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2024年6月 の投稿

銀座ハイカラ女性史

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 野口 孝一 、 出版 平凡社
 亡父は1927(昭和2)年に17歳のとき上京し、逓信省で働きながら法政大学(夜間)に学び、やがて昼の法文学部法律学科に入って、1933(昭和8)年に高文司法科試験を受けました(不合格)。NHK朝ドラ「虎に翼」の寅子が合格したのは5年後(1938年)です。
 亡父の7年あまりの東京での生活がどんなものだったのかを調べ、文章化しているところなので、銀座で女性がどんな仕事をし、服装をしていたのかを知りたくて、本書を読みすすめました。
 まずは服装です。昭和の初めは、洋装よりも和服姿のほうが多かったのでした。1929(昭和4)年7月の銀座を歩いている女性は和服の女性10人に対して洋装が5人でした。すると、これは髪型にもつながります。女性が断髪するというのには、当時、大変な勇気が必要でした。1929(昭和4)年ころは過渡期です。路上で「亡国の髪」だとして水をかけられたり、髪を勝手にほぐされたりしました。とんでもない状況ですよね…。
 1927(昭和2)年、銀座に「ハリウッド美容室」がオープンし、1930(昭和5)年には、「吉行あぐり美容室」が開設されました。1928(昭和3)年3月号の雑誌「女性」は「断髪物語」として断髪している各界の女性の経験談を特集した。
 銀座といえば「銀ブラ」にはカフェーが欠かせません。銀座のカフェーの全盛期は1930(昭和5)年ころ。インテリや文士向けの「サロン春」は1929(昭和4)年11月に文士の社交場である交詢社ビルの1階に開店。この「サロン春」には1932年5月に起きた五・一五事件で危く青年将校たちに襲われかねなかったチャーリー・チャップリンが大相撲を見物したあと、夜にやって来ています。そして、1930年から1931年にかけて、関西系の大衆的カフェーが銀座に相次いでオープンしたのです。美人座、ゴンドラ、日輪、そして赤玉などです。
カフェーにつとめる女給は主としてチップを収入源としていて、業界一の稼ぎ頭(サイセリヤの大川京子)は、なんと月に580円を稼いだとのこと。すべてチップ収入。平均200円が相場だったので、破格の稼ぎです。
銀座の一角には花柳街(花街)があった。私は、その場所がどこかは分かりません。
 政府高官は新橋芸妓を妻としたり、妾としていた。
 伊藤博文と梅子、山県有朋と貞子、陸奥宗光とおりゅう、原敬と朝子、板垣退助と子清(しせい)、西園寺公望と房子、桂太郎とお鯉です。
 銀座に生きる女性たちの生きざまを少しばかり知ることができました。
(2024年3月刊。3600円+税)

裁判官・三淵嘉子の生涯

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 伊多波 碧 、 出版 潮文庫
 NHKの朝ドラ「虎に翼」が、目下、大変な話題になっています。といっても、私はテレビはみませんし、このドラマをみるつもりもありません。
 でも、このドラマの背景となっている昭和の初めの日本と東京には、大いに関心があります。私にとって、NHKの朝ドラは、なんといっても、「おはなはん」。樫山文枝の演じる「おはなはん」のほっこりとした笑顔には高校生のころ、本当に心が癒されていました。
 そして、この朝ドラの主人公の寅子(ともこと呼ぶんですね。とらこ、とばかり思っていました)が高文司法科試験に合格したのは1938(昭和13)年のこと。私の父は、その5年前、法政大学の学生でしたが、同じく司法科試験を受けたのです(あえなく不合格。1回でやめました)。父は弱冠17歳のとき、1927(昭和2)年に大川市から上京して東京で7年間ほど生活しました。そのころの社会状況を調べはじめたところに、この4月からほとんど同じ時期に焦点をあてた朝ドラが始まったのですから、注目しないわけにはいきませんでした。
 当時の司法科試験がどんなものだったか調べようとして苦労していたところ、後輩の弁護士(杉垣朋子弁護士)がインターネットで探しあててくれました。私の時代にあった『受験新報』の戦前版の『國家試験』という雑誌です。今では、居ながらにして国立国会図書館のコピーサービスを利用することができます。それによって、父が受験した司法科試験のスケジュール、そして試験問題がおよそ判明しました。
 父は一次のペーパーテストで合格できませんでしたので口述試験を受験していませんが、口述試験の詳細な体験談も、この『國家試験』には再現されています。
この本に「全豹一般(ぜんぴょういっぱん)」という見慣れない用語が登場します。物事のごく一部を見て、全体を批評すること、だそうです。なるほど、私もしばしば陥る間違いです・・・。
 1938年に寅子は司法科試験に合格しましたが、そのころ女性には参政権がなかったことを忘れてはいけません。女性は裁判官になれないという前に、参政権がなかったのです。つまり、女性は政治を語るほどの能力はないとされていたわけです。とんでもないことです。ところが、今は、どうですか・・・。男も女も投票所に足を運ぶのはせいぜい有権者の半分もいません。先日、沖縄の県会議員選挙で、デニー知事を支える「オール沖縄」が議席を減らしましたが、このときだって投票率は5割に達していません。裁判所が下から上まで、政府にタテついても勝たせてあげないよという判決を出し続けているなかで、あきらめ、絶望感が広く、深く浸透しています。それでも、めげずに、ひどいことはひどいと声をあげるしかありません。何千万円の裏金をふところにしておいて、税金が課されないなんて、おかしいでしょう。法改正といいつつも、領収書が公開されるのは10年後だというのです。10年後に、今の議員が生きていますか。維新はないでしょうし、自民党も公明党も10年後に果たしてあるでしょうか。
 この本はテレビのストーリーも下敷きにして書かれた小説(フィクション)です。まったく商魂たくましいですね。感服します。3ヶ月で5刷りというのもすごいです。
(2024年6月刊。880円+税)

湖池屋の流儀

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 佐藤 章 、 出版 中央公論新社
 イモカリントは良く食べますが、ポテトチップスを食べることはほとんどありません。なんとなく油がきついといいうイメージがあるからです。
 ポテトチップスは料理に近く、その延長のようなもの。湖池屋は、昔から、料理をつくるような感覚でポテトチップスをつくってきた。
 ははん、料理をつくる感覚のポテトチップスって、一体どんなものなんでしょうか・・・。
 日本中のじゃがいもを取り寄せて、何度も揚げて、ポテトチップスとして一番おいしいじゃがいもを探求した。
 ふむふむ、これはすごいことですね。わが家の庭でも6月にじゃがいもを収穫して、美味しくいただきました。
いま、「湖池屋プライドポテト」なるものがあるそうです。すごいらしいです。なにしろ、他社100円のところを、150円にして、競争に打ち勝ったというのです。質が良くなければ、ありえませんよね・・・。
 他社との安売り競争に巻き込まれたら、社員も会社も疲弊してしまって、泥沼にはまり込んでしまうだけ。
 そうなんです。弁護士だって同じです。低料金で何でもやりますなんていうのは、いくらでも手抜きしますよといっているようなものです。
 湖池屋は国産原料にこだわり、本物志向を創業以来貫いている。これは大いに評価できますよね。
日本人の味覚にあった、日本人が美味しいと感じるポテトチップスを目ざす。いやあ、いいですね、これって・・・。
 物量で押しきるようなパワーマーケティングではなく、付加価値を生み出す経営。価値あるものを生み出してきちっと光る存在になる。そのために明快な商品をつくり出す。安売り市場なんか一切見るな。ライバル社と対極的な企業ポジションをつくって打ち勝て。原料となるじゃがいもは100%国産を貫く。そのためには、北海道、東北、関東、九州など全国の農家と提携する。
 2017年2月に全国のコンビニで売り出した「プライドポテト」は、初年度だけで40億円もの売り上げを達成。いやはや、なんともすごい・・・。
 新規社員を採用するときは、会話がちゃんと壁打ちになって返ってくることが前提。一言いえば返ってきて、返ってきたことを受け返すと、またはね返ってくる。人の言葉を受けとめる力、聞く力は、いま改めて大切だ。
 モノづくりの最前線でがんばってきた人のコトバには、さすがに重みがあります。
(2023年12月刊。1600円+税)

ようこそ、ヒュナム洞書店へ

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 ファン・ボルム 、 出版 集英社
 身近な本屋さんが次々に消滅しています。それは韓国でも同じようです。
 私は本屋の前は素通りできません。急いでいるときでも、店内をざっと眺めて通り過ぎるようにしています。店先の平積みの本を確認し、さらに棚に並んでいる背表紙をざざっと目視するのです。すると、読んでほしい本が訴えかけてくることがあるのです。それを感じとったら、一歩近づいて手に取り、「よし、よし。それでは・・・」とレジのほうにもっていきます。もちろん、本を万引するなんていう気持ちは毛頭ありませんので、同じフロアーにレジ(勘定場)がないときは、焦ってしまいます。あれはやめてほしいです。万引してると疑われはしないかという余計なドキドキ感は私のような「超繊細な神経」の持ち主にはこたえます・・・。
 この本には、読者の楽しみが、いろんな言葉で語られます。
小説を読んでいるときは、別の世界にひょいと旅に出たようで、とにかくわくわくする。別の世界を旅したあと、現実の世界に戻ってくると、甘い夢からいきなり覚めたみたいで、ガッカリする。でも、いつまでも落胆する必要はない。本を開けば、いつでもまた旅に出られるのだから・・・。
 町の本屋は、本の販売だけでは採算がとれない。ふむふむ、これは韓国も日本も同じようですね。なので、日本の町の本屋はなくなっていくのです。ところが、このヒュナム洞書店はコーヒーを店内売り、また、各種イベントを開いて客を集めるのです。
トークイベントに来てもらった作家は、なんと、もしや自分には文才がないのではと日々悩む、フツーの人たちだった。
 本を読むと、他者に共感するようになる。本は、私たちを誰かの前や上には立たせない。その代わりに、そばに立てるようにしてくれる気がする。
本を読みたいけど、読めない人はどうしたらよいか・・・。初めは大変でも、読んでみれば、読むのが習慣になる。そうなんです。年に100冊とか200冊ほど読んでいた時期がありました。でも、それでは、読みたい本がどんどんたまっていくばかりなのです。それで、本を読むのは自分のためなんだから・・・と、スピードを早めました。私の読書タイムは基本的に車中(列車と電車。さすがにマイカーではありません)と機中(東京への往復で6冊がノルマです)です。ですから、弁護士会の役員をしていたときは、車中と機中ばかりの生活でしたから、年に700冊の本を読みました。今では500冊を下回り、やっと400冊ほどです(上京するのは月1回しかありませんから・・・)。
主人公は壁一面を本棚にするのが夢だったといいますが、私の自宅は壁一面が本棚にしていますし、巣立っていったあとの子ども部屋は書庫にしました。かなり処分して減らしましたが、今でも1万冊はあると思います。購入金額だけでしたら、私も億万長者にきっとなると思います(弁護士生活も50年になります)。
みんな迷惑をかけながら生きている。たまには、いいこともして。そうなんですよね・・・。
幸せって、そう遠くにあるわけではない。遠い過去とか、遠い未来にあるのではなく、すぐ目の前にあったりする。いい人がまわりにたくさんいる人生が、成功した人生なんだって。社会的には成功できなかったとしても、一日一日、充実した毎日を送ることができる、その人たちのおかげで・・・。
 いい本でした。韓国で25万部も売れたそうですが、それもなるほどと思います。
ともかく、この本屋に行って、コーヒーを飲みながら店主と話をしたり、本をパラパラと読むと、きっと心が落ち着くと思います。日本でも、そんな本屋が少しずつ出現しているようですね・・・。いいことです。私はネットでしか本が買えないとなってしまったら、本当に困ります。
(2024年4月刊。2400円+税)

「悪の凡庸さ」を問い直す

カテゴリー:ドイツ

(霧山昴)
著者 田野大輔・小野寺拓也 、 出版 大月書店
 ナチスによるユダヤ人大虐殺の仕掛け人の一人、アイヒマンについて、アンナ・ハーレントは裁判を傍聴して「凡庸な役人」に過ぎなかったとしました。本書は、果たしてそうなのか、議論しています。興味深い対話が続きます。
 アイヒマンは、無名どころか、アイヒマンの名は1930年代後半から、しばしば新聞などで言及されていて、ユダヤ人問題に関する権力者として広く知れ渡っていた。アイヒマンは、「ユダヤ人の皇帝」と呼ばれて恐れられていた。
 アイヒマンは、アルゼンチンで敗残者として生きていたのではない。西ドイツの平均賃金を上回る給与を得て、家族とともに高級保養地でバカンスを楽しむゆとりをもっていた。1952年にオーストラリアから妻と3人の息子を呼び寄せ、1955年には四男ももうけている。
アイヒマンは本名のままで世界観に関する論議をし、ナチスの第三帝国時代の内輪話をして、社交の中心にいた。
 アイヒマンは録音されたインタビューのなかでユダヤ人の大量虐殺があったことをはばかることなく認め、それについて何の後悔もしていないと言い放った。
アルゼンチンで、逃亡中の身でありながらアイヒマンが長広舌をふるったのは、重要人物としてスポットライトを浴びる快感にあらがうことができなかったから。
 アイヒマンにはユダヤ人の遠縁も何人かいて、就職に際して便宜を図ってもらったこともある。
ナチス機構のなかで大学出でもないアイヒマンが出世するには、ユダヤ人政策において業績をあげるしかなかった。アイヒマンは、自分はユダヤについての知識を豊富にもっていると周囲に信じさせるだけの演技力を身につけていた。
 アイヒマンは無能ではなかった。アイヒマンの知性は、ナチスのような不法国家においてのみ評価される類のもの。アイヒマンは単純な命令受領者ではなかった。
 アイヒマンは、法規や命令を遵守(じゅんしゅ)するだけの杓子(しゃくし)定規(じょうぎ)な官僚ではなかった。むしろ、前例を打破して、目ざましい成果を上げるクリエイティブな組織者として名を馳(は)せていた。
 アイヒマンのユダヤ人に対する個人的な憎悪は希薄だった。仕事で実績を上げて名声をえたいという出世欲や功名心がアイヒマンを突き動かした。
 アイヒマンは中央官庁にいて、事務仕事をしているだけではなかった。東欧各地の現場で、ユダヤ人銃殺に直接従事していたし、頻繁にユダヤ人殺戮現場を視察して指示を出していた。
 アイヒマンという人間の本質特質に触れた思いのする本でした。フツーの人が、自分の欲望を満足させるため、信じられないほどの極悪・非道なことができるし、するものだということが、改めてよく分かりました。
(2024年1月刊。2400円+税)

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