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2022年1月 の投稿

本能

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 小原 嘉明 、 出版 中公新書
きれいな花に成りすまして、ハチやチョウなどの昆虫をおびき寄せ、これをまんまと仕留めて食べるハナカミキリ。メスを装って騙し、生殖相手のメスを横取りするサケのオス。何千キロにも及ぶ長距離を、羅針盤を用いることなく飛び続けて目的地にたどり着く渡り鳥…。こんな超能力を動物たちは、いったい、どうやって身につけたのだろうか。それが本能…。
でも、本能とは、いったい何なのか…。
キタオポッサムやアカシカのメスは、体調がいいときには息子を多く産む。
アカゲザルのメスは、メスだけから成る母系社会を形成している。そして、社会的順位の高いメスはメスの子を、逆に社会的順位の低いメスはオスの子をより多く産む。それがそれぞれのメスの繁殖にとって有益。上位のメスの高い地位を引き継ぐのは、母系社会ではメスの子だから。
マダラキリギリスは、2桁の種類のセミのメスに成りすまし、近寄ってきたセミを肢で捕まえて食べる。一度も遭遇したことがない種のセミのメスも模倣する。いやあ、不思議ですよね…。
シロアリは排泄物を室内に積み上げる。すると、それに含まれていた共生菌が排泄物を栄養源にして生長し、キノコが育つ。シロアリは、このキノコを食べ、キノコの上に排泄物を積み上げる。これが再びキノコの生長に利用される。シロアリは、これを繰り返して、キノコを持続的に栽培している。これに似ているのが、ハキリアリ。
ワタリガラスは、エサを隠して貯め込む。しかし、仲間が近くにいるときには、仲間に対する警戒心から、貯蔵するエサが少ない。
ヨーロッパにすむスゲヨシキリのオスは、さえずりでメスにアピールする。さえずりのレパートリー数が多いオスほど、メスを強く惹きつけてつがいを形成する。
セアカゴケグモは、オスがメスに比べて、とても小さい。体重は256ミリグラムなのに対して、オスは、なんと4ミリグラムしかない。オスは、チャンスをとらえてメスの腹部に取りつき、メスの精子受容器官の中に差し込んで精子をメスに送り込む。そのあと、オスは、「でんぐり返し」をして、メスの口の中に投身自殺する。メスは、もちろん、このオスを食べてしまう。メスは、オスを食べたあとは、ほとんど再交尾しないので、オスは自死によって自分の子を確実に残すことができる。うむむ、なんということか…。
アオガラは、表面上は一夫一妻で繁殖する。しかし、実のところ、メスが産む子の中には夫以外のオスの子が含まれていることがある。これはDNA検査で判明したこと。
ウズラのメスは、一緒に育ったオスには関心を示さない。近親交配を避けているということ。
シジュウカラのメスは、オスのさえずりを手がかりとして、生殖相手として近親者を避けている。つまり、昔聞いた父親のさえずりに似たさえずりをするオスを避けている。
両親から受け継いだ46本の染色体に含まれるDNAの長さは約2メートル。人体を構成する細胞30兆個以上のすべての細胞に、この2メートルのDNAが格納されている。
本能とは、行動にかかわる組織や器官が、経験に依存することなしに適切に発生し、適切に機能して発現する行動と定義される。つまり、経験がかかわっていたら本能ではない。それは学者効果があがっているということ。
男が好む女は、細いウエストと大きめのヒップ。くびれたウエストは、女が妊娠していないか処女だと思わせる。女は男ほど肉体的特徴を問題にしない。女が好む男は、平均して3歳だけ年上。
女子学生は、自分のタイプと異なる体臭の男子に好感を抱く。それは近親交配の回避の意味がある。
まことに本能とは、いかにも摩訶不思議なものですよね…。
(2021年8月刊。税込946円)

かこさとしと紙芝居

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 かこさとし、鈴木万里 、 出版 童心社
私は大学生時代の3年間ほど、川崎市幸区古市場でセツルメント活動にうち込んでいました。1967年4月に入学し、1970年9月ころまでのことです。著者のかこさとしは同じ古市場のセツルメント子ども会の大先輩のセツラーだということは聞いていました。
かこさとしは1970年まで現役のセツラーとして活動していたとなっていますが、私は同じ古市場でも子ども会ではなく、青年部に所属していましたので残念ながらまったく接点はありませんでした。そして、学生時代はかこさとしの絵本にも紙芝居にも縁がなかったのです。
かこさとしの絵本は、私が結婚し、子どもたちが保育園児となり、小学校低学年まで、よく読んでやりました。「カラスのパン屋さん」、「わっしょい わっしょい ぶんぶんぶん」は子どもたちに大人気でした。でも、この一冊と言うと、やはり「どろぼうがっこう」です。本当によく出来た絵本で、何度も何度も読み聞かせをしました。
かこさとしはセツルメント活動をしたといっても、東大工学部を卒業して化学会社に就職したあとのことです。大学時代は演劇研究会に入って、舞台美術を担当していたとのこと。
かこさとしは、大学生になったらセツルメント活動に加わりたいと高校生のときから思っていたそうですが、戦時でセツルメントは閉鎖されていたのです。戦前の帝大セツルメント活動はイギリスに発祥の地があり、関東大震災のあと、被災者救援活動に始まっていて、医学部生や法学部生が中心になっていたようです。
私が大学生のころは、学生セツルメントは全国にあり、全国交流集会も年2回あり、毎回1000人もの参加者があるほど活発でした。東大駒場にも、氷川下、川崎、亀有、菊坂などいくつも実践の場があって、その連合体(駒セツ連)のメンバーは50人ほどもいたように思います。そして、東大闘争が1968年6月に始まると、セツラーの多くがアンチ全共闘の立場で民青かクラス連合(クラ連)の活動をしていました。
かこさとしは、会社員とセツラーという二足のわらじを履いていましたが、子ども会では、広場で紙芝居をすることが多かったようです。人形劇とか劇団だと何人かいないといけませんが、紙芝居だと一人で演じられるからです。
セツルメントの子ども会にやってくる近所の子どもたちには、かこさとしは思いきり遊び、自分たちで楽しむために、さらに工夫を重ねて遊びをつくりだしていってほしい。それを手伝うのが自分の仕事だと考えていた。なので、かこさとしは自ら紙芝居をつくるだけでなく、子どもたちにも一緒に紙芝居をつくりあげていたようです。
一人ひとりの子どもはガキでしかないが、集団にまとまると、恐るべき力を発揮するものだ。
「大事なことは、すべて子どもから教わった」
これは、かこさとしの言葉です。私の場合は、「大事なことは、すべてセツルメント活動に教わった」と言っています。
「どろぼうがっこう」など、いくつもの絵本は、もともと紙芝居として子どもたちに読み聞かせていたものでした。私も小学生のころ、広場に紙芝居のおじさんがやって来たのを遠まきにして眺めていました。親がこづかい銭をくれなかったので、参加資格がなかったのです。
紙芝居の魅力は演じる人にある。先生とか母親が、常日頃の人格とは違うことをやってくれる。人格を通じてのコミュニケーションに、その魅力がある。かこさとしは、このように強調しています。
紙芝居のうしろに顔を隠すのではなく、素顔をさらして、いろんな役を演ずることから子どもの心に響くものがあるというのです。なーるほど、ですね。それにしても、かこさとしはたくさんの紙芝居を考え、絵を描いています。そのアイディアは尽きることがありませんでした。この本には、その多くが紹介されています。
かこさとしの生地の福井県越前市には、「かこさとしふるさと絵本館」があります。コロナ禍がおさまったら、ぜひ行ってみたいと考えています。
(2021年8月刊。税込2420円)

輝山

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 澤田 瞳子 、 出版 徳間書店
石見(いわみ)銀山を舞台とする時代小説です。いやあ、すごいです。読ませます。作家の想像力のすごさを実感します。自称モノカキの私には、とてもこれほどの筆力はありません。情景描写もすごいし、ストーリー展開が思わず息を呑むほど見事なのです。そして、いくつもの伏線が終点に結びついていき、ついにクライマックスに達します。
私は、この本を2日間かけて読み終えました。まさしく至福のひとときです。
ただ、読み終わって、あれ、待てよ、どこかで、この本と同じようなストーリー展開を読んだ気がするなと思い至りました。でも、それがどんな本だったのか、具体的には思い出せません。
ともかく、鉱山にしろ農業にしろ、江戸時代の人々が大変な苦労をして、それをやりとげていたのは歴史的な事実です。石見銀山でも同じように苦労しながら働いていた人々、そして、それを管理する人々がいます。それぞれ、思惑はいろいろあって、お互いにぶつかりあいます。
それを生のデータとして提供するのではなく、細かい鉱山の採掘状況を描写しつつ話を展開させ、読み手の心を惹きつけていく。さすがです。
銀山で働く労働者は、じん肺でヨロケにかかって若くして、40代に死に至ります。この本では「気絶(きだえ)」と呼んでいます。でも、それぞれ親や子をかかえているから、先が短いのを知りながらも耐えて働くのです。
そして、それを扱う商人がいて、そのうえに藩がいる。そんな構造のなかで、人々はもがき、また、いくらかは楽しんでもいるのです。
「破落戸」とは、「ならずもの」と読ませるのですね。知りませんでした…。
(2021年9月刊。税込1980円)

ヒトラー

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 芝 健介 、 出版 岩波新書
私と同世代(団塊世代)の大学教授によるヒトラー論です。私もそれなりにヒトラーについて書かれた本は読んできたつもりですが、この新書には知らなかったことも多く書かれていて、その評価など、目を見開いて考えさせられることの多い本でした。さすがはナチス・ドイツ研究の第一人者と言われている学者だけのことはあります。
ヒトラーが実際に何をやったのか少しでも知った人ならヒトラーの再評価なんて絶対に考えられませんが、ヒトラーは悪い面だけでなく、良い面もあったという「バランス感覚」の乗りで考えている人が、今日ではドイツも含むヨーロッパでも日本でも少なくないとのこと。本当に歴史教育の大切さを実感させられます。
ヒトラーは人間の姿をした悪魔(サタン)の化身だ。条約を破って戦争を遂行し、民間人の女性や子どもを傷つけないと確約しながら、今やヨーロッパ中に何千という巨大な墓穴を掘り、ゲスターポ(秘密国家警察)による何百万という犠牲者たちの遺体をそこに埋めている。
これは11歳のユダヤ人少年が1943年9月に日記に書いていた文章。この少年は隠れ家を襲われ、絶滅収容所に送られる寸前、青酸カリを飲んで自殺した。
ヒトラーは生粋のドイツ人ではなく、オーストリア生まれのオーストリア人。ヒトラーは、1032年になったようやくドイツ国籍をとった。ドイツではプロテスタントが圧倒的だが、ヒトラー自身はカトリック教徒のままだった。ヒトラーの父アロイスは、婚外子であり、父方の祖父が誰なのか、今も不明のまま。
ヒトラーの名前は、実は、その前はミックグルーバーという、「下品で野暮ったい」苗字だったのを、父がヒトラーに改姓してくれた。
ヒトラーには、怠惰な生活スタイル、誇大妄想狂、規律に欠け、計画的に物事が進められない傾向がある。ヒトラーは首相になってから、討議をしだいに開かなくなっていたが、これも青年期以来の怠惰な生活スタイルによっているのではないか…。
ヒトラーは、十分な食糧と衣類と宿舎を提供してくれる場として、軍隊に入った。軍隊では、上等兵となり、連隊司令部つき伝令兵になった。これは前線の兵士に比べたら、より安全だった。
ヒトラーの演説の声は、ちょっとくぐもった調子のしゃべり方なのだが、よく聞きとれる声で、合点のいく気のきいたことを誰にもわかる生き生きした言葉で言いあらわす才能に恵まれている。これはヒトラーの演説を実際に聞いたジャーナリストの評価だった。
ヒトラーの演説が集会の呼び物になった。党の財政も左右した。
ヒトラーはミュンヘン一揆に失敗したあと逃亡し、一時、身を隠していたが、ついに逮捕され、裁判にかけられた。ヒトラーは、当初は沈黙し、食事も拒否した。しかし、裁判官はヒトラーに同情的で、ヒトラーが法廷で何時間にもわたって自分の政治的見解を披露するのが認められるという異例の厚遇だった。そのうえ、反逆罪なので、本来なら死刑判決しかなかったはずが、禁固5年という異常に軽い判決が宣告された。これはヒトラーが執行猶予中の身であったことも考慮すれば、まったくありえないほど軽い判決だった。なので、著者は、この判決の違法性は明白だと強調しています。
ヒトラーは要塞監獄に入れられたが、ヒトラー35歳の誕生日は、監獄なで盛大な祝賀パーティーが開かれた。いやはや信じられません。
ミュンヘン一揆前のナチス党の党員は5万5000人(1923.11)だったのが、一揆後は5千人ほどとなり、1926年に3万人超、1927年に6万人近くになった。
ヒトラーの個人的大スキャンダルとして、1931年9月に、同居中の若い(23歳)女性がヒトラー所有の拳銃で胸をうち抜いて自殺したことが紹介されています。ヒトラーは、交際相手の女性として20歳も若い女性をいつも選んでいたことも知りました。最後に結婚して共に死んだエーファ・ブラウンもヒトラーより23歳も若かった。
1932年7月の国会選挙で、ナチ党は230議席、得票率37.4%を占めた。
ブルジョア中道政党は、ナチスに支持基盤を奪われ消滅状態になった。他方、共産党は77議席から89議席(14.6%)と着実に上昇した。
1932年11月の選挙で、ナチ党は大敗した。ナチ党は、第一党の地位は保ったが、34議席を失い196議席となり(得票率33.1%)、ブルジョア政党が少し回復した。
また、社会党は12議席を失って121議席(20.4%)、共産党は12議席を増やして100議席(16.9%)の大台に乗せた。とりわけ、交通スト真最中の首都ベルリンで共産党は45万票(37.7%)を獲得し、第一党を占めた。
1932年12月、ドイツ国会はナチスの指示により、無期休会に入った。もちろん、社会党も共産党もこれに反対した。
そして、1933年1月にヒンデンブルグ大統領はヒトラーを首相に任命した。ヒトラーは首相になると、直ちに「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」を発し、集会・出版の自由を制限した。また、政府転覆計画の阻止を口実として、ベルリンの共産党本部の家宅捜索を強行した。そのうえ、国会議事堂が炎上したことから、共産党員を一斉検挙し、社民党をはじめナチスの政敵2万5千人以上の身柄が拘束された。
3月5日、そのような状況下で国会選挙があり、ナチスは550万票ほど票を伸ばしたが、ナチ党単独では過半数をとれず、社民党が120議席(18.3%)と健闘した。さらに、ヒトラー政府は共産党の議席剥奪を宣言し、強制的に国会から排除した。
そして、3月に授権法(全権委任法)を制定し、政府が国会にかわって法律を制定できること、憲法に反してもよいこととされた。社民党は反対したが、賛成441、反対94で授権法は可決した。
憲法違反の法律を政府が国会にかけることなく制定できるというわけですから、まさに独裁国家です。ヒトラーの権力掌握過程は、私たち日本人も教訓として学んでおく必要があると思いました。
(2021年10月刊。税込1276円)

ゴミ収集とまちづくり

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 藤井 誠一郎 、 出版 朝日新聞出版
大学教授が清掃車に乗ってゴミ収集の現場を体験し、現場でつかんだ問題点を具体的に指摘している本です。学者が、研究を深めるために自分も清掃車に乗って働いてみるなんて、とても想像できませんが、すばらしいことです。
朝7時40分に始業時間の20分前に庁舎に入る。そして1時間の昼休みには、10分か15分ほど仮眠する。これで午後からの体の動きが良くなる。午後3時25分になると、入浴・洗身が始まる。染みついた臭いを落とすため、念入りにボディソープで洗身する。作業着を洗濯し、乾燥機にかける。退庁時間は午後4時25分。
清掃作業は危険をともなうので、安全教育が徹底される。
ゴミ収集作業は単純肉体労働のイメージだが、実際には、現場で、いかに効率良く完遂させるか、頭脳労働の側面もある。
過度な人員削減は、清掃職員に過剰な負担を強いて、モラルを低下させる。
清掃現場の人員削減のため新規採用をしないことは清掃職員のモチベーションの低下をもたらした。新人と接する年長者は、新人を教育するときに自らも学び成長していく。ところが、何年も新人が入ってこないと、そんな機会がなくなり、惰性で仕事をしがちになる。
家庭から排出させるゴミのなかには、コロナに感染した人のものがあるかもしれず、清掃員は清掃車に積み込み作業のなかで感染する危険性がある。清掃事務所でクラスターが発生して閉鎖を余儀なくされると、たちまちゴミ収集が破綻してしまう。
ゴミ量が増加する背景には、大量生産・大量消費・大量廃棄という社会経済システムが存在する。多くの企業は依然として廃棄物の分別や収集までを視野に入れず、これまでどおりの生産活動を続けている。
コロナ禍のもとで、ゴミ収集という日常生活に必要不可欠な職場で働いている労働者に被害を及ぼさないようにしてほしいものです。
(2021年8月刊。税込1650円)

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