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2023年1月 の投稿

パピルスが語る古代都市

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ピーター・パーソンズ 、 出版 知泉書館
 1897年、パピルスがエジプトの都市の周りの、砂で覆われたゴミ捨て場から出土した。
 パピルスの残存に必要なのは乾燥。エジプトの中部と南部では雨がほとんど降らず、砂に守られ、滅失しやすい遺物(パピルス)が数千年間も保存することができた。
 1897年に発見されたのは「イエスの御言葉」。
 エジプトのプトレマイオスの王国は、土地と職業に課税した。たとえば、ブドウ園と果樹園の収穫の6分の1が税として徴収された。油、塩、ビール、亜麻、パピルスなどの重要な生産物や輸出品は、国家が独占して売買するか、管理した。
 ローマ帝国のなかでも、豊かで肥沃で攻めるのが難しいエジプトは傑出した存在であり続けた。エジプトは都市ローマが必要とする小麦の3分の1を供給し、皇帝位を狙う人物の拠点となりえた。
あまり教育を受けてない者たちは、エジプト人のアクセントで話し、子音のLとR、またDとTを区別できなかった。こりゃあ、まるで日本人ですね。
 ミイラづくりにはお金がかかった。遺体をミイラにする処置のための費用は高かった。肖像画は生前に描かれ、死後にミイラの棺に差し込まれた。ミイラ肖像画は、古典古代世界から残存する、ほぼ唯一の肖像画。
 口絵写真に何枚かの肖像画が紹介されていますが、とても鮮明な人物画です。
 パピルス紙は、書物や記録簿のような長いテキストや日常生活に用いる短いテキストのために使われた。ナイル河谷では、貧乏人でなければ、パピルス紙は豊富に手に入れられた。
 パピルス紙の製造は、まず、パピルスの茎を収穫し、皮を剥ぎ、髄組織の内部を長く切り、スライスして、薄く細長い短冊状にする。短冊を互いに接するように平らに並べ、その上に別の層をつくるように直角に短冊を置く。この2層を押し合わせると、樹液の多い髄が融合し、隣りあう短冊が、そして上下の層が結合して、柔軟で滑らかなシートができあがる。
 文字を書くのはエジプトでは古くから行われていて、高い名声を伴っていた。神官と官僚は、ファラオの王国で職務を果たすため、書くことを求められ、異なる形の複雑な文字を習得した。
 国家は現金と穀物の形で税を求めた。それを得るためには、農民と地方の役人の労働を必要とした。なので、土地台帳、税の会計、そして定期的な戸口調査からの情報という詳細で精緻な記録に頼っていた。大量のパピルス紙、文字を書く習慣、そして増大する官僚制のおかげだ。
 浴場は、旅行者だけのものではなく、むしろ市民生活にとって重要だった。
 家にはトイレがない。家具として尿瓶(しびん)や室内用便器があった。
 都市には、エリートが存在した。都市社会のピラミッドの頂点には、公職者と都市参事会が君臨していた。
 相続により財産の集積も分散もあった。
競技祭は、都市生活にさまざまな影響を与えた。市民も競技祭に参加し、代理としてであれ、栄冠を手にする機会を得た。
 ローマ皇帝はファラオ。つまり、君主であり、神だった。ほとんどの皇帝はエジプトに姿を現さない神という存在だった。
 パンは、たいてい自家製。パンづくりは伝統的に女性の仕事で、裕福な家では女奴隷が担い、早起きが必要だった。
 手紙の形式には流行があった。プトレマイオス朝時代のギリシア人は横に長く縦に短い紙に短い手紙を書いた。ローマ時代には、横が短く、縦長の紙が好まれた。
 パピルスを判読していった学者・研究者のみなさんの地道な努力には、今さらながら心からの声援を送ります。
(2022年8月刊。税込5500円)

検証・同和行政下の解放運動の光と闇

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 植山 光朗 、 出版 小倉タイムス出版部
 もう40年も前のことです。開業医の妻が相談があるとやってきました。話は、息子の結婚相手が部落出身の娘だと分かったので、やめさせたい、どうしたらやめさせられるか、というのです。私は呆れ、また怒りを覚えました。結婚は当事者の決めること、たとえ親であっても介入してはいけない。ましてや部落出身者を差別するなんてとんでもないことだと言って説教して帰ってもらったという記憶があります。それから40年たちましたが、そのあと1回も、そんな結婚差別に関わる話を聞いたことはありません。
30年前までは、あの地域は部落だと言う人がいました。でも、私の住んでいる町には、明らかに他と異なる雰囲気というところはまったくありません。実感として、部落差別は解消したと思います。いえ、一部には残っているのかもしれませんが、まったく気がつきません。
でも、差別は、いろんな場面で、現に日本社会に存在します。聞くに耐えないヘイトスピーチの対象となっている在日朝鮮(韓国)人への差別がなくなったとは、とても思えません。ゲイ(レズビアン)の人への差別、アイヌの人々への差別、そして「アカ」という思想差別も今なお強烈なものがあります。また、フィリピンやベトナム人などの東南アジアから働きに日本へやってきている人たちへの差別がないと言えるでしょうか。私は言えないと思います。
みんな違って、みんないいという金子みすずの言葉を実践するには、それだけ気持ちにゆとり(余裕)がないとできないように思います。自分が苦しいと、そのはけ口を求めて、誰かを見下して、攻撃する行動に走りがちになるのが人間の悲しい現実です。
「解同」の暴力と利権あさりは、私の町でも目に余るものがありました。私の住む町では「解同」の言いなりにならない社会党の地方議員が暴行される事件も起きました。なので、「解同」は怖いと思われ、かえって差別が温存される状況も続いていました。それも、今では過去のことです。国が、宣言したことは大変大きかったと思います。
1969年に始まり、全国4607の「同和地区」を対象に実施された同和対策特別対策事業は、33年間で16兆円を投入し、2002年3月、事業の所期の目的は達成したとして終結しました。総務省は、「国、地方公共団体の長年の取り組み等によって、劣悪な生活環境が差別を再生産するような状況は改善され」た。「特別対策をなおこれ以上続けることは、差別解消に有効ではない」としたのです。
この本で、著者は、「部落差別」は今では深刻にして重大な社会問題とはいえないとしています。たとえば、結婚について、20代、30代では8割から9割が結婚差別を体験することなく結ばれている。そして、部落差別は、人間として恥ずべき行為だとする市民的常識が確実に広がっていると強調しています。まったく同感です。
ところが、部落差別解消推進法が制定されようとしています。そこには、部落差別について、明確な定義がありません。そして、「差別意識」という個人の心の問題を法律で規制しようとしているのは問題です。抽象的で漠然とした法律は拡大解釈が容易ですから、非常に危険な法律としか言いようがありません。
私が弁護士になった年(1974年)11月に兵庫県立八鹿高校で、「解同」による教職員への集団暴行、長時間吊し上げ事件が起きました。このとき、白昼、大変な暴行、傷害事件が起きたのに、警察の対応は信じられないほど生ぬるく、しかも、一般の新聞・テレビはまったく事件を報道しませんでした。強烈な「解同」タブーがマスコミを支配していたのです。
北九州にあった「同和地区」では、10人に9人が中卒以下、新聞を購読している家庭も1割しかいなかった。ところが、生活が苦しいのに、生活保護の申請をする人は少なかった。
1964年、北九州市の生活保護率53%は全国平均の18%の3倍もの高さだった。
「解同」による暴力的な糾弾行動は善良な人々を畏怖させました。そして、幹部たちが利権あさりに狂奔しました。たとえば、「クジラ御殿」が有名になりました。
また、税制上も明らかに無法な特別待遇がまかり通っていました。北九州では解同幹部による「6億円の土地転がし」が発覚しました。そして、「解同」の糾弾の対象となった校長が自殺してしまうという悲劇が発生したのです。
八女市では、「解同」の支部役員が「差別ハガキ」を44通も自作自演していたという信じられない事件が発覚しました(2009年7月)。
小倉税務署長までつとめた「解同」顧問の税理士が脱税指南をしていたとして、実刑判決(2011年11月)が下されたことも忘れられません。
大阪に存在した旧「同和地区」では、今では9割以上の住民が地区外からの転入者になっている。もはや、「同和地区」の閉鎖的地域性は解消され、「地区」とは言えなくなっている。著者は、このように紹介していますが、私の実感にもあいます。
差別の解消は今でも大変な人権課題だと思います。でも、それは、部落差別だけではありません。人間の尊厳と個人の尊重の実現こそ目ざすべきだと著者が何度も強調しているのに、私も大いに共感します。
300頁をこす貴重な労作です。福岡自治研の宮下和裕事務局長の紹介で読みました。
(2022年11月刊。税込2000円)

僕らが学校に行く理由

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 渋谷 敦志 、 出版 ポプラ社
 いま、日本では少年の非行事件が激減しています。かつては毎日のように深夜に爆音を聞かされていましたが、暴走族という現象も見られなくなりました。子どもたちは、まるで去勢されたかのように家に閉じこもり、ゲームに終始しています。不登校、ひきこもりが日本社会の重大な病理現象の一つという状況が続いているのです。
 ところが、世界中を見渡すと、大勢の子どもたちが学校に行きたくてもいけないという状況がありふれています。戦争、そして貧困が原因です。
世界中には、就学年齢に達しているにもかかわらず、小学校に通っていない子どもが5900万人もいる。アフリカでは、サハラ砂漠より南の国の子どもの5人に1人は学校に通っていない。たとえば、南スーダン共和国の識字率は30%未満。国民も70%以上が適切な教育を受ける機会を奪われている。この国では内戦によって、16万人以上が国内避難民となり、220万人以上が隣国に逃れて難民生活を余儀なくされている。
バングラデシュでは、国民の7割近くが農村に住んでいる。そのほとんどが自分の土地を持っていない貧困家庭。子どもたちは自ら働きはじめる。5歳や7歳から働いている。それは学校にいけないことを意味する。
カンボジアでは、親から暴力を振るわれたりして、子どもたちがストリート・チルドレンになる。周囲の人間に対して強い不信感をもち、反抗的で暴力的なところがある。そして、人身売買の対象になっていく。
 アフリカのウガンダには日本の「あしなが育英会」が開設した「テラコヤ」がある。エイズなどで親を喪った遺児を支援して教育の機会を提供するもの。ウガンダでは、子どもの教育にお金がかかるので、そこを埋めようとする取り組みだ。日本政府はハコモノづくりよりも、こんな援助にこそ、もっと力を入れるべきだと私は思います。
ウガンダで学校を途中で辞めざるをえなくなった少女シャロンは、自分の夢を語った。
「私の夢はいつかまた学校に行って勉強をやり直すこと。そして、将来、医者になって家族を助けたい」
岸田首相は、軍事予算を増やすことしか頭にないようですが、もっと人間を大切にする政策にお金を使ってください。
バングラデシュで大洪水によって被災した少女マクーシャはこう言った。
「将来は、先生になって家族を助けたい。村の子どもたちに勉強を教えたい。そのためにも勉強をがんばりたい」
日本の子どもたちも、社会に大きく目を開いて、自分の存在を社会と結びつけて考えられるようになれば、すすんで学校に行きたいと思うようになることでしょう。
カネ、カネ。万事がカネ。そして、ガンジ・ガラメの校則。もうこんなのはやめましょうよ。もっと伸びのび、ハツラツと子どもたちが生きられる温かい社会を目ざしましょう。
目がキラキラ輝いている素敵な子どもたちの、いい写真をたくさん、ありがとうございました。
(2022年8月刊。税込2420円)

国鉄

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 石井 幸孝 、 出版 中公新書
 JR九州の初代社長が自画自賛した本です。でも、私は内容にまったく賛同できません。公共交通機関であるという使命を放棄して、もうけの追求だけ。ローカル線を切り捨て、新幹線のホームに駅員を配置しないなんて、とんでもありません。そして、「七つ星」とか超高級列車を走らせ、ひたすら自慢する。本当に間違っています。
 JR九州は、「鉄道会社」であるより「不動産会社」の道を選んだ(328頁)と得意気に言い切っているのにはゾクゾクとした寒気すら覚えます。関東・関西の大手私鉄グループにならった手法です。もうかればいいという発想しかありません。多角経営、利益率の確保、それだけです。
 JR九州のスローガンは「お客さま第一」、「地域密着」。看板に偽りありです。
 鹿児島本線の特急をなくし、新幹線のホームは無人化してしまう。駅の無人化もすすめ、ローカル線は切り捨て。これで、なにが「地域密着」でしょうか。
 そして、JR九州ではありませんが、リニア新幹線なんて、不要不急かつ危険で赤字必至の路線に莫大な金額を投入しています。全国一本の国鉄だったからこそ、地方のローカル列車は存続できたのです。
 労働組合の存在もまったく影が薄くなってしまいました。国労つぶしをすすめた著者は労働者にも権利があり、憲法で保障されているなんて、まったく念頭にないのでしょうね。
 残念ながら、日本の社会を金、カネ、カネ本位というように、ダメにした張本人の一人としか言いようがありません。今なお、なんの反省もないので救いようがありません。
 私は、国鉄の分割民営化は郵政民営化と同じく日本をダメにする大きな賭け、間違いだったと考えています。最後まで腹立たしさ一杯で読み通しました。
(2022年10月刊。税込1210円)

吉野源三郎の生涯

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 岩倉 博 、 出版 花伝社
 『君たちはどう生きるか』は、最近読みましたが、本当によくよく考えさせてくれる、いい本です。そして、驚くべきことに、この初版本は戦前に刊行されているのですよね。すごいことです。
 「日本少国民文庫」の編集主任をしていた吉野は、最終巻を書くはずの山本有三(『路傍の石』の著者)が病気のため書けなくなったので、その代わりに吉野が書くことになった。
 吉野は1936年11月、執筆に取りかかった。1936年といったら、2、26事件が起きて、日本がキナ臭い雰囲気にあったころのことですね。
 教育・文化の軍国主義化が進むなか、ナポレオン的武勇が賛美され、人間らしさや人類の進歩をいう視点が子どもたちには欠けている。感受性が柔軟で、価値感情が汚れていないうちに、多様な価値意識の必要性、人間の素晴らしさ、人間らしい価値を伝えたい。少年たちの日常的で平凡な事柄を手がかりに、それらの思索を推し進めていくような方法を…。
 1937年5月に吉野は書き終わり、7月に刊行された。この本を読んで、丸山真男は感動し、常盤炭鉱の労働者たちは読者会のテーマ本とした。これって、すごいことですよね。
 最近でたマンガ本もよく出来ています。感心しました。
 1936年から37年に書かれた本というより、現代日本の世相にぴったりマッチする本。現代に生きる本です。
 吉野源三郎は1922年4月に東大経済学部に入学し、大正デモクラシーの洗礼を受けています。東大には新人会という社会科学やマルクス主義に関心を寄せる学生たちのグループがありました。そのなかに吉野もいたのです。そして吉野は、経済学部から文学部哲学科に移りました。
 当時は徴兵制がありました。吉野は甲種合格なので、3年は兵役に就かなければいけません。そこで、1年志願制で兵役に就いたのです。いやあ、私は徴兵制のない時代に生きて、本当に良かったと思います。吉野は陸軍砲兵少尉でした。
 そして、マルクス主義に近づき、実践活動に誘われたのです。治安維持法にひっかかって、3回も逮捕されていますが、少尉階級の在郷軍人なので、普通裁判ではなく、軍法会議にかけられました。このとき、吉野は自殺未遂もしています。
 結局、吉野は岩波書店に入社しますが、岩波茂雄は「治安維持法のおかげで、優秀な人間を獲得できた」と喜んだとのこと。うむむ、そういう表現もできるのですね。
 そして、1938年に、吉野は岩波書店から、居間に続く岩波新書(赤版)を発刊したのでした。
 岩波新書には、私も大変勉強させてもらいました。モノカキを自称する私も、一度は岩波新書レベルの本を書きたいものだと夢見ています。
 1938年11月に、岩波新書として20冊が同時発売されたというのですから、たいしたものです。
 戦後、岩波新書(青版)が再刊された。定価は70~100円。1万3千部から1万8千部の発行部数。私も大学に入ってから、むさぼるように読みました。駒場寮で読書会もしました。
 戦後、吉野は憲法改正反対、ベトナム戦争に反対、核兵器なくせ、などの実践課題に深く関わった。
 東大全共闘の代表になった山本義隆は吉野の娘の家庭教師をしていた。しかし、吉野は全共闘の暴力主義路線には一貫して批判的だった。これには私も関わっていますので断言できますが、全共闘の本質は暴力賛美にあります。全共闘を今なお持ち上げようとする人が少なくありませんが、私は本当に無責任だと思います。これって、ロシアの戦争を手放しで肯定するのと同じことなんです。なにしろ、「敵は殺せ」を公然と掲げていたのが全共闘なのですから。そして、全共闘は内ゲバによって、何十人という人が殺され、傷ついたという現実をぜひ直視してほしいと思います。
 吉野源三郎の生き方をたどることのできる本でした。
(2022年5月刊。税込2200円)

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