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2021年8月 の投稿

戦国佐竹氏研究の最前線

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 佐々木 倫朗、 千葉 篤志 、 出版 山川出版社
江戸時代には秋田藩を治めた佐竹氏は、今もその末裔が県知事ですよね。ところが、戦国時代には関東にあって、小田原北条氏と対抗していました。
さらに、伊達氏の関東進攻を阻み、豊臣政権の下で54万国の大々名となった佐竹氏。
佐竹氏は常陸北部から起き上がった。そして佐竹義重は北条や伊達と戦った。
感状(かんじょう)とは、主君が部下の戦功を賞して出す書状。官途状(かんとじょう)とは、主君が部下の戦功を賞して、特定の官位を私称することを許す書状のこと。
陣城(じんじろ)とは、合戦(かっせん)のとき臨時に築かれた城のこと。
「洞」(うつろ)という耳慣れない目新しい言葉が出てきます。洞とは、濃厚な一族意識を含む、血縁関係にある一族を中心として、地縁などの関係をもつ者を擬制的な血縁関係に位置づけて包摂する共同体、またはそのような結合原理を示している。佐竹氏による権力編成の方法そして、血縁以外には、官途、受領(ずりょう)、偏諱(へんき)の授与、家臣の田の取立があげられる。
洞とは、血縁関係にある一族を中心として、それに非血縁者を擬制的に結合させた地縁共同体あるいはそのような結合原理。洞は、それぞれの階層に個別に存在し、大名クラス。勢力が構成する「洞」には、周辺の国人(在地領主や地侍)や大豪クラスのつくる「洞」が包摂され、包摂された国人クラスの洞のなかに、さらに下の階層の「洞」が包摂されるという、重層的な構造で成り立っていた。
関ヶ原の戦いのころ、佐竹氏は戦局に影響を支えるだけの軍事力をもち、実際、東西両軍にその存在を強く意識されていた。しかし、佐竹氏は軍事行動を起こして、その旗幟(きし)を対外的に鮮明にすることはなかった。なぜなのか…。
佐竹氏の内部では、積極的に西軍に加担しようという空気は醸成されておらず、上杉氏との協定も東軍による佐竹氏領国への侵攻を心配した佐竹義宣の焦りから、内部の意思統一が図られないまま、性急に結ばれたものだったと解するほかはない。
佐竹氏のもとでも鉄砲が大量に使われていたというのには驚きました。戦国大名の実情を知ることのできる本です。
(2021年3月刊。税込1980円)

パチンコ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 杉山 一夫 、 出版 法政大学出版局
ミン・ジン・リーの『パチンコ』を歴史的に裏づけるような本です。といっても、ミン・ジン・リーとは関係なく、著者は一貫してパチンコの歴史を追いかけてきました。私より少し若い団塊世代で、本業は版画家です。パチンコの詳しさは並はずれています。
昭和27年、パチンコ店は4万2000軒。前年は1万2000軒でしたから、4倍近い増加率。
電動化される前、左手でもてる玉数は10~15個、親指で1個ずつ玉入れ口に押し出し、それと連動させ、右手で打つ。素人は、どうがんばっても1分間に50~60発。ところが、パチプロは、その倍の120発を楽々と打っていた。
プロは1分間に100発以上打てたというのですが、これは素人でしかなかった私には、とても真似できません。西部劇に出てくるガンマンの早撃ちと同じです。
1973(昭和48)年に電動ダイヤル方式ハンドルが登場するまで、パチンコは親指でパチンと弾く、日本の大衆娯楽だった。
司法試験の受験生のころ、東横線の都立大学駅前で降りて都立図書館に通って勉強していたことがあります。駅前にパチンコ店があり、つい午前10時の開店にあわせてフラフラと入店しパチンコに撃ち興じたことが何回かあります。勉強しなくては…という罪の思いがありましたが、午前10時だと台が選べますので、ジャンジャンとチューリップが開いて、大当たりになり、チョコレートなどの景品をたくさん下宿に持って帰り、近くに住んでいた仲間に分けてやったことを覚えています。でもでも、こんなことをしていたら、とても勉強に専念できないと一念発起し、その図書館通いは止めました。
パチンコは、実は、日本人の発明。パチンコ産業のピークは1995(平成7)年で、30兆9020億円。これは、この年の国家予算の半分の規模。いまでは衰退産業とも言われているが、それでも年間20兆円の基幹産業である。
パチンコは日本の警察管理のもとにある。開業から、玉の大きさ、貸し玉の値段、出玉の数、景品の内容に至るまで、隅から隅まですべて警察が規制している。いわば、パチンコ産業は警察の利権の拠点と化している。警察の許可がなければ何ひとつできないのが、パチンコ店とパチンコ機。各県の遊技共同組合には警察OBが大量に天下りしている。いま自民党の平沢勝栄代議士が警察長の保安課長のとき、全国共通のプリペイドカードの会社を認可した。
パチンコ業界は自民党に多額の献金をしているし、朝鮮総連を通じて北朝鮮に送金してきた。これは、どちらも公然の秘密だった。
CR機の登場によって、パチンコは名実ともに日本の基幹産業になった。
電動式パチンコ台が導入される前、パチンコ店には釘師(くぎし)がいました。弁護士になった私の依頼者にもそれを職業としている人がいました。ほんとうにごくごく微妙な傾きで玉の動きを左右するというのです。
そして、パチンコ台の裏には大勢の人が働いていました。「島裏」の女性従業員が10万人もいたというのですから、驚きです。それを、パチンコ店は電動化、自動化していって、無人化したのです。よくぞここまでパチンコの歴史を詳しく調べたものだと驚嘆しました。
(2021年3月刊。税込3520円)

テンプル騎士団全史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ダン・ジョーンズ 、 出版 河出書房新社
神の教えと剣(つるぎ)に生きた男たち。巡礼者でありながら戦士。貧者でありながら銀行家。それがテンプル騎士。
テンプル騎士団は、11世紀から14世紀にかけて、中世ヨーロッパと聖地に存在していた多くの修道会の一つ。知名度の高さは群を抜いていて、どの修道会よりも物議をかもした。
テンプル騎士団の設立は1119年。当初こそ貧しかったものの、やがて国王や教皇らと親しい関係を築いた。戦費調達を助け、国王の身柄解放のためのお金を貸し付け、王国政府の財務管理を請け負い、徴税し、城塞を建設し、町を治め、軍隊を訓練し、貿易摩擦に介入し、ほかの騎士修道会と暗闘をくり広げ、政治的な抹殺もいとわず、特定の者を王位につける手助けもした。当初こそ貧しかったものの、テンプル騎士団は、ついに強大な組織となり、中世後期まで存続した。
14世紀はじめ、突如、テンプル騎士団の総長以下が逮捕された。男色と異端の温床として迫害され、拷問を受け、見せしめの裁判にかけられ、自白させられ、集団で総長以下は火あぶりの刑に処せられた。そして、テンプル騎士団の全財産が没収された。
1307年10月から11月にかけて、フランス王フィリップ4世の命令によってジャックド・モレー総長以下、数百名のテンプル騎士団のメンバーが逮捕され、容赦ない拷問にかけられた。テンプル騎士団に入団するとき、背中やへそに口づけし、三度キリストを否認し、十字架に唾棄する。これを自白させられた。テンプル騎士団のメンバーは拷問に耐えられず、とりあえず自白し、教皇の赦しを得ようと考えた。
ところが、当初はフランス王の強引さを嫌っていた教皇も、自白による証拠をたっぷり見せつけられ、ついにテンプル騎士団を有罪と信じるようになり、フランス王の要求を受け入れても仕方ないと考えるようになった。こうやって、テンプル騎士団の逮捕されたメンバーは、1307年から3分の1が耐えられずに5年内に死亡した。
テンプル騎士団は無罪だという陳情が始まると、フィリップ4世は、急いで54人を火あぶりの刑に処した。すると、それを見て、恐怖のあまり、たちまち陳情団のメンバーは腰くだけになった。
人間は拷問に弱いものです。フィリップ4世はテンプル騎士団を亡きものにし、その全財産の没収を図った、つまり明らかな冤罪事件だったのです。
テンプル騎士団の残った全財産は聖ヨハネ騎士団に譲渡されたというのですが、フィリップ4世が損したはずはありません。テンプル騎士団を抹殺したフィリップ4世は同じ1314年、わずか46歳で亡くなり、フィリップ4世のに逆らえなかった教皇のクレメンス5世も病気で亡くなった。
テンプル騎士団は聖地回復を目ざす十字軍の戦闘のなかで目ざましい役割を果たした。テンプル騎士たちは、「人を殺すなかれ」ではなく、キリスト教の敵を殺すこと(殺人)が認められていた。
博愛主義をモットーとしているはずの宗教が異なる宗教の信徒を殺してもいいとしていること、さらには、同じキリスト教であってもカトリックとプロテスタント同士で平気で殺しあってきたことを知るにつけ、どうしても私はキリスト教を信じることができません。
テンプル騎士団の総長は選挙で選出されていた。これはローマ教皇と同じですね。
イスラム教徒の戦術は長い年月をかけて磨かれ、電光石火の奇襲を得意としていた。丸兜をかぶり、腰に矢羽の入った矢筒をぶら下げた騎兵が突然あらわれ、突進してくる。ぎりぎりまで近づいたかと思うと、馬の手綱を引き、ぐるりと回って、退却しながら矢を一斉に放つ。相手は不意打ちを受け、血を流し、混乱に陥る。こうした攻撃が波のように押し寄せ、騎兵たちは矢羽を雨あられのように降らせたかと思うと姿を消し、馬を代えて、新たな攻撃をしかけに戻ってくる。
400キログラムほどの軍馬を、片手が手をつかわず見事に操り、疾走する馬の上から重たい弓を引き、非常なまでの正確さで、敵の馬の首や頭、わき腹など、あちこちに狙いをつけて放つ。機動性の高い小グループで行動し、次々と押し寄せて敵に一息つく間も与えない。至近距離での戦闘では、矢を背中に吊り下げて剣を振るい、槍を突き刺す。
これに対して重要なことは、奇襲に遭遇しても、規律を乱さず反撃に出ること。当初の十字軍は、これが出来なかったようです。
テンプル騎士団は軍事能力と諜報能力を駆使し、イスラム教徒の軍団、そしてモンゴル軍団と互角に戦ったようです。しかし、その戦闘は無慈悲なもの。負けたら殺されるか、捕虜は奴隷として売られるか…。
本文のみで440頁という部厚い本ですが、この有名な騎士団の顛末(てんまつ)を知りたくて夏休みに一気読みしました。最後まで当初の期待が裏切られることはありませんでした。
(2021年4月刊。税込5390円)
 梅雨のようなお盆でした。雨がやんだとき庭に出て少し雑草を抜きました。カボチャのツルが伸びているのをひっぱったら、雑草の中から大きなカボチャがころがり出てきました。これは植えたのではありません。生ゴミを庭に埋めたところタネから自生したのです。放っておいたら、ぐんぐんツルを伸ばしていきました。実は、四方にツルが伸びていたので、カボチャがゴロゴロとれるかなとは思っていました。
 さて、問題は味のほうです。前に、自生したスイカを食べたら、形も色もスイカなのに、ちっとも甘くないということがありました。今度のカボチャは、まあまあの味で、ほっとしました。でも、最近のカボチャって、すごく甘いですよね。それに比べると甘さが足りませんが、文句は言えません。
 今、サツマイモの葉が茂っています。秋が楽しみです。

自由法曹団百年史

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 自由法曹団 、 出版 日本評論社
1921年に誕生した自由法曹団は100歳になった。誕生したきっかけは、神戸の造船所での労働争議において労働者が官憲から殺傷される事件が起き、東京から弁護士たちが駆けつけ、調査と抗議行動をしたことにある。
戦争が近づくなかで、被告人を弁護すること自体が治安維持法違反として処罰の対象とされ、ついに団員弁護士は戦争中は活動を休止せざるをえなくなり、歴史的には空白の期間となった。それでも、戦後すばやく雌伏していた団員の弁護士たちは活動を再開し、松川事件のような弾圧・謀略事件で犠牲となった被告人の弁護人となり、また、活発な労働争議にも積極的にかかわっていった。
自由法曹団が重視している大衆的裁判闘争とは、権利侵害をはね返し、要求を実現するため、知恵と力を集め、事実と道理によって裁判所を説得し、幅広く市民の共感と支持を得ながらすすめるというもの。
私が弁護士になってまもなくのころ、自由法曹団員の弁護士は全弁護士の1割を占めていました。ところが、新人の入団が少なくなり、今や4万人をこす弁護士総数のなかで比率は5%、2000人となっています。全国42の支部があり、もちろん福岡にも支部があります。全九州の支部をまとめた九州ブロックの代表をいま私がつとめています。
自由法曹団が創立されたころの弁護士の名簿を見ると、歴史的に名高い弁護士が数多い。片山哲、長野國助、山崎今朝弥、真野毅、三輪寿壮、鈴木喜三郎、黒田寿男、神道寛次など…。布施辰治は、3.15共産党員大量検挙事件の法廷での弁論によって弁護士資格をはく奪されたうえ、被告人(共産党員)への手紙の郵送が郵便法違反(公安を害する)などで起訴されて有罪となり、禁固3ヶ月の実刑判決を受けて豊多摩刑務所に収監された。
同じように日本労農弁護士同事件で逮捕・起訴され、懲役2年、執行猶予2年の判決を受けた梨木作次郎は、戦中は新聞配達や材木店での肉体労働をしていた。ところが、敗戦直前の8月10日に日本敗戦必至という話をジャーナリストから聞いて、すぐに丸の内に事務所を借りて再起を期した。
いやはや、なんと前向き、かつ積極的な取り組みでしょうか。梨木弁護士は、私が弁護士になってからも、元気に自由法曹団の会議に参加しておられました。北海道の夕張炭鉱で災害事故が発生したときには、すぐにも現地へ調査団を派遣すべきだと総会で熱弁をふるわれたことを今も鮮明に覚えています。
戦後の自由法曹団の再発足大会が開かれたのは1945年11月10日のこと。150人の弁護士が集まった。
松川事件のとき、被告人面会をする弁護士は、警察の盗聴器に警戒せよという申し送りを受けていた。同じようなことは、最近でも、ときどき起きています。
若々しい弁護団が新しい刑事訴訟にのっとって積極的な弁護活動をすすめていると、古い弁護士層やマスコミの一部から「行き過ぎ」だと批判(非難)された。マスコミは権力と一体となって被告人を列車転覆の犯人たちと報道していた。それでも、弁護団に袴田重司・仙台弁護士会長(県の公安委員でもある)も加入して、弁護団の幅を大きく広げた。
自由法曹団の弁護士たちは労働事件、公害事件そして選挙弾圧事件に積極的に関わり、労働者や市民とともに貴重な成果をあげていった。そのなかで政策形成訴訟とも呼ばれる、新しい法律を国会で制定させる取り組みもすすめた。
100年の歴史が330頁にぎゅっと圧縮されている、ずっしりと重たい本です。とりわけ若い弁護士のみなさんには、ぜひ読んでほしいと思います。
(2021年7月刊。税込2200円)

笑う数学

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 日本お笑い数学協会  出版 KADOKAWA
私は高校2年生の冬まで、理系のつもりでした。でも、数学的センスが自分にないことは、いよいよ認めざるをえなくなったのです。発想を飛躍させることができませんでした。論理的な思考力はあると思うのですが(今も…)、数学の世界では、ふっと身をひいて、それまでの思考とは違った新しい発想で考え直す必要があるように思います。それが私にはできないのでした。いま、私はモノカキと称していろいろ書いていて、論理的に扱ったことを文章化していますが、そこには飛躍的な、いわゆる発想のコペルニクス的転換なるものは、カケラもありません。
ところが、数学をお笑い的に扱える奇人・変人が世の中にはいるのですね…。
選択肢が無限にあるっていることは、実は、可能性(確率)がゼロということでは…。
人体は、電池ほどの小さい電圧では、電流があまり通らない。でも、実はたった0.1アンペアで、人は感電死してしまう。
自然界に多いのは、ベルヌーイの螺旋(らせん)。クモの巣は、「アルキメデスの螺旋」。
クジャクの数え方は、1面、2面、3面…。羽を扇形に広げた状態で数える。
動物の数え方は、人間より小さければ、「匹(ひき)」、大きければ「頭(とう)」。リスやネズミは1匹、2匹。ゾウやキリンは1頭、2頭…。ところが、蚕(かいこ)は、家畜として大切にしていたので、「お蚕さん」と呼び、「1頭」と数える。
伊能忠敬が日本地図をつくろうとしたのは、日本地図を描きたいというより、地球の大きさを測りたかったから、と言われている。いやはや、なんとも、すごいことですよね…。
ナポレオンは、あらゆる角度のtanの値を暗記していて、角度を聞けば、すぐに敵までの距離を知った。
ナイチンゲールは、患者の死因の多くが、病院が汚いことによる院内感染であることを統計学を使って突きとめ、周囲を説得した。
黄金比というのがある。人間が美しいと感じる本能に、1対1.618というのがある。
数学が好きな人の発想の面白さにあふれた本です。数学に弱い私でも十分に楽しむことができました。
(2020年1月刊。税込1430円)

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