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2023年7月 の投稿

カラスは飼えるか

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 松原 始 、 出版 新潮文庫
 この問いかけに対する答えは、基本的に「ノン」です。
 カラスを捕獲して飼育することは、できなくはない。そして、実際に、野生だったカラスを飼っている人がときにいる。
 しかし、カラスを飼ったら、とんでもないことになる。サイズというと、小型犬か猫くらい。体重800グラムになる鳥なので、羽ばたきは強烈。好き勝手なところに飛び乗ってくるし、目の前をバタバタ飛んだかと思うと、突然バサバサと飛び降りてくる。
 そしてカラスは、いたずら好き、気になるものはつついて、つついてぶっ壊す。もって行って隠す。カラスは絶望的なまでにしつこい。
 カラスは死ぬほどヘタレで、知らない人間には、ひどく人見知りする。
 うっかりカラスを飼ってはいけない。カラスを追い払うのに、CDやらカラスの模型やらをぶら下げても、あまり役に立たない。一番効果的なのは、その場に人間がいて、カラスに目を向けていること。カラスは自分を見ているもの、自分の動きに反応するものに敏感だ。
 世界中にカラスがいると思っていましたら、南アメリカにはカラスもニワトリもいないとのこと。ええっ、「トリの唐揚げ」は南米では食べられないのでしょうか…。
 カラスの肉は高タンパク質で低カロリー、そしてタウリンや鉄分を大量に含む。でも、決して美味しくはない。ただし、食べられないというわけではもない。
 カラスは子どもを守るためのときだけ、人間に立ち向かう。でも真正面から攻撃する度胸はない。必ずうしろから飛来するし、せいぜいうしろから人間の頭をけ飛ばすくらいのこと…。
 カラスは鏡を見たら、怒ってくちばしで鏡を叩いて、ケンカを売って攻撃する。カラスは、羽毛にたっぷりメラニンを持っているので、真っ黒(ないし褐色)に見える。
 実践的にカラスを知る面白い文庫本です。
(2023年4月刊。590円+税)

ドーキンスが語る飛翔全史

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 リチャード・ドーキンス 、 出版 早川書房
 日帰り宇宙旅行なるものが現実となりました。6月29日、アメリカの会社が商業宇宙旅行として、イタリア人の3人の客、自社のインストラクターの4人、そしてパイロットが2人。高度100キロメートルの宇宙空間に突入し、4分間の無重力を体験した。乗客の事前訓練は3日間だけ。「月曜のランチから客に来てもらったら、木曜には宇宙に行ける」という呼び込みだ。  これから月1回のペースで運搬するという。料金は1人6500万円。10年後には、数百万円に値下がりするだろうという。
 うひゃあ、そ、そんな世の中になったのですね…。ウクライナへ進攻したロシア軍の戦争がおさまる気配もないのに、宇宙旅行が商業化するなんて、信じられません。
コウモリと翼竜そして鳥を比較しています。
 コウモリは指をすべて長くして広げた。翼竜は指を1本だけ、ものすごく長くした。
鳥は前脚の骨は短くて、羽にはそれ自体に堅さがある。鳥の羽は爬虫類のうろこが改造されたもの。羽は飛ぶためのものというより、断熱のために進化したと考えられる。
すべての哺乳類は、子宮内にいるときは指に水かきがある。しかし、水かきは、アポトーシス(プログラムされた細胞死)によって、いずれなくなっていく。ところが、たまに水かきが完全に消えないまま生まれる人がいる。
宇宙飛行士と体重計、宇宙ステーションとその内部のものすべては、自由落下しているから浮遊する。すべてがひっきりなしに落ちている。地球の周囲を落ちている。相変わらず引力は働いているので、地球の中心へと引っ張られている。しかし同時に、猛スピードで地球の周囲を飛んでいる。飛ぶのが速すぎて、落下するあいだも、地球にあたらない。それが軌道上にあるということ。うむむ、なんだか分かったような…。
 生物が空を飛ぶということをあらゆる角度から考証している本です。すごく視野の広がる本でした。
(2023年1月刊。4800円+税)

カメラを止めて書きます

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 ヤン ヨンヒ 、 出版 クオン
 いささか胸の痛みを感じながら読みすすめていきました。
 私が弁護士になった40年以上も前は、朝鮮総連の活動家のみなさんは本当に元気でした。民団の人との接点はあまりありませんでしたが、ともかく総連の人たちは声がでかくて、押しが強いのです。
 この本では、朝鮮総連の幹部だった父親が3人の息子を北朝鮮に「帰国」させたあとの行動が紹介されています。
 「帰国事業」は、1959年12月から朝鮮総連(そして、日朝の赤十字社と日朝両国政府)が総力をあげて推進したもの。9万3千人ほどの在日コリアンが「北朝鮮は差別のない地上の楽園」だと思って移住していった。著者の父親は、この「帰国事業」の旗振り役だった。
 病気で倒れる前、著者はビデオカメラをまわしながら父親に質問した。すると、予期しない答えが返ってきた。
「その時は、在日朝鮮人運動がとても盛り上がっていたときだから、すべてがうまくいくという方向で問題を見たんだから、甘かったんや…。行かさなかったら、もっと良かったかなというようにも考えてるさ」
 著者の3人の兄は、1970年代初め、長男18歳(朝鮮大学校)、二男16歳(高校生)、三男14歳(中学生)のとき、北朝鮮に渡っていった。やがて北朝鮮では大量の餓死者が出る大変な状況に陥った。送られてきた兄たちの写真はガリガリにやせ細った少年の姿だった。そこで、著者の母親は、北朝鮮に住む息子たちへの仕送りを45年間、続けた。仕送りの段ボール箱には、たくさんの食料品、そして衣類を詰め込んで送り続けた。
 孫たちが生まれたら、その学校生活に必要なものをすべて送った。私も、この年齢(とし)になると、母親の執念にみちた仕送りの意味がよくよく分かる気がします。「帰国事業」に賛成し送り出したことをいくら悔やんでも取り返しつかないのです。それだったら、せめて生きている息子たちを助けたい。そんな思いだったのではないでしょうか。
 三男の兄が三度目の結婚をするときの話が胸を打ちます。
「あの家は少額でも日本からコンスタントに生活費と愛情あふれるダンボール箱が届く」という噂が広まっていて、3人の子どもをかかえている兄に嫁ぎたいという女性たちが列を成した。
 著者の両親は済州島出身。夫(父親)が死んだあと、母親は済州四・三事件を目撃した当事者として娘に語りはじめたのです。私もこの「四・三事件」については金石範の『火山島』などを読んでいましたので、母親がその当事者の一人だったということには驚きました。
 著者の3本の映画『ディア・ピョンヤン』(2005年)、『愛しきソナ』(2009年)、『スープとイデオロギー』(2021年)をどれもみていないのが本当に残念です。映画館でみるタイミングがありませんでした。DVDでみてみたいものです。あまり高価だと手が出せませんが…。
(2023年4月刊。2200円)

ある紅衛兵の告白(上)

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 梁 暁声 、 出版 情報センター出版局
 中国に、かつて文化大革命なる大騒動があっていたというのは、今や昔の話となりました。
 著者は1949年にハルビンで生まれていますから、1948年生まれの私と同じ世代で、まさしく紅衛兵世代なのです。著者は中学生のときに、晴れて紅衛兵になれました。
 この文化大革命のとき、中国は生まれた家族関係によって、大変な差別がありました。貧農出身なら紅五類として紅衛兵になれる。しかし、父や祖父が商売していたなら、「小(プチ)ブル」として、資本家階級に落とし込められ、「黒五類」に入れられる危険がある。
ともかく、当時の中国では毛沢東の権威は絶対・至高そのもの。誤った政策をとって権威が失墜していた毛沢東は、虚勢のような「権威」だけを頼りにして、「文化大革命」と称する「乾坤一擲」(けんこんいってき)の大博打(バクチ)に打って出たのです。当然のことながら、中国の社会は大混乱をきたします。
 でも、その混乱を喜んだのが子どもたちでした。「紅衛兵」という腕章を巻いて、毛沢東に会いに北京まで無賃乗車の旅ができたのです。今では信じられませんよね…。
 中国の人々は、中国共産党中央と毛沢東主席は、善人を冤罪にすることは絶対にないし、また悪人を見逃しすることもないと固く信じていた。それこそ、根拠もなく、信じ込んでいたのです。
 当時の中国には、革命に熱狂する群衆があまりにもたくさんいた。それが文化大革命が終息するまで丸まる10年もかかってしまった原因となっている。
劉少奇国家主席は、毛沢東から激しく攻撃されたが、なぜ自分が攻撃されたのか、理解できなかった。
子どもたちは真新しい玩具(オモチャ)を手に入れると、例外なく、面白さのあまり際限なく遊ぶ。
 子どもを主体とする紅衛兵のやんちゃぶりは、毛沢東もあとでブレーキをかけなければいけないほど、でした。
著者の親友は、紅衛兵になりたくて、自分の父親が国民党軍に一時、籍を置いていたことを広く公表し、父親を面罵し、足蹴りまでしたのでした。そのおかげで、紅衛兵にはなれました。でも、まもなく、父親は自殺してしまいました。
 実際に、こういうことは、よく起きていたようです。国民党軍にいた兵士が共産党軍に入るというのは、中国革命を成功に導いた大きな要因なわけですが、文化大革命のときは、それはあたかも逃れられない大罪のように扱われてしまったのでした。
 文化大革命という異常な時代をひしひしと実感させる体験記です。
(1991年1月刊。1500円)

扉をひらく

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 村山 晃 、 出版 かもがわ出版
 京都の村山晃弁護士(以下、旧知の間柄なので「村山さん」と呼びます)が弁護士生活50年をふり返った貴重な記録集です。
 村山さんは法廷で訴訟指揮をする弁護士だ。法廷で裁判官の仕切りが悪いと、あれこれ裁判官に注文をつけて進行を早めたり、相手方弁護士に「もっと早くできるでしょう」などと言ったりする。
村山さんは、証人尋問の異議の出し方も独特。処分取り消しを求める裁判で、本人への反対尋問で相手方弁護士が、「あなたは処分される理由はまったくないと考えているんですか?」と訊いたとき、村山さんは、「異議あり」とも言わずに大きな声でこう言った。
 「私だって、あなただって、裁判官だって、みんな課題を抱えているんですよ。それが当たり前じゃないですか。そんな質問がありますか」と、相手の弁護士をたしなめ、本人のピンチを救った。いやあ、これはすごいです。私は、とても真似できません。
 弁護士は、その言葉どおり、弁論で人々の権利を護(まも)るのを職責とする。だから、誰にでも理解できるコトバ、できるだけ短いコトバ、核心をついたコトバで、裁判官や相手方、当事者やサポーターに語りかけて理解させる必要がある。なので、できるかぎり原稿を読まず、話す相手の顔を見て、その反応を確かめながら、自分のコトバで語りかけるように努めている。語りかけは、相手の心に届かなければ意味はない。
 過労死事件は、高裁で逆転勝訴するという法則がある。こんなフレーズがあるそうです。実際、一審で労働者側が敗訴した事件を関西では高裁で何件も逆転勝訴したようです。もちろん、こんな「法則」があるからといって、村山さんたちが手を抜いたのではありません。一身とは別の攻め口を考え、実行し、詰めていった成果です。
 この本を読んでいて、もっとも驚かされたのは、民事の一審判決の言い渡しのとき、裁判官が主文を後回しにして、理由を述べはじめた事件があったというくだりです。刑事の死刑判決では、死刑にするという主文を読み上げたら、理由は被告人は卒倒するだろうし、マスコミも傍聴人も判決理由なんてまともに聞かないだろうから、判決理由を述べたあと、死刑宣告の主文を読みあげるという確立した慣行があります。ところが、行政処分取消を求める民事裁判で同じことがなされたというのです。そんなこと聞いたこともありませんでした。判決を書いた裁判官からすると、それだけ、みんなに理由こそ聞いてほしかったのでしょう。それほど心血そそいだ苦心の判決だったわけです。やはり裁判官の感性を揺さぶることが、いかに大切かを物語ってあまりあります。
 関西電力を被告とする人権侵害事件は、1971年に裁判が始まり、1995年に最高裁で労働者側の勝訴が確定するという、24年間もの長期裁判でした。ところが、この本で元原告団長は、「無我夢中で取り組み、あっという間の24年でした」と語っています。どんなに大変で苦労した事件であっても、終わってしまえば、振り返ったら、「あっという間」の出来事になってしまうものなんですよね…。
 この裁判では会社(関西重力)が共産党員だとみなした社員を徹底して監視し、差別していたのですが、あるとき、その詳細を記述した「マル秘」の労務管理資料が差別されている側に渡ったのでした。それでも会社側は、ノラリクラリと差別の合理性を立証しようとしたため、こんな長期間の裁判になってしまったのです。
 同じような思想差別撤回を求める裁判では、原告団は、ジュネーブの国連人権委員会にまで出かけています。その結果、国連は、日本の外務省を通じて、大企業に対して差別の改善を求める指導をしたとのこと。こんな国際的な取り組みも必要なのですね…。
 そして、支援活動のため、東京から新幹線で車両1両を貸し切って駆けつけてくれる仲間たちがいたといいます。すばらしいことですよね、お互い元気が出ますよね。
 関電本社を包囲する抗議集会は、1996年5月に始まったときは1000人ほどだった。それが9月には5000人にまで増え、その後、1997年も1998年も5000人は下まわらなかった。そして、ついに1999年9月には6000人もの大集会になったのでした。要請署名も実に25万筆が集まりました。
 そんな大々的な取り組みが効を奏して、関電に差別を是正させ、12億円もの和解金を支払わせることができました。みんなみんな、本当によくがんばったのですね。村山さんは、その勢いをつくる中心的な役割を担ったのです。すごいことです。
 喜寿(77歳)を迎えた村山さんは、今も現役の弁護士として元気一杯。子ども3人の子育ては配偶者のがんばりのようですが、孫が7人というのですから、幸せなものです。
 そして、47都道府県で行っていないエリアは存在しません(これは私も同じです)。しかも、海外旅行で行った先はなんと41ヶ国にのぼるとのこと。これはうらやましい限りです。私は14ヶ国かな。私は少しだけフランス語ができますから、フランスには何回も行きましたが…。うらやましい限りです。
村山さんの50年間の弁護士生活で、こんなすごいことをやってきたんだと改めて襟を正して村山さんを見直した次第です。
 著者から贈呈していただきました。ありがとうございます。
(2023年6月刊。1650円)
 先日受験したフランス語検定試験(1級)の結果が分かりました。150点満点のところ、56点です。もちろん不合格。4割に届きませんでした。恥ずかしながら、実は自己採点では71点だったのです。今回は少し良かったと慢心していたのですが…。こんなに差が出たのは、仏作文と書き取りの自己評価が大甘すぎたということです。反省するしかありません。トホホ…。それでも、毎朝、NHKフランス語の聞き取り、書き取りは続けています。

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