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2023年11月 の投稿

アントンが飛ばした鳩

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 バーナード・ゴットフリード 、 出版 白水社
 ポーランドに住むユダヤ人が、ゲットーに入れられ、強制収容所に入れられながらも生きのびることが出来ました。それは幸運だったことによりますが、写真技術を身につけていた点も有利に働きました。
この本がとても読みやすいのは、30扁のショートストーリーから成りたっているということです。そして、一つ一つの物語が関連して大きな流れとなっていくのですが、全体としては、7歳のユダヤ人の子どもが世の中の大きな流れのなかで、ひとつひとつにぶつかって考えていく様子がとても素直に描かれていて、感情移入が容易なのです。
 子どもだって、状況によっては嘘をつくしかない場合もある。要求の多い、不公平な大人の世界とうまくやっていかなければならないのだから。子どもだって自分で自分を守るため、その場しのぎをしなくてはいけないんだ…。
 7歳のとき親がバイオリンを習わせようと決めた。7歳では、本人に選ぶ権利なんかあるはずもない。嫌で嫌で仕方なかったバイオリンの練習も、やっているうちに上達し、いろんな音楽を弾けるようになり、ちょっとした集まりで披露させられるようになった。
 強制収容所に入れられるときには、もちろんバイオリンは持ち込めなかった。でも、ひそかにバイオリンを隠してくれていた人がいて、戦後、そのバイオリンに再会することができた。
 子ども時代に起きたことを人がすべてを覚えているわけではない。でも、いつまでたっても忘れられない出来事もある。
 廃館になった映画館でコンサートが開かれ、バイオリンを演奏することになった。寒い寒い日で、著者は失敗を重ね、不出来そのものだった。でも聴衆からは大きな拍手が鳴りやまなかった。なぜか…。それは、ひどく寒かったから、手を叩けば、ちょっとは温まるから。なので、演奏に向けられた拍手ではない。むしろ、その逆。でも。手を叩いていたら、違ってきた…。これは、戦後、生きのびた人がコンサートのことを語ってくれたときのコトバだ。
 ゲットーで、人々は至るところで死んでいった。ナチスの兵士に射殺され、また餓死していった。
「おお神よ、あなたはどこにおられるのですか?あなたの子どもに何が起きているのか見てください」
神は眠っているか、休暇をとって、どこかへ行って留守だった…。
著者がゲットーをひそかに脱出して、生きた鶏を手に入れて自宅に戻っていく途中、鶏が騒ぎ立てるので、ついに殺してしまった。
母親は、ユダヤ教の定めによらず死んだ鶏を食べようとはしなかった。
「戦争中でも平時でも、私たちユダヤ人は律法を守る民なの。でなければ、ユダヤ人として生きていくのをやめるってことなの…」
いやはや、なんとかたくななことでしょう。
著者は写真館で助手として働くようになった。そのうち、ポーランド地下組織の求めに応じてひそかに写真の複製をつくるようになった。証明写真だったり、ドイツ軍関係者の顔写真だったりした。
写真館にはナチス親衛隊の制服を着た若者が来て、ユダヤ人だと知りながら、食料を渡してくれたり、いろいろ便宜をはかってくれるようになった。著者たちは「ユダヤ人SS」と呼んで受け入れた。
強制収容所に入れられて以来、鏡で自分の顔を見たことがなかった。鏡にうつっているのはやつれた灰色の顔、どこからどう見ても他の顔だった。
戦後、親になったドイツ人の若い女性にユダヤ人虐殺の話をすると、
「あなたの話が本当に起きたことだとは知っているわ。でも、私には、なぜ人がそんなに非人間的になれるのか、理解できないのよ」
と返ってきた。
同じユダヤ人の子ども同士だったのに話をそらした人は、著者に対してこう言った。
「覚えていたくなかった。みじめな少年時代だったから。いつだって腹を空かしていた。昼食時間には、きみのような金持ちの子が分厚いサンドイッチやおいしそうなロールパンにかぶりつくのを眺めていた。眺めているのは辛かったんだ。本当に忘れたかったし、忘れたつもりでいたいんだ」
そうなんですね、ユダヤ人の家庭にもやはり貧富の差はあり、朝食も昼食もとれない子どももいたというわけなんです。
ユダヤ人の大量殺害、絶滅収容所とガス室の噂が広まりだしたころ、ユダヤ人の父親は、それを信じようとはしなかった。そういうことを言う連中は、不吉なことを言いふらしてパニックを広め、ユダヤという哀れな民族の士気をくじこうとしているんだと非難した。そして父はこう言った。
「ナチスどころか、チンギスハーンだって、そんなことをしないんだろうよ。20世紀なんだぞ、文明社会が許すわけがない」
そうなんですよね。文明社会が許すはずがないことを、ヒトラー・ナチスはあえて宣言し、「善良な」ドイツ人がそれを実行していったのでした。
いま原発(原子力発電所)が3.11大爆発を起こしたことを忘れて、いかにも「処理」して安全になったかのような自民・公明政権の言うのを盲信する日本人のなんと多いことでしょうか。マスコミも同じ穴のムジナです。「風評被害」と言い、中国はけしからんと大合唱しています。でも、そのときデブリのことはまったく頭にありません。放射能の固まりを人間が扱えるはずはありません。そして、それをいったい日本のどこに置くというのですか…。
「アンダーコントロール」されているのは原発ではなく、日本人の頭ではありませんか。
読みやすいホロコーストの本です。著者は2016年、92歳でニューヨークで亡くなりました。
(2023年4月刊。3500円+税)

有明海のウナギは語る

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 中尾 勘悟 ・ 久保 正敏 、 出版 河出書房新社
 私は小学生のころ、毎年のように夏休みになると大川市の叔父さん宅に行って1週間ほども過ごしていました。大川市にはたくさんのクリークがありますが、そこで掘干しと言って、クリークをせき止めて底にたまったヘドロを両岸に田んぼに上げて「溝さらえ」をするのです。そのとき、たくさんの魚がとれました。そのなかにウナギも入っていて、叔父さんが台所でウナギを包丁で上手にさばくのを身近に見ていました。柳川のウナギのせいろ蒸しはとても美味しくて評判ですが、子どものときは食べたことがありません。
 この本によると、二ホンウナギが絶滅に向かっているというのです。心配になります…。この本は、有明海とウナギについて、さまざまな角度から捉えていて、いわばウナギに関する百科全書です。
 日本産のほとんどは河口部で採ったシラスウナギを養殖池に入れて大きくした養殖ウナギ。九州では鹿児島が産地として有名です。
 日本で出回るウナギの3分の2は輸入したウナギで4万2千超トン。ヨーロッパウナギの生産量も減っている。
 日本のウナギ消費動向が世界のウナギ種の資源量を左右している。
 シラスウナギはもともと自然界でとれるものなので、人間は養殖ウナギの生産量を自由に制御することはできない。
 二ホンウナギの生態や生活史は、いまも謎だらけだ。西マリアナ海嶺近くでウナギが産卵していることが2005年に判明したくらいだ。
 ウナギの祖先は、白亜紀、つまり1億年前ころに現在のインドネシア・ボルネオ島付近に出現した海水魚。ウナギは2回、変態する。ウナギの北限は青森県。
私はウナギ釣りをしたことはありません。フナ釣りをしていてナマズを釣り上げたことは何度もありますが、ナマズは食べることもなく、すぐにリリースしていました。
 ウナギはミミズでも釣れるようですね。そして夜釣りもするようです。
 この本で驚いたのは、ウナギの生態を研究するため、ウナギの体内に金属製ワイヤータグを埋め込むというのです。また、麻酔をかけ、極小の発信機をウナギの体内に埋め込んで縫合するのです。すごい技術があるのですね…。
 ヨーロッパウナギを絶滅寸前に追いやったのは、資源量を考慮しない、日本国内の旺盛なウナギ食需要だ。これは消費者だけでなく、生産業、流通業など、関係者全員のあくなき欲望がつくり出した結果だ。いやはや、罪つくりなことです。でも、でも…。ウナギの蒲焼きとか「せいろ蒸し」なんて、本当に美味しいですよね。
(2023年3月刊。2970円)

少女ダダの日記

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ヴァンダ・プシヴィルスカ 、 出版 角川新書
 1944年9月、ポーランドで起きたワルシャワ蜂起のなかでナチス・ドイツ軍の砲弾に傷つき死亡した14歳の少女の日記です。ユダヤ人ではありませんが、同時代のオランダで隠れ住んでいたアンネ・フランクの日記を思い出せるものがありました。
 ダダが日記を書くのは、ものを書くのが好きだから。
 姉は、夢なんかみないほうがいい、よけいな幻滅をあじわうばかりだからだという。しかし、ダダは違った。夢はみなければいけない。「なにか」が思いどおりにならないとしたら、夢のうち、夢のうちだけなりと、せめて、その望みがかなうといいから…。そうなんですよね。苦しい現実の中にあっても、夢をみて、希望を失わないことって、本当に大切なことだと思います。私も、毎晩のように夢をみています。なかには心がじわっと温まる夢もあるのです。
 夢みることのできる者は、さいわいだ。幸福は誰にとっても同じものなどではない。お金があれば幸福だという者もあるだろうし、自分が美しいというので幸福に感じている者もあるだろう。しかし、ダダはこんなものはすべて幸福なんかではないと考える。幸福とは何か、もっと別のもの。もっと大きなもの、美しいもの、もっとありがたいものなのだ。
 ユダヤ人が目の前で殺されている。なんのため、なんのために、ユダヤ人はこんな目にあわなければならないのだろうか。ユダヤ人であって、ほかの民族ではないという、そのためなのだ。ただそれだけ。それだけのために、こんなにも苦しめられていいものだろうか。こんな野蛮なことがあってもいいものだろうか…。涙は乾いて消えて…、それっきり、もう二度と戻ってはこない。
 人間が同じ人間の首を吊るというようなことが、こうしてまるで日常茶飯事のように、平気でおこなわれている。むごい、ひどい、恐ろしいこと。こんな地獄に終わりが来るなどとは、とても信じられない気がする。早く終わってくれればいいと私だって思っている。それなのに、ときには、戦争が終わるなんて決してないという気がしてしまう…。
わたしたち若者、若者こそ祖国ポーランドを盛り立てる礎(いしずえ)なのだ。だからこそ、私たち若者は理想を持たなければいけない。けれど、実際には…。
 戦争は世界を破滅させる。人間を滅ぼし、殺してしまう。恐怖をいっぱいにまき散らし、生活という生活、喜びという喜びの息の根を止めてしまう。
ドイツ人ほど恐ろしい国民はいない。でも、この恐ろしい凌辱に対して、私たちは報復しなければならないのだろうか。復讐はぜひとも必要なのだろうか…。
 たとえ悲しみのどん底にいても、喜びと笑いは決して失ってはならない。人は生きるために、最後のさいごまで、不幸や災厄とたたかうように出来ている。
ダダは、ナチス・ドイツ軍の砲弾の破片にあたって重傷を負ったとき、出血多量で亡くなる前、父親にこう言った。
 「おとうさん、もう逃げなくたっていいじゃない」
 泣けてきましたね。これって、まだ14歳の少女の言葉なんですよ。
 ワルシャワ蜂起で立ち上がったのはポーランド軍。イギリスは上空から飛行機で支援物質を投下しましたが、まったく足りません。すぐ近くまで来ていたソ連軍は補給待ちと称して市内でのナチス・ドイツ軍との戦闘には参入せず、ポーランド軍を見殺しにしてしまいました。どうやらスターリンが指示したようです。
 ワルシャワ蜂起の悲劇的な結末は知っていましたが、こんな少女の日記があったことを初めて知りました。
(2023年4月刊。960円+税)

僕の好きな先生

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宮崎 亮 、 出版 朝日新聞出版
 「維新」は大阪の教育をメチャクチャにしてしまいました。その結果、大阪の学校の教員を志望する人が激減し、途中退職者も続出しています。
維新は学校を「商品」製造工場のように錯覚し、成績主義・競争主義で教師と先生を追い立てています。学校を学力成績の点数で評価するなんて、根本的な間違いです。聞くだけで、「アホちゃうか」と関西弁でこきおろしたくなります。
 松井一郎大阪市長(当時)が、コロナ禍がひどい状況で「小中学校は自宅オンライン学習を基本とする」と、突然に言い出して、大阪全市の学校が一大パニックに陥りました。
 松井市長の思いつき、いつものパフォーマンスでした。学校を所管する教育委員会の意見も十分聞かないまま記者会見したのです。まったく無責任きわまりありません。
 これに対して、現職の小学校校長であった久保敬(たかし)氏が大阪市の教育行政を批判する文書を松井市長に送ったのです。現職の校長が市長を批判する文書を送付した。これは大きなニュースになりました。その結果、自宅オンライン学習は撤回されたのです。ところが、久保さんに対しては「文書訓告」処分が下されました。ひどい話です。
久保校長の教え子にお笑いコンビ「かまいたち」の濱家隆一がいました。久保校長の退職お祝い会に濱家は5分間のメッセージ動画を送ったそうです。そこでは、30年も前の小学校の担任との出来事を昨日のことのように濱家は紹介しました。そして、濱家は小学生のときにもらっていた「学級便り」も全部保管していたのです。それほど記憶に残る担任(教師)でした。
濱家は、「学級便り」のなかで、将来の夢は「マンガ家、まんざい師」と書いていました。これは実現したのですね。すばらしいことです。
「細かいことをバーッて思い出せるのは、本当に楽しかった人やと思いますね。久保先生からは、まわりの友だちを思いやることを教わりました。みんなで目標に向かって一致団結することとか、まわりの人と調和するとかっていうのは、ほんまに久保先生から学んだことです」
先日、大阪で久保先生の話をじかに聞くことができました。腹話術も少しする久保先生は、なるほど教師人生に全力で打ち込んだというオーラを感じました。こんな教師にめぐりあえた子どもたちは本当に幸せです。
子どもを大切にする教師をもっともっと大切にしなければいけないと、つくづく思いました。維新や自民党のような、表面的な成績だけしか目を向けない教育なんて最悪です。
久保先生の話を聞いて、すぐに会場で売られていたこの本を買い求め、帰りの新幹線の中で完読しました。
(2023年9月刊。1760円)

歌うカタツムリ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 千葉 聡 、 出版 岩波現代文庫
 ええっ、カタツムリが歌うの…、それって本当なの…。
 ハワイに古くから住む住民は森の中から聞こえてくる音をカタツムリたちのささやき声だと考えていた。そして、19世紀の宣教師もたしかにハワイマイマイのさざめき音を聞いたと証言した。でも、今、ハワイのカタツムリは姿を消してしまった。
ナメクジはカタツムリとともに陸貝のメンバー。殻のないカタツムリがナメクジの仲間だ。
 先日、久しぶりに台所の床にナメクジが出てきました。いったいどこから這い出してくるのか不思議でなりません。その後、床どころか、朝、ミキサーを使おうとしたら、フチにナメクジがいました。危く、ナメクジ入りのジュースを飲むところでした。くわばら、くわばら…。
 カタツムリは、海に棲んでいた祖先が得た性質に、ずっと生き方をしばられてきた。カタツムリの生き方は殻を背負うことに制約される。ところが、その制約のため、環境への適応や捕食者との戦いの中で、多彩な殻の使い方、形、そして生き方の戦略が生み出される。制約のためにトレードオフがあらわれ、それが偶然を介して創造と多様性を生む。
小笠原諸島で見つけたニュウドウカタマイマイは直径8センチをこえ、日本の在来のカタツムリのなかでは最大。この巨大種は2万5千年前に突然出現し、1万年前に忽然(こつぜん)と姿を消した。
 現生のカタマイマイは、直径3センチほどで、その特徴は非常に殻が硬いこと。カタマイマイ属は飼育が難しい。そしてマイマイ属は、別の種に対して攻撃的に干渉する。
 カタマイマイ属の由来は、日本本土にあった。日本南部だ。まず父島で4つの生態系に分かれ、そのうちの一つの系統が聟(むこ)島に渡って、そこで2つの生態系に分かれた。もう一つの系統が母島に渡って、そこで再び4つの生態系に分かれた。母島では47の生態系の分化が、少なくとも3回、違う系統で独立に起こった。
 一つの系統が生活様式など、生態の異なる多くの種に分化することを適応放散という。カタマイマイ属の適応放散は、まったく同じ分化のパターンを何度も繰り返す点で、非常にユニーク。このような多様化を「反復適応放散」と呼ぶ。
 カタツムリは適応放散するばかりではない。非適応放散もある。では、いったいどのような条件で、それらが起きるのか、それが現在も研究課題となっている。
 琉球列島と小笠原諸島は、同じような気候条件にもかかわらず、生態系がまったく対照的な世界である。
 ニッポンマイマイ属の左巻きと右巻きの集団の分布は、カタツムリを食べるイワサキセダカヘビに対する適応によって生じた。このヘビは右巻きの貝を食べることに特化して、頭部が非対称になっているため、左巻きの貝をうまく捕食することができない。そこで、このヘビの生息地では、左巻きのタイプは捕食されないので、有利になる。すると、左巻き個体が増え、集団が確立して交尾できない右巻きの集団との間に種分化が成立する。いやはや、こんなところまで学者は注目して、研究するのですね…。
カタツムリを食べるカタツムリがいる。ヤマトタチオビだ。これは農業害虫のアフリカマイマイを駆除するため、アメリカはフロリダ州から持ち込まれた。ところが、現実には、アメリカマイマイの減少より早く、固有のポリネシアマイマイ類が全滅してしまった。
 著者も小笠原諸島で、カタツムリの歌を聞いたとのこと。足の踏み場もないほど地上にあふれ出した、おびただしいカタツムリたちの群れが、互いに貝殻をぶつけあい、求愛し、硬い葉をむさぼる音だった。つまり、よくよく耳を澄ますと、これこそカタツムリの歌だって聞こえてくるというのです。
 生物学の奥底は闇に近いほど深く深いもののようです。秋の夜長に、いい本を読むことができました。
(2023年7月刊。1130円+税)

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