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2023年7月 の投稿

パロマ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 園尾 隆司 、 出版 金融財政事情研究会
 ガス瞬間湯沸器というと、その不良による一酸化炭素中毒事故によって、まだ30代の東京の弁護士一家全員が死亡したことを思い出しました。
1985(昭和60)年から2001(平成13)年までの17年間に、17件の事故があり、15人が死亡した。パロマの調査によると、事故の多くはガスの不完全燃焼を避けるための不完全燃焼防止装置を取りはずした結果に生じたもので、これは製品の設置、使用要領に反していた。それでは使用した消費者に問題があって、パロマには責任がないかというと…。
経産省は、消費者が容易に改造できないような構造にすべきで、違法改造したときの危険性を消費者に周知すべきだと指摘した。なーるほど、ですね。
 いま、パロマ本社には社員研鑽(けんさん)用展示室があり、そこには「失敗からの学び」と大書されている。そして、事故のあった機器と同機種の瞬間湯沸器が展示されていて、何がどのように「改造」されたのか、その問題が容易に理解できるようになっているとのこと。
「人は誰もが失敗する。失敗から目を背けてはいけない。失敗の原因を正しく認識し、悔い改める人には必ず未来が開ける。私たちは多くの失敗をしてきた。それでも多くの人々に助けられ支えられてきた。過去の失敗を二度と繰り返すことなく、これからも新たな挑戦を続けていく私たちは、それでもまた失敗することもあるだろう。失敗からの学びこそが成功への架け橋なのだ」
 偉いですね。過去の失敗を堂々と社内に展示し、それを繰り返さないことを社員に呼びかけているなんて、すばらしいことだと思います。
「ケガと弁当は自分もち」。労災事故が起きても、それは社員の不注意であって、会社には何の責任もないといって労災申請に協力せず、責任もとろうとしない事件をいま抱えています。社員も消費者も大切にする会社であってほしいとつくづく私は願います。
パロマは、全国8ヶ所に工場をもっていて、自社内で製品の製造を完結している。そして、一つの工場は300人ほどにとどめる。それは、社長(工場長)が自らの指揮で動かせる限度が300人ほどだという考えにもとづいている。これまた、なーるほど、そういう考えもあるのですね。
 パロマ創業家の後継者育成のポリシーは、「教え込むのではなく、体得させること」。当代の社長は4年間、アメリカの子会社で仕事したが、次の社長予定者も同じくアメリカで修業したとのこと。自分で経験して、道を切り拓いていくことが大切だということです。
 日本が敗戦した8.15のとき、軍需産業だったパロマ(当時の名称は小林製作所)の社長は、銀行からできる限りの預金を引き出して現金化するよう社員に指示し、敗戦の混乱の中、1000人もの従業員に相応の退職金を現金で支払って離職させ、残った150人ほどの社員で再出発とのこと。これはすごいことです。先見の明がありますよね。戦争が終わったら軍需産業でやっていけるはずはありませんからね…。
 この本はパロマ創業家のルーツを乏しい資料をもとに丹念に迫って明らかにしています。パロマ創業家(現在の社長は小林弘明氏)は常松家を祖とする。この常松家は二階堂氏から分家して一家を立てた保土原家から、さらに分家して一家をなしたもの。二階堂家は源頼朝に仕える藤原南家を出身とする文官。いやはや、こうなると、平安・鎌倉の日本史の世界です。
 著者は大学時代、私と同じようにセツルメント活動もしていたことがあり、ともに司法試験に合格したあと、私は一貫してマチ弁として弁護士をしていますが、著者のほうは定年まで裁判官をつとめ、今は東京で弁護士をしています。
 ひょんなことからパロマの社長を知り、その危機克服の経営哲学に共鳴し、こんな立派な本(170頁もあるハードカバー)をつくり上げました。たいしたものです。いつも贈呈ありがとうございます。
(2023年5月刊。価格不詳)

縄文人がなかなか稲作を始めない件

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 笛木 あみ 、 出版 かもがわ出版
 縄文時代が始まったのは今から1万6500年から1万5000年前のこと。旧石器時代にはなかった「土器」の出現・普及による。そして、それから1万3000年ほど続いた。
縄文時代の人々は、猟師でいて、かつ漁師、植物採集しながら百姓そして職人だった。
 縄文時代は温暖化によって、現在よりも暖かかったので、山にも海にも食糧が豊富にあった。平均寿命は30歳くらい。でも、60歳をこえた「老人」の人骨もかなり出土している。虫歯も多かった。土器によって煮炊きが可能になった。焼く、煮る、蒸す、干す、茹(ゆ)でる、燻製、漬物、パンにおかゆにクッキーにハンバーグと、なんでもありの食生活。主食は、クルミ、ドングリ、クリ、トチなどの堅果(けんか)類をアク抜きして食べていた。
 日本全国に2700もの貝塚が発見されている。
 アサやカラムシ、アカソなどの植物の繊維を編んでつくった布も出土している。シカの角や魚の骨で縫い針をつくっていた。土偶の髪型は奇抜なもの。特別のイベントのときの髪型。耳にはピアス、イヤリング。首にはネックレスやペンダント。腕にブレスレット。足にアンクレット。さまざまなアクセサリーを身につけていた。
 新潟県産のヒスイ、長野県産の黒曜石が、全国各地の遺跡から出土している。
 縄文習俗で痛そうなのは抜歯。他人(ひと)から見える位置にある、前歯や犬歯を抜いている。
 「火焔型土器」は、まったく無駄な装飾としか言いようがない。ところで土偶は、そのほとんどが意図的に壊され、そして地中に埋められた。
 縄文時代の女性の死因として、出産がとても多かった。出産経験者の85%が若くして亡くなった。
 4300年前、日本列島の気温が下がり、列島の食生が変化した。渡来人が持ってきたイネを耕作するようになり、弥生時代が始まった。それでも、しばらくは西の弥生、東の縄文という構図が200年も続いた。中部・関東でイネの栽培が始まるのは、弥生時代中期のころ。九州にイネが伝わってから800年もたっている。
 1万年以上も続いた縄文時代の具体的イメージがつかめる本です。
(2022年12月刊。1500円+税)

昆虫学者、奇跡の図鑑を作る

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 丸山 宗利 、 出版 幻冬舎新書
 図鑑の何が好きかと問われたら、まだ見ぬ世界そのものがあること。
 図鑑で憧れた昆虫を追い求め、世界中を旅行している著者たちが、あらゆる憧れの生き物を見るには、人生は短すぎる。
 私にとっては、図鑑ではなく写真集です。世界中のさまざまな情景を切り取った写真集や動植物のいろんな生き様を鋭く暴いた写真集などです。私が実際に現地に行って見ることは、それこそ人生は短すぎるので、無理なのですが、写真集は古今東西、ありとあらゆるものを眼前に見せてくれます。
 著者たちが挑戦したのは、すべての昆虫を生きた姿の写真で掲載すること。それは、昆虫の多様性と進化が分かるものでもある。そのためには、白い背景で昆虫を撮影する。目標を立てたら、それに必要な仲間を見つける必要がある。
 さらなる難問は、撮影期間が1年しかないということ。うひゃあ、こ、これは大変ですよね…。たとえば、チョウの白バック写真は非常に難しい。というのは、チョウの多くは翅(はね)を閉じてとまるので、室内の白い背景で翅をうまく開いてくれる保証はない。
 そして、撮影した人が図鑑の解説の執筆者を兼ねる。こんな人をまず10人確保した。でも、とても足りない。そこでSNSなどで求めた。結局、30人以上の人が加わってくれた。
 白バックの背景で写真をとろうとしても、昆虫の多くはじっとしていたくない。また、立体感と存在感を出すため、適切な影をつけることも大事なこと。うひゃうひゃ、これはいかにも大変そう…。
 白バック撮影で生き虫の動きを止めるため、二酸化炭素を容器に流し込んで動きを止める。そして、しばらくして昆虫が目を覚まして動き出した瞬間を撮影する。いやはや、口に言う以上の大変さがあるでしょうね…。
 結局、7000種の昆虫の3万5000枚もの写真がとれた。そのうちの2800種を図鑑に掲載した。
 ストロボを使って昆虫を撮影するとき、白いプラスチックの板や紙をはさむ。それによって光が拡散する。ところが、光が拡散しすぎると、光沢が消えてしまうので、その加減が難しい。
 トンボは死ぬと身体の色が変わってしまう。トンボは、すぐに弱ってしまう。元気なトンボで困ったと思っていると、その直後に死んでしまう昆虫なのだ。
 九州は関東ほど昆虫は多くない。しかも、明らかに昆虫が減少している。日本だけでなく、世界各地で昆虫の減少が報告されている。
 たとえば、シジュウカラ(鳥)は、1羽あたり、1年に12万匹の昆虫を食べる。
 昆虫図鑑づくりの大変さが、たくさんの写真とともに、よくよく実感できる本でした。
(2022年9月刊。1200円+税)

ニホンザルの生態

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 河合 雅雄 、 出版 講談社学術文庫
 1964年に刊行された本ですから、まさしく古典的名著です。
 ニホンザルの観察記録なので、60年たったからといって内容が陣腐化して役に立たないなんていうことはまったくありません。ニホンザルの社会が縦横無尽に語られていて、飽きるところがありません。
 ニホンザルには本当の意味の家族はない。オスとメスとは性関係はもつが、オスは子の育児には関係しない。母と子のまとまりはあり、母系集団はできる。しかし、母系家族と呼ぶことはできない。
 サルのオトナは決して遊ばない。遊ぶのはコドモやチュウドモ期までで、彼らの社会関係を保つうえに重要な役割を果たしている。動物の中でオトナが遊ぶのは人間だけ。ええっ、でもカラスは大人になっても遊んでいますよね…。
ニホンザルのメスを観察していると、騒がしさと大げささを感じる。とくに採食中は誰かが必ずいさかいを起こしている。メスは常にごまかそうとしている。順位のルールがしっかりしていないから、ちょっとしたことがすぐトラブルの原因となり、しかもそれが誇張され拡大される。
 ただし、メスはしょっちゅういさかいを起こしているけれど、それは互いを傷つけたり拮抗しあうという性質のものではなく、それによってかえって感情的結合を強める要素もある。メスの中に群れ落ちしてヒトリザルになるようなサルはいない。メスは依存ないし共存なしに存在することはない。抜きさしならない集合性こそ、群れを成立させる母体である。メスを特徴づけるのは依存性、保守性、連帯性、親和性。
メスはアカンボを産むと、母親どうしが寄り集まる。このときには、中心メス、ナミメスの区別や、それまで仲が悪かった仲間という関係は消失する。
 一般にオスは5歳半になると、母親より順位が高くなる。母親より優位に立つことによって、ワカモノは初めて一人前のオスとして独立したことになる。ヒトリザルになるのはそのあとのこと。
 リーダーがメスを支配し統率しているように見えていても、メスはひそかに周辺へ飛び出し、ヒトリザルとこっそり欲求を満たしてきて、やがて知らん顔をして群れに戻ってくる。
ニホンザルのリーダーになるのにはメスの承諾が必要。それがなければ決してリーダーにはなれない。メスに信望があることが絶対に必要。力ずくだけではリーダーにはなれない。
リーダーの安定した地位を築くには、最低で3年、十分には5年間の在任キャリアを要する。群れが危機にあるときには、メスでも立派にリーダーの役割を果たすことができる。
 ニホンザルを個体識別して、1頭1頭に名前をつけて長期間じっくり観察した結果ですので、面白いことこのうえありません。今では、そのうえにDNA分析などもやっているのでしょうね。
 ニホンザル観察記として抜群の面白さを堪能しました。
(2022年1月刊。1410円+税)

夜空の星はなぜ見える

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 田中 一 、 出版 北海道大学図書刊行会
 夜空は暗い。満月の夜が明るいといっても本を読むのは辛いし、星だって見える。
 でも、よーく考え直してみたら、夜の空が暗いって、実はあたり前なんかじゃない。だって、星って、無数にあるはず。だったら、満天は無数の星で埋め尽くされて、暗いはずがない。
 でも、反対に、星って地球からは遠い遠いところにあるものそうすると、そんな遠いところの星が発した光が地球まで届くのに何万年もかかったとき、その光が人間の目に一点の光として感じるって、そんなことが本当にできるの…。
 というわけで、夜空の星を私たちが見ることのできるのは、実は奇跡的な出来事のはず。でも、夜になると、星はフツーに空にあって、またたいて見える。いったい、どういうことなの…。
 この本を初めて私が読んだのは、今からなんと49年も前の4月のこと。つまり私が弁護士としてスタートを切った4月、まだ弁護士バッジも受けとっていないときのことでした。
 この本から受けた衝撃は大きく、そのため本棚の片隅に置かれながらも、決して捨てることはありませんでした。いま「終活」と称して、本棚の整理をすすめているのですが、手に取ったとき、もう一度よく読んでみようと思って、人間ドッグの泊まりで読む本の一冊として選んだのです(いつも一泊ドッグで6冊よみます)。
太陽からの光は、大気で反射し、また大気に吸収されて、地上に達するのは、その半分、つまり1平方センチメートルあたり1分間に1カロリー。太陽から放射された光は、500秒で地球に到着する。
 網膜上に集められた光は、網膜を構成する細胞によって吸収される。夜空の星のなかで一番明るく輝いているのは、真冬の南天にある大犬座のシリウス。このシリウスが見えるためには、「理論」上、0.96光年以内に存在しなければならない。しかし、シリウスは実は8.64光年の距離にある。この最も明るいシリウスを見ることができないのだから、夜空のすべての恒星を人類が眼で見ることはできない。
 こんな「理論」的結論は、もちろん明らかに間違っている。そりゃあ、そうですよね。星は夜空でバッチリ輝いていますからね。
 星野村にある天文台の大型の天体望遠鏡をのぞくと、昼でも星が見えます。これには驚きました。最近久しく行っていませんが、ホテルが併設されていますので、泊まりがけで行って、夜空をのぞいてみたいです。
 人間の網膜は、「理論」よりはるかに遠い光の到着を敏感に感じている。1千光年先の星を人間は見ることができる。なぜか…。
 著者は、そこで、次に光とは何かに挑みます。ここになると、かなり難しくなってきます。要するに、光とは粒子であって波でもあるということ。両立しそうにないのに、両立しているという量子力学の世界です。
 網膜に届く光量子が5個から8個になると、光の到着を網膜は感じる。光の粒子性を仮定すると、夜空に輝く星は、千光年に及ぶ遠方のものまでこの眼でたしかに見ることができる。
 そして、光という単一の物質が、波動であって、かつ粒子だというのはとうてい受け入れがたいところだが、光が粒子性と波動性を同時にもちうるなら、夜空の星を人間の眼が感得できることになる。
 光量子数が多いときには、きわめて良い精度で、全エネルギーが定まっていながら、それと同じように、光の位相がほぼ一定の値をとることが許される。通常の光が波動性を顕著に示すゆえんである。
ここはちょっと理解が難しいですね…。それはともかく、次は、なぜ夜の空は全天満天の星で覆われていないのか、なぜ暗いのか…、です。
 結局、これは宇宙が膨張しているからだと私は思います。すべてが光速で膨張していったとしたら、満天が星で覆い尽くされるはずがありません。
 というわけで、私の宇宙に関する謎は深まるばかりなのでした。いかがでしたか…。
(1973年9月刊。840円)

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