公のスラム街では、7つの個室が並んだ1ヶ所のトイレを30家族で使っている。
 そして蛇口をひねると、時間制限なく、勢いよく流れ出てくる。そこは、スラムとはまったく別世界なのだ…。
 主人公には大の仲良しの女生徒がいて、お互いに助けあっている。ヒンズー教とイスラム教の違いはあっても、子どもには関係がない。
 さて、水泥棒とは誰なのか、主人公は学校と仕事を続けられるのか…。
 スラムでは女の子はどんなに頭が良くても、本人が学校に行きたいと思っても、途中で学校を辞めて働きはじめるのが普通だった。でも主人公は学校に行きたいし、パソコン教室に行けるようになった。さあ、どうする、そして、どうなる…。インドのスラム街に住む少女のみずみずしい感性が生かされている物語です。
(2024年4月刊。1500円+税)

藍子

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 草川 八重子 、 出版 花伝社
 朝鮮戦争が勃発したのは1950年6月25日。このころ、京都の高校生だった著者が、当時の社会問題と格闘する日々を振り返っています。
藍子の通う高校では、生徒会が総会を開いてイールズ声明(共産主義の教授は追放すべきだというもの)に反対することを決議しようとします。しかし、そんな決議をしたら、アカい高校と見られて生徒の就職が困難になるという現実重視派から反対の声が上がるのでした。
 前年(1949年)4月の総選挙で共産党は35人の国会議員を当選させたのに、GHQが共産党の追放を決め、6月の参議院選挙で当選した2人も無効とされてしまった。そして、下山、三鷹、松川という大事件が相次いで起き、世の中は急速に反共ムードが高まっていった。
 この高校には民青団の支部があり活発に活動しています。藍子は初め反発しながらも、戦争反対の声を上げるべきだと考え直して加入します。そして、オモテとウラの活動があるうちのウラにまわされます。レポ、要するに連絡係です。当時は、こんな活動も高校生にさせていたのですね、驚きました。
 驚いたと言えば、まだ高校生なのに、男子生徒が山村工作隊員に選ばれ、丹波の山村に入って革命の抵抗基地づくりをしたというのです。そして、その活動の一つが地主宅に投石して窓ガラスを破れというものでした。そんなことして、世の中に大変動が起きるはずもありませんが、当時は、大真面目だったのですね。
 高校生の藍子は疑問も抱きます。当然です。
 何でも「革命のため」と理由をつければ、指導者は勝手なことができて、藍子はひたすら我慢しなければならないのか…。そんなことはないはず。
 「革命」は世の中をひっくり返して、虐(しいた)げられていたものが権力をとること。労働者が、自分たちの政府をつくること。それを成し遂げる人間は、自由で積極的な自分の意思で活動すべきだろう…。
 著者は1934年生まれですので、私よりひとまわり年長です。50歳前後からたくさんの本を書いています。今回の本は、共産党の「50年問題」を、高校生だった自分の体験を描くことによって、「あの時代を抹消してもいい」のかと問いかけています。90歳になる著者が「体力と気力のある間にと蛮勇を振る」って書いたという貴重な記録です。それにしても、多感な女子高校生の会話まで見事に「再現」されている筆力には驚嘆するしかありません。
(2024年8月刊。2200円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.