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2024年8月 の投稿

韓国映画から見る、激動の韓国近現代史

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 崔 盛旭 、 出版 書肆侃侃房
 この本を読むと、韓国の近現代史は、まさしく激動そのものです。済州島四・三事件、朝鮮戦争、朴正煕暗殺、光州事件、IFM危機、セウォル号沈没事件…。
 韓国の人々は、決して黙って受けとめたわけではありません。キャンドルを持って集まり、声を上げて世の中を大きく動かしていきました。それで、日本に住む韓国人である著者は日本人の態度は理解しがたいと嘆いています(いるように思われます)。
 日本人は、権力の不正や理不尽な仕打ちに対する怒りを行動として表明しない。森友・加計問題、公文書偽造、河合夫妻の選挙違反、検察庁の不正、東京オリンピックをめぐる諸問題…。自民党の裏金問題もそうですよね。近年、あとを絶たない権力側の疑惑に対して、多くの国民は納得できないものを感じているにもかかわらず、それが明確な行動として示されることがほとんどない。一部の人がデモに集う一方で、そんなことをしてもムダだという、あきらめムードが国全体に漂っているように見える。韓国なら、これではすまされないだろう。
 本当に、そうですよね。先日の東京都知事で160万票以上もとった石丸某は、まともな政策らしいものは何もしないのに、SNSでなんとなく好感をもたれて集票してしまいました。国民(ここでは都民)の怒りが妙なところに吸い込まれてしまって、怒りの表明にはなりませんでした。
 しかも、三位にとどまった「蓮舫」に対して、女のくせに強く主張しすぎるから嫌だといわんばかりのバッシングがマスコミとSNS上であふれています。正論を主張したら、それが叩かれる世の中になってしまっては、どうしようもありません。それでは、カイロ大学を中退したのに卒業したという学歴詐称が濃厚な小池百合子のステルス(逃げ切り)を許してしまうのです。
 光州事件は1980年5月に起きた軍による市民虐殺事件です。当局は、ずっと「北朝鮮にあおられたアカによる反乱」だとしてきましたが、軍事政権から替わった金泳三政権のとき、真相究明のための特別立法がなされ、ついに、軍を動かし虐殺を指揮した大統領である全斗煥と慮泰愚に対して2人とも死刑判決が下ったのです。これはすごいことです。
 日本で、自民党の裏金事件というのは、数千万円いや数億円もの税金が私物化されたというものです。なので自民党の責任者(総裁)である岸田首相は当然に刑事裁判の被告人として裁かれるべきものですし、死刑はともかくとして、金額からして、実刑相当なのです。
この本を読んで、韓国で死刑制度が廃止されていないのに死刑執行がされていない理由として、明らかな冤罪(えんざい)にもかかわらず、死刑判決確定後まもなく処刑してしまった事実があるということを知りました。
 朴政権は、何の根拠もなく「北のスパイ」として罪なき人々を逮捕し、国家転覆を図ったとして死刑判決に持ち込み、死刑の確定からわずか18時間後の1975年4月9日に8人を処刑してしまったのです。いやあ、これはひどい、ひどすぎます。
 この裁判の過程では、事件を担当した検事が起訴を断念しようとしたこと、ついに4人のうち3人まで辞職してしまったのでした。良心がとがめたからです。
 韓国映画は大変面白く、勉強になりますので、私はなるべくみるようにしています。見逃してしまった映画もたくさんありますので、これからはできるだけ見逃さないように心がけるつもりです。
(2024年6月刊。2200円+税)

病棟夫婦

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宮川 サトシ 、 出版 日本文芸社
 よく出来た、考えさせられる社会派マンガです。
もう十分に老年の夫婦が二人してガンにかかって、入院中です。病院ですから、ホテルと違って夫婦同室というわけにはいきません。どっちが先に逝(い)くのか、ちょっとした言い争いになりします。
 抗ガン剤の影響で食欲がなかったりします。
 病院食の塩気抜きだと味気ないので、白ごはんにふりかけをたっぷりかけて、看護師に叱られてしまいます。
遠くに住む娘は孫を連れて病院にまで面会に来てくれます。でも、もう一人の息子のほうは、ずっと自宅に引きこもっています。もう10年にもなります。家の中は両親が出たあとは、ゴミ屋敷状態です。ゲームざんまいの生活のようです。恐らく両親の財産と年金を頼りにしているのでしょう。
もう青年とはいえない年齢の引きこもりの男性は、私の身近に何人もいます。いろんな原因があると思いますが、この本では、親父が息子のやりたい道を「世間体(せけんてい)」を気にして「弾圧」したことによります。父親は息子のためを思ってというのですが、それは自分の見栄のためということが少なくありません。
夫婦の入院先の病院には小児ガンの子どももいます。元気だったのですが、ある日突然、亡くなってしまいます。その子の好きなゲーム機を買ってやったのに、手渡す前に亡くなってしまったのです。
 そして、いよいよ老夫婦は終末期を迎えます。主治医は転院を息子に言い渡します。
 そのとき、息子は、土下座して両親を同室にさせて下さいと主治医に頼むのでした。
 「こんな自分なんかの土下座になんの価値もないのは分かっています。それでも、これしか思いつかなくて、すいません」
 泣かせるセリフです。まもなく、夫婦はほとんど同時に、同じ病室で亡くなります。
 老親と引きこもりの子どもを描いたマンガとして、秀逸だと思いまいた。
 ひきこもっていた息子はマンガ家になるのです。自伝のように思わせるところが憎いです。
(2024年6月刊。814円)

私の富嶽百景(Ⅲ)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ総合法律事務所
 神奈川県の弁護士である著者は無類の山歩き族。いったい、いつ弁護士の仕事をしているのかしらん、さては弁護士は片手間仕事でやってるな…、そう思いたくなります。
 はてさて、今回は、主に富士山を各方面から撮った写真のオンパレードです。葛飾北斎の描く富士山も圧巻ですが、この本で紹介されている、富士山の写真も見る者を一気に気宇壮大にさせ、見ごたえがあります。
 ともかく表紙の写真からすごいです。手前の湖には一羽の白鳥が悠々と泳いでいて、その向こうの富士山は早くも真っ白の雪化粧をしています。でも完全に真っ白ではありませんので、冬も間近になった晩秋なのでしょう。
 「歩いて遊び、写して遊び、描いて遊ぶ」。表紙のサブタイトルにあります。歩いて、写真を撮るのは著者で、絵を描いているのは奥様(燿子様)のようです。
 私は弁護士になる前、司法修習生のとき、青法協の現地見学会に参加して忍野(おしの)八海(はっかい)に行ったことがあります。自衛隊の広大な演習場に隣接した村です。もちろん、そこからも富士山が見えました。「逆さ富士」、つまり池(湖)に富士山がうつっているのです。
 ダイヤモンド富士の見事な写真があります。正月1月5日の午前7時45分に、山頂の少しくぼんだあたりに太陽が顔を出して光り、輝くさまは、まさしくダイヤモンド富士の姿です。
 山中湖では2月12日午後4時ころ、日没しようとするサンセット・ダイヤモンド富士の姿も撮っています。いずれ劣らぬ、幻惑的な美しさを感じます。
東京にも富士見町が各所にあります。江戸のころは、各所で富士山を拝んでいたのです。都庁舎の38階に東京都労働委員会の尋問室があるそうで、そこから夕焼けの丹沢山塊の向こうに富士山が見えます。知りませんでした。
 著者は、この本を私に贈呈するときの手紙のなかで、私が蔵書をどのように「処分」しているかと問いかけていますので、回答します。最大の書庫は、かつて子ども部屋だったところです。びっしり本棚を並べて、アメリカ、ベトナム、中国、韓国そしてフランス、日本(戦前)というようにきちんと分類しています。これはモノカキである私にはとても役に立ちます。2階の書庫は、ピアノを置けるように基礎(土台)をしっかり造ってもらいました。ここには江戸時代と日本史関係を並べています。そして、法律事務所には法律関係です。
 ときどき、あふれた本は自宅から事務所に持ってきて、引き取り手を求めます。誰も引き取ってくれない本は、不用本となって捨てます。私の読んだ本は、すべて私の蔵書印を押して、しかも赤エンピツで傍線を引っぱっていますので、「ブックオフ」のようなところには持ち込めません。それでも書庫には2~3万冊はきっとあることでしょう。
(2024年5月刊。非売品)

海を破る者

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者 今村 翔吾 、 出版 文芸春秋
 日本が外国の大軍によって襲撃・占領されたのは、先のアメリカ軍と、その前の元冠(中国・元軍と朝鮮・高麗軍)だけですよね。朝鮮半島へ出かけて行って、白村江の戦いでは日本は大敗しています。文禄・慶長の役ではいったんは朝鮮のほぼ全土を制圧したかと思うと、結局はほうほうの態(てい)で日本侵略軍は日本に逃げ帰ってきました。その次は、またもや朝鮮侵略そして台湾支配ですね。
 そこで、元冠です。先日、テレビで唐津あたりの海底に眠っている元の船の発掘調査の模様、そして、その意義を語る番組が放映されていました。
元軍は4000隻もの大量の船で日本に押しかけてきて、日本占領を企図していたようです。ところが、事前予想に反して、日本軍は乏しい武器を駆使して最大限の抵抗をしたので、元軍がもたもたしているうちに台風(神風)が吹いてきて、元軍の船のほとんどは沈没してしまいました。その結果としての海底に眠る元軍の船の遺構をじっくり観察すると、当時の科学技術水準も分かります。
 さて、この本です。主人公は河野(こうの)水軍である河野家の当主。そして、一遍(いっぺん)上人が登場します。一遍上人は、もとは河野一族に連なる存在でした。さらに、合戦屏開で有名な竹﨑季長(すえなが)も登場します。これまた、先日、テレビで、この合戦屏風を見ましたが、実にリアルな合戦状況の「再現」ですよね。描いた画師が合戦に参加したはずはないと思うのですが、その迫真さには圧倒されます。
 瀬戸内海を拠点とする河野水軍は船戦(ふないくさ)を得意とする。船戦において重要なのは、常に風上をとること。そうすると、敵に接近することも退却することも容易だし、矢の飛距離にも対応できる。風上をとるためには、船の速さが重要。大型の船は動きが鈍(にぶ)いと素人は考えがちだが、実際は逆。大型船ほど大きな帆を付けることができるし、櫓(ろ)を多く出すこともできる。
 蒙古帝国は、かつて一度たりとも侵略をあきらめたことがない。それなのに、日本侵略に2度も失敗し、3回目は企画倒れで終わってしまったのは、なぜなのか…。
 「神風が吹いた」というのは、いったいどういうことなのか…。
 いろいろ考えながら、面白く読みすすめました。
(2024年6月刊。2200円)

公爵家の娘

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 浅見 雅男 、 出版 リブロポート
 昭和の初めころ、日本には「赤い華族」が何人も出現しました。公爵や子爵の息子や娘、貴族院議員の息子たちが日本共産党員になって活動したり、共産党に定期的にカンパしたりしていました。彼や彼女らは東京帝大や学習院の在学中に共産党に近づき、サークルをつくって組織的に活動していたのです。今も、そんな青年たちがいるのでしょうか…。
 赤い華族の先駆けは、なんといっても有馬頼寧です。トルストイの思想に傾倒し、被差別部落解放運動に自ら参加しています。
 さて、本書の主人公は岩倉靖子です。その曾祖父・岩倉具視(ともみ)が明治維新のときに果たした役割があまりにも大きかったので、わずか150石の家禄しかない、公家社会の下層に属していた岩倉具視の死後、息子・具定(ともさだ)は公爵になったのでした。その子・具張(ともはる)の娘が靖子。母は西郷隆盛の弟の従道(つぐみち)の長女の桜子。靖子が生まれたのは1913(大正2)年1月17日。
 岩倉具視は、三条実美(さねとみ)と同額の5千石を明治2年9月に「賞典禄」としてもらっている。岩倉具視は、華族のために第十五銀行を創設した。
靖子は女子学習院に入ったものの、途中で日本女子大に転入した。英文科である。そして、この日本女子大に学ぶころ、靖子は社会的に目覚めたらしい。
学習院に学ぶ学生たちのあいだに共産党を支持する学生サークルが存在して、活動していた。これって不思議な気がしますよね…。しかし、実は、珍しいことではなかたのです。それほど、貧富の差が激しく、目立つものだったのでしょうね。今も超格差社会であり、トヨタの会長が年収34億円というのに、月収10万円以下で暮らしている人はごろごろいる世の中です。ところが、イデオロギーとして、自己責任論から抜け出せない人が、いかに多いことでしょう。
 靖子は共産党のシンパとなり、サークル活動に熱心になっていきました。といっても党員になったわけではなく、ビラ配布に協力したり、カンパしたり、会に仲間を誘ったりする程度だったのです。ところが、治安維持法の「目的遂行罪」は、それを許しません。犯罪行為として立件できるのです。特高たちが靖子を検挙したのは1933(昭和8)年3月29日のこと。靖子は簡単に自白せず、転向もしませんでした。
 靖子の父・具張の姉は、東伏見宮依仁親王妃の周子、つまり近い親族に皇族がいたのです。こうなると、特高も特別な配慮が必要になってきます。なにしろ、天皇につらなる皇族に下手に関わってしまったら、自らの汚点になりかねないからです。
 そして、実際にも、昭和天皇は、「赤化華族」たちの処遇には関心をもち、木戸幸一を通じて働きかけていたようです。「木戸日記」に、その点が記載されているとのことです。
 靖子は起訴され、市ヶ谷刑務所に送られました。結局、保釈で自由の身になるまで、8ヶ月ものあいだ独房で過ごしています。靖子が転向を表明し、保釈が認められたのは1933年12月11日のこと。そして、10日後には自死したのでした。享年20歳です。公爵の娘としての葛藤が自死を決意させたようです。本当に残念でした。
(1991年4月刊。1442円)

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