弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2024年1月10日

ビルマ、絶望の戦場

日本史(戦前)


(霧山昴)
著者 NHKスペシャル取材班 、 出版 岩波書店

 史上最悪の無謀な作戦と言われているインパール作戦をふくむビルマ戦における日本軍の死者16万7000人の8割は、インパール作戦が中止された1944年7月以降に命を落としていた。
 ところが、将兵を残して日本軍の最高幹部たちはいち早く飛行機に分乗してタイへ逃れていたのです。しかも、インパール作戦遂行にあたって強硬に作戦遂行を主張した張本人の田中新一ビルマ方面軍参謀長(中将)は、日本国内にまで無事帰還し、戦後も生き永らえて83歳で亡くなったのでした。こんなことって許されていいのでしょうか。疑問です。
 イギリス軍は日本軍の指導者について、次のように的確に評価しました。
「日本軍の指導者の根本的な欠陥は、肉体的勇気とは異なる、道徳的勇気の欠如にある。彼らは、自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がない」
いやはや、まったく図星ですよね。これって...。
田中参謀長は「強気一点張り」の観念偏を振りかざし、図上作戦を強行させた。「放漫非常識」な作戦だった。
「わしが全責任をもってやる、という能力と気迫」で押し切った。
作戦に不満を表明した師団長や参謀は次々に更迭(こうてつ)された。こんなに上層部が混乱していたら、勝てるものも勝てなくなりますよね。「気迫」の前に装備がまったく欠如していた。ですから、ひどすぎます。
さらにイギリス軍による日本軍の評価を紹介します。
「日本軍の強さは、個々の日本兵の精神にあった。日本兵は死ぬまで戦い続け、行進し続けた」
「日本軍は、計画がうまくいっている間は、アリのように非常で大胆。しかし、計画が狂うと、アリのように混乱し、立て直しに手間どって、元の計画にいつまでもしがみつくのが常だった」
久留米にいまもある高級料亭「萃香園(すいこうえん)」がビルマのラングーンに出店し、ビルマにいた日本軍の高級将校たち専用の娯楽施設になっていたというのは初耳でした。彼らは、この萃香園で「女と酒の逸楽」に浸っていたのです。「萃香園参謀」とまで呼ばれていたそうですから、勇ましく偉そうなのは口先だけだったわけです。
「久留米から100名、大牟田と福岡を合わせて約30名の芸者がビルマへと行った」「その芸者たちのほとんどは借金をかかえていた」
ビルマ方面軍の司令官だった木村兵太郎司令官は「東条の茶坊主」と陰口された将軍。東条が失脚したので、東京からビルマ方面軍にまわされたそうです。
日本軍とは何か、何だったのか、「皇軍」の実態を改めて問い直させてくる本です。一読をおすすめします。

(2023年7月刊。2200円+税)

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