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2023年8月 の投稿

こっぽら~と

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ふるいけ博文 、 自費出版
 大牟田で小学校の教員を定年退職したあと著者は専業写真家として活躍しています。とはいっても、被写体は国内だけではありません。アラスカのオーロラを撮りに出かけ、中国(桂林)の山水画風景、そしてインドネシア(バリ島)の棚田など、海外にも足をのばす行動派の写真家でもあります。
 この写真集(写真物語)は10年ぶりのものです。前は還暦のとき、今度は当然ながら古稀です。そして、今回はなんと写真のキャプション(解説文)は英語つきです。それだけ国際派なのです。
 解説によると、カメラ月刊誌が3つとも休刊(廃刊)になったとのこと。これってコロナ禍の影響だけではないのでしょうね…。
タイトルの「こっぽら~と」は、大牟田弁で「一人で、のんびりと…」という意味のコトバ。たとえば、商店街のベンチにこっぽらーと座って、一日中、通行人を眺めて過ごす。そんな感じのコトバです。
 大牟田の写真家ですから、当然、三池炭鉱の遺産を紹介した写真も少なくありません。雪化粧した宮原鉱の建物があります。炭鉱社宅もいくつか残すべきでしたよね…。
 大牟田に限らず、柳川など各地のお祭りにも著者は積極的に出かけています。大牟田では、夏まつりのときの、火を吹く「大蛇山祭り」が勇壮です。子どもを「大蛇」の口に差し出して「かませ」ると、泣かない子はいません。
 鳥取砂丘に出かけて、若者がジャンプしている様子を撮った写真には生命の躍動感があります。お祭りの場面が多いですね。朝早くから、また泊まりがけで大きなカメラをかかえて出かけたのでしょうね。それでも、フィルム・カメラのときのように、ネガの管理が不要になって、助かったことでしょう。バッテリー切れを心配するだけだし、出来あがったものは、すぐに見れるし、便利な世の中になりました。
 でも、写真こそ、「一期一会」(いちごいちえ)です。この縁の結びつきは、下手すると「一生もの」なんですよね…。
 大判270頁の写真集です。チョッピリ高価な写真集ですから、学生の皆さんは親におねだりして買ってもらうのも一つの手だと思いますし、年輩の人にとっては図書館に購入するよう要請したらいいと思います。高価だからといって、簡単にあきらめたらいけません。ともかくぜひ、あなたも手にとってご一読、ご一見ください。
(2022年12月刊。4400円)
 お盆休みは、連日のように夕方5時ごろから庭の草取りをしました。庭には昔からヘビが棲みついていますので、突然の出会いを避けるためでもあります。すっかり見通しが良くなりました。いったいヘビ君は何を食べて生きているのかな、まさかモグラじゃあるまいよね…、なんて心配していました。
 翌日、家人が黒いヒモを庭で見つけて、「アレッ、何かしら…」と思っていたら、なんと動き出しました。ヘビだったのです。すっかり見通しがよくなってしまって、ヘビ君は困惑していたのかもしれません。
 広くもない庭でヘビと共存するというのは容易なことでないことを実感させられました。

野の果て

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 志村 ふくみ 、 出版 岩波書店
 染織家として著名な著者は随筆家でもあったのですね。知りませんでした。白寿(99歳)を記念して、自選の随筆53本が集められていますが、どれも読みごたえがあります。
 老とは、時間に目覚めることではないだろうか。ある日、ほとほとと扉を叩いて白い訪問者が訪れる。そのとき、私たちは扉を開き、快くその訪問者を招じ入れなければならない。誰も、その訪問者を拒むことはできない。老とは、そんなものである。
 藍(あい)こそ植物染料の中でもっとも複雑微妙な、神秘の世界と言ってもいいもの。この染料は、他の植物染料と根本的に異なる。藍は藍師が蒅(すくも)という状態にしたものを私たちが求めて醗酵建てという古来の方法で建てる。昔から、藍は、建てること、甕(かめ)を守ること、染めることの三つを全うして初めて芸と言えるといわれているもの。
 藍の生命は涼しさにある。健康に老いて、なお矍鑠(かくしゃく)とした品格を失わない老境の色が「かめのぞき」だ。蘇芳(すおう)の赤、紅花の紅、茜(あかね)の朱、この三つの色は、それぞれ女というものを微妙に表現している。蘇芳は、女の人の色。
 紅花の紅は、少女のもの。茜は、しっかり大地に根をはった女の色。紫は、すべての色の上位にたつ色。紫は、自分から寄り添ってくる色ではなく、常に人が追い求めてゆく色。
 四十八茶百鼠と言われるほど、日本人は百に近い鼠を見分ける大変な眼力をもっている。
工芸の仕事は、ひたすら「運・根・鈍」につきる。「運」は、自分にはこれしか道がない、自分はこれしか出来ないと思い込むようなもの、「根」は、粘り強く、一つのことを繰り返しやること。「鈍」は、物を通しての表現しかないということ、そこに安らぎもある。
植物であれば緑は一番染まりやすそうなものだが、不思議なことに単独の緑の染料はない。黄色と藍を掛けあわせなければ出来ない。闇にもっとも近い青と、光にもっとも近い黄色が混合したとき、緑という第三の色が生まれる。
工芸は、やはり材質が決定的要素、心に適(かな)う材質を選ぶのが第一。植物染料は化学繊維には染まらない。
 植物から抽出した液に真っ白な糸を浮かせ、次第に染め上がってくる、まさに色が生まれる瞬間に立ち会うことのうれしさは、何にたとえられよう。思わず染場は別天地になって、まるで自分たちが染め上がっていくような喜びが全身に伝わる。
 「源氏物語」は、色彩を骨子とする文学である。
 蘇芳そのものの原液は、赤味のある黄色である。この液の中に明礬(みょうばん)などで媒染(ばいせん)した糸をつけると、鮮烈な赤が染まる。植物染料のなかで、もっとも難しい染めは、紫と藍だ。紫は椿圧の媒染にかぎる。
 機に向かうときの喜びと緊張と期待。
 「ちょう、はたり、はたり、ちょうちょう」
 「とん、からり」
 「とん、からり」
 著者は、染めにおいて、決して色と色を混ぜない。色の重ね合わせによって、美しい織色の世界を表現する。著者の織物のカラー写真は、それこそ輝ける光沢と深みというか静けさを感じさせます。ぞくぞくする美しさです。
(2023年5月刊。3300円)

秋山善吉工務店

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 中山 七里 、 出版 光文社文庫
 作者には大変申し訳のないことですが、本棚の奥に眠っていたのを引っぱり出してきて、スキ間の時間つぶしにはなるだろうと思って読みはじめたのでした。すると、意外や意外、面白い展開で、母と子ども2人の3人家族の行く末が気になって目を離せません。それに、昔気質の頑固親父といった祖父が登場して、話はどんどん展開し、いやいったい、これはどうなるのか、頁をめくるのがもどかしくなっていきました。
 父親は2階の居室にいて火災で焼け死んだため、妻子は父の実家にしばらく居候生活を始める。すると、小学生の二男は学校で火災を口実としてイジメにあい、長男のほうは悪に誘われ金もうけに走っていく。母親は職探しに奔走し、ようやく定職に就いたと思ったら、そこでも大変な目にあって…。そこに火災の原因究明に必死の警察官(刑事)まで登場してきます。父親の死が不審死だと思われているのです。
 「この爺っちゃん、只者(ただもの)じゃない!」
 これが文庫本のオビのキャッチコピーです。まさしく、そのとおりの役割。
 「家族愛と人情味あふれるミステリー」というのは間違いありません。著者がこの本を書く前に担当編集者の3人から受けたリクエストは…。
 ・アットホームな家族もので
 ・スリリングで
 ・キャラでスピンオフが作れるような
 ・社会問題を提起し
 ・もちろんミステリーで
 ・読後感が爽やかで
 ・どんでん返しは必須
 この本は、これらのリクエスト全部に見事にこたえています。さすがはプロの小説家です。モノカキを自称する私ですが、とてもとても、こんなリクエストにはこたえられません。やっぱり弁護士しか、やれそうもありません。
トホホ、「でもしか」弁護士なんですかね…。
(2019年8月刊。700円+税)

渋谷の街を自転車に乗って

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 苫 孝二 、 出版 光陽出版社
 北海道に生まれ育ち、東京に出てきて、渋谷で区議会議員(共産党)として35年間つとめた体験が素晴らしい短編小説としてまとめられています。
台風襲来で事務所が半休になったので、仕事を早々に切り上げて読みはじめ、途中から焼酎のお湯割り片手にして、一気に読み終えました。心地よい読後感です。でも、書かれている情景・状況は、どれもこれもなかなか大変かつ深刻なものがほとんどです。
 孤独死。死後、3日たって発見した遺体はゴミの山に埋まるように倒れていた。遺体の周辺には、紙パックの水と無数の使い捨てカイロがあった。部屋には暖房器具がなく、これで暖をとっていたのだろう。電気代を惜しんだのだ。室内は、どこもかしこもゴミの山。敷き詰められ、地層のようになっているゴミの山を軍手をはめて取り崩していく。デパートの紙袋は要注意だ。領収書と一緒に1万円札や千円札、そして百円玉や五十円玉などの小銭が出てくる。高齢者祝金の袋が1万円札の入ったまま見つかる。ずいぶん前から、一人暮らしになり、掃除、洗濯、炊事という人間楽し生活する気力を喪ってゴミとともに生きてきたのだ。
 人間嫌いで、近所づきあいなんてしたくないと高言し、ひっそりと生きてきた女性だった。
 アルコール依存症の人は多い。30代で依存症になり、朝から酒を飲み、一日を無為に過ごす、そして、そのことで自分を追いつめ、ますます酒に溺(おぼ)れてしまう40代後半の男がいる。若いころは大工として働いてきたが、失職したのを機に酒浸りになって、そこから脱け出そうとするが、酒を断つと食欲がなくなり、拒食症になって瘦(や)せ細り、それでまた酒に出してしまい、そんな自分が情けないと嘆いている60代の男性がいる。
アルコール依存症の人がアパートの家賃を滞納。当然、大家から追い出されそうになる。そんな人に生活保護の受給をすすめる。知り合いの不動産業者にアパートを紹介してもらう。そして、仕事も世話をする。区議会議員って、本当に大変な仕事だ。だけど、依存症は簡単には治らない。仕事をサボって、迷惑をかけてしまう。
職を転々としたあげく、なんとかスナックを開店し、意気揚々としている男性が突然、自死(自殺)したという。なんで…。
弟が、小さな声で「真相」を教えてくれる。
「兄貴は、二面性のある男なんだ。真面目で一本気なところがあって、ズルイことをする奴は許さないという面がある一方、お金のためなら密漁したり、農作物を盗むのも平気な男なんだ。だから、アワビの密漁をやっていた主犯だとバレそうになったからかも…」
ところが、弟は、次のように言い足した。
「兄貴が遺書も残さず自殺するなんて、考えられない。何か遊び半分で、いま死んだら少し楽になるんじゃないかと、首に太い縄をかけてみた、鴨居の前に立って首を吊るしてみた、そしたら急に首が締まってきて、息ができなくなってしまった。こんなはずじゃない、これは間違いだ、そう思ってもがいているうちに絶命してしまった…」
いやあ、「自殺した人」の心理って、そうかもしれないと私も思いました。お芝居の主人公になった気分で、もう一回、生き返ることができるつもり、自分が死んだら周囲の人間はどんな反応をするのか、「上」から高みの見物で眺めてみようと思って、本気で死ぬ気はないのに首に縄をかけてみた、そんな人が、実は少なくないのではないでしょうか…。自死する人の心理は、本当にさまざまだと思いました。
この14の短編小説には、著者が区議として関わった人々それぞれの人生がぎゅぎゅっと濃縮されている、そう受けとめました。まさしく、人間の尊さと愛しさ、かけがえのない人生が描かれています。東京のど真ん中の渋谷区で、こうして生きている区議会議員であり、作家がいることを知り、うれしくなりました。私も、18歳から20歳のころ、渋谷駅周辺の街をうろついていましたので、その意味でも懐かしい本でした。
著者は、私より少し年齢(とし)下の団塊世代です。ひき続きの健筆を期待します。
(2022年7月刊。1500円+税)

編集者の読書論

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 駒井 稔 、 出版 光文社新書
 私もそれなりに幅広く本を読んでいるつもりなのですが、こんな本を読むと、さすがに世の中には上には上がいるもので、とてもかなわないと思ってしまいます。
私も近く出版社からノンフィクションみたいな本を刊行しようとしているのですが、担当してもらっている編集者とのやり取りは、とても知的刺激を受けます。本はタイトルが決め手になりますので、そのタイトルの決め方、そして、オビにつけるキャッチコピーとして、何を、どこまで書くかについて、その着想のすごさには頭が下がります。そこが純然たる自費出版との決定的な違いです。
 編集者からすると、出版を成功させる条件は二つだけ。一つは、とても面白いこと、もう一つはとても安いこと。私の近刊は、自分では「とても面白い」と思っているのですが、客観的には、どうでしょうか…。そして、安い点について言えば、定価1500円なので学生でも買おうと思えば買える値段に設定しました。果たして、売れますやら…。
 編集者には、作家の書いた文章に手を入れる人と、そうでない人とがいるようです。私は弁護士会の発行する冊子の編集を何度も担当していますが、遠慮なく手を入れるようにしています。だって、漢字ばっかり、見出しもなく、文章のメリハリがない文章をみたら、赤ペンで修正(書き込み)したくなります。抑えることができません。
本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えること。たえず本を読んでいると、他人の考えが、どんどん流れ込んでくる。なので、本はたくさん読めばいいということではありません。
まあ、そうはいっても、たくさん本を読むと、それはそれで、結構いいこともあるんですよ。心の琴線にビンビン響いてくる本に出会ったときのうれしさはたとえようもありません。
神保町は世界でも有数の古書街。私も、弁護士会館での会議の後に古書街をぶらつくことがあります。上京の楽しみの一つです。
世界の読むべき本の紹介のところでは、ロシアのトルストイは読んだことがある、フランスのプルーストには歯が立たなかった(『失われた時を求めて』)。
ドイツでは、やはりナチスとの戦いの本ですよね。ドイツ人が知らず識らずにヒトラー・ナチスが降参するまで戦っていたことを全否定するわけでもないということには、いささかショックを受けました。
そして、図書館の大切な役割が語られています。最近は、コーヒーチェーン店のカウンターで原稿を書くことの方が多く、図書館には滅多に入りません。残念でなりません。
自伝文学もあります。私も父母の生い立ちから死に至るまでを新書版で、まとめてみました。そのとき、意外な発見がいくつもありました。
それにしても、著者のおススメの本で私が読んでいないのが、こんなにも多いのかと、ちょっと恥ずかしいくらいでした。でも、まだまだ死ねないということですよね。楽しみながらこれからもたくさんの本を読んでいくつもりです。ちなみに、1年の半分が終わろうとしている今、240冊の単行本を読みました。これは例年並みです。
(2023年3月刊。940円+税)

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