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2024年5月 の投稿

ずっと、ずっと帰りを待っていました

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 浜田 哲二・律子 、 出版 新潮社
 1945年4月から5月にかけて、沖縄で日本軍はアメリカ軍の大軍と文字どおりの死闘を展開しました。それは、東京の大本営からアメリカ軍の本土上陸を少しでも遅らせよという命令にもとづくもの。つまり、沖縄の日本軍は全滅してよいから、アメリカ軍と必死に戦い、その前進を少しでも遅らせろというものです。そこでは日本軍が勝利することなんて、ハナから期待されていませんでした。
 アメリカ側で戦史を研究している学者のなかにも、日本軍の頑強な抵抗を乗りこえ、それを踏みつぶすような苛烈な戦いをする意味はなかったとして、アメリカ軍の強引な戦法を厳しく批判している人がいます。沖縄なんかとり残して日本本土の上陸作戦を敢行したほうがアメリカ軍将兵の犠牲はよほど少なかったはずだというのです。それほど、沖縄におけるアメリカ軍の将兵の犠牲は大きかったのです。寸土を争う激闘にどれだけの意味があったのか、アメリカ側からも批判があるわけです。
 そのことは本書を読むと、よく分かります。日本軍の戦い方は、まったく特攻精神そのもの、生還を期さない戦法です。なので、この本の一方の主人公、伊東孝一という、当時24歳の若さで第一大隊長(大尉)として1000人もの部下を率いて戦い、アメリカ軍から陣地(高地)を奪還し、それでも生き残ったというのは奇跡としか言いようがありません。部下の9割は死亡したけれど、大隊長は生き残ったのでした。そして、この生き残った大隊長は、戦後、死んだ部下の遺族600人に手紙を送ったというのです。
 そして、手紙を受け取った遺族から返信がありました。その返信356通を著者夫婦は伊東孝一元大隊長(当時95歳)から預かったのです。著者夫婦は、この356通の返信を発信した遺族(さらに、その遺族)に面談して手渡すのを始めたのでした。
この返信された手紙の8割は北海道在住。というのも、部隊の将兵の所属が北海道だったから。
 1946(昭和21)年ころに発信された遺族を探し出すのは困難をきわめます。当然です。70年以上たっているのですから…。それでもなんとか探し出していきました。
 「どうして、あんなに早く、(アメリカ軍の)上陸直後にやられたとは思いませんでした。少しでも、奮戦した後だったらと、それのみ残念でなりません。過去のことは考えても何にもならず、将来の生活に身を固めて、父の顔も知らない一子、隆を一人前に育てあげ、故人の意思を生かせるべく、決心いたしました」
 その隆さんは、「驚いたなあ、お袋が親父をこんなにも思っとったとは…」と語りました。
 「承(うけたまわ)れば、主人の最期は壮烈なるものにして、その功績、その殊勲は至高なり、ということですが、それは空(むな)しき生命だったとあきらめる道しかありません」
 その子たちは、「私ら兄弟は、青森名物のねぶた祭が大嫌いでした。同級生たちが両親と楽しそうにしているのを見たくなかったのです。運動会の弁当は、近くの畑に落ちている未成熟のリンゴ、校庭から抜け出し…捨てられている実をかじって昼ご飯にしていました」と語ったのです。これを読んで、私はついつい涙があふれ出してしまいました。戦争のむごさは子どもに及ぶのですよね。
 「礎(いしずえ)とは肩書きだけ、犬猫よりおとる有り様ではありませんか。村長も二言目には犬死にだとしか申されません」
大切な息子が戦死したというのに、その代償となる遺族年金は雀の涙だった。これが庶民にとっての戦争の現実です。
「死に水くらいは飲めましたか。遺品など何もありませんでしたか。追撃砲の集中砲火を浴びたとか。肉一切れも残さずで飛び散ってしまったのですか」
アメリカ軍の土砂降りのような猛攻撃の下で、まさしく肉一片も残さず、将兵の肉体は跡形もなく飛び散って死んでいったのでした。本当にむごい戦争の現実がありました。その状況をなんとか遺族に伝えようとした伊東元大隊長の心境を推測するしかありません。
「今は淋しく一人残され、自親もなく子どももなければ、お金もなく、暗黒な遭遇、並みの社会生活から一人淋しく投げ出されたように、国を通じての敗国の惨めさ、路途に迷い、気力を一時は失わんばかりでした」
「赤裸々に申し上げますならば、本当は後を追いたい心で一杯なのでございます。すべてを死とともに葬り去ったなら、どんなに幸福かしれません。されど、残されし、三人のいとし子を思うとき、それは許されないことです。かつては歓呼の嵐に送った人々の心も今は荒(すさ)みにすさんで、敗戦国の哀れさ、ひとしお深うございます。でも、私は強く生き抜いて参ります。すべてを子らに捧げて、それがせめてもの、散りにし人への妻の誠ですもの」
伊東元大隊長は、2020年2月、99歳で死亡。
その生前、戦争は二度と起こしてはならないと語っていたとのこと。
著者夫妻は、356通の手帳の4分の1を遺族へ返還したそうです。大切なことを、よくぞ成し遂げられました。そして、その過程をふくめて本書にまとめ上げられたことに心より敬意を表します。
(2024年2月刊。1600円+税)

人道の弁護士・布施辰治を語り継ぐ

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 森 正 ・ 黒田 大介 、 出版 旬報社
 戦前の日本で人権擁護のために大奮闘した布施辰治弁護士について書かれた本です。
布施辰治自身が治安維持法違反で警察に逮捕されて留置場に放り込まれたときの驚くべき話を紹介します。なにしろ当時は、弁護士が法廷で共産党員の弁護人として弁論すると、それ自体が「目的遂行罪」にあたるとして特高によって検挙されたという時代です。
 1933(昭和8)年11月、両国警察署に布施辰治はまわされてやって来ました。すると、それを知った人たちが、監房で歓迎会をやったというのです。勝目テル(当時38歳)という、同じく治安維持法違反で検挙されていた人が体験記を書き残しています。
 11月7日はロシア革命が成功した記念日だ。何かお祝いをしようと勝目が考えていると、なんと有名な布施辰治弁護士がまわされて入ってくるという。それでは歓迎会を兼ねて革命記念祝賀会をしよう。勝目は親しく話せるようになっていた看守長に話を持ちかけた。すると、看守長は布施弁護士について関東大銘を受けていたらしく、「わしは首になっても賛成する」と即決賛成してくれた。最古参の看守長が賛成というなら、残る3人の看守ももはや異議は言えない。もちろん、上にばれないようにしなければいけない。1日3回、夜の9時が最後だ。それから祝賀・歓迎会をやることになった。
 このとき留置場には、1929年2月に捕まった説教強盗として名を売った30歳すぎの男、神兵隊事件で検挙された右翼もいたが、歓迎会には全員が協力してくれることになった。みな面白いことに飢えている。
 看守4人が手分けして見張ってくれて始まった。各房から代表として選ばれた人が布施弁護士の入っている房の前に立って、それぞれの持ち芸を披露する。説教強盗は物真似を始めた。見事な、本職はだしの物真似だ。自称スリの名人は浪花節(なにわぶし)をうなる。浅草公園の主(女性)はこれまた驚くほど見事なダンスを披露して、拍手喝采だ。やんややんやの拍手で大いに盛り上がっていく。最後に、勝目たち活動家11人が、それぞれの房の格子戸の前に立ち、「インターナショナル」を合唱する。
 歓迎会の終わりに、布施辰治は房の中から感激のあまり声が震えながら、お礼の言葉を述べた。
 「私も、ながいあいだ、不当な勾留に閉じ込められて、あちこち留置場をまわってきましたが、こんなに楽しいところはありませんでした。諸君の今夜の温かい贈り物を私は生涯、心に留めて、諸君とともに闘っていくことを、ここに誓います」
 そして、次に緊張した顔つきの看守たちに笑顔を向けて、こう言った。
 「諸君の予想外の御支持に対して厚くお礼を申します」。軽く頭を下げて「こういう居心地の良いところなら、いつまで居てもいいと思うくらいです」と結んだ。それを聞いて、看守をふくめて思わずみんな手を叩き、大爆笑となった。
 勝目は胸が熱くなり、看守長に対して、「ありがとう、ありがとう」と何度も頭を下げたが、それ以上は言葉にならなかった。あとで、この看守長は、この歓迎会のことがバレて、早期退職に追い込まれたという。
 どうでしょう。信じられない話ですよね。でも、実話だというのです。私は、これを読んで、思わず胸が熱くなりました。本書で紹介されているところに少し付加しています。ぜひお読みください。
(2023年12月刊。1800円+税)

続・農家の法律相談

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 馬奈木 昭雄 、 出版 農文協
 私は読んだことがありませんが、『現代農業』という雑誌があるそうです。全国の農家を対象とする業界誌なのでしょう。
 そこで著者は、32年の長きにわたって農家から届くトラブル・悩み事に対し、誌上で回答しているのです。その長さに驚かされます。
 もっとも、私も民商(民主商工会)の全国機関紙である「全国商工新聞」に月1回の法律相談のコーナーを1989年7月から担当して35年になります。新聞のコーナーですから、短い文章で、いかに分かりやすく回答するか、いつもない知恵をふりしぼっています。
 この本は15年前に同旨の本を著者は刊行していますので、その続編になります。最近は民法も次々に改正されていますので、回答した時点では正しくても現在の出版時では間違いになったりもします。そこは若手の吉田星一弁護士がチェックしていますので、安心です。
 さて、内容です。さすがに農家からの質問ですから、農地、生育環境と農薬にかかわるもの、農事組合法人や土地改良区をめぐる問題など、農家をめぐる諸問題についての百科全書みたいに、かなり網羅的な内容になっていて助かります。
 手元に1冊置いておくと、農家の皆さんはきっと安心されることでしょう。
 私がまず関心をもったのは農薬です。自家消費の野菜のほうは無ないし低農薬にしているけれど、商品として出荷するものは、許される限度までふんだんに農薬を使用しているというのはよく聞く恐ろしい現実です。
 隣の農家がネオニコチノイド系の殺虫剤(スタークル)を散布したためミツバチが死んで、生物栽培に影響が出ているので損害賠償を請求したい…。当然に請求できるわけです。
 同じように、隣人が勝手に畑の法面(のりめん)に除草剤をまいたというのも違法行為として賠償請求できます。
 この本で厄介な問題だ、難しいという回答が多いのは、村落共同体の一員として今後も生活していかなければならないときです。馬奈木弁護士も「法的解決」では解決しないと回答しているのがあります。
 問題点を周囲の人に具体的に説明して、仲間を増やすという「努力を地道に続けるしかない、そんなことも世の中では多いと私も考えています。
土地改良地域内に農用地を所有していたら土地改良区は法律によって、強制的に加入させられる。うひょお…、そうなんですか、ちっとも知りませんでした。
 農家には、専業か兼業かを問わず、役に立つ1冊であることを私が保証します。ぜひ買って読んでみてください。おすすめします。
(2024年2月刊。2200円)

生きものたちの眠りの国へ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 森 由民 、 出版 緑書房
 依頼人と話しているとき、不眠症の人が意外に多いことに驚かされます。
ベッドに入るのは10時ころ、眠るのは午前3時で、朝の7時には目が覚める。なので、毎日の睡眠時間は4時間。これは30代の男性の話です。いやあ、大変ですよね・・・。ぐっすり眠れないと疲れがどんどんたまっていき、病気になってしまいます。
 「眠りは、優しい母と美しい姉が一体になったものだから、なかなか僕の寝室には恥ずかしくて来てもらえないのだ」(中井英夫「眠り」)
 睡眠は非常に効果的に脳の機能を回復させる。
私は徹夜したことは高校生時代に1回、そして大学生のときに1回だけあります。弁護士になってから徹夜したことは1回もありませんし、30代のころ午前2時まで起きて書面作成したことが1回ありましたが、回らなくなった頭ではどうしようもありませんでした。高校生のときは、実験的に徹夜してみたのですが、まるで効率が悪いことをして1回でやめました。大学生のときは、サークルの夏合宿のときに彼女と話し込んで夜が明けたというわけですが、これまた次の日は散々でした。
 ともかく夜の12時を過ぎたら頭が回転しなくなります。身体全体が明らかに機能不全になっていることが分かります。なので、最近は夜11時までに寝るよう心がけています(それでも、ときどきは12時近くになってしまいます。でも12時過ぎまで起きていることは絶対にありません)。
レム睡眠とノンレム睡眠と、はっきりしているのは、ほ乳類と鳥類だけ。ちなみに、鳥類については、「ここまでが恐竜で、ここからが鳥」という客観的な区分はできないので、恐竜そのものの延長線で考えられている。レム睡眠のあいだに、記憶の重みづけが行われると考えられている。
水族館のイルカは、泳ぎながらの「遊泳睡眠」、プールに浮いて眠る「浮上睡眠」、沈んで眠る「着床睡眠」の3つがある。
オランウータンは、ベッドに入ると、体の上に枝葉をかけぶとんのようにかぶる。雨が降ると、枝葉を傘のように使う。
オランウータンは、毎日夕方の5時から6時くらいに数分間でベッドをつくる。ゴリラは、夜でも地上で眠ることが多い。
犬は平均して30~40分を1単位とする睡眠をとっている。1回のレム睡眠は10分以内。動物園のゾウは、ひと晩に4~6.5時間しか眠らない。
カイメン類の祖先は6億年以上前からすでに存在していた。もっとも原始的な多細胞動物の姿を受け継いでいるようです。このカイメンには、全身をつなぎ合わせてコントロールする神経は存在しない。それどころか、ばらばらの細胞にされても、また細胞が寄り集まって再生する。
睡眠が大切なことを改めて認識させられる本でした。
(2023年12月刊。2200円+税)

あっぱれ!日本の新発明

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ブルーバックス探検隊 、 出版 講談社新書
 日本のものづくりの力が最近いちだんと低下しています。企業がアメリカ流の労務管理で目先の利益ばかり追い、非正規社員を増やして若い人を使い捨てる企業風土から斬新なイデアが生まれるはずもありません。
大学もそうです。営利本位の大学運営は日本の発展を妨げるものです。一見すると役に立ちそうもない研究だって、やりたい人がいる限り自由にやらせたらいいのです。それくらいの包容力のない社会からは新奇(珍奇)な発明・工夫が生まれることがないでしょう。
でも、この本を読むと、そんな日本の現状ではありますが、まだまだ捨てたものではないと思わせてくれます。少しばかり安心もしました。
 いろいろすごい新発明が紹介されていますが、身近なところでは「地中熱」の利用というアイデアには驚かされました。竪穴(たてあな)式住居は私も復元家屋を見たことがありますが、その床は地面より低くなっています。
季節を問わず、深さ1メートル以下の地中の温度は15度ほどで一定(安定)している。これを利用した冷暖房にすると、CO2の排出量を大きく減らすことができる。東京スカイツリーの冷暖房ですでに利用されているそうです。
 地中熱を利用した冷暖房によってハウス内の温度を15度以上にキープし、福島県広野町では、皮ごと食べられる甘い高級バナナを育成中といいます。
 次は、ブラックホールならぬ「暗黒シート」。暗黒シートは光を反射しないので、黒々としている。ビロードのような不思議な感触。ザラザラではなく、ツルツルでもない。表面は、円錐状の穴で埋め尽くされた状態。光がこの穴に入ると、吸収されて出れなくなるので、暗黒になる。
 暗黒シートの現在の光吸収率は99.5%。つまり、0.5%はまだ光を反射している。水深200メートルの深海だと0.1%の反射率なので、そのレベルまで、あと少しのところ。
 暗黒シートはゴム製で、カーボン(炭素)を混ぜた黒いシリコンゴムを鋳型(いがた)に流し込んでつくっている。
 日本の学者の自由闊達な研究、そしてそれを支える企業の伸び伸びと働くだけの資金力の保証、ぜひとも応援したいです。
(2024年1月刊。1100円+税)

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