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2021年8月 の投稿

顔の進化

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 馬場 悠男 、 出版 講談社ブルーバックス新書
人間の顔を研究する「日本顔学会」なるものがあるそうです。1995年の設立です。それほど人間の顔には特別なものがあるわけです。
残念ながら、今のコロナ禍の下では、マスクに顔の大半が覆われていますので、顔の全体がよく分かりません。でも、眼が見えると、それだけでも、人柄はあらわれます。街頭ですれ違うと、あれれ、今の人、誰だっけ…、ということはよく起こりますが…。
人間でも、家族の匂いをかぎ分けられる人は多い、そうです。信じられません…。そして、クラス全員の匂いを個体識別できる小学生が沖縄にいるとのこと。これまた、ウッソー…でしょう。といっても、香水をつくる人は鼻がすごいと言いますから、きっと本当なんでしょうね。
ゾウの臼歯は、5回も生え替わる。一生のうちに、ゾウの歯は1メートルもすり減る。
犬は匂いをかがないと、食べる行為が誘発されない。
オオカミは獲物の匂いをたどって長距離を追いかける。そこで、鼻面を地面に近づけながら走る必要がある。なので、オオカミの顔は長い。
ヒトの顔の構造は「4階建て」。口、鼻、眼、額。鼻は2階から3階へ続いているので、「吹き抜け」。
眉毛(まゆげ)は汗よけ、睫毛(まつげ)は埃(ホコリ)よけ。
アラブ諸国では、髭(ヒゲ)を生やすことが成人男子の証(あかし)。ヒゲを生やさないと女性と見なされることもある。ヒゲはものすごく濃く、カミソリの刃を一人ひとり交換する必要があるほど…。
ヒトは「白眼」(しろめ)を露出させることによって視線を明らかにすることによって相手に注目していることを示し、それで個体どうしの社会的な関係を維持している。
鼻があるのは、メガネをかけるためではなく、その奥の鼻腔の粘膜が、吸気を暖め、水分を与え、異物を取り除き、さらに呼気から熱と水分を吸収するため。
鼻毛はヒトに特有のもの(らしい)。
ヒトの額が目立つのは、脳が大きくなっただけでなく、丸くなったため。
アジア人の顔は四角柱で、ヨーロッパ人は三角柱。アフリカ人の髪の毛が縮れているのは、髪の毛に汗を溜めて、ゆっくり蒸発させることによって頭の温度を下げる効果があることによる。
ヒトの顔の成り立ちを知ることのできる面白い新書です。
(2021年1月刊。税込1100円)

ウィリアム・アダムス

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 フレデリック・クレインス 、 出版 ちくま新書
三浦接針。つい先日、長崎県平戸市でアダムスの遺骨だと判明したというニュースが流れました。ええっ、徳川家康に重宝されて江戸に住んでいたのではなかったの…。そんな疑問がこの本を読んで解けました。徳川家康からはイギリスへ帰国しないでくれと懇願されていたようですが、家康が亡くなり、秀忠の時代には疎遠となり、イギリスが商館を開いていた平戸に行き、そこで病死したというのです。
でもアダムスにはイギリスに妻子がいるほか、日本にも妻子がいました。日本人の妻はカトリック教徒だったようです。アダムスの死後、どうしたのでしょうか。また、息子と娘がいましたが、その子どもたちはどうなったのでしょうか。秀忠はキリスト教を厳しく禁圧しましたので、ひょっとして、その犠牲になったのでしょうか…。そこらはこの本に書かれていませんが、ぜひ知りたいところです。誰か教えてください…。
それでも、三浦接針となるまでのウィリアム・アダムスと、彼を取り巻く世界情勢がよく解説されていて、とても興味深い本です。
ウィリアム・アダムスは、オランダ船に乗っていたけれど、イギリス人の航海士。このころ、イギリスはエリザベス女王の治世下。イギリスは、軍事力ではスペインの足下にも及ばないので、スペインとの全面戦争を避けていた。
それでもイギリス船はスペインの船を襲って掠奪していた。それで名を上げたのがフランシス・ドレイク。アダムスが青春時代を送った1570年代のこと。スペイン艦隊からイギリス船団が奇襲攻撃を受けてなんとかドレイクは逃げのびたこともあった。このように、イギリスとスペインは互いに憎悪の関係にあった。
イギリスはスペインの無敵艦隊との海戦で大勝しましたが、そのとき、ドレークの艦隊にアダムスも乗っていた。戦争のあと、アダムスはイギリスのバーバリー商会に就職し、船長あるいは舵取りとして働いた。そして、オランダ商船団がアジアに行くのに乗り込んだのです。
この船団の真の目的は、太平洋に面した南アメリカの海岸でスペインの拠点と船を狙って財宝を略奪し、それらの財宝をもとにアジアで貿易することにあった。
なので、アダムスの乗っていたリーフデ号が遭難して大分県臼杵湾にたどり着いたとき、船内には大量の武器があったのです。大型の大砲19門、複数の小型大砲、鉄砲5百挺、鉄砲弾5千発分、鈷弾3百発分、火薬50キンタル(3千キロ近い)、鎖帷子(くさりかたびら)入りの箱3個、火矢355本、現金2千クルサンド(4千万円)、そして毛織物入りの大箱11個。24人の船員には商人らしきものはおらず、船員は兵士の船体をしている。
イエズス会の宣教師たちは、このオランダ船の船員が「異端者」だと分かって、すぐに悪口を言いたてはじめた。
家康はこのとき59歳、アダムスは大坂城に連れてこられて家康から直接の尋問を受けた。ときに1600年5月12日のこと。家康は、イギリス人(アダムス)とオランダ人(ヨーステン)に興味津々で、質問を重ねた。ヨーステンは、八重洲と名を残しているのでしたよね…。
アダムスは世界地図を示して家康に話したようです。また、家康の命令で船の建造もしています。関ヶ原の戦いや大坂夏・冬の陣などで多忙な家康でしたが、アダムスをそばに置いて、いろいろと質問攻めしたようです。アダムスも、そのうちに身につけた日本語で答えていたと思われます。家康は好奇心旺盛の人物だったんですね。
イギリスとオランダ、そしてカトリックの宣教師たちとの敵対関係、競争関係にアダムスは翻弄されたようです。一枚岩ではなかったのです。三浦接針についての興味深い本でした。もっともっと知りたくなりました。
(2021年2月刊。税込1012円)

「セレモニー」

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 王 力雄 、 出版 藤原書店
店のレジでお金を支払うとき、必ず、「○○カードは持っていませんか?」とたずねられる。そして、多くの人は訊かれる前にカードかスマホを差し出している。私はスマホも○○カードも持っていない。
○○カードを使うと、70代の男性が、○○日の○○時(雨あるいは晴れ、湿度23度)に○○を○○で買ったということが永久に消えない記録として残る。それを1週間、1ヶ月そして1年間も分析の対象とすると、その人のいろんな傾向が判明する。何を好んでいるのか、何にお金を使うのか、どんなものを好んでいるのか、友人はいるのか、どんな人なのか…、ビッグデータも駆使して、すべてを究明し尽くす。そんなことにならないように、尾っぽをつかまれたくないので、スマホをもたず、○○カードも持たない私です。もちろんマイナンバーカードなんて申請する気はありません。
中国では、「維穏費」として1兆4千億元が国家予算の5.9%を占めている。国防予算のほうは、それより少ない1兆2千億元だった。維穏費とは、警察等をつかって社会の安定を維持する費用のこと。この維穏費は、2013年の7700億元に比べて、5年間に倍増した。
この本では、人々を個別に監視する方法として靴にネットのタグが取り付けられているという想定になっています。個人の行動がそれで識別され、実のところ性生活の微細な行動まで当局は手にとるように分かる仕掛けだというのです。
最近の国産の靴も外国産の靴にも、すべてにSID(セキュリティ識別子)が取り付けられている。すべての靴が、移動中通信ネットワークに紛れている高周波によって、認識と追跡が可能になっている。いやあ、たまりませんね。国家が個々の人々の生活行動のすべてを把握できるというのです。
いま日本政府が鳴物入りでマイナンバーカードを人々にもたせようと笛を必死に吹いていますが、そんなのに乗せられたら、丸裸同然です。私は嫌です。ご免こうむりたいです。
何も悪いことしていないんだったら、いいじゃないか…、とは思いません。政府とは、たとえば今のスガ政権です。まともな日本語の会話も国会で出来ないような首相の下で、私の私生活が握られているなんて気色悪すぎます。
著者はあとがきで、テクノロジーによる独裁が外部から崩壊させることが不可能なことを描いたと語っています。テクノロジー、インターネットの発達が必ずしも人々の個人としての生活を豊かにするものでは決してないことをほんの少しだけですが、実感した気分に浸りました。近未来の怖い話を予測する小説ではありますが…。
(2019年5月刊。税込3080円)

エルサレム以前のアイヒマン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ベッティーナ・シュタングネト 、 出版 みすず書房
ショッキングな本でした。580頁もある大部な本ですが、アイヒマンの本当の正体を知りたいと思って必死の思いで読み通しました。
エルサレムでのアイヒマンの裁判を、ずっと傍聴していたアンナ・ハーレントはアイヒマンについて「悪の陳腐さ」、「凡庸な普通の人間」の犯した凶悪犯罪と評しましたが、それが正しかったのかどうかという点に関心がありました。
この本によると、アイヒマンは、エルサレムに拉致・連行される前に、自らすすんでユダヤ人600万人を大虐殺したことを誇らし気に仲間内で語っていた(録音していた)というのです。なので、エルサレムで尋問されるとき、初めて問われて答えているとは思えなかったと尋問官は感じていたとのこと。これには本当に、驚きました。
もう一つ、アイヒマンがアルゼンチンにいることは、イスラエルのモサドによって拉致されるより何年も前に情報が寄せられていたという事実がありました。しかし、それは、アイヒマンが中近東あたりに潜んでいるというガセネタと同じレベルで扱われてしまい、重要視されなかったというのです。
いずれにしても、アイヒマンは戦後、ドイツにしばらく潜伏し、そこから元ナチスの逃亡ルートに乗ってアルゼンチンにたどり着いたこと、アルゼンチンでは元ナチのメンバーの助けを得て、それなりの市民生活を送っていたこと、そのうえで妻子をドイツから呼び寄せ、アルゼンチンで赤ん坊をもうけたことなど、驚くべき事実を知りました。
アイヒマンはナチス時代にしたことをまったく反省しておらず、録音つきの取材でも、ユダヤ人の大量虐殺を得意気に話していたのです。となると、ハンナ・アーレントの裁判傍聴によるアイヒマン像は大幅に修正する必要があるのではないでしょうか。
アイヒマンは、ユダヤ人絶滅の全体像を大まかにでも見通せた。わずかな人間の一人だった。アイヒマンは、直接にユダヤ人の拷問や殺人に加担していいなかったため、つまりユダヤ人絶滅の現場から距離があったことから、かえって全体を見通せた。
アイヒマン一家は、最初はベルリンに、その後ウィーン、最後はプラハに住んだ。
アイヒマンは1956年3月19日に50歳の誕生日を迎えた。3番目の息子が生まれたばかりだった。
アイヒマンがサッセンに語り始めた(録音された)のは1957年4月からだ。アイヒマンは、シリーズ本の1巻を出せることを得意に思っていた。この本は、アイヒマンの死後に出版されることになっていた。
アイヒマンはドイツで戦犯として法廷に立たされたとしても、せいぜい4年か6年の刑ですむだろうと考えていた。アイヒマンは妻に対して、ユダヤ人を一人も殺していないし、殺すように命令したこともないと言っていた。戦争で、ドイツが700万人もの戦死者を出しているので、ユダヤ人の600万人という絶滅収容所での死者と相殺できるとアイヒマンは考えていた。
アイヒマンが仕事の帰り、自宅近くでモサド(イスラエルの秘密機関)によって拉致されたのは1960年5月11日のこと。このアイヒマンの拉致は、1945年5月の敗北以来のどんな出来事より、SS隊員など、ユダヤ人の大量殺戮に加担した共犯者たちの生活に深刻な変化をもたらした。
アルゼンチンにおいて、アイヒマンの正体を知らない人にとって、アイヒマンはときにバイオリンを弾いてくれる、子どもから好かれる存在だった。アイヒマンは、アルゼンチンでニワトリ5000羽と、アンゴラウサギ1000羽を飼っていた。
アイヒマンについての確実な情報は、1952年6月24日、ドイツのゲーレン機関への通報だった。「アイヒマンは、エジプトにはおらず、クレメンスという偽名で、アルゼンチンにいる」
しかし、この情報に対して西ドイツでは8年間、何もしなかった。
アイヒマンは、この年(1952年)7月28日、7年のあいだ、別れていた妻と2人の子どもをアルゼンチンに呼び寄せた。
アイヒマンは自分のやったことを何も忘れてはいなかった。ただ、自分の歴史観を相手にあわせて変え、偽装の腕前を上げていった。
アイヒマンは、ユダヤ人の大量射殺、労働による殺人、飢餓による殺人、ガス殺のすべてを知る唯一の人間とみなされていた。これはアイヒマン本人が自分で築きあげた「名声」だ。
1957年4月以降、毎週土曜日と日曜日にユダヤ人の「最終解決」について議論した。このとき、アドルフ・アイヒマンとして議論に参加した。アイヒマンは、この時、戦争終結から12年後、誰からも強いられることなく、この大量殺戮者は、一同の前で、録音テープのまわる部屋で、ユダヤ人絶滅はあった、それは、何百万人もの殺人まさに完全なジェノサイドであることを、そしてアイヒマンもそれを望み、計画したことを、そして、この計画を今も正しいと考えていること、それに関与したことに満足していることを繰り返して言った。
アイヒマンは、国民社会主義者(ナチス)であり、それゆえにこそ、確信犯的な大量殺戮者だった。
アイヒマンがアイヒマンとして自分のやったことをトクトクと語った録音テープがあるというのも信じられません。幸か不幸か、それは本になっていません…。アイヒマンとは何者なのか…、というのを知るには欠かせない資料だと思いました。大部だし、高価ですが、一読の価値が大いにあります。
(2021年6月刊。税込6820円)

ディズニーとチャップリン

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版 光文社新書
チャップリンとヒトラーは同じ年の同じ月に生まれた。チョビヒゲをはやしはじめたのも偶然に同じころのことで、一方が他方を真似たのではない。
ディズニーはチャップリンに憧れて役者になった。つまり、チャップリンよりもぐんと若い。
二人はある時期までは仲が良く、チャップリンはディズニーに大切なことを教えた。
「自分の作品の著作権は他人の手に渡したらいけない」
ディズニーのミッキーマウスは今も生きている。そして、チャップリンだって、何度も何度もリバイバル上映され、その浮浪者姿は今でもアイドルのように人気がある。
著者は日本のチャップリン協会の会長をつとめるだけあって、いくつかのチャップリンの伝記は、格段の深さがあります。
チャップリンは貧しい芸人夫婦の下で育ち、5歳のときから舞台に出ている。庶民向けの劇場で幕間の芝居を演じる。短い上演時間、ほとんど一人芝居で客の心をつかむ演技術を身につけた。5歳から24歳までの20年間に、さまざまなジャンルの舞台に立ったことが、のちに映画において監督、脚本、プロデューサー、作曲を一人でこなす多面的な才能と、喜劇と悲劇とを融合させた、独自の作風を生みだす礎(いしずえ)になった。チャップリンは、早くから海外講演を経験し、地域によって笑いの嗜好に大きな差があることを知っていた。
チャップリンが映画にデビューした当時、1914年の週給は150ドルから1250ドルになった。そして、1916年には、週給1万ドル、ボーナスもあわせると年間67万ドル(今の年収11億円)の映画俳優になった。
チャップリンは、動いている姿が世界中に知られた初めての人物。
チャップリンとディズニーには、家族関係で、とても重要な共通点がある。チャップリンは4歳上の異父兄シドニーを、ディズニーは8歳上のロイを、それぞれ心から慕っていた。二人の兄は、有能なビジネスマンとして弟をよく支えた。
チャップリンの映画『サーカス』(1928年)のなかのライオンの檻に閉じ込められるシーンから、高所での綱渡りシーンまで、命がけのギャグはすべてスタントなし、チャップリン本人が演じた。すごいですね。香港の映画スターのジャッキー・チェンも本人が演じていますよね。
チャップリンは想像力の躍動と、観念の脱構築で笑いを生み出した。チャップリンは、ただのモノも、想像力によって生きている身体に変えてしまったのだ。
ディズニーは、どんな苦境に陥っても、それを物語の一シーンのように捉えて力に変える前向きな気持ちと、独立心だけは失わなかった。これこそが、ディズニーをディズニーたらしめる才能だった。ディズニーは信頼していた人たちの裏切に直面し、「もう絶対に他人(ひと)には使われない。生きている限り他人のためには働かない。自分は自分のボスなんだ」と決意した。
 猫のフィリックス、うさぎのオズワルドときて、次は、キュートで小さな動物ならネズミ(マウス)だ。ミッキーのアイデアは、チャップリンに借りがあるとディズニー自身が認めた。ミッキーは、ディズニー本人そっくり。冒険心や正義感にあふれているが、知的教養とはあまり縁がないという存在。ミッキーマウスは、ディズニー自身であると同時に、ディズニーが憧れてやまなかったチャップリンそのものだった。
トーキー(音声付き)映画になって、ミッキーの声は、ディズニー本人が担当した。これまた恐るべきことですね。
チャップリンの放浪紳士は、報われなくても愛する人のために献身的に尽くし、ときに権力の象徴たる警官のお尻もけりあげる。そして、きれいごとだけでは生きていけないことを知っているので、生活のためには、少しの悪事も働く。なので、決して聖者ではないが、厳しい現実とたたかう武器はユーモアしかないことを教えてくれる、心優しい放浪紳士だ。
チャップリンとディズニーに共通するのは、子どもの視点だ。二人とも子どもと同じ視点で、遊び、考えることができた。
チャップリンはユダヤ人ではない。祖母の家系にジプシーがいて、チャップリンは、それを誇りに思っていた。ところが、ヒトラー・ナチスはチャップリンをユダヤ人評論家が絶賛したことから、チャップリンもユダヤ人に違いないと決めつけ、徹底的に攻撃した。
信じられないことに、このころ、アメリカの世論の大部分がヒトラーを支持していた。恐慌を切り抜けたリーダーとして、ヒトラーはアメリカでも英雄視されていた。
これに対して、チャップリンは映画『独裁者』をつくって、ヒトラーを笑い者にした。
ヒトラーをはじめ、ナチスの幹部はディズニー作品のファンだった。
ディズニーの父親は社会主義を信奉していた。ディズニーは、その反発もあって、労働組合を憎んだ。労働者の権利を叫ぶ労働組合は、アメリカの理想に敵対するソヴィエトの共産主義が送り込んだ毒と思い込んでいた。
最後まで大変深い分析が続き、290頁あまりの新書を3日間で読みあげました。一読をおすすめしたいと思います。でも、今の若い人って、『街の灯』とか『キッド』って、いったいどれだけみているのでしょうか…、ぜひみてほしい映画です。
(2021年6月刊。税込990円)

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