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2023年12月 の投稿

藤原道長

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 山中 裕 、 出版 法蔵館文庫
 「此世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしとおもへば」
 この有名な和歌を詠(よ)んだのは道長53歳のときです。それから10年たたぬうち、62歳で道長は亡くなっています。道長は眼病に悩み、肺結核にかかり、心臓病もあったようです。
 道長の政治は太政官政治であり、いわゆる政所(まんどころ)政治ではない。道長の政所ですべてが決まり、天皇は相談役にもなっていないという説は妥当ではない。
 道長は、公に関しては、公卿会議を行い、御前定と陣定によって、すべてを処理した。朝廷に関する問題の処理は、すべて太政官で行われ、摂関家の政所では行われていない。
 摂関政治は、律令政治の延長線上にある。
 道長が『御堂関日記』を書き続けたということは、学問への情熱の深さ、漢学の知識、仮名に関しても深い造詣(ぞうけい)をもっていて、教養の深さがにじみ出ている。
 紫式部の『源氏物語』の光源氏の全盛期のモデルは道長であり、六条院は土御門亭(つちみかどてい)である。
 道長は、紫式部をはじめとする多くの女流作家たちを、娘の中宮彰子のもとに集め、そこが一大文芸サロンとなっていた。紫式部の『源氏物語』も、このころ(實永年間)書かれていたと推定される。
 道長は書籍を多く収集している。学問への関心と同時に仏事方面にも道長は大変に関心を深めた。晩年の道長は、その心に浄土をあこがれる気持ちが強くなっていた。
 一条天皇時代は25年間も続いた。このとき道長は天皇と、安泰に過ごし、次の實弘年間には、紫式部をはじめ、女流文学の華が開いた。それには道長の娘(彰子)が天皇の中宮として聡明であったことによる功績が大きかっただろう。
 1016(長和5)年に、道長は待望の、外孫である天皇の即位が、初めて実現した。まだ9歳の幼帝であることから、道長は当然に摂政となった。
 道長の一生を丹念にたどった労作です。道長と紫式部との関係をさらに深く知りたくなりました。
(2023年7月刊。1200円+税)

B-29の昭和史

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 若林 宣 、 出版 ちくま新書
 第二次大戦の末期、日本全土を焼け野原にしたのは、アメリカ軍による空襲です。そのときの爆撃機がB-29。日本を石器時代に戻してやると豪語していたカーチス・ルメイ将軍は、戦後、その「功績」を認められて、天皇から勲一等を授与してもらいました。当時も今も、アメリカのやることには一切タテつかない(つけない)という卑屈すぎる日本政府当局者の姿勢は不動です。
 パレスチナにイスラエルが大々的に空襲をかけ、地上軍を侵攻させても、日本政府はアメリカの顔色をうかがうばかりで、イスラエルは戦争やめろという国連の決議に棄権してしまいました。涙が出るほど、情けないです。
 B-29の開発は1940年初めに始まった。当初、B-29はトラブルの多発に悩まされた。とりわけ深刻だったのはエンジン。しばしば離陸時に火災を起こした。
 1944年に入っても、作戦可能なB-29はそろわなかった。
 B-29は全身30メートル、全幅43メートル、自重30トンという大きな機体。機内は高々度に備えて与圧される。機内の空気はエンジンの熱を利用して暖房できた。乗員は11人。爆撃搭載量は9トン。航続距離は5000キロメートルという超重爆撃機。
 B-29の生産は、ボーイング社だけでなく、ベル社もマーチン社でもおこなわれた。その部品製造には自動車産業も加わり、アメリカ工業界あげての生産体制だった。
 B-29の日本爆撃の初回は、1944年6月15日から16日の八幡製鉄所を目標とする北九州爆撃だ。アメリカ軍による日本東土空襲の始まりは1942(昭和17)年4月18日の「ドゥーリットル空襲」。このときは、B-29ではなく、B-25爆撃機。このとき、B-25が16機やってきて、空襲によって日本人50人以上が死亡している。
 高々度を飛んでくるB-29に対して、日本軍の戦闘機はまるで歯が立たなかった。
 1945年8月15日、日本が敗戦したことを告げた直後、大阪と福岡では捕虜殺害が始まった。
 1945年8月10日、福岡市内の油山で逃げなかった捕虜8人を処刑した。うち5人は斬首により、残る2人も空手の技を試されたあと、斬首。そして、8月15日の午後、玉音遊送のあと、捕虜17人の残りを油山で処刑した。
 1950年代に入ると、さしものB-29は次第に旧式化した。
 当時3歳くらいだった姉は夜にB-29が焼い弾を投下するのを見上げて「きれいかねー」と叫んだといいます。夜空の花火ならいいのですが…。
 B-29は、まさしく「空の要塞」であり、日本全土を焼き尽くしていったのでした。
 今、ガザ地区はどうなっているのでしょうか。毎日、心が痛みます。
(2023年6月刊。980円+税)

動物たちは何をしゃべっているのか?

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 山極 寿一 、 鈴木 俊貴 、 出版 集英社
 ゴリラ研究の第一人者と鳥(シジュウカラ)の若き研究者が対談している本です。ゴリラと鳥で、いったいどんな共通項があるのでしょうか…。そう言えば、鳥は現代に生きる恐竜の片割れでしたよね、それと関係があるのかしらん。
 ゴリラ学の権威は、ゴリラに「グッ、グフーム」とゴリラ語で挨拶が出来ます。山極さんを、26年ぶりに再会したオスのゴリラが覚えてくれていて、子どもゴリラ時代のように、あお向けに寝ころんで腹を見せてくれたそうです。親愛の情を示し、一緒に遊ぼうという意思表示です。すごいですよね、ゴリラが26年ぶりに会った人間をしっかり覚えていたのですから…。人間だって覚えているかどうかでしょう。
 鈴木さんは、長いときには8カ月ものあいだ長野県の山にこもって、日の出から日没までシジュウカラを観察しました。そして、ついにシジュウカラの鳴き声には意味があり、そこには文法まであることを発見したのです。
 いやはや、学者の苦労って、底知れませんよね。でも、いったい、どうやって…。
 シジュウカラは森の中の見通しの悪いところに暮らしているので、見つけた天敵の種類によって鳴き声を変えている。ヘビなら、「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」といったように。これは、天敵によって対処法が違うから。でも、これは野生の小鳥のことで、飼育下だと、いつだってエサがもらえて安全なので、鳴き声は少なくなる。
 シジュウカラが「ピーッピ・ヂヂヂヂ」と鳴いているのは「警戒して、集まれ」という意味。では、それをパソコン上で操作して「ヂヂヂヂ・ピーッピ」と逆にしたら、シジュウカラはいったいどう反応するか…。
 入れ換えたらシジュウカラは、特段の反応を示しません。ということは、音の並び方には意味がある。したがって、これは文法があるということを意味する。なーるほど、ですね。
 さらに、「ピーッピ」と「ヂヂヂヂ」を別のスタジオで録音して再現してみると、シジュウカラは特段の反応も示さない。つまり、あくまでも「ピーッピ、ヂヂヂヂ」という並び声だけが「警戒して集まれ」という呼びかけだと判明した。いやはや、推理力も必要なんですよね。
 動物には、ストーリー化する力がほぼ「ない」。
 ところが、シジュウカラは人間のように、文法を頼りとしていることが判明した。チンパンジーは、鏡を見て、うつっているものが自分だとは判別できないようです。それでも、鏡のうしろにうつっているものはつかもうとするというのですから、これまた不思議です。
 恐竜のなれの果ての小鳥のさえずりにきちんとした文法があることを発見するなんて、信じられません。
 この本には出てきませんが、小鳥のさえずりにも地方色、つまり方言があるそうです。
 道を究めた2人の学者の対話は、とても興味深いものでした。
(2023年9月刊。1700円+税)

無人島、研究と冒険、半分半分

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 川上 和人 、 出版 東京書籍
 日本にも無人島がたくさんあるようです。本書の舞台となった南硫黄島は、第二次大戦のときの激戦地、硫黄島ではありません。本州から南に1200キロのところにある絶海の孤島。東京都小笠原村に属しているが、過去に人間が定住したことはない。
 この島は、半径1キロ、標高も同じく1キロで、傾斜角度45度の急勾配の島。島の周囲は数百メートルの高さがある崖で囲まれた天然の要塞。
 なので、この島は人間による人為的な撹乱(かくらん)を受けていない、原生の生態系がそのまま維持されている。だから、研究のために島に上陸した人は、自然排泄は許されず、尿はそのままで許されるけれど、固形物のほうは携帯トイレで持ち帰ることが義務づけられている。うひゃあ、そ、そうなんですね…。
 この島の調査は、1936年と1982年、2007年、2017年に4回あっただけ。今回の2023年の調査は5回目。18人による2週間の調査のため、水は1日1日4リットル、予備をふくめて1104リットルを用意。食事は630食分。個人の持ち込みは1人15キロ以内。それでも総計1.6トンの物資を運び込んだ。
 南硫黄島には平地もなければ川もない。もちろん地下洞窟なんてない。崖の上からは、ボロボロと落石が降り注ぐ。
 この島には、タカやハヤブサなどの猛禽(もうきん)類がいない。なので、オナガミズナギドリが繁殖している。これまでのところ、この島にはネズミも侵入していない。ミズナギドリの仲間は、地下にトンネルを掘って、巣をつくる。控え目な鳥だ。
 島の生態系は、海鳥による八面六臂(ろっぴ)の活躍によって形づくられている。
 南硫黄島のウグイスもメジロも、この島だけでしか生きられない。
絶海の孤島で生活するなんて、私には考えられもしませんが、こんな冒険をしてみたい気持ちは、ほんのちょっぴりだけはあるのです。探検隊の一員にでもなったかのような気分で読みすすめました。面白い本です。
(2023年9月刊。1760円)

不便なコンビニ

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 キム・ホヨン 、 出版 小学館
 今では、さすがの私もコンビニを日常的に利用しています。まだ辛うじて小さな商店が町のあちこちにあったときは、意地でもコンビニを利用しないようにしていました。でも、町の商店がほとんどなくなってしまった今では、選択する余地なくコンビニを利用せざるをえません。
 日曜日のお昼、いつも行く小さな喫茶店が貸し切りになっていて利用できないときには、隣のコンビニでチヂミやサラダを買って、事務所の電子レンジでチンして食べています。弁当やおにぎりを買うことはありません。それでも、多彩な品ぞろえがあって、目についたものを手にとり、買って帰ります。
 東京や福岡だと、コンビニのレジには外国人が目立ちます。もちろん、日本語でやりとりしますし、できます。といっても、どんどん機械化がすすんでいて、会話する必要がなくなりつつあります。そのうち無人化してしまうのでしょうか、味気ないですよね…。
 この本には韓国のコンビニが登場し、そこが主要な舞台となるのですが、韓国のコンビニは日本のように大手系列下に入らないでもやっていけているのでしょうか。つまり、コンビニのオーナに、いくらかの商品選択権があるのか…という疑問です。
たくさんの商品を仕入れすぎて困っているという話も出てきます。日本でも同じことはきっと起きているのでしょう。そして、期限切れで廃棄する弁当の話も出てきます。これが日本のコンビニでも大問題となっていました。コンビニ本部はその厳守を求めるくせに、そのロスは本部ではなく、オーナー側に責任を押しつけるというのです。これでは「経営者」(オーナー)は、たまったものではありません。
コンビニはどこでも集中出店戦略をとります。つまり、近くにコンビニが次々に乱立して苛酷な競争を強(し)いられるのです。
また、コンビニで深夜に働く店員の確保には韓国でも苦労しているようです。
一律「24時間営業」なんて、やめたらいいと思うのですが、本部は絶対に許しません。まったく現代版の奴隷労働です。
この本は、ソウルの片隅でひっそり息づく不便なコンビニ。そこで働く、元ホームレスの店員とそこに来る客やオーナーたちとのあいだの涙と笑いの物語です。
韓国で150万部の大ベストセラーになったというのは読めばよく分かります。身近な存在のコンビニをめぐって、どこの家庭でも日常的に起きるような話がいくつも同時進行していって、実は、それが全部からまってくるのです。作者の読ませる力には感服しました。
題材にヒラメキがなく、書くことに行き詰っている女性作家がストーリーに登場します。どうやら作者の分身のようです。そんな狂言廻しもいて、記憶を失った元ホームレスの店員の働きかたが、周囲の人の凍った心を溶かし、逆に、周囲の人々の反応によって記憶を少しずつ取り戻していくというストーリー展開です。いったい、この元ホームレスの正体は…。
ぜひ、あなたも手にとって読んでみて下さい。
(2023年月6刊。1600円+税)

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