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2024年5月 の投稿

後期日中戦争・華北戦線

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 広中 一成 、 出版 角川新書
 自衛隊の幹部が今もなお「大東亜戦争」と呼んでいるのを知って、思わずひっくり返りそうになりました。「大東亜」って、一体、何のことですか…。
日本は朝鮮を植民地として支配し、満州も間接的に統治して、悪名高い七三一部隊を置いて人体実験を繰り返しました。そして中国大陸で日本軍は「三光作戦」をあくことなく強引にすすめました。焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くすというのです。そんな悪虐非道の軍隊に民心がなびくはずもありません。日本軍が中国大陸で戦争に勝てなかったのは当然なのです。
日本は中国で点と線だけを支配していましたから、周囲を取り囲まれて全滅する拠点が生まれるのは必至です。
いやいや、太平洋方面とは違って、日本軍は中国大陸に何十万人もの軍隊を敗戦時まで常駐させていたのだから、決して日本は中国に負けてなんかいなかったんだと今なお強弁する人がいます。とんでもない間違いです。
たしかに、日本軍は上海から南京まで勝って前進しました。南京大虐殺はその過程で日本軍が犯した蛮行の一つですが、実のところ、それ以上は地上を前進することはできなかったのです。なので、上空から重慶を無差別爆撃しました。そのしっぺ返しが東京大空襲に始まる日本全土の都市への無差別爆弾攻撃であり、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下です。
1940年8月から12月まで、中国共産党の八路(はちろ)軍(「パーロ」と呼ばれます)は日本軍に果敢に攻撃をしかけました。八路軍の兵力は115個団・40万人です。八路軍も多大の犠牲を払いましたが、日本軍は3万人もの死傷者を出し、3千ヶ所の拠点を喪ったのでした。日本軍は、このときまで八路軍をまったくバカにしていたのでした。なので、不意打ちを喰ってしまったのです。
日本軍は深刻に反省して、八路軍についての認識をあらためました。日本軍の主任参謀は次のように報告しました。
「八路軍は単なる軍隊ではない。党、軍、官、民から成る組織体である。明確な使命感によって結合されているのであって、思想、軍事、政治、経済の諸施策を巧みに統合し、政治7分、軍事3分の配合で努力している。したがって、日本軍も軍事のみでは鎮圧できず、多元的複合施策を統合して発揮しなければならない」
しかし、日本軍がそのような多元的複合施策を展開できた(できる)はずもありません。
善良な日本人から成る、規律正しい日本軍が中国大陸で悪虐非道なことをするはずがない、そんなことをした証拠もないと今なお言いつのる日本人がいます。しかし、そんな人は単なる思い込みにすがっているに過ぎません。
今のイスラエルのガザ侵攻をみてください。すでに3万5千人以上の罪なきガザ市民が殺されています。一人ひとりのイスラエル軍兵士がいかに善良であっても軍隊となると、平気で大量人殺しをするのが戦争なのです。
「パーロ(八路軍)とともに」(花伝社)という本を書いた者として、後期日中戦争の実際を知りたいと思って読みました。ともかく、戦争だけはしてはいけません。岸田政権、それを支えている自民・公明党を支持していることは戦争を招き寄せているようなものだと、つくづく実感しています。
(2024年3月刊。960円+税)

カーイ・フェチ(来て踊ろう)

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 菅野 淑 、 出版 春風社
 セネガルの路上やナイトクラブで開かれるパーティで踊られるダースである、サバールを徹底的に解き明かす本です。
サバールダンスはなかなか難しいようです。一見するとやさしく真似できそうなのですが、ドラマーと息を合わせるのは至難の技(わざ)なのです。
 一度、ユーチューブで見てみたら、もう少し理解できるのかもしれません。文字だけでいうと、次のとおりです。軽い飛躍をともないながら、右足を高く振り上げ降ろす一つ目の動きに続き、左右交互に足を踏みつつ、大きく左右の腕を扇風機かのごとく振るステップ。踊り手の身体と、ドラマーとが「会話」する。この「会話」こそが、サバールダンスを踊る上で重要な要素である。ここまで書いたあと、ユーチューブで見てみました。たしかに日本にはない、激しく全身を動かします。
 セネガルはアフリカ大陸の西にあり、その広さは日本の半分ほど。人口は1773万人。21の民族がいて、公用語はフランス語。イスラム教徒が95%で、キリスト教徒は5%。
 首都ダカールの人口は340万人。かつてカースト制度があり、現在でも公式には廃止されていても、根強く残っている。踊るのは身分の低い人(ケヴェル)がするものという見方が厳然として存在している。サバールの太鼓を演奏するのは、男性のケヴェルだけ。
 ダンサーの足はペンであり、ドラマーが演奏する音符を描く。良いドラマーは、音符の読み方を知る必要がある。こうして、即興的な「会話」が成立する。
 サバールが踊られる場は、娯楽であり、人生儀礼を祝う場であり、若い女性の社交の場でもある。
日本人女性がセネガルに行って、このサバールダンスを身につけ、なかには一生の伴侶を得て、日本にカップルで戻ってくるケースも少なくないとのこと。そして、サバールダンスを日本で教えるのです。すごいですね。
 日本に在住するセネガル人のダンサーやドラマーは全員が男性で、女性はいない。
 日本人にとって、サバールダンスを学ぶ難しさは、手と足をバラバラに動かさなければならないうえ、跳躍をともない、かつ一定のテンポで踏むステップではないから。
 しかし、このサバールステップを踏めずして、サバールダンスを体得したとは言い難い。
 サバールダンスの魅力は、日本の踊りとの共通点がなく、独特で唯一無二のダンス、そして複雑なリズムにある。
 いやあ、すごいですね。アフリカのセネガルに定住してまで、その独特のダンスを身につけようという日本人女性が少なからずいるというのに、驚きました。
(2024年2月刊。3500円+税)

「伊賀越之」

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 小林 正信 、 出版 淡交社
 本能寺の変が起きたのは1582(天正10年)6月2日未明のこと。そのとき、徳川家康たちは堺で何をしていたのか、何のためにこのとき堺にいたのか…。もちろん、このとき秀吉は毛利勢と対峙して岡山あたりにいたのです。
 家康は織田信長の死を知ると、一時は自分も京都に行って光秀と戦って死のうとしたそうです。それは止めてと家来が必死に止めたのでした。そこで、家康主従250人は堺を出て伊賀越えして尾張・岡崎の自分の領地に戻ることにします。
 でも、途中で光秀の軍勢に襲われたら、ひとたまりもありません。なにしろ総勢わずか250人、そして、ろくな武器も持っていないからです。どのルートを通るのか、250人が一団となって逃げるのか、いろいろと考えなくてはいけませんでした。
 この本は、現在の京都府京田辺市で「草内(くさじ)・飯岡の戦い」があったという新説を提起しています。
 完全武装の明智軍1000人ほどと、弓も鉄砲も持たない徳川の兵200人が戦い、徳川方はほぼ全滅したというのです。でも、この戦いによって徳川家康たち50人は無事に岡崎に帰りつくことができたとしています。
 全滅した200人を率いていたのは穴山梅雪など。明智軍がこのとき徳川方に勝利できなかったのは、総大将が行方不明になっていたから。その総大将とは誰のことか…。
 家康が安土に参勤し、京都へ上洛した真の目的は、「織田・徳川同盟」の正常化と修復にあった。
 家康主従が上洛するにあたっての安土城での接待について、信長と光秀の間に軋轢(あつれき)があったという話は有名ですが、それは一体どれほどのものだったのでしょうか…。
 著者は、光秀について、織田政権の畿内統治の要だとみています。
 そして、織田政権の畿内統治は、直接統治ではなく、あくまで光秀を主体とする間接統治だというのです。それほど織田信長は光秀の存在を重くみていたのです。
 信長は、秀吉の注進を受けて、「西国出陣」に明智軍を動員して厄介払いすることにした。信長にとっての意外は反乱が起きないようにしながら起きてしまったこと。
 光秀は、当初から、その間隙(かんげき)を狙っていた。
 この本では、本能寺への襲撃と同時に家康主従へも襲撃するというのが光秀の作戦だったとしています。そして、この家康主従への襲撃部隊の総大将を長岡(細川)藤孝だとするのです。
 徳川主従と別行動をとった200人はオトリの役目を果たして明智軍からたちまちせん滅されてしまいました。この200人を率いていた穴山梅雪は家康のふりをしていたというのです。したがって、穴山梅雪の犠牲なくして徳川幕府は成立しなかった。それで、家康は影武者を引き受けた穴山梅雪の遺族を丁重に扱った。
 穴山梅雪が家康の影武者の役割を果たしたなどという新説を裏付ける資料が、本書のなかに今ひとつ見えてきませんでした。
 そして、信長と同時に光秀が家康も倒そうとしたという点についても、資料による裏付が足りない気がしました。
それでも、新説ですし、従来の通説とは明らかに異なっていますので、面白く読み通しました。
 ところで、「かかわらず」を「関わらず」とする初歩的な誤りが再三目について困りました。「関」ではなく、「拘」です。編集者の校正段階で是正されなかったのが残念です。
 著者より贈呈いただきました。ありがとうございます。
(2024年5月刊。2500円+税)

治安維持法と特高警察

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 松尾 洋 、 出版 教育者歴史新書
 1928年の「3.15事件」、つまり日本共産党の一斉大量検挙が行われ、小林多喜二が当事者への取材をもとにして小説『1928.3.15』を書いた事件のあと、すべての県に特高課が設けられ、警察署には特高主任か特高係事務がおかれた。
 特高警察は、内務省が人事の任免権を握っていた。各道府県の特高課長は、指定課長、指定警視と呼ばれ、内務省が府県知事に任命すべき人物を指定していた。特高警察の活動費である機密費は中央から直接手渡された。
 各地で収集された情報は内務省の警保局に集中され、中央集権機構が確立されていた。警察制度そのものが中央集権的だったが、特高警察はさらに中央集権的であり、特高警察官は一般警察官のなかでの最高のエリートだった。
警視庁の特高部には最多600人、大阪府警察部に150人、大きい警察署で7.8人、小さい署で2.3人いた。在外公館勤務員をふくめ5000人ほどいた。
特高警察の「武器」となったのが治安維持法、なかでも「目的遂行罪」が大いに威力を発揮した。
 目的意識がなくても、当局が「結社の目的遂行のためにする行為をなしたる者」と認定すれば犯罪が成立するというものです。カンパに応じたり、一夜の夜を提供しただけであっても、犯罪として検挙されることになったのです。
 まさしく暗黒日本としか言いようのないひどい治安維持法の怖さを再認識しました。
(1979年4月刊。600円)

シン・中国人

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 斎藤 淳子 、 出版 ちくま新書
 今の日本では、「中国脅威論」なるものが大手を振るって通用し、自民・公明がすすめている途方もない大軍拡予算を支えています。
 でも、それって思い込みでしょう。自民・公明そして維新などの政治家、さらには軍事産業でもうけようとしている人たちによる世論操作に乗せられているだけです。私はそう思います。戦争のないようにするのが政治家の役目なのに、今にも戦争が起こりそうだと危機をあおって、自分たちはひそかに金もうけにいそしむ。それが自民・公明の政治家たちの正体ではありませんか…。
 この本は「脅威」の対象となっている中国の若者たちの実情の一端を伝えています。
 まず私が驚いたのは、中国には離婚にあたってクーリングオフ(「冷静期」)があるというのです。離婚手続申請後の30日間は、手続きをいったん凍結するのです。日本でも、「共同親権」なんて実情にあわない馬鹿げた、しかも怖い手続を導入するより、よほどいいかもしれません。
 さらに驚いたことは、恋愛中の(そして結婚している)男性は、女性にスマホのパスワードを開示する習慣があり、男性は断れないというのです。カップル間では一切の秘密があってはならないというわけですが、果たして現実的なのでしょうか…。
 そして、結婚するとき、男性側は新婦側に結納金を贈る必要があり、今では、その相場が18万元(360万円)になっているというのです。この結納金を新郎側から新婦の家に贈る習慣は2千年以上の歴史があるそうですが、昔はこんなに高額ではなかったのです。
 ところが、一人っ子政策、そして男性が女性より圧倒的に多くなってしまった結果、結婚したければ高額の結納金を支払えということで、年々、高額化していったのです。
 さらに、今では、結婚したいなら、男はマンションを準備しなければいけないという「新しい常識」が定着しているというのです。しかもそのマンションたるや、1億円だったら安かったよね…というほど値上がりしています。マンション購入はカップルではなく、新郎側のファミリー全体のプロジェクト化しているのです。いやはや、お金がなかったら、結婚できないというわけなので、これも恐ろしい社会だというしかありません。
 北京在住26年という日本人女性が、中国人の生活の変貌ぶりを生き生きと伝えていて、驚きながら一気に読み通しました。
(2023年2月刊。860円+税)

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