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2021年1月 の投稿

古典つまみ読み

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 武田 博幸 、 出版 平凡社新書
朝倉市在住の著者は長く予備校の名物講師(古文)として教えていて、その受験参考書は累計300万部という超ベストセラーなのだそうです。失礼ながら、ちっとも知りませんでした。ただ、それだけに古典に詳しいことは、この本を読めばすぐに分かります。半端な知識ではありません。たとえば、この本の最後に登場する良寛です。
良寛は、周りの人から重んじられなくても、いやそれどころか、軽んじられても堪えられる人だった。そんなことに無頓着でさえあることができた人だった。
いやあ、これって並みの人にはとても真似できることではありませんよね。だって、周囲からどう見られているか、やっぱり気になりますので…。
「この世で一人前の人間として数えられないような私ではあるが、乞食僧としてこの世に身を置き、移りゆく自然に抱かれて、その恵みを享受し、私は私らしく生きていると良寛は宣言している」
その時、その時、目の前に立ち現れたものに、全身全霊で向かいあうという生き方を良寛はした。40歳から70歳まで、山あいに借りた粗末な庵(いおり)に住み、衣食は村人の喜捨に頼り、一人で生きることを貫いた良寛の生活は、孤独でさびしく暗いものであったかというと、決して、そうではなかった。それどころか、良寛の日々の暮らしは、村の人々との関わり方においても、周りの自然との接し方においても、溢れんばかりの博愛に包まれたものだった。
良寛は子どもたちと無心に遊び、そこに自己を解き放つ喜びを覚えることもできた。友人たちとの交流もあった。さらに、良寛70歳のとき、30歳の貞心尼と出会った。若く美しき異性を思って沸き立つ感情が良寛をとらえたのではないか。なーるほど、いいことですよね、やっぱり人間ですもの…。
『枕草子』のところでは、平安時代の男女が結婚・離婚・再婚に関して、すこぶる自由な考え方をもっていたことを著者は強調しています。
男がある女の所に通い続ければ、結婚が成立したように見なされ、そのうち通っていかなくなれば、結婚は解消、すなわち離婚となる。男性はもちろん、女性も人生に「結婚」が一度ならずあることは少しも珍しいことではなかった。
願わくは花の下にて春死なん、その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ
これは西行の歌ですが、西行は、その願いのとおり、1190年(文治6年)2月16日、73歳で亡くなった。
たまには古典の世界にどっぷり身を浸らせるのもいいものです。ちなみに私は古文は好きでしたし、得意科目でした。高校の図書館に入り浸って古典文学体系に読みふけっていたこともあります。私のつかった古文の参考書は、今も手元に置いていますが、小西甚一の『古文研究法』(洛陽社)でした。ちょっとレベルの高すぎる内容でしたが、大学入試の直前(1967年2月21日)、「遥けくも来つるものかな」と書きつけています。18歳のときの、なつかしい思い出です。
(2019年8月刊。880円+税)

石岡瑛子とその時代

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 河尻 亨一 、 出版 朝日新聞出版
天才的な日本人女性デザイナーの一生をたどった刺激的な本でした。
私はデザイナーの名前こそ知りませんでしたが、前田美波里が白い水着姿で海岸に横たわり、きりっとした目つきでこちらを向いている大胆なポスターに目が釘づけになったことは印象に残っています。大学生のころだったでしょうか…。
同じ資生堂の「ホネケーキ以外はキレイに切れません」というキャッチコピー付きで、化粧品を細いナイフで二つにカットしている斬新なポスターには、さすがに圧倒されます。
そして、パルコの「あゝ原点」というアフリカ砂漠で原色の衣をまとった一群の女性たちがこちらにやってくる群像シーンにも思わず息を呑んでしまいます。
フランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』のポスターもエイコの作品とのこと。すごい迫力です。北京オリンピックの開会式の演出にも関与しているそうですが、こちらは張芸謀監督とぶつかりあって、本人はかなり不満だったようです。
この本のトップにエイコの作品がカラーグラビアで紹介されています。なるほど、世界のトップデザイナーだけのことがあると、門外漢の私にも分かります。
フランシス・コッポラ監督はエイコについて、「境界を知らないアーティスト」と評した。
エイコは東京芸大に現役入学したあと、資生堂に入り、宣伝部の広告デザイナーとしてキャリアを積んだ。その後、独立してアートディレクターとして活躍するようになった。パルコの宣伝にも関与。さらに芝居やファッションショーの世界にも進出した。
アメリカにわたって、映画の美術や衣装デザインでも活躍した。音楽、映画、演劇という三つの領域にまたがって、世界最高レベルの評価を得た。これはすごいことですよね…。ちっとも知らなくて、申し訳ありません。
生まれは、私よりちょうど10年早い。73歳で、すい臓ガンにより死亡(2012年1月21日)。
1957年4月、東京芸大の美術学部に入学。専攻は図案計画科。東京芸大は、そうやすやすと入学できる大学ではない。子どものころから、この子は絵がうまいと周囲にひたすら絶賛され続けてきた美術の神童たちが、全国津々浦々から集う名門校、三浪四浪と浪人を重ねる受験生も多い。現役合格のハードルは高く、その門は狭い。
東京芸大の最近の学生の生態を描いた本を少し前に紹介しましたが、ここは奇人変人の集まるところでもあります。だからこそ一級品の芸術が生まれるのでしょう…。
学問や芸術の世界は行政による統制とは無縁でなければいけません。
資生堂に入るとき、面接官に対してエイコはこう言った。
「グラフィックデザイナーとして採用してください。お茶汲みとか掃除するような役目でなく…。お給料は、男性の大学卒と同じだけいただきたいです」
これを聞いた重役は、ぶったまげたことでしょうね。そして、だからこそ入社が決まったのでしょう。
エイコの作品集『エイコ・バイ・エイコ』2万円は5000部、アメリカで完売したとのこと。どんなものでしょうね。図書館にあったら、拝んでみたいものです。
エイコは相手を説得するとき、アイデアを10案ほど用意する。自らは、推しの一案を決めているにもかかわらず、複数案を見せるのは、相手を説得するプロセスとして使う一種の儀式だ。自信のある一案だけを見せたのでは、説得力に欠け、相手を不安にさせかねない。いくつものプランを比較したうえで、イチ推しのプランへとクライアントの気持ちを向けていく。なーるほど、この手がありましたか…。弁護士としても身につけたい必要なテクニックですね。
堂々540頁の価値ある本です。正月休みに読み通すことができました。
(2020年11月刊。2800円+税)

ルポ新大久保

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  室橋 裕和 、 出版  辰巳出版
 コロナ渦のおもで今は様相がずいぶん変わっているとは思いますが、その直前までの東京は新大久保の街の様子を刻明に知らせてくれる貴重なるルポルタージュです。
大久保2丁目の住人8千人のうち日本人は5400人、外国人が2600人で、人口の3分の1が外国人。大久保1丁目になると、4割が外国人。新宿区では外国人率11%、日本全国では2%。
 今や、韓国人によるコリアン・タウンというより、多くの外国人が混住している。そのなかでひときわ元気で目立つのはベトナム人。ベトナムから日本へ来るとき70万円を業者に支払っている。オーストラリアだと200万円なので、日本の方が安い。日本に来たベトナム人の若者は日本語学校で日本語を身につけ、専門学校、大学へと進学していく。ベトナムでは在外ベトナム人からの送金がGDPの6%を占めている。2011年の東日本大震災で中国人と韓国人の留学生たちが日本を去って帰国していった。それを埋めたのが、ベトナム人やネパール人など。日本政府がビザの要件を緩和したのだ。
24時間営業の「新宿八百屋」は29人もの外国人留学生が働いている。ベトナム人とネパール人が中心。そして、お客のほうは1日に2100人が来て、その8割が外国人。すべて日本語による販売。新大久保には、出稼ぎ先と故郷を結ぶ送金会社がコンビニよりずっと多い。リミッタンスと呼ばれている。
 日本政府は2010年に資金決済法を施行して、銀行以外の業者にも海外送金のライセンスを付与している。日本での海外送金の取扱高は年9000億円にものぼる。今世界ではなんと70兆円。
 新大久保には外国人専門に家賃保証をする会社もある。社員は3つの言葉が話せる外国人スタッフ。社員の7割、170人が外国人でベトナム、ミャンマー、ネパール、インドネシア人もいる。
 新宿区は外国人支援にとりくんでいて、生活支援ハンドブックは、8ヶ国で表記されている。日本語はルビつきだ。
 「アリラン・ホットドッグ」では2018年夏に1日2000個のハットグを売った。日本人の中高生の女の子たちが列をつくって買って食べた。
 大久保国技館には、23の言語で、2300冊ある。ネパールは人口2800万人のうち国外で働く人が500万人いる。海外から本国への送金がGDPの3割を占めている。
 こんな新大久保がコロナ渦のなかでゴーストタウン化しているとのこと。心配です。
(2020年9月刊。1600円+税)

朝鮮半島を日本が領土とした時代

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 糟谷 憲一 、 出版 新日本出版社
「日本は朝鮮を支配したというが、日本は朝鮮でいいことをしようとした。朝鮮の山には木が一本もないということだが、これは朝鮮が日本から離れてしまったからだ。もう20年、日本とつきあっていたら、こんなことにはならなかっただろう。…日本は朝鮮に工場や家屋、山林などをみな置いてきた。創氏功名もよかった。朝鮮人を同化し、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫というものではない」
今でも戦前の日本が朝鮮半島を植民地として支配していたことを美化しようとする人がいますが、とんでもない歴史の歪曲(わいきょく)です。
冒頭の発言は1965年(昭和40年)1月、日韓会談における日本側主席代表(高杉晋一・三菱電機相談役)が日本の外務記者クラブで語ったものです。
この本は、この発言がいかに事実に相違したものなのかを詳細に論証しています。
日本が朝鮮を植民地化したのは、1868年以降、要所要所で武力示威、武力行使を加えて、朝鮮半島における勢力を拡大し、一方的に押し付けた結果であるのは明らか。
合意にもとづいて「韓国併合」がなされたというような虚偽の議論をすべきではない。「韓国併合」を「国際社会が認めた」として正当化するのは、植民地を領有した国、しようとした国が互いに依存しあったことをよしとするものにすぎないので、それで正当化できるものではない。朝鮮の独立を保証すると言いながら、日本は独立を奪ったのであって、その背信は深く反省すべきもの。
戦時下の労働動員に際して、数々の非人道的な行為が日本政府、朝鮮総督府、動員先企業によってなされたことは否定しがたい事実である。非人道的な行為に対する慰謝料は当然に支払われるべきものだ。
日本が朝鮮に日本軍を常駐させる口実をなったのは、日本公使館の護衛だった。もともと、公使館護衛は朝鮮側がするべきことで、日本軍隊の配備は主権の侵害となる。しかし、日本は壬午(じんご)軍乱(1882年7月19日)で反乱軍の兵士が日本公使館を包囲・襲撃し、そのとき花房公使以下がようやく脱出できたという事情を利用して、武力を背景に朝鮮側に認めさせた。いったん認められた駐兵権は、日本の軍事力が朝鮮内に浸透していく足場となった。
その後の天津条約(1885年4月)で日本と中国(清)の双方が軍隊を朝鮮から撤退する合意が成立したときも、わざわざ公使館護衛兵の駐兵権は除くとされた。
1910年8月の「韓国併合に関する条約」では、韓国皇帝が日本天皇に統治権を譲与する形式で、韓国を日本に「併合」するとされた。これは、「韓国併合」が合意によるものであると装うための虚構である。このとき、日本は、日本が一方的に施行する法令を遵守するものだけは保護すると宣言した。いやはや、まさしく植民地支配そのものですね。
朝鮮に施行する法令の制定権は、天皇、帝国議会、朝鮮総督の三者がもった。朝鮮人は代表を帝国議会に贈ることはできなかったので、立法権にはまったく参与できず、統治の客体にすぎなかった。
朝鮮人を「同化」するとは、日本人と同等・同権に扱うことではなかった。
1918年の3.1独立運動は朝鮮人の多数が日本の武断政治に不満をもっていて、植民地支配の継続を望んでいないことを明確に示した。その参加者は空前の規模であり、旧来の地方有力者である両班(ヤンバン)や儒生、郡参事、郡書記、面長など総督府の支配機構の末端を担う者も含まれていた。
日本の安保法制法が成立する前、国会前では空前の規模の反対行動が展開していましたが、その参加者のなかに文科省のトップ(事務次官)になる直前のエリート官僚(前川喜平氏)も参加していたことを急に思い出しました。
私と同じく団塊世代の著者による丁寧な歴史叙述です。ぜひとも多くの人に読んでほしいと思いました。日韓関係が一刻も早く改善することを心から願っています。
(2020年8月刊。1800円+税)

安倍・菅政権VS検察庁

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  村山 治 、 出版  文芸春秋
 検察庁法の改正はひどい話でした。アベ・スガ好みのクロカワ検事長を検事総長にするための、なりふりかまわない「定年延長」だというのが、あまりにもあからさまなので、全国の弁護士会がこぞって反対しました。
 どうしてクロカワ検事長は、それほどアベ・スガに好まれたのか…。
結局、クロカワは賭けマージャンがバレて退職し、検事総長になれないままでした。それでも、5900万円もの退職金はちゃっかりもらっています。賭けマージャンは罪にならないというのです。たしかにマージャンをしない私にはピンときませんが、クロカワのやっていたレベルのマージャンはあたりまえのレートの賭けマージャンなので、罪に問われなくて当然だそうです。でも、そんなこというのなら、コンビニで数万円の品物を万引きしたって罪に問われないことになりませんか…。
 クロカワは早稲田大学にいったん入学したあと東大に入りなおした。自殺した自民党の代議士・新井将敬の事件を担当していた。クロカワは陽気で開放的な性格なので、誰からも好かれた。クロカワは法務省勤務のとき、与野党の国会議員と絶妙の距離感で接していて「ファン」を増やした。
 歴代の検事総長は、法務事務次官から東京高検の検事長を経て、なっている。
 アベ・スガは、クロカワの危機管理、調整能力を高く評価していた。政権の安定的維持のため、クロカワを利用したかった。
 スガは、ことあるごとにいろんなテーマでクロカワに相談していた。スガにとって、クロカワは手放せない知恵袋であり、危機管理アドバイザーだった。スガは検事総長の稲田が言いなりにならなかったことから嫌っていた。これは官邸周辺では公知の事実だった。
 法務大臣だった森は法務省の不手際で恥をかかされたと思い込み、法務省の用意したペーパーを無視した。森も弁護士ですが、ひどかったですね。あの国会答弁は…。
そしてクロカワ問題で今回の弁護士会が反対して動いたとき、法務・検察幹部は、それに反発して、もう日弁連の行事には協力しないと息まいたとのこと。これが本当だとすると、あまりの了簡の狭さに驚いてしまいます。
 法務・検察と官邸との駆け引きのすさまじさに開いた口がふさがりません。よくもここまで取材できたものです。それとも、みんな白昼夢なのでしょうか…。
(2020年12月刊。1600円+税)

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