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2023年12月 の投稿

匂いが命を決める

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ビル・S・ハンソン 、 出版 亜紀書房
 人間は他の生物ほど嗅覚情報に頼っていない。
 あなたも私も、そう思い込んでいるだろう。しかし、実は、人間の生活の重要な場面の多くで嗅覚に頼っている。
 アホウドリなどの海鳥は、プランクトンの豊富な漁業を匂いを手がかりとして探し当てている。植物だって、匂いを感知できていて、匂いのメッセージを送りあっている。
 ええっ、ホントなの…、驚くばかりの記述が続きます。
人の嗅覚受容体が400種ほどもあるからこそ、何百万種類もの異なる匂いを識別して嗅ぎとることができる。
 プラスチックは、海に漂ってるうちに、数ヶ月もすると、DMS(ジメチルナルファイド)を放出するようになる。なので、自然界の生物たちは、これ(プラスチック)を食べられる物質だと錯覚させてしまう。
 人間の遺伝子の1~3%が匂いを嗅いで、それを識別し、反応を引き起こすために働いている。
 犬にとって、匂いを嗅ぐことは知的刺激の源。匂いを嗅ぐことによって、犬は状況を理解し、その場をうまく切り抜ける。犬は嗅覚だけを使って、過去から現在までに何があったかを理解し、未来さえも見通す。人間が500万個の嗅細胞をもっているのに対して、犬の嗅細胞は数億から10億個もある。犬のほしがりそうな情報のすべてはお尻とその付近にある。
長いあいだ、鳥には嗅覚がないとみられてきた。しかし、アホウドリが進路を知るときは、嗅覚が大きな役割を果たしている。
 サケは必ず、「自分の生まれた」流水の川を探しあてて、そこに卵を産む。視覚的情報と電磁的信号、そして鋭い嗅覚を総合的に利用して故郷に帰る道を探しあてている。
 サメもまた、匂いで方向を探知する高い能力をもっている。サメは、ある種の匂いを2500万分の1の濃度で検知できる。
 サメの脳の3分の2は嗅覚器官蚊を誘引するかどうか、人によって明らかな個人差がある。妊娠中の女性は妊娠していない女性より2倍も蚊を引き寄せやすい。ビールを飲んだ男性は、明らかに他の男性より多くの蚊を引き寄せる。
 植物は攻撃されると、被害を訴える合図として、VOC’Sを放出する。
 私は、自慢にもなりませんが、あまり鼻が利きません。水仙の花の匂いどころか、キンモクセイの香りもなかなか楽しめません。コロナ禍のなかでマスクをしていると、そのせいにも出来ますが、マスクをほとんどしない今、なんで匂いが分からないの…、と非難されると、返すコトバはありません。でも、早春の水仙って、そんなに香り(匂い)がするものなのでしょうか…。
 裁判所で調停事件のとき、待たされているあいだに、300頁ある本書を読了してしまいました。今は調停事件を何件も担当しています。
 
(2023年9月刊。2600円+税)

暗い夜空のパラドックスから宇宙を見る

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 谷口 義明 、 出版 岩波科学ライブラリー
 宇宙は無限に広く、星の数も無限にあって、星は宇宙に一様に分布していたとしたら、私たちは上空を見たら必ず、どの方向にも星、つまり太陽を見て、空を埋めている、つまり、昼も夜もなく、明るい空が広がっているはず。
 しかし、現実の夜空は暗い。なぜなのか…。これが「オルバースのパラドックス」と呼ばれているもの。私は、このパラドックスを知る前は、単純に夜空は暗いもの、星は暗い夜空でまたたくもので、満天の星というのは高い山でしか見ることのできないものであって、星が夜空を埋めていないはずがない、なんて考えもしませんでした。
 そこで、この「パラドックス」を否定するため、先人たちは、いろいろと考えました。
 ある人は、宇宙空間に存在する物質が光を吸収するので、夜空は暗いと考えた(間違い)。
 夜空が暗いのは、遠くの星の光が地球にまで届かないからと考えた(これも間違い)。
 星にも寿命があるから、夜空は暗くても問題ない(星に寿命があるというのは正しい)。
 この宇宙は悠々の過去から存在したのではなく、138億年前に誕生した。では、いったい、その前は何があったのか…。
 宇宙の現在の大きさは470億光年。とても大きな数字だが、肝心なことは、無限大ではなく、有限だということ。
 著者は、夜空が暗いのは、宇宙にある星の数が少ないからだとしています。ええっ、星の数って、無限にあるんじゃなかったの…??
 肉眼で見えるのは、6等星まで。宇宙に銀河がたくさんあるといっても、数億光年内という銀河でも、10等星以上くらいのもの。
 もっと遠いと25~30等星。なので、星がたくさんあっても、話にならない。夜空を明るくするほど星はない。
 全天にある1等星は、わずか21個。1等星を集めて太陽の光度を実現するには、なんと1000億個の太陽が必要となる。
 銀河系には2000億個の星しかない。だから、銀河系の星々をすべて動員しても、夜空を埋め尽くすことはできない。正解は…。夜空が暗いのは、この宇宙には夜空を明るくするほどの星が存在しないから。この宇宙では、星をつくる物質に限りがあるため、夜空を星で埋め尽くすほど星をたくさん生み出すことはできないのだ…。
 ふだんの私たちが当たり前のことと考えていることでも、「本当にそうなの?」と訊かれると、うまく回答できないことがあります。
 暗い夜空の星がなぜ見えるのか…。面白い着眼点です。いかがでしたか??
(2023年10月刊。1540円)

恐竜がもっと好きになる化石の話

カテゴリー:恐竜

(霧山昴)
著者 木村 由莉 、 出版 岩波書店
 中学生向けの本ですが、老齢人口の私も十分に楽しめました。
 著者は東京・上野にある国立科学博物館で化石を研究している生物学者。私は、上京したとき、ちょっと時間があれば、この科学博物館に行ってみます。いつも驚きの発見があり、ワクワクします。
 著者は化石に触れると、何千万年前にタイムスリップしたような不思議な感覚になる。これが面白くて古生物学者を続けている。
 7歳の女の子のとき、1億年前の化石を手にして以来、恐竜が大好きで、そのまま研究者の道を歩んでいるというのですから、たいしたものです。
 化石が見つけ出せるかどうかは、運次第。この冒険のようなワクワク感が古生物学のロマン。探検に必要なものは、「十分な準備」。何が起きるのか、予測を立ててしっかりと準備する。
古生物学者になるのは女性でも不利ではないと著者は強調しています。何より好きだという気持ちがいちばん大事だ。
 アメリカの有名な古生物学者のなかには盲目の人もいるそうです。「手でみる」のです。いやあ、信じられませんよね…。
 肉食の動物のフンのほうが化石として残りやすい。それはフンの中に「リン酸」が多く含まれるから。リン酸はカルシウムなどと結合して硬い石になるから、化石になりやすい。
 恐竜が速く走れるかどうかは、足の骨の長さの比率から推測できる。太ももの骨に比べて、すねの骨や足の甲の骨が相対的に長ければ、足が速い。
 歯のない恐竜は、胃の中に石を吞み込んで胃石とし、食物をすりつぶしていた。
 地中や地表面から小さな化石を見つけて、それが恐竜の骨のどの部分かを当て、さらに、その恐竜を全体として想像できるなんて、とてもすばらしいことですよね。
 福井県にある恐竜博物館は一見の価値があります。わざわざ行ってみる価値は十分にあります。そのスケール感が半端ではありません。
 まだ天草にある恐竜資料館には残念ながら行ったことがありません。ぜひ行ってみたいです。中学生向の100頁ほどの恐竜本です。楽しく、ロマンを感じました。
(2023年8月刊。1450円+税)

紫式部と藤原道長

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 倉本 一宏 、 出版 講談社現代新書
 この本は紫式部の『源氏物語』がなかったら藤原道長の栄華もなかったとしています。ええっ、そ、そこまで言えるものなのでしょうか…。
清少納言は当時の一次資料には、まったく名前が登場してこない。それに比して、紫式部のほうは「藤原為時(ためとき)の女(むすめ)」として登場してくるので、実在の人物だと言える。
 藤原道長の命令と支援があったからこそ、紫式部は『源氏物語』や『紫式部日記』を執筆できた。藤原道長は紫式部より7歳だけ年上。
 この当時、文人としての名声を得たとしても、それは現実社会における地位や、ましてや収入に結びつくものではなかった。
 紫式部は26歳前後で、20歳も年長の藤原宣孝と結婚した。そして、二人の間に賢子(けんし)が誕生した。この賢子は道長の娘・彰子に出仕し、親仁(ちかひと)親王の乳母(めのと)となって、「大弐(だいに)三位(さんみ)」と呼ばれ、80歳をこえて長生きした。紫式部の娘らしく、家集まで出しているそうです。
 紫式部が29歳のとき、その夫・宣孝は結婚して、わずか2年半で亡くなった。
 『源氏物語』は全編54巻で、617枚の料紙を必要とする。そのために必要なのは2355枚。当時、紙は非常に貴重なもので、誰でも手に入るものではなかった。そこに、道長に執筆を依頼され、料紙の提供を受けて起筆したという説の根拠がある。
 紫式部はこの要請を受けとめて、基本的骨格についての見通しをつけたうえで『源氏物語』を起筆したと著者は推定する。紫式部が『物語』を書きはじめて、好評だったことから藤原道長が応援するようになったという説もあるようです。
 紫式部は34歳のとき、彰子に出仕した。このとき、すでに『源氏物語』の執筆を始めていた。
 紫式部は、出仕した直後は宮中になじめなかったようだ。「まるで夢の中をさまよい歩いているような心持ちであった」と日記に書いている。紫式部は、引っ込み思案で、内省的な性格だった。
 彰子の主導で、『源氏物語』の書写と冊子づくりが大々的にすすめられた。紫式部が彰子に出仕した時点では、すでに清少納言が仕えていた定子(ていし)は死去していた。だから二人が宮中で直接に顔を合わせる機会はなかった。
 彰子に仕える紫式部は、『枕草子』で謳歌(おうか)されている定子のサロンを否定し、清少納言を非難した。
 道長は紫式部の『源氏物語』がなければ、一条天皇を中宮彰子のもとに引き留められなかった。道長家の栄華は紫式部と『源氏物語』のたまものであった。
 紫式部はNHK大河ドラマのテーマになるようで、今、ブームが再燃しています。
(2023年9月刊。1200円+税)

唐…東ユーラシアの大帝国

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 森部 豊 、 出版 中公新書
 唐は、文化的にも人種的にも言語的にも複雑で、多民族から成るハイブリッドな王朝だった。唐の皇室そのものが、鮮卑(せんぴ)族の血、あるいはその文化を色濃くひくばかりか、唐の歴史をひもとくと、いたるところでチュルク系の騎馬遊牧民やイラン系のソグド人、あるいは朝鮮半島出身の人など、さまざまな出自の人たちが活躍していた。
 唐の歴史は、「安史の乱」をはさんで、前半と後半とでは大きな違いがある。
 唐朝は300年近い歴史を有し、その間ずっと色濃く遊牧色をおびていたというのではない。遊牧文化と中国的古典文化の融合した帰着点が唐だった。
唐を建国した初代皇帝の李淵(りえん)は隋の政権中枢にいた。この李淵の家系は、少なくとも文化面では鮮卑族。李淵の娘は軍の先頭に立って参戦したが、これは遊牧社会の気風を反映したもの。また、これは女性が活発に活動する唐という時代を告げる象徴的出来事でもある。
 李淵は、軍の教練に突厥(とっけつ)方式の騎馬戦術をとりいれていた。なので、李淵軍の進軍スピードはきわめて速く、群雄との決戦で優位に立った。
 李淵の妻は匈奴系の一族出身だった。また、ソグド人のグループも李淵に協力した。ソグド人は中央アジアのオアシス国家の住民。ソグド商人たちのネットワークは情報をやりとりしていた。ソグド人が信仰していたのはゾロアスター教。
 唐は隋の統治システムを踏襲した。その根本となるのが律令。また、唐は隋の官制も引き継いだ。唐の政策は、皇帝のもとにおかれた宰相たちの合議で決定された。
 李淵、すなわち初代皇帝・高祖には22人の子がいた。そのうち匈奴系の皇后とのあいだに生まれた次男の李世民が第二代皇帝となった。李世民は兄の李建成と仲は悪くなかったが、次第に溝が出来て、ついに先手を打った。李世民は皇帝太宗として23年ものあいだ君臨した。貞観(じょうかん)の治である。中国内に安定した平和が続いた。天下泰平となり、よく人材を登用した。
 太宗が臣下の意見をよく聞きいれる態度を「兼聴」といい、これは『貞観(じょうかん)政要』を貫くテーマとなっている。
突厥(とっけつ)とは、チュルクトというソグド語で伝わった音を漢人が写したもの。「鉄勒(てつろく)」と表記することもある。
 『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった僧・玄奘(げんじょう)は唐の太宗の時代の人。中国での仏教教義の研究に限界を感じ、唐を密出国してインドへ求法(ぐほう)の旅に出た。
 ただ、このころ唐の皇室が重視したのは仏教ではなく、道教だった。ちなみに、隋は仏教帝国。太宗が僧玄奘を重用したのは、仏教信仰からではなく、中央アジアに勢力をもつ西突厥をほろぼすため、玄奘のもつ最新の中央アジアの情報を必要としていたから。
中国史上、唯一の女性皇帝となったのは武則天。高宗は病弱だったので、そのパートナーだった武則天が一気に浮上した。武則天を日本では則天武后と呼ぶほうが多いが、これは彼女が皇帝になったことを暗に認めないという史観が反映している。
 日本は唐へたびたび使節を派遣した。遣唐使である。結局、唐にたどり着いたのは15回のみ。阿部仲麻呂もその一人。仲麻呂は日本へ戻ろうとした船が季節風で流されベトナムに浮着した。このため、結局、中国に70歳で亡くなるまで住んでいた。
 唐の歴史を概観することができて、大変勉強になりました。
(2023年3月刊。1100円+税)

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