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2022年11月 の投稿

「伊達騒動」の真相

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 平川 新 、 出版 吉川弘文館
 面白い本です。江戸時代の大名家も、内情はいろいろあって、大揺れに揺れるところも少なくなかったようです。確認されているお家騒動は40件以上。お家騒動とは、大名家に発生した内紛のこと。福岡藩の黒田騒動、佐賀藩の鍋島騒動、加賀藩の加賀騒動が有名だが、それより有名なのは、仙台藩の伊達騒動。
 伊達騒動は17世紀の仙台藩に起きた二つの事件から成る。その一は、放蕩(ほうとう)にふける三代藩主の伊達綱宗が藩主に就任してわずか2年で強制隠居させられたこと。その二は、仙台藩奉行(家老)の原田甲斐宗輔が、藩主一門の伊達安芸宗重を境界争論の審理中に大老酒井雅楽頭(うたのかみ)忠清邸で斬殺したこと。普通の大名なら即とりつぶしの理由になるような大事件が、わずか10年の間に2度も起きた。それでも仙台藩は取りつぶされなかった。なぜ、なのか…。
 二代藩主であった伊達忠宗は、生前、綱宗の挙動に大きな不安を抱いていた。綱宗の行儀の悪さは相当なもので、父親(忠宗)の叱責にも聞き入れないのなら、勘当する(親子の縁を切る)とまで思っていた。すなわち、綱宗は酒乱気の気があった。父の忠宗は、綱宗に「一滴も飲むな」と断酒を命じていた。
 筑後柳川藩10万石の大名・立花忠茂は、綱宗の監視役に就いた。忠茂は綱宗の義兄になる。藩主・綱宗の「御行跡」が悪いのは、「夜行」、つまり遊郭の吉原通いのこと。
 しかし、結局、1660年7月、立花忠茂・伊達宗勝などが幕府に綱宗の隠居と弟または亀千代への相続を願い出た。この連署証文には、14人が加わった。主要な一門と奉行。当時、藩政を運営していた主要な人物が署名に加わった。綱宗の隠居願いは、藩の重臣の総意だった。
 逼塞(ひっそく)とは、門を閉ざして白昼の出入りを許さないこと。閉門は門扉や窓を閉ざし、昼夜ともに出入りを許さない監禁形。処分としては、逼塞より閉門のほうが罪が重い。
 閉門とされた綱宗は、仙台藩の下屋敷(品川屋敷)に移り、72歳で亡くなるまで、ひっそりと生活した。とはいうものの、実は、綱宗には側室の初子のほか、7人もの側室がいて、初子とのあいだに2人の男子、そして他の側室から7人の男子と11人の女子が生まれた。いやはや、たいしたものですね…。これでは普通の隠居と変わりませんね。
 このころ、仙台藩の財政状況は悪く、逼迫しはじめていた。二つめの伊達騒動の原因をつくったのは野谷地(のやち)、つまり未開発の原野や湿地帯についての争い。係争地は蔵入地によるという明確な方針が忘れ去られ、また、重要な証拠となるはずの「国絵図」も思い出されなかった。信じられませんね…。
 幕府の老中たちは、すでに早くから仙台藩における治政の乱れを知っていた。
 1671(寛政11)年3月27日、大老酒井忠清邸の大書院で、原田甲斐宗輔が、やにわに脇差を抜いて伊達宗重の首筋に切りつけ、宗重は即死した。原田も斬られた。
 この原田の乱心について、著者は、原田に非があったことは明らかなので、結局、身の破滅を悟り、逆上して刃傷に及んだとみるのが自然だとしています。
 この大事件が起きた当日、老中は仙台藩のとりつぶしはないから心配するなと明言したとのこと。ただし、綱宗のあとを継いだ幼い藩主の後見人たちは責任を問われています。
 また、原田宗輔の4人の男子は切腹を命じられ、5歳と1歳の孫たちも処刑された。男子の血筋は根絶やしにされた。これは厳しい処分ですね。
 伊達騒動は、単なる権力闘争ではなく、野谷地という知行地の境界相論に端を発する民衆社会のあり方にかかわった騒動だった。なるほど、そのように評価できるのですね。
 山本周五郎の『樅(もみ)の木は残った』は、原田宗輔について、大老酒井と伊達宗勝による仙台藩乗っ取りを防いだ忠臣だと評価する。しかし、そのストーリーはつじつまがあっていない展開だと著者は批判しています。
 また、伊達家を改易すれば、その反響の大きさに幕府は恐れをなし、とても改易なんかできなかったとしています。なーるほど、ですね。大変勉強になる本でした。
(2022年1月刊。税込2200円)

テレビ番組制作会社のリアリティ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 林 香里 ・ 四方 由美 ・ 北出 真紀恵 、 出版 大月書店
 私はリアルタイムでテレビを見ることはありませんし、ドラマを見ることもありません。ただし、「ダーウィンが来た」とかドキュメントものを録画で見ることはあります。若者のテレビ離れが叫ばれて久しいわけですが、この本はテレビ番組をつくるほうの現状と問題点をレポートしています。
 テレビ局にとって、視聴率はイコール収入。なぜなら、広告収入の多くを占めるスポットセールスは、視聴率によって料金が決まる仕組みだから。
 持株会社グループとしては、番組を1本完全パッケージで外注するのではなく、必要なスタッフを労働力として「購入」することで、経費削減を図る。そのとき、自社系列の制作子会社に製作委託を集中させ、そこから番組にスタッフを派遣させ、また外部に孫請けさせる方法も増えている。
 製作会社のプロデューサーは、責任者ではあるが、あくまで下請けでしかなく、最終的な決定権は放送局の側にあるため、「調整役」だ。
 中堅世代の空洞化。スピーディーな意思決定が必要になるため、末端の若手制作者たちは全体像を見渡す時間的余裕がないまま歯車となって働くことを強いられている。そこで、入職して数年で辞めていく者が後を絶たない。
 制作会社と放送局の関係は、最近は「植民地」状態になっている。対等になるどころか、完全に子会社になっている。
 放送局では、入館証を首から下げる紐(ひも)の色で放送局員と制作会社の人の区別がつく。「番組」チームとして一体になって働いているが、実は、見えないけれど、厳然として「壁」が存在している。
 ディレクターになることで「Dに上がる」として「昇格」という感覚が共有されている。ところが、その判断基準は不透明だ。
 自主制作率は、大阪で3割、名古屋で2割、その他の地方は1割というのが目安だ。
 放送局内部の製作現場の厳しさがひしひしと伝わってくる本でした。
(2022年8月刊。税込2860円)

ナメクジの話

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 宇高 寛子 、 出版 偕成社
 なぜか、わが家の台所にドデーンとナメクジが鎮座ましますのを発見することがあります。本当に不思議です。外から侵入してくる経路はそんなにないはずなのですが…。
 というわけで、ナメクジとは、いったいいかなる生物なのかを知りたくて読んでみました。
 とても分かりやすいナメクジの話です。でも、実のところナメクジは謎だらけの生物だということが分かりました。カラー写真がありますので、わが家のナメクジは記憶に照らしあわせると、日本古来のナメクジだと思います。
 日本にずっといるナメクジは、全体的に太くて、灰色。この本の著者が主として研究しているのは、チャコラナメクジ。背中に2本から3本の黒い線がある。
 ナメクジは貝の仲間で、タコやイカと同じ、軟体動物。ナメクジには殻はない。そして陸にすんでいるのに「貝」。陸にいる貝のうち、大きな殻をもつのをカタツムリと言い、殻をもたないのをナメクジと呼ぶ。
 ナメクジにも人間と同じように顔があり、皮膚の下には、脳・心臓・肺などがある。顔は、ふだんは体のなかに隠している。
 ナメクジの目は、明るいか暗いかが分かるだけ。においを感じる能力のほうが強い。
 ナメクジは、なんでも食べる雑食。ミミズや昆虫も食べる。
 口には、大根おろし器のように小さい歯がたくさんついた「歯舌」(しぜつ)があり、これをエサに押しあてて、ゴリゴリと削って食べる。
ナメクジは、1匹のなかにオスとメスの両方の機能をもっている。しかし、ほかの個体と交尾することによって、初めて卵をつくることができる。ナメクジは交尾したあとしばらくして卵を産む。
 ナメクジのべたべた粘液は乾燥から身を守っている。また、粘液の上で腹足を波打つように動かして前進する。だから上下に波打ったり、くねくねする必要がない。ただし、ナメクジは前にしか進めない。後退できないのですね。
 ナメクジの寿命は、短くて数ヶ月。長いものは2~3年ほど。そんなに生きるのですか…。
 ナメクジに塩をかけても溶けているのではない。水分を失って、身が小さくなるだけのようです。
 ナメクジには光周性がある。
 ナメクジを飼って育てるにはタンパク質が必要。金魚のエサや固形のドッグフードも買って与える。
 ナメクジへの多くの人々の反応は、「ギャアア…」が多い。そこで、やはり「敵」の実体を知っておくべきなのですよね、きっと…。面白い本でした。
(2022年9月刊。税込1650円)

地図と拳

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 小川 哲 、 出版 集英社
 戦前の満州を舞台とする小説です。630頁もある大作なので、読みはじめてから読了するまで、珍しく1ヶ月もかかってしまいました。
 ところで、驚くのは、オビのキャッチフレーズです。「日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説」とあるではありませんか。ええっ、これがSF小説なの…。私には信じられません。私は満州を舞台とする小説だと思って読んだのに、「歴史・空想小説」だなんて…。そんなこと言ったら、歴史物は、みんな「空想小説」ですよね。
 つまり、たとえば主人公の武将が何を言ったか、どんなことを考えていたのかなんて、みんな作者が空想(想像)したに決まっています。それを、いかに真に迫ったものとして読ませるかに、作者の筆力がかかっているわけなんです。そして、それを私も日夜、精進しているつもりなのです。
 そして、もう一つ驚いたのは、こんな部厚い大作が6月に初版が出て、9月には第三刷だというのです。いったい、SF界では、著者はそれほど有名人なんですか…。ちっとも知りませんでした。
 まあ、ともかく満州を舞台とする本を、私は今、一生懸命に集めて読み込んでいるところです。というのも、私の叔父(父の弟)が、日本敗戦後の戦後、八路軍の要請にこたえて紡績工場の技師として働いていたのですが、国共内戦のさなかでしたので、満州各地を転々と放浪していました。それを叔父の手記をもとにして、それこそ歴史小説にしたいと考えて挑戦しているところなのです。
 この本のすごいところは、満州を舞台としているのですが、なんと、序章は1899年に始まるというところです。日露戦争(1894年)の5年後です。満州の利権を狙って外部勢力としてロシアと日本がつばぜりあいを初めている状況です。いやあ、すごいです。
 そして、1901年、1905年、1909年、1923年、1928年、1932年、34年、37年、38年、39年、41年、44年、最後に45年になります。これだけ細かく経緯をたどるというのは、並大抵のことではありません。完全に脱帽です。大変勉強になった「SF小説」です。
(2022年9月刊。税込2420円)

平氏

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 倉本 一宏 、 出版 中公新書
 おごれる平氏は平清盛の死によって滅亡し、あとは源氏の世の中になった、そう思っていましたが、そうでもなさそうなんですね。この本を読んで、平氏にもいろいろな流れがあることを知りました。
 平氏は源氏と並んで、皇親(こうしん。天皇の親族)が賜姓(しせい)を受けて成立した氏族。平氏は、桓武天皇の子孫から始まる。源氏は、清和(せいわ)源氏のほうは武家源氏で、公家源氏は嵯峨天皇の皇子女が賜姓を受けた嵯峨源氏に始まる。
 平氏のほとんどは、あとで「堂上(とうしょう)平氏」と称された高棟流桓武平氏。彼らは朝廷で、蔵人(くろうど)や検非違使(けびいし)、弁官(べんかん)などの中級官人(諸大夫)や下級官人(侍品)として勤め、また古記録を記して「日記(にき)の家」と称された。
 「日記の家」というのは、累代の日記(「家記(かき)」を伝え蔵し、先例故実の考勘を職とする家のこと。日記は家記として代々記されるだけでなく、その保存や利用に意を払い、かつ他の家の日記も広く収集することに務めていた。そして、家の集積された家記は、儀式や政務の際の家の故実作法の典拠として研究し、部類記を作成したり、抄本や写本を作成した。
 公家平氏は「日記の家」として、みずからが蔵人や弁官、検非違使として携わった宮廷の政務や儀式を記録し続けるとともに、摂関家の家司として、数々の日記を集積したり、書写したり、部類したりして、日記と関わることによって、自己の家を宮廷社会で存続させる方途とした。
 蔵人・殿上人(てんじょうびと)として内裏(だいり)の奥深くで天皇を直接警固していた源氏と、検非違使として京内の犯罪を取り締まる平氏とは、宮廷社会における家格の差は歴然としていた。
 治承4(1180)年に始まる日本未曽有の内乱は、武家の清和源氏を頭目にいただく坂東平氏が、伊勢平氏の末裔(まつえい)である平家とその王を打倒する戦いでもあった。
 武家平氏には、弁官経験者が一人もいないため、政務処理能力がなく、まして公家(くげ)の儀礼や行事の先例(故実。こじつ)に通じた「有職(ゆうしょく)」とはほど遠い存在では、政務や儀式を取りしきることは不可能だった。何せ、一世代前までは中下級貴族の家格しか持たない軍事貴族だったから。
 平清盛は、64歳で病死した。頓死(とんし)と称するにふさわしい。
 「源平合戦」と単純に理解することはできない。義経や範頼が率いた平家追討軍には、多くの坂東平氏がその主軸として含まれていた。坂東平氏は、それぞれの事情で、頼朝に属した者、平家に尽くした者と、さまざまな動きを見せた。
 王権としての平家は滅びたが、平氏はけっして滅びてはいなかった。
 鎌倉殿の13人のうち、梶原景時、北条時政、北条義時、三浦義澄、和田義盛という5人は坂東平氏の出身。いずれも滅亡された。ええっ、そ、そうなんですか…。
 公家平氏のほうは、堂上家として明治維新まで家を存続させている。
(2022年8月刊。税込1012円)

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