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2020年11月 の投稿

政治部不信

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 南 彰 、 出版 朝日新書
東京・大阪で10年あまり政治部記者をつとめ、新聞労連委員長として2年のあいだ活動してきた著者による、政治部記者のありようを問いただした新書です。著者は古巣の政治部に戻ったのですから、今後ますますの健闘を心より期待します。
菅首相は、自分の言葉で国民に向かって話すことがありませんが、それはもともと政治家として国民に訴えるものを自分のなかにもっていないからとしか思えません。つまり、菅首相が政治家になったのは、国民はひとしく幸せな毎日を過ごせる社会にしようとか、そんなことはてんで頭になく、ひたすら自分と周囲の者の安楽な生活のみを求めて政治家(家)というのを職業選択しただけなのではないでしょうか…。
そして菅首相にあるのは、敵か味方かという超古典的な二分論です。恐らく、それを前提として権謀術数をつかって政界を泳ぎ、生き抜いてきたのでしょう。そんな人が日本の首相になれただなんて、まさに日本の不幸です。これも小選挙区制の大いなる弊害の一つです。中選挙区とか比例代表制では菅首相の誕生はありえなかったでしょう。なぜなら、菅には国民に訴えるものが何もないからです。「自助、共助、公助」という「自助ファースト」というのは政治は不要だと宣言しているようなのです。そんな政治家は必要ありませんよ。
菅が首相になる前、官房長官のときに何と言っていたか…。
「ご指摘はまったく当たりません」
「何の問題もありません」
まさしく問答無用、一刀両断に切り捨ててしまい、質問に対してまともに答えることはありませんでした。議論せず、説得しようともしない政治家ほど恐ろしいものはありません。
前の安倍首相は平気で明らかな嘘を言ってのけました(原発災害はアンダーコントロールにある、とか…)。しかし、そこには嘘が嘘でないかを議論する余地が、まだほんの少しは残されていました。
ところが菅首相になると、「嘘」の前に、「何の問題もない」とウソぶいて議論しないのですから、よほどタチが悪いです。国会でまともな議論をしなかったら、どこで日本のこれからをどうやって決めていきますか…。私は不安でたまりません。
ボーイズクラブという言葉があるのですね。知りませんでした。
体育会系などで顕著にみられる男性同士の緊密な絆でお互いを認めあっている集団のこと。日本の閉鎖的な記者クラブもその一つでしょうね。
安倍前首相はマスコミの社長連中そして局長連中、さらにはヒラの記者たちとよく会食していたようです。例の官房機密費(月1億円をつかい放題…。領収書は不要)でしょうね。
そして、菅首相は、3社くらいずつ、オフレコのある「記者会見」を繰り返しているようです。
エセ「苦労人」の化けの皮がはがれないように手を折っているのでしょうね。こんなにセコいのは、やはり官房長官として仕えた安倍首相譲りなのでしょう。
日本の政治部記者よ、記者魂を呼びもどし、目を覚ませと叫びたいです。
(2020年9月刊。790円+税)

分隊長殿、チンドウィン河が見えます

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 柳田 文男 、 出版 日本機関誌出版センター
下級兵士たちのインパール戦というサブタイトルのついた本です。
私と同じ団塊世代(1947年生まれ)の著者がインパール戦の現地ビルマからインドを訪問し、その体験で知りえたこと、戦史や体験記も参考資料として書きあげた物語(フィクション)なので、まさしく迫真の描写で迫ってきます。実際には、もっと悲惨な戦場の現実があったのでしょうが、それでも、インパール戦に従事させられ、無残にも戦病死させられた末端の兵士たちの無念さが惻惻(そくそく)と伝わってきます。
インパール戦には、1万5千人の将兵が従事し、1万2千人の損耗率、戦死より戦病死のほうが多かった。インパール作戦は、1944年(昭和19年)1月7日、大本営から正式許可された。すでに劣勢にあった日本軍がインドにあるイギリス軍の要衝地インパールを占領して、戦況不利を挽回しようとするものだった。インパールはインド領内にあり、日本軍は、そこにたどり着くまえに火力で断然優勢な英印軍の前に敗退した。
インパールに至るには峻険な山地を踏破するしかなく、重砲などの武器と弾薬そして食糧補給は不可能だった。ところが、反対論を押し切って第15軍司令官の牟田口廉也(れんや)中将と、その上官にあたるビルマ方面軍司令官の河辺正三(まさかず)のコンビが推進した。大本営でも作戦部長(真田穣一郎)は反対したが、押し切られてしまった。
主人公の分隊長である佐藤文蔵は、京都の貧しい農家の二男。師範学校を退学させられ、応召した。そして24歳のときに軍曹に昇進して一分隊の指揮官に任命された。
英印軍は、山域に機械化部隊をふくむ精強な第20師団を配置し、強力な重火器類による砲列弾に日本軍は遭遇した。日本軍は小火器類しかなく、食料が絶対的に不足していた。そして、ビルマの激しいスコールは日本軍将兵の体力を消耗させていった。
第一大隊は、チンドウィン河を渡河した時点で1000人いた将兵が、これまでの戦闘によって、現時点では、1個中隊に相当する200人足らずの兵力に激減していた。そして、この将兵は、食料不足、マラリア、赤痢などの熱帯病におかされ、激しい雨によって体力を奪われてやせ衰え、その戦闘能力は極度に低下していた。
インパール作戦が大本営によって正式に中止されたのは、7月3日のこと。第15軍司令部が正式に知らされたのは1週間後の7月10日だった。あまりに遅い作戦中止決定だった。7月18日には東条内閣が総辞職した。
「戦線整理」という名ばかりの指揮系統のなかで、戦場に遺棄された将兵たちは、密林地帯から自力で脱出することを課せられた。激しいスコールに見舞われる雨季に入っていた。「白骨街道」が誕生することになった。
佐藤軍曹は2人の一等兵を鼓舞しながら、山中をさまよい歩きチンドウィン河を目ざしていくのでした。涙なしには読めない苦労の連続です。でも、ついに目指すチンドウィン河に到達し、やがて日本に戻ることができたのでした。もちろん、これはめったにない幸運な人々の話です。こんな無謀な戦争にひきずり込んだ軍部の独走、それを支えていた「世論」の怖さを、しみじみ実感しました。
あたかも生きて帰還した人の手記を読んでいるかのように錯覚してしまう物語(フィクション)でした。
(2020年1月刊。1600円+税)

世界の起源

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ルイス・ダートネル 、 出版 河出書房新社
知らないことは世の中にたくさんありますが、この本を読みながら、地球と人間(生命)の関係が深いことに今さらながら大いに驚かされました。
我らが地球は、絶え間なく活動し続ける場所であり、常にその顔立ちを変えている。地球が変化する猛烈な活動すべての原動力となるエンジンがプレートテクトニクスであり、それは人類の進化の背後にある究極の原因となっている。
過去5000万年ほどの時代は、地球の気候の寒冷化を特徴としてきた。長期にわたる地球寒冷化の傾向は、主としてインドがユーラシア大陸と衝突して、ヒマラヤ山脈を造山させたことによって動かされてきた。
東アフリカが長期にわたって乾燥化し、森の生息環境を減らして細切れにし、サバンナに取って代わらせたことが樹上生活をする霊長類からホミニンを分岐させた。
歴史上で最初期の文明の大半は、地殻を形成するプレートの境界のすぐ近くに位置している。現在、我々は間氷期に生きている。地球は存在してきた歳月の8割から9割は、今日より大幅に高温の状態にあった。南・北極に氷冠がある時代は、実際にはかなり珍しい。
地球がまっすぐに自転していたら、季節はなかっただろう。ミランコヴィッチ・サイクルは、北半球と南半球で太陽からの熱の配分を変えるので、季節の変化の度合いが変わる。
75億人もいる人間(ヒト)のあいだの遺伝的多様性は驚くほど乏しい。アフリカから6万年前に脱出したヒトは、恐らく数千人だっただろう。そして、アフリカを出てから5万年内に人類は南極大陸をのぞくすべての大陸に住み着いた。
地球が温暖化するなかで、1万1000年前ころに、ヒトは農業と定住に踏み出した。
恐竜は草がまったくない大地をうろついていた。ヒトは草を食べて生きのびた。草を熱と火をつかって栄養素を吸収できるようにした。
地球だけでなく、ヒトの体の分子までも、星屑(ほしくず)からできている。
金(キン)は、地球がその鉄の中心部と珪素のマントルに分離したのちに、小惑星の衝突によって地表にもたらされたもの。
地球の外核にある溶けた鉄の激しい流れが、ちょうど発電機のように磁場を生み出す。地球上の複雑な生命体の存在は、それ自体が鉄の中心部に依存している。ヒトの血に流れる鉄は、それを生み出した太古の星の核融合の鍛冶場(かじば)に結びつけるだけでなく、地球の生命を守って世界に張りめぐらされている磁場にもつながっている。
地球の生涯の前半において、世界には大気中にも海洋にも酸素の気体は存在しなかった。初期のシアノバクテリアが地球に酸素を送り出した。
地球の歴史の9割には、地上に火は存在しなかった。火山は噴火したが、大気には燃焼しつづけるだけの酸素がなかった。酸素の増加は、複雑な生命体を進化させただけでなく、人類に道具としての火を与えた。
地球は生きていて、変化し続ける存在であること、ヒトをふくむ生命はその変化に対応して存在しているということが、実に明快に説明されていて、声も出ないほど圧倒されてしまいました。大いに一読に値する本です。
(2019年11月刊。2400円+税)

アインシュタインの影

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 セス・フレッチャー 、 出版 三省堂
見えないブラックホールの撮影についに成功した天文学者たちの苦闘を紹介しています。地上の浮き世(憂き世)のゴミゴミした紛争から一時のがれて、宇宙の彼方に飛んでいってみましょう。
地球は天の川銀河の中心から2万6千光年ほど離れている。なので、銀河の中心を目指して光速ロケットに乗ってすすむとおよそ2万光年で銀河中央の膨らみ(ドルジ)に出会う。ここは、宇宙誕生の直後にできたような古い星が集まる場所で、ピーナツの形をしている。そして、さらに何千光年か進むと、いて座のB2がある。これは、私たちの太陽系の1千倍ほどはある黒雲で、そこには、シリコンやアンモニア、シアン化水素、ラズベリーみたいな香りの蟻酸エチル、そして誰にも飲み干せない量のアルコールが満ちている。
そこからさらに390光年ほど行くと、恐怖の内部領域に入る。銀河の中心までは、あと3光年ほどだが、そこでは、コズミック・フィラメントと呼ばれる雷光が空を引き裂き、遠い昔に爆発した星の名残りのガスが漂い、中心へと吸い込まれていくガス流が不気味に輝く。動力は巨大な渦潮のように何でも呑み込む。太陽よりもはるかに巨大な星が猛スピードで飛びかう。空間には放射線が満ち、原子は引き裂かれてもっと小さな粒子の霧となる。さらに近づく、この霧が光り輝く超特大の円盤と化して、ほとんど光と同じ速さで飛びまわっている。その中心にある真っ暗な領域こそ、巨大ブラックホール、わが銀河の中心にある不動の点だ。これをいて座スターAと呼ぶ。
宇宙の果てに、太陽の何億倍もの質量をもつブラックホールがあることは知られている。
いて座スターA(ブラックホール)の質量は、太陽の400万倍。このブラックホールには太陽400万個分の物質が詰め込まれている。ところが、アインシュタインの方程式によれば、ブラックホールの中は空っぽであり、そこに落ち込んだすべての物質は、ブラックホールの中心にあって、無限大の密度をもつ一点(特異点)に吸いこまれているはず…。では、この特異点では、何が起きているのか…。
まだ誰も一度も見たことがないのに、科学者たちは、ブラックホールの存在を信じ、その様子について長年にわたって議論してきた。
この本は、ブラックホールの写真を撮るという難題に挑んだ天文学者たちの物語です。
アインシュタインは、動力は力ではなく、時空のゆがみだと考えた。1960年代の後半、パラボラアンテナを使って、太陽のすぐ近くを通るタイミングで金星と火星に電波を送り、それが戻ってくるのに要する時間を測定した。すると、太陽の動力のせいで、曲げられた電波は千分の1秒の10分の2だけ遅れて戻ってきた。これはアインシュタインの予言どおりだった。
ブラックホールは、物質ではなく、純粋な動力だ。モノではなく、一連のプロセスと考えたほうがいい。ブラックホールの温度は絶対零度だ。そして、ブラックホールは、完全に真っ暗だ。ほとんどのブラックホールは、光速に近いスピードで回転している。
およそ銀河と呼ばれるものの中心には、巨大ブラックホールが必ずある…。
2017年4月、ついに天文学舎のチームは、ブラックホールを囲むような明るい星々の真ん中に黒いもの(ブラックホール)の存在を認め、写真に残した。どの写真にも、オレンジ色の輪がうつっていて、輪のなかは真っ黒い巨大な穴。穴の下に見える明るいレモン色の三日月型は、ブラックホールのまわりを猛スピードで周回する物質から放たれた光だろう。
アインシュタインの一般相対性理論は、ブラックホールには真っ黒な影があるという予想の正しさを証明した写真だった。
地球規模で天体観察していることもよく分かる本です。地上でコロナ対策をめぐって、ケンカなんかしているときじゃないですよね。コロナ対策が不十分なまま、GO TOトラベルなんて、経済対策に走っているスガ君を叱ってやりたいです。
(2020年4月刊。2000円+税)

森繁久彌コレクション

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 森繁 久彌 、 出版 藤原書店
森繁久彌の映画なら、いくつかみていますし、テレビでもみています(映画だったかな…)。残念ながら、生の舞台をみたことはありません。というか、本格的な劇というのは司法修習生のとき『秦山木の木の下で』という劇を東京でみたくらいです。もっとも、子ども劇場のほうは、子どもたちと一緒に何回かみましたが…。
全5巻あるうちの第1回配本というのですが、なんと、600頁をこす部厚さです。役者としてだけでなく、モノカキとしてもすごいんですね。すっかり見直しました。
そして、著者は戦前の満州に行って、そこで放送局のアナウンサーとして活動しています。大杉栄を虐殺したことで悪名高い甘粕正彦とも親しかったようで、「甘粕さん」と呼んで敬意を払っています。
満州ではノモンハン事件のとき、現地取材に出かける寸前だったのでしたが、日本軍がソ連軍に敗退して、行かずじまい。そして、ソ連軍が進駐してくると、軍人ではないのでシベリア送りは免れるものの、食うや食わず、夫が戦死した日本人女性を「性奉仕」に送り出して、安全を確保するという役割も果たしたのでした。それでも、日本に帰国するとき、7歳、5歳、3歳と3人の子どもと奥さん、そして母親ともども一家全員が無事だったというのは、奇跡のようなことです。
著者は、子どものころからクラスの人気者で、歌も活弁も詩の朗読もうまかったようです。これが、一貫して役に立ち、生きのびることにつながったのでした。
もともと、役者根性ほど小心でいまわしく、しかもひがみっぽいものはない。だから普通の神経ではとても太刀打ちはできない。よほど図太く装うか、さもなければ最後までツッパネて高飛車に出るか、あるいは節を曲げて幇間よろしぺこぺこと頭を下げ、「先生、先輩」と相手をたてまつるか、そのどれかに徹しないかぎり、何もせぬうちにハジき出されてしまうこと必定なのだ。
著者は、満州7年の生活と、いくども死線をこえてきた辛酸は無駄ではなかったと思うのでした。著者が世に出るまでの苦労話も面白いものがあります。
30を過ぎ、さして美男でもなく、唄がうまいかというと、明治か大正のかびの生えたような唄を、艶歌師もどきに口ずさむ程だ…。
そこで、著者は作戦を考えた。毎日、二流とか三流の映画館をのぞき、画面のなかの役者について、考現学的に統計をとった。そして館内の人間を分類大別し、年齢、嗜好、そして、どこで泣き、どこで笑い、どこで手を叩くかをノートに詳しく書きとめた。
おおっ、これは偉い、すごいですよね、これって…。さすが、です。
すぐに結果の見える演技ほど、つまらないものはない。次にどう出るか分からないという、未来を予測できない演技が、観客をそこにとどまらせ、アバンチュールをかきたてるのだ。
著者は満州でNHKのアナウンサーとして取材にまわったとき、蒙古語で挨拶し、歌もうたったとのこと。これまた、すごいことですね。これが出来たから、すっと現地に溶け込めたのでした。
著者が満州にいたとき、一番にがにがしく、日本民族の悲しい性(さが)を見たのが、集団のときの日本人の劣悪さ。軍服を着せて日本軍という大集団のなかにおいておく、この善良なる国民は、酒乱になった虎みたいに豹変し、横暴無礼。列車のなかに満人が座を占めていると、足で蹴って立たせたり、ツバをひっかけたりする。見ていて寒気がする。ところが、その一人ひとりを野山において野良着でも着せたら、なんと親切な良識のある村の青年にかえってしまう…。
著者の父親は、関西実業界の大立者だった菅沼達吉で、子どものころは、ずいぶん裕福な生活を送っていたようです。そして、著者の長兄(馬詰弘)は、高校生のころに左傾化して「プチブル共産党」の見本だったとのこと。著者自身も、早稲田に在学中のとき、周囲に共産党の影響が強かったようです。いやはや、本当に苦労していたことがよく分かった本でした。
著者は、2009年11月に死去、89歳でした。
(2019年11月刊。2800円+税)

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