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2021年8月 の投稿

「中国」の形成

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 岡本 隆司 、 出版 岩波新書
中国の清朝といえば、強大な王権を内外ともに誇示していた存在だと思っていましたが、この本を読むと、その内実はまるで違うようです。
清朝は、明末の政体・体制をそっくり受け継いだ。権力を握った満州人は、数のうえでも組織のうえでも、そして経験のうえでも、漢人の歴史ある制度を根底からつくりかえるには、あまりに非力だった。その立場からすると、当面の苦境を克服し、眼前の混乱を収拾して生きのびるだけで精一杯の実力だった。非力な分、清朝はモンゴルに対しても、チベットに対しても、彼我の力関係に対する鋭敏で冷徹な認識をそなえていた。
ジェシェン(女真)人は、かつて12世紀に金王朝を建てた種族の末裔(まつえい)。ジュシェンのヌルハチがマンジュ(満州)として自立した。豊臣秀吉の朝鮮出兵のころのこと。
ヌルハチは、1619年のサルフの戦いで、明朝と朝鮮の連合軍を破って大勝した。
ところが、1626年、ポルトガル製の大宝(紅夷砲)に屈して、まもなく亡くなった。
後を継いだのは8男のホンタイジ。ホンタイジは、チンギス裔の血縁で権威の高いチャハル家をとりこんで皇帝に即位した。そして、大清国を自称するようになった。ホンタイジ亡きあと、ドルゴンが摂政として国を治めたが、明から清への交代は、漢人が裏面で動いてなされたものだった。ドルゴンは39歳で亡くなり、順治帝も10年おさめて、24歳で死亡した。後をついだ康熙帝はまだ9歳。8年間、辛抱したあと、権臣を排除して康熙帝はようやく実権を握った。
満州人・清朝がカオスのなかを勝ち抜き、勝ち残ることができたのは、多分に偶然であり、もっというと奇跡だった。彼らは、同時代の集団としては、必ずしも強大な勢力ではない。人口だけでみても大陸の明朝はおろか、半島の朝鮮にも及ばなかったし、モンゴルと比べてもそうだった。
相次いで押し寄せる目前の難しい局面に、生きのびるべく懸命の対処をくりかえした蓄積が、自立と興隆につながった。清朝は、それだけ自らの非力な力量・立場をよくわきまえていた。虚心な自他分析と、臨機応変の感覚に富んでいた。それが偶然・僥倖(きょうこう)を必然化させ、多元化した東アジア全域に君臨しうる資質を生み出したばかりか、清朝そのものに300年もの長命を与えることになった。
清朝はリアリズムに徹し、現状をあるがまま容認し、不都合のないかぎり、そこになるべく統制も干渉も加えようとはしなかった。漢人に対する清朝の君臨統治は、かつて「入り婿」政治と言われたこともある。
外形的に清朝の建設を完成に導いた康熙帝の当世は、内実を見たら、派閥の横行・暗闇が絶えない時代でもあった。次の雍正帝の当世は13年間。父の康熙・息子の乾隆の60年に比べると、決して長くない。だが、その治績は、父・子をはるかに上回って重要だ。
清朝が漢人を支配して大過なかったのは、漢人とのあいだにズレがあることを自覚し、緊張感をもち続けたからだ。
祖父の康熙帝は、大局的なケチ、節倹の鬼だった。これに対して孫の乾隆帝は、贅沢の権化。乾隆帝が即位したとき、清朝の在立は、なお、盤石ではなかった。最大の敵対者、ジュンガルが健在だった。
漢人社会が巨大化していき、バランスが崩れていった。清朝・満州人の複眼能力は、相対的・絶対的に衰えた。白蓮教の反乱が起きたとき、常備軍の八籏・経営が軍事的に役に立たなかった。
清朝の内実を詳しく知ることができる、面白い本でした。
(2020年9月刊。税込902円)

ある日の入管

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 織田 朝日 、 出版 扶桑社
マスコミが報道しない、知られざる入国管理庁の実態をマンガでリポート。これはオビにあるキャッチフレーズです。本のサブタイトルは、外国人収容施設は生き地獄。
信じられないヒドイ処遇です。マンガなのでイメージがよくつかめます。そして、このマンガはプロの漫画家が描いたものではありません。本人が言うとおり稚拙な絵です。それだけにかえって迫真力があります。
東京は港区港南に東京入局管理局のビルがあり、建物の7階から上が収容施設になっている。近代的な外見の高層ビルだが、その内側は前近代的。
茨城県牛久(うしく)に収容送還専用の施設がある。JR牛久駅から路線バスで30分以上かかるところにある。2019年春、牛久の入管では、収容者による抗議のハンストがあり、最大時には100人もの収容者が参加した。
コロナ禍の下で、被収容者が解放され、2020年4月に224人いたのが、2021年2月には100人未満となった。その判別基準は明らかにされていない。
2020年6月にやってきた若い男性常勤医は驚くほど高圧的。
「犯罪者、私のいうことが絶対だ。嫌なら国に帰れ」
そして、制圧を先導し、自らも被収容者の身体を押さえつけたりしている。さらには、シャワーを2週間も使わせなかったり、外部からの差し入れを認めなかったり…。
入管当局は被収容者に対して「ルール違反」と言うけれど、本当は日本のほうが、世界の、国連の難民を受け入れのルールを守っていない。
被収容者たちは、「私たちは人間です」と叫んでいる。
入館の職員から「戦争がない国から来たのだから、難民じゃない」と言われたフィリピン女性がいる。フィリピンで反政府活動をしていたのに…。
難民認定の要件は、戦争があっている国に人に限られているわけではない。イラクやシリアなど、実際に戦争があっている国から来た人でも、日本はめったに難民として認めない。
日本の2019年の難民申請者は1万人をこしている(1万375人)。ところが、認定されたのは、わずかに44人。なんと認定率は1%にもならない(0.4%)。これは異常。ヨーロッパ諸国は毎年数万人の難民を受け入れている。
入管法違反は1万6千人超。そのうち不法残留が1万4千人超。不法入国は400人超で、不法上陸は140人。つまりビザのない外国人のうち不法入国はわずか3%のみ。
大半は、正規の観光ビザで入ってきて、オーバーステイになった人がほとんど。
高度成長期には、日本政府はビザを発給せず、黙認していたので、ビザがなくても警察につかまることはなかった。ところが不景気になったので、急にビザがないので犯罪者扱いするようになった。
日本の社会は、すでに、外国人労働者がいなければ機能しないようになっている。それなのに、外国人を差別したり、犯罪者視するのは人道に反するだけでなく、日本(人)にとってもマイナスになる。
入管に収容されているうちに亡くなる人が19人いる(1997~2021年)。大半は自殺または病死。2019年6月にはナイジェリア人男性がハンストを続けた結果、餓死してしまった。
入管の職員にひどい人が少なくないことは事実のようですが、なかには被収容者と仲が良く感謝されている職員もいるとのこと。マンガでも紹介されています。
目の前の仕事をこなしているだけで、入管制度について分かっていない職員がほとんどだと著者は書いています。きっとそのとおりなのでしょう。残念です。だったら、国民世論をぶつけるしかありませんね…。知られざる実態を広く世の中に知らしめる、いい本です。
(2021年2月刊。税込1430円)

南極探検とペンギン

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ロイド・スペンサー・ディヴィス 、 出版 青土社
エンペラー・ペンギンはペンギンの中でもとくに「貞操観念」が低い。離婚率は85%にも達する。多くのつがいが1年で別れ、翌年にはまた新しいパートナーとつがいになる。
エンペラー・ペンギンには、そもそも巣というものがない。そのため、同じ相手と続けてつがいになる動機に乏しい。したがって、エンペラー・ペンギンは愛の偶像などではなく、むしろ「離婚の守護聖人」とでも呼ぶべき生物なのである。いやあ、うっそー、と叫びたくなりました。
動物の2個体が戦っていれば、それはオス同士の戦いであり、卵を抱いて温めるのはメスの役目。これが疑う余地のない常識だった。しかし、両方とも間違っている。
ペンギンの卵も雛も、その世話には大変な手間がかかる。卵を生むのはメスだけど、メス一羽だけでは卵をかえして雛を立派に成長させることは不可能。
卵は年にたった2個しかつくれない。メスは卵1個に大きな投資をしているから、誰とどこで交尾するか慎重に選ばなくてはならない。失敗したら、その年の繁殖機会は失われてしまう。
ペンギンの繁殖が成功するために何より重要なのは、タイミングだ。親は、雛が十分な食べ物を得られるように、急いで行動しなくてはいけない。適切なタイミングで十分に大きく成長できるようにする。一定の期間で必ず、自力で生きられる程度にまで成長させる必要がある。羽毛が大人のものになるだけでは不十分で、その時点で十分な体重がないと、長く生きのびることはできない。
オスのペンギンにとって、交尾はそう簡単な仕事ではない。うつ伏せになったメスにただ飛び乗るだけではなく、同時に、自分のクチバシを震わせてメスのクチバシに当てなくてはならない。メスを興奮させるためだ。オスが精液を正しくメスの標的に命中させられるのは、わずか3分の1。そのうえ、交尾が成功しても南極では繁殖を失敗させる要因が無数にある。その最大のものが天候。
アデリー・ペンギンのメスの10%は、つがいの相手(オス)がいるにもかかわらず、近くの別のオスと交尾し、またすぐに元のオスのところに戻る。なぜか…。オスのなかに生殖能力のないオスがいる。なので、2羽のオスと交尾すれば、どちらかのオスに生殖能力がなくても、子どもが生まれる可能性が高くなるから…。うむむ、な、なるほど、ですね。
エンペラー・ペンギンのオスは、寒い南極の冬のあいだ、合計で3ヶ月間も、何も食べずに生き抜く。オスはメスが帰ってくるのを待つあいだ、雛に食べさせるために、自らの身体の組織を削って雛のエサをつくり出す。そのエサは「ペンギン・ミルク」と呼ばれている。
ペンギンは、実は「売春」もする。アデリー・ペンギンのメスは巣を補強するための石を求めて、独身のオスに近づく。独身のオスは石を集めている。メスは交尾させるふりをしてオスの気を引き、石から注意をそらさせ、さっと石の一つを失敬してしまう。メスがオスから、この手口で62個もの石を奪いとったことがある。石はペンギンのコロニーの中で、通貨のような役割を果たしている。交尾させ、その代わりに石を受けとる。オスも石という通貨を支払って、交尾を買っている。
ペンギンは、同性愛、離婚、不倫、強姦、売春をしている。これは、繁殖を成功させるのが容易ではない環境の下で長年生きていた結果、そういう行動をすることになったということ。
自然選択とは、単に勝った者が生きのびるということであって、良い手段をとったから生きのびるというわけではない。
ペンギンほど、外見の個体差のない動物はいない。外見からだけでは、ペンギン自身でさえ、オスとメスを見分けることができない個体の識別も不可能だ。
オスはメスと交尾したら、メスのそばにとどまって、共に助けあって子育てしなくてはならない。ペンギンの雛が卵からかえって4日から6日間は食べ物を与えられなくても生きられるが、与えられなければ、餓死してしまう
アデリー・ペンギンは、冬の移動中に多くの個体が死んでいく。6羽のうち1羽、ひどいときには4羽のうち1羽が死ぬ。そして、つがいだった2羽が両方とも無事にコロニーに戻ってきても3組のうち1組は再びつがいにはならない。つまり離婚する。
はじめてのメスは、低い声のオスを好む。一般に身体が大きいほど声は低くなる。メスが新たなパートナーを選ぶには、いくつかの重要な条件がある。決定権は常にメスだけにある。
アデリー・ペンギンでは、コロニーにおける戦いは、オスをめぐってメス同士が戦うものが多い。
南極の夏はあまりにも短いので、オスの帰りが遅いと、メスには長々と待つ余裕はないので、別のオスを選ぶ。つまり離婚する。
前年に繁殖に成功しなかったつがいは、たとえ再びつがいになっても、結局、別れてしまうことが多い。そして、そのつがいは、互いの絆を強める行動をとらない。
ミューチュアル・コールのとき、2羽は胸と胸をつきあわせるように立ち、同じように大きな声で鳴く。クチバシを空に向け、互いに頭を振りあう。
ペンギンたちが同じ相手と一生添いとげることはせず、頻繁に離婚し、パートナーを変えるのには十分な理由がある。なによりペンギンたちには時間がない。繁殖につかえる期間はごく短いので急がなくてはいけない。そして繁殖の成功率は高くない。なので、親鳥たちは、条件が良くなり次第、できるだけはやく繁殖行動を開始すべきことになる。
1912年3月、南極探検のアムンゼン隊とスコット隊との違い、そして、スコット隊の中にジョージ・マレ・レビックというペンギン研究の研究の生存者がいたことを紹介しつつ、ペンギンの性生活を明らかにしていくという興味深い本です。少しでもペンギンに関心のある人には超おすすめの本です。
(2021年5月刊。税込3080円)

使うあてのない名刺

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 桃井 恒和 、 出版 中央公論新社
読売新聞の社会部記者から巨人軍社長になった著者のエッセイ集です。
この本を読んでいてもっとも驚いたのは、中国大陸での抗日戦の主役だった八路軍(パーロー。中国共産党の軍隊)の聶栄臻(じょうえいしん)将軍が日本人孤児の少女とツーショットでうつっている有名な写真がありますが、その少女を探りあてたのが著者だったという話です。ときは1940年(昭和15年)の写真です。
調査の結果、満鉄グループの華北交通の駅の助役夫婦が亡くなったことが判明し、その夫婦に美穂子という長女がいるというので、宮崎県都城市まで将軍とツーショットの写真をもって会いに行ったのです。すでに40年たっていて、本人には当時の記憶は何も残っていない。ところが、アルバムを見ているうちに、やっぱり間違いないと確信し、美穂子さんに将軍あての手紙を書いてもらった。そして、「写真の少女は私です」という大きなスクープ記事となって、美穂子さんは中国に招待され40年ぶりに将軍と再会したのでした。
私も、この写真は何回も見ていて知っていました(最近も福岡で展覧会が開かれていたと思います)。新聞社の取材力というのはすごいですね…。
著者が読売新聞の社会部長をしていたとき、新宿の歌舞伎町にある雑居ビルで火災が起き、44人が亡くなったが、死者の多くがキャバクラ嬢だった。この犠牲者を実名で報じるか匿名にするかというとき、悩んだあげく実名にしなかったというのです。
キャバクラ勤めは不名誉なことなのかという疑問を抱きつつも、遺族は、娘がキャバクラ嬢をしていて非業の死をとげたことが世間に知られたら、二重に悲しませることになりはしないか…。
私も、匿名にして良かったと思います。これは職業に貴賤なし、というのと違ったレベルの問題だと考えるからです。
著者が今、嫌いなものは三つ。ヘイト・スピーチ、ネット上にとびかう匿名の誹謗中傷、そして、上から目線の「寄り添う」という言葉の安易な使い方。いずれも、まったく同感です。
著者が読売巨人軍の球団社長に就任するときの話もまた衝撃的です。
「巨人軍のスカウト活動で不祥事があり、球団の社長も代表も辞めることになった」
上司はこう言って、一枚の紙を目の前に置いた。新しい球団社長が著者になっている。
「いつからですか?」
「明日から」
うむむ、人間社会の人事って、そんなこともあるのですね…。
ところで、この本のタイトルの意味は…。
著者が巨人軍を離れたのは、選手の野球賭博が発覚した責任をとっての突然の辞任。名刺はもう使えない。使うあてのない名刺を処分し、肩書のない名刺をつくってみた。でも、今度は使う勇気がない。
たかが名刺、されど名刺…。
もちろん私は弁護士という肩書のついた名刺を今も使っています。相談者の心配を打ち消すのに必要だと思えば惜し気なく、何枚だって名刺を渡します。でも、こんな人とは関わりたくないなと思ったら、決して名刺は渡しませんし、相談料もいただきません。
日弁連副会長としての苦楽をともにした須須木永一弁護士(横浜市)と同級生だということで贈呈していただきました。心にしみる話ばかりです。ありがとうございました。
(2019年2月刊。税込1760円)

こうして生まれた日本の歌Ⅱ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 新日本出版社
9.11事件のとき、著者は朝日新聞のロサンゼルス支局長として赴任したばかりだった。ロサンゼルスにも高層ビルに飛行機が突っ込むというデマが流れ、中心街はゴーストタウンになり、誰も出勤してこなかった。このとき、テレビでは、何回も「カミカゼ」という言葉が流れた。テロリストは神風特攻隊と同じだというのだ。こんな日本語は世界で流行ってほしくありませんよね。カラオケはともかくとして…。
ロサンゼルスには、私も若いときに行ったことがあります。リトル東京というブロックがあり、ホテル・ニューオータニがありました。著者は、そこで、映画「青い山脈」に出演した杉葉子に出会ったというのです。この「青い山脈」は私もみましたが、つくられたのは私の生まれた翌年の1949年です。軽やかな歌の流れる青春映画です。自転車で通学する高校生は成城学園高校の女生徒たちがモデル。「若く明るい歌声に…」というフレーズが耳の奥に残っています。
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」がつくられた経緯も心を打ちます。長崎の小学校の同級生に貧しい家のヨシオがいた。その母親は授業参観の日に、ハンテンにモンペという作業服でやってきた。著者は土方作業員の母親が働いている現場をみたが、母親は、地らなしの重しの網を引っぱるとき、「ヨシオのためなら、エンヤコーラー」と叫んでいた。
美輪明宏がシャンソン喫茶でこの歌をうたうと、客は最初、力仕事をする労働者への軽蔑、優越感から卑しい顔をして笑っていた。それが、最後になると涙に変わった。テレビで歌うと、開局以来のかつてない反響があり、2万通もの投書が届いた。私も、たまの日曜日、この歌を聞いて、心の中で涙を流します。
この本には、大牟田市で講演したときの話も登場します。森田ヤエ子作詞、荒木栄作曲の「がんばろう」に歌はあまりにも有名だ。といっても、今の大学生には知られていないかも…。
「花を贈ろう」という歌が紹介されていないのが私には残念でした。東京へ去っていく仲間にオレンジの花を贈るという、とても感動的な歌です。ぜひ、ネットで探して聴いてみてください。
荒木栄の碑は今も米の山(こめのやま)病院の玄関前にあります。
最後に横井久美子。惜しいことに2021年1月に病死してしまいました。私は横井久美子の澄んだ声、そして歌詞が大好きで、たくさんのCDをもっています。
この本では、ベトナム戦争反対を歌う「戦車は動けない」、「自転車に乗って」、「なみちゃん」そして「私の愛した街」が紹介されています。「自転車に乗って」の歌詞は横井家の現実とは逆だったというのは笑わせました。歌詞では、母親が夫と子どもをたたき起こすとなっているが、本当は、しっかり者の長男が寝不足の母親を起こし、グズグズしないようにせかしていたのでした。
いやあ、いい本でした。ぜひ、あなたも読んでみてください。心の中に軽やかなメロディーが流れて来て、心が洗われますよ。
(2021年5月刊。税込1760円)

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