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2024年2月 の投稿

三淵嘉子と家庭裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 清永 聡 、 出版 日本評論社
 この春にスタートする朝ドラの主人公は、なんと女性裁判官だそうです。
 日本に初めて女性弁護士が登場することになったのは1938(昭和13)年のこと。3人の女性が司法試験(高等文官司法科試験)に合格したのです。もちろんビッグニュースになりました。
 司法科試験に女性も受験できるようになったのは1936(昭和11)年のことで、19人が受験したものの合格者はなく、翌1937年には女性1人が筆記試験に合格したけれど口述試験で不合格になりました。
 1938年に合格した女性3人は、武藤(のちの三渕)嘉子、中田正子そして久米愛。
 そもそも、女性には戦前、参政権が認められていませんでした。そして、大学にも女性は入れず、東京では明治大学だけが1929(昭和4)年に女性の入学を認めた。ただし、定員300人のところ、実際には50人しか入学者がいなくて、それも卒業時には20人ほどに減っていた。それだけ厳しかったのでしょうね。
 嘉子は修習を終えて第二東京弁護士会に登録して弁護士生活を始めた。そして結婚し、長男を出産。ところが、夫は兵隊にとられ、中国に出征していたところ病気にかかって、日本に帰国したものの、長崎の病院で死亡してしまった。
 戦後、嘉子は裁判官になることを考え、司法省へ出向いて「裁判官採用願」を提出した。しかし、裁判官ではなく、司法省嘱託として採用され、民事局さらに家庭局で働いた。
 あるとき、最高裁長官を囲む座談会が開かれ、ときの田中耕太郎長官が次のように発言した。
 「女性の裁判官は、女性本来の特性から見て家庭裁判所裁判官がふさわしい」
 嘉子は、直ちに反論した。
 「家裁の裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別で決められるものではない」
 まさにそのとおりです。この田中耕太郎という男は軽蔑するしかない奴ですから、私は絶対に呼び捨てします。なにしろ実質的な訴訟当事者であるアメリカの大使に最高裁での評議の秘密を漏らし、その指示を受けて動いていたのですから、最悪・最低の人間です。ところが、先日、東京地裁の裁判官が、それをたいした悪いことではないと免罪する判決を書きました。あまりに情なく、涙が出ます(これは砂川事件の最高裁判決の裏話です)。
 そして、嘉子は後輩の女性裁判官の悪しき先例にならないよう、あえて家裁ではなく、地裁の裁判官になりました。すごいことです。
 嘉子は、原爆裁判に関わりました。その判決文には、「原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当」とあります。原爆投下は国際法に反する違法なものと裁判所が明快に断罪したのです。1963(昭和38)年12月7日の判決です。
 嘉子は1972(昭和47)年6月、新潟家庭裁判所の所長に就任。日本で初の女性裁判所長。1979(昭和54)年11月に定年退官したときは横浜家庭裁判所の所長だった。
 嘉子が「女性初」という肩書をつけながらも、重責に負けることなく立派にその使命をまっとうしたことがよく分かりました。
 今では、日本の司法界における女性の比率はかなり向上しています。日弁連も、この4月には初めての女性会長が実現することになりそうです。最近では、JAL(日本航空)の社長、そして日本共産党の委員長も女性です。首相も早く女性首相になればいいと考えていますが…。
(2023年12月刊。1200円+税)

プラネタリウムの疑問50

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 五藤光学研究所 、 出版 成山堂書店
 私はプラネタリウムが大好きです。遠い遠い宇宙空間に飛び出すことはできませんが、星空を眺めているのは気持ちいいものです。そして、途中でふと眠り込んでしまっていたりします。この本は眠ってもいいけれど、イビキをかいたり寝言(ねごと)を言わないようにだけは気をつけてくださいとしています。納得です。
 いま日本には全国47都道府県すべてにプラネタリウムがあり、日本全国で年間800万人から900万人が観覧しているそうです。これって、いいことですよね…。
 プラネタリウムの始まりは1925年5月のドイツでした。このときの機械は4500個の星が投映されました。日本では1937年に大阪、翌38年に東京・有楽町に設置されました。私も最近、少し前に有楽町のプラネタリウムを鑑賞しましたが、実に洗練されたストーリーと音楽で、楽しく過ごせました。周囲はアベックばかりでしたから、少しばかりの孤独感も味わいつつ…。
 その後、プラネタリウムで投影する星の数は1億4000万個になり、ついには7億個の恒星を投映できるプラネタリウムまであります。それは天の河も、くっきり見えるそうです。ただし、数が多いと「夜空」が明るくなりすぎるようで、肉眼で見える星の数9500個にしぼっているプラネタリウムもあるとのこと。
 星が無数にあるとしたら、夜空には暗いところなんてないことになるのでは…、という昔から有名なオルバースのパラドックスというものがあります。夜空が暗いのは宇宙は膨張しているし、あまりに遠い星の光は地球の私たちのところにまでは届かないということのようです。
 東京・渋谷の東急文化会館にもプラネタリウムがありました。映画館の入っているビルです。私も大学生のころに入ったことがあります。
 世界にデジタル式プラネタリウムを製作する会社は10社、光学式だと5社あります。主要なメーカーは、日本とアメリカに各4社、このほかドイツ、フランス、中国に各1社あります。
 世界で最多はアメリカで1400館ありますが、これは学校に小さいものが設置されているということのようです。2番目に多いのは日本で400館、次いで中国の350館です。
 日本には世界の大きさベスト10のうち9館があります。日本には大きなドーム形のプラネタリウムがたくさんあるのです。これは自慢していいことですよね。
 ちなみに、佐賀県と高知県には1、2館しかないのに、埼玉県には24館あるそうです。どうして埼玉県にはこんなに多いのでしょうか…。
 宇宙そして星の話は、大好きです。日頃のあくせくした営み、日常茶飯事のわずらわしさを忘れさせてくれるからです。
 さあ、あなたも宇宙の謎ときを目ざして、そして安眠を求めて、いざプラネタリウムへ…。
(2023年7月刊。1800円+税)
 庭に孫たちと一緒にジャガイモを植えつけました。メイクイン、ダンシャク、キタアカリそしてアンデスの乙女です。
 ホームセンターで千円分を量り売りで買って、4畝に植えつけました。6月に収穫できると思います。フカフカの黒い土になっていますので、きっとうまくいくと思います。
 チューリップの芽がかなり出てきています。雑草に埋もれて可哀想なところは雑草をとってやるのですが、ついでにチューリップまで抜いてしまいそうになります。
 ロウバイがほとんど終わり、白と黄色の水仙が庭のあちこちに咲いています。春はもうすぐです。今のところ花粉症にはまだ悩まされていません。

世界中で言葉のかけらを

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山本 冴里 、 出版 筑摩書房
 なんといっても、この本を読んで一番驚いた話は、著者が高校生のとき、芥川龍之介の「羅生門」の初めの1行を、1ヶ月かけて意味を読み解くという授業を受けたというものです。
 「ある日の暮れ方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた」
 ただ、これだけの1行に毎週ある国語の授業で1ヶ月かけ、5月半ばにようやく次の2行目に入ったというのです。しかも、高校生だった著者も、何日たってもこの一行を考え続けるのが当たり前という感覚に変わったというのですから、信じられません。
 肉眼から虫眼鏡、電子顕微鏡まで使い分けながら文章を観察していくような授業だったと評しています。このたとえは、とてもしっくり来ます。感じ入った著者は、国語の教員免許をとったのでした。いやはや、ものすごい熱烈教師がいるものです。
 フランス語が出来なかった著者は、カミユの『異邦人』の1章をまるごと暗記したとのこと。語学のできる人がやる手法ですよね。もっとも、著者はフランス文の前に日本語で読んでいるから、意味のほうは分かっていることが前提だったとしています。
 自分が何を言っているのか、意味の分からないままに口に出すのは虚(むな)しい。
 1章の文章は20頁ほど。これだけあれば、ほとんどの基本的な構文は出尽くす。丸暗記している構文の単語を入れ換えて応答するようになって、フランス語は急速に理解でき、やがて自由に話せるようにもなったとのことです。なるほど、なるほど、です。
 トンパ文字は、書く色によって意味が変わる。言語学習は何に突き動かされているのか…。それは欲望だ。
 慣れない言語の学習とは、他者の言葉を自分の舌に乗せ、指を使ってえがき、自らを示し、他者を理解しようとすること。それは本質的に他者を求める行為だ。
 世界各地で日本語学校の教員として働いたことのある著者は、10年かけて、この本を書いたとのこと。これまた、すごいことです。そして、今は山口大学の准教授です。
言語学だなんて、すっごく難しそうですが、面白いことに出会いもするのですね…。
(2023年10月刊。1870円)

クマに遭ったらどうするか

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 姉崎 等 、 出版 筑摩書房
 このところクマに襲われる人のニュースがひんぱんに聞かれます。いったい、山中でクマにばったり会ってしまったら、どうしたらよいのでしょうか…。
 九州に住む私は、山道を一人歩いても、イノシシ母ちゃんに出会わない限り安全だと思って安心して歩いていますが、本州だと山口を含めてクマに遭遇してしまう危険がありますよね。まず、結論から…。
 背中を見せて走って逃げたらいけない。クマとにらめっこしって、根比べする。じっと立っているだけでもよい。動かないこと。クマと対峙したら、クマの「ワウ、ワウ、ワーッ」という、うなり声に負けないだけの声を出す。そして、低い姿勢を構える。
 子連れグマに出会ったら、子グマを見ないで、親グマだけを見ながら、静かに後ずさりする。クマは最初から人を襲う動物ではない。
 ベルトをヘビのように揺らしたり(クマはヘビを怖がる)、釣り竿をヒューヒュー音を立てたり(クマは奇妙な音を嫌う)、柴を振りまわす。予防のためには、空のペットボトルを歩きながら押してペコペコ鳴らす(奇妙な音をクマは嫌う)。
 クマは動くものには、どうしてもかかるという習性がある。クマは平坦なところでは時速60キロくらいのスピードで走る。人間が木に登っても、クマも木登りはうまいので、すぐに引きずりおろされる。
 クマは人間のほうが強いと思っている。クマは人間は苦手。
 クマは臆病だけど、人が好きで、人間の里の近くで暮らす。
人間を殺して食った経験のあるクマに会ったときは、あきらめるしかない。人間を餌としか見ていないので、手の打ちようがない。いやあ、これって怖いですね。
クマは雑食性。どちらかと言うと肉食ではなく、草食のことが多い。
 著者は、単独でクマ40頭、集団で獲ったのをあわせると60頭のクマを仕留めたという、まさにクマ猟のプロ。母親はアイヌ民族で、アイヌ民族最後の狩人でした。
12歳から77歳まで、65年間、北海道で狩人として生きてきた、著者からの貴重な聞き書きの本です。一読をおすすめします。
(2023年7月刊。840円+税)

二尊院の二十五菩薩來迎図

カテゴリー:日本史(室町)

(霧山昴)
著者 小倉山二尊院 、 出版 図書刊行会
 京都の山城嵯峨、小倉山の麓にある二尊院の「二十五菩薩來迎図」は、室町時代(15世紀の前半から中頃)に描かれたもので、長らく京都国立博物館で保管されてきた。このたび修理が終了して、二尊院本堂の内陣に久しぶりに掛けられることになった。
 いやあ、実に素晴らしい仏様たちです。仏教心の乏しい私にも、これらの17点(17幅)の「来迎図(らいごうず)」には言葉が出ません。
 「来迎図」を黙って拝んでいるだけでは心もとないので、解説文を紹介しながら味わうことにします。
往生するとき、つまり自分が死に臨んだとき、阿弥陀如来や菩薩の姿を頭に焼き付けて、いざ臨終のとき、来迎聖衆が見えて、幸せな気持ちで往生できるようにイメージトレーニングする、そのための来迎図なのだ。
 聖衆が乗っている雲にはスピード感がある。たしかに、現代のマンガと同じように、雲は糸を引いています。往生を願う人にとって、すぐさま迎えに現れるというのは、とてもありがたいことだったことでしょう。
 二尊院の「来迎図」を描いたのは、土佐行広という画家。やまと絵の画派である土佐派の実質な祖。
 修理には3年間をかけ、古くからの積み重ねのある伝統的な手法によって、修理前の古びた趣を保ちつつ、仏画として再び本堂内陣にかけらえることを目ざした。
 この「来迎図」は、京都、嵯峨の地の「酒屋」などの裕福な人達の寄進によって作成された。当時の「酒屋」は、土倉(どそう)という金融業者を兼ねる裕福層だった。
 二尊院の菩薩は、細かいところにこだわりすぎない大らかさや、見る人の気持ちをゆったりさせてくれるような柔らかさを漂わせている。
この世から死者を送り出す「発遣(はっけん)」の釈迦如来と、極楽浄土から迎えに現れる「来迎」の「阿弥陀如来」を並びたてて描いているところに最大の特徴がある。
 太陽と月は、現世の風景。なぜなら、極楽浄土は仏の光明で満たされているから、太陽や月や灯火は不要。阿鼻地獄の炎の世界では、太陽も月も星も見えない。
 修理についても紹介されています。古糊(のり)を使ったというのですが、これは小麦デンプン粉を5年から10年も冷暗所で発酵させたものというのです。息の長い仕事です。そして、接着力が強くなるのかと思うと、まったく逆。きわめて弱いそうです。本紙への影響を小さくするための工夫の一つというのです。
 修理作業が写真とともに詳しく紹介されています。気の遠くなるような手作業がえんえんと続くのです。それにしても、今では「非破壊検査」で、いろんなことが対象物をこわすことなく、かなり知ることができます。そこは現代文明の到達点ですね…。
 たまには仏画を鑑賞して、目と心を洗うのもいいことだと、しみじみ思いました。
(2023年8月刊。税込4180円)

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