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2023年4月 の投稿

アウシュヴィッツを破壊せよ(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ジャック・フェアウェザー、 出版 河出書房新社
 アウシュヴィッツ絶滅収容所に志願して潜入したポーランドの工作員がいることは前に本を読んで知ってはいました。 『アウシュヴィッツを志願した男』(小林公二、講談社)、『アウシュヴィッツ潜入記』(ヴィトルト・ピレツキ、みすず書房)を読みました。
この本は上下2分冊で、本人の手帳などをもとにして、とても詳細です。ともかくその置かれた困難な状況には圧倒されます。よくぞ、生きて収容所から脱出できたものです。もちろん、これはヴィトルト・ピレツキがユダヤ人ではなく、ポーランド人の将校だったからできたことではあります。ともかく大変な勇気の持ち主でした。
 この上巻では、ヴィトルト・ピレツキがアウシュヴィッツ収容所に潜入する経緯、そして収容所内の危険にみちみちた状況があますところなく紹介されます。
残念なことは、この深刻な状況をせっかくロンドンにまで伝達できたのに、受けとったロンドンの方があまりの深刻かつ非人道的状況を信じかね、また、イギリス空軍がドイツ・ポーランドへの爆撃体制をとれず、報復爆撃が一度も試みられなかったことです。
ヴィトルト・ピレツキは、1940年9月19日の早朝、ワルシャワにいてナチス・ドイツに逮捕され、収容所に連行された。それは自ら志願した行為だった。
 この本は、ヴィトルトの2人の子どもにも取材したうえで記述されています。収容所のなかでは、教育を受けた人々は真っ先に文字どおり打倒された。医師、弁護士、教授。
カポは収容者の中から収容所当局が任命した「世話係」。かつての共産党員が転向し、ナチス以上に残虐な行行為を平然と行った。
 カポは、収容所当局に対して、常に自分の非情さを証明しなければいけなかった。
 収容所内で生きのびるためには、息をひそめて大人しくしていること。目立たないことは何より重要な鉄則。自分をさらけ出さず、最初の一人にも最後の一人にもならず、行動は速すぎても遅すぎてもいけない。カポとの接触は避ける。避けられないときは、従順に、協力的に、人当たりよく接する。殴られるときは一発で必ず倒れる。
 収容所内では1日1000キロカロリーに満たず、急激な飢餓状態に陥った。
 この本のなかに、カポが収容者とボクシングをしたエピソードが紹介されています。少し前に映画をみましたが、その話だったのでしょうか…。
 ミュンヘン出身の元ミドル級チャンピオンで体重90キロ、筋骨隆々のダニング相手では、かなうはずもありません。ワルシャワでバンダム級のトレーニングを受けていたテディがダニングに挑戦した。ところが、試合では、ダニングの拳をするりとかわし、むしろダニングを打ち、ついにはダニングの鼻を血まみれにしたのです。ボクシングって、巨体なら勝つというのではないのですね…。ダニングは潔く、テディの勝ちを認めて、賞品のパンと肉を渡したのでした。テディはそれを仲間と分け合ったのです。
こんなこともあったんですね…。すごいノンフィクションです。一読をおすすめします。
(2023年1月刊。3190円+税)

ウマと話すための7つのひみつ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 河田 桟 、 出版 学習の友社
 与那国島で馬と暮らしている著者が、馬と話す秘訣を私たちに教えてくれている心楽しい絵本です。
馬は大きくて賢い生きもの。馬同士だけに通じるコトバを話している。馬語だ。
 たいての人は馬語が分からない。たまに、馬語が半分ほど分かる子どもがいる。
 それは、馬を見ると、なんだかうれしくなって、ついにこにこと笑ってしまう子ども。馬は体の動きで、今の気持ちを伝えている。
 怒っているときは、耳をひきしぼるように後ろに倒す。気持ちのいいときは、鼻の先をもぞもぞと動かして、伸ばしていく。驚いたときは、目を見開いて白目を少し見せる。子馬が大人の馬に挨拶するときは口をパクパク動かす。気に入らないことがあるときは、相手にお尻を向ける。それでも相手がさめなかったら両方の後ろ脚で思い切り蹴り上げる。
 気持ちが高ぶって、すごくうれしいときは、しっぽを高く上げる。甘えたいときは、「ブフフフフ」と低いこもった声を出す。馬が見えないのは後ろだけ。そこに誰かがいると、いやな気がするので、思わず蹴ってしまうことがある。
馬は知らない人からすぐ近くでじろじろ顔を見られるのは苦手。お互いが安心するまで、ゆっくり時間をかけて、目を合わさずに、草を食べたりしながら、ちょっとずつ近づいていく。
馬と仲良しになりたいなら、少し遠くで、じっと動かず、目を合わすこともなく、楽しい気持ちで、のんびりと待っていること。馬がすっかり安心して、この人は大丈夫だと思ったら、馬の方からそっと、臭いを嗅ぎにくる。そして、そのとき、じっとしてにこにこしていると、馬は友だちになれる。
なるほど、ゆったりとした気持ちが必要なんですね。
私も馬と友だちになってみたいです。
(2022年10月刊。1300円+税)

極光のかげに

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 高杉 一郎 、 出版 岩波文庫
 日本攻戦後、50万人以上の元日本兵がソ連軍によってシベリアに連行され、強制労働させられました。その4年間のシベリア生活が淡々と記述されています。
 森の中から幼稚園の子どもたちが出てくると、「こんにちは」と挨拶する。「こんにちは、子どもたち」と返すと、次の子たちは「こんにちは、日本人」と言い、次々に握手していく。そして、山ぐみの小枝を差し出し、「おじさん、これあげる」「おいしいよ」と言う。保母さんはもらっていいと言うので、受けとった。やがて、遠ざかっていく子どもたちの合唱の声が聞こえてきた。ソヴィエトの民衆の民族は偏見のなさは、どんな頑(かたくな)なロシア嫌いをも感動させる。
 いい情景ですね。心が温まります。
ノドが乾くと、ロシア人はそこらあたりの雪をほおばったり、雪どけ水を飲む。それを真似すると、必ず下痢してしまう。ロシア人の野性的な生活力には、驚嘆するしかない。
 目の前に次々に立ち現れる人間がみなソ連の否定的な面を語る。
 ピオネールの幸い大きなネクタイをした子どもたちの前で、「同志スターリン、万歳!」と叫ぶと、ひとりの少年が「スターリンは良くないよ」と文句を言った。「なぜ」と尋ねると、「パンが少しだからさ」という答えが返ってきた。
 ユーモラスで、明るい、すぐに誰とでも友だちになる態度は、ロシアの民衆に独特なものだ。一般に古い世代のロシア人は底抜けに善良だ。
収容所のロシア人所長が言った。
 「きみたちがここでやっている民主運動は、全部、無意味だよ、無意味。そして、日本の港に上陸して1週間たったら、そのときこそ、民主運動の意義を本当に理解するだろう」
 収容所当局に迎合して進められている民主運動は一過性のもの、その本当の試練は日本に上陸したときにやって来るだろうというのです。まことにその通りでした。
 著者たちを護送するソ連の警戒兵は、小銃を地面に置き、その上にうつ伏せになって、銃を抱いて寝た。関東軍の形式主義ではなく、ソ連軍の実戦本位がこれひとつでも分かる。
ドイツ軍の捕虜になった経験もあるロシアの囚人は、自分の経験から一番人間らしい民族はイタリア人だと言う。毎朝、自分の方から先に挨拶するし、煙草はいかにもうまそうに吸うし、牛乳があれば大騒ぎだし、いつでも陽気で、女性たちに出会うと、決まってからかう。
 ドイツ人は、むやみに威張るし、世界で一番愚劣な民族だ。アメリカ人は決して労働しない。
オレたちは、まず、何より人間であればいい。ロシアの囚人と日本の捕虜が向きあってるんじゃなくて、ひとりの人間ともう一人の人間が向かい合ってるんだ。
世界で何人かの男が、とんでもない大間違いをしでかした。その間違いのおかげで、オレはヨーロッパに行って働き、キミはシベリアで働くというような馬鹿げたことになった。何人かのアホのほかは世界中、誰ひとりとして、こんな馬鹿げた結果を望みはしなかったのに…。
これは、ロシアで平凡に働く人々の口からよく聞かされた。いわばスラブ民族独特の人生哲学だ。書物からではなく、人生の中からしみ出してきた思想・哲学である。
4年間もの辛いシベリア抑留生活を、このように静かに深く掘り下げた本があったとは驚きです。
1991年5月に第1刷が刊行され、私は2022年3月の第13刷を読みました。
(2022年3月刊。970円+税)

中国残留邦人

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 井出 孫六 、 出版 岩波新書
 「中国残留婦人・残留孤児」は、国策で日本から送り出され、日本改戦によって中国に置き去りにされた人々です。ですから、カネやタイコで中国(当時の満州)に送り出しておきながら、そんなのは自己責任だ、騙されて乗せられたほうが悪いというのでは正義はありません。
 しかも、日本に帰国してくるとき、第一番に中国から日本へ送り返されたのは、なんと元日本兵でした。帰還作業に関わった人たちがアメリカ軍に対して、人道的見地から女性・子ども・老人を優先させるよう求めたとき、アメリカ当局は一笑に付して取り合いませんでした。なぜでしょうか…。
 100万人もの元日本兵を中国に残して置いたら危険だとアメリカ当局は考えていたからです。実際、国共内戦に元日本兵が集団で国民党軍の一翼を担って共度党軍と戦ったという事実もあります。
 東京の大本営は、日本敗戦後も、日本人はなるべく現地に定着し、いずれ帝国復活の糸口をつかめと指示していたのです。
 元日本兵の集団が国共内戦のキャスティングギートを握る事態が起きることをアメリカ当局は予測し、恐れていたのでした。そんなこと、私はまったく夢にも思っていませんでした。
 結局、元日本兵のいない、女性・子どもと年寄りばかりが中国(満州)に残り残されたら、悲惨な目にあうことになるのは必至です。そして、現実に、そうなりました。
 ところが、一部の開拓団は、地元民との融和を大切にしていたことから、戦後も周囲から襲撃・略奪されることなく日本に帰還できました。
 しかし現地民に対して、神より選ばれた選民として君臨し、威張るばかりの開拓団は改戦後たちまち襲撃され、それこそ身ぐるみはぎとられてしまったのです。それこそ、男も女もパンツとズロースひとつで、麻袋に穴を開けて貫頭衣のように着て過ごしたのでした。
関東軍は「治本工作」を満州ですすめた。現地農民を土塁の中に囲い込んでしまうもの。
 満州に成立した開拓団の中で、もっとも悲惨な結末をとげたのは、高社郷、更科(さらしな)郷、埴科(はにしな)郷の三開拓団。高社郷は、716人の団員のうち、日本に引き揚げたのはわずか56人。更科郷495人のうち日本に帰国したのは19人のみ。埴科郷は308人のうち日本へは17人だけ帰国できた。
 日本政府から見捨てられた「残留」の人々から国家賠償を求める裁判が全国で提起されたのも当然のことです。しかし、裁判所は救済を拒否し続けました。それでも、ついに、国に法的義務に違反しているとして、損害賠償を命じたのでした。
これは政府の言いなりに行動していると大変な目に合うということです。
 いま、日本を守る、沖縄の島々を守ると称して、島に自衛隊が進出し、ミサイル基地と弾薬庫をつくり、司令部は地下化しつつあります。有事になったら、真っ先に狙われることでしょう。
 島民は避難しようと思っても、船も飛行機もありません。ウクライナと違って、地続きで外国へ逃げ出すなんてことも、ありえません。島民は戦前の満州と同じように、置き去りにされることは必至です。何が「国民を守る」ですか、そんなこと出来っこないし、政府や自衛隊が真剣に考えているハズもありません。
 古いようで新しい、現代に生きる私たちに中国残留邦人話がよみがえってきているのです。怖いです…。
(2008年3月刊。740円+税)

ハルビンからの手紙

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 早乙女 勝元 、 出版 草の根出版会
 「マンシュウ国って、どこにあったんですか?」
これは、著者が30年も前に高校生から出た疑問だそうですが、今もきっと同じでしょうね。日本が、かつて13年間も、中国の東北部を占領して、勝手に「政府」を作って植民地支配していたという事実は、今やすっかり忘れ去られているような歴史です。
 その忘却を前提として、アベやサクライなどは「自虐史観はやめよう」、「いつまでも謝罪する必要なんてない」とウソぶいているのです。でも、過去の歴史にきちんと向きあわない人は、将来も再び過ちを繰り返してしまうでしょう。
 戦前の中国東北部を日本は満州と呼んでいました。日本の3倍ほどの面積に、人口は3千万人。豊富な資源を内蔵していました(お金になるアヘンの生産地でもありました)。
 そこに、日本は強引に進出し、日本企業を展開させ、農地を取り上げて開拓団を置いて行ったのです。しかし、そんな悪事が長続きするはずもありません。「満州国」は13年ばかりで消滅しました。その結果、日本人の開拓団そして青少年義勇軍は、関東軍という「精強な軍隊」が「張り子の虎」となっている現実の下、ソ連赤軍の猛攻の下に瓦解し、避難民として逃げ惑う中、何万人もの日本人が死んでいったのです。
 この本の舞台となったハルビンには関東軍が全面的に協力していた「七三一部隊」がありました。悪魔の細菌戦をすすめるために中国人など3000人も人体(生体)実験し、全員を殺害してしまったという悪魔そのものの部隊です。
 関東軍はハルビン郊外に、この一大細菌生産・人体実験工場をつくるため、80平方キロの土地を特別軍事地域として指定した。そのため、1600戸もの現地農民を強制退去させた。七三一部隊からは逃亡者こそ出ていませんが、ペストなどの病原菌がもれ出ていって、周辺の中国人農民や日本人開拓団に病気までもたらしました。
 日本が中国で悪いことをしたこと、それを今なお謝罪するのは当然だということを改めて思い知らされる本でした。
(1990年7月刊。1300円+税)

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