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阿蘭陀通詞

(霧山昴)
著者 片桐 一男 、 出版 講談社学術文庫
オランダ語を通訳する人々を紹介した本(文庫)です。南蛮人と紅毛人を使い分けていたなんて、本当でしょうか。ポルトガル人は南蛮人で、オランダ人は紅毛人です。いったいどんな違いがあるのでしょうか。
来日した南蛮人は日本語の習得に努め、布教と貿易に従事した。そして日本で南蛮文化は開花した。ところが江戸幕府は、一転して禁教と密貿易を厳禁したため、来日したオランダ商人には日本語の習得を許さなかった。それで日本人の通訳(通詞)が活躍するようになった。
江戸時代、通詞と通事は書き(使い)分けていた。通詞はオランダ語の通訳官で、通事は唐通事で、中国語の通訳官をいう。通詞も通事も、身分は長崎の町人で、通訳官と貿易官を兼ねて務めていた町役人。そして、長崎通詞も長崎通事という役職名は存在しなかった。長崎に外国船が姿を見せると、通詞の船が接近し、どこの国から来た船なのかを「聞き分ける」力が要求された。オランダから来た貿易船だと判明すると、たちまち「宝船」だとして歓迎された。
通詞の職階は、大通詞、小通詞、稽古通詞、大通詞助役、小通詞助役、小通詞並、小通詞末席…。そのほか、内通詞。売買業務を手伝って口銭を得ていた数十人の集団。
商館長ブロムホフは、結婚まもない妻チチアと、1歳5ヶ月の長男ヨハンネスを連れ、乳母や召使いも一緒に1817年8月に来日したが、婦女子の入国が許されなかったので、泣く泣く家族は送り返した。独身となったブロムホフは、丸山から傾城(遊女)を招いていた。その請求書が残っている。なんと1ヶ月のうち27日だ。つまり商館長たちの出島での生活は、ずっと、そのそばに遊女たちがいたということ。出島で同棲するのも許されていた。湯殿、台所つきの遊女部屋が出島にあったことが絵図面で確認できる。
商館長カピタンの江戸参府は、166回にのぼる。カピタンの江戸の定宿は長崎屋で、宿泊逗留は21日を基本としていた。通詞は、日本語に翻訳して太陽中心説を紹介し、ケプラーやニュートンの天文学、ニュートン物理学を吸収して解読した。すごい人たちがいたのですね…。
(2021年7月刊。税込1518円)

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