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2020年10月 の投稿

まんがでわかる日米地位協定

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 平良 隆久、藤澤 勇希 、 出版 小学館
この本を読みすすめるほどに腹が立ち、怒りに燃え、今風にいうと、チョームカついてきます。いえ、作者もマンガも決して悪いのではありません。書かれていることが、あまりにひどくて、涙が出てくるのです。それも怒りの涙です。日本って、ホント、アメリカの従属国でしかなくて、本当に自立していない、まだ独立していないんだな、つくづくそう思わせます。
ドイツやイタリアで出来ていることが、お隣の韓国でやられていることが、日本では出来ていませんし、いつだってペコペコと卑屈にアメリカのご機嫌うかがいばかりしているのですから、ホント嫌になってしまいます。
しかも、マンガ仕立てで、高校生だって分かるレベルで書いてあります。おっと、これは今どきの高校生に対して失礼な言辞でしたね。スミマセン。よほど日本人の大人のほうが分かっていない、分かろうとしていない、盲目のままでいいなんて馬鹿な思考にしがみついているんですよね。
日本の政治家やマスコミは、北朝鮮と中国との緊張感を煽って、勝手にアメリカ軍の力を信じ頼りにしているが、アメリカ軍のほうは、そんなつもりはまったくない。
アメリカ兵は日本国内の高速道路の通行料をほとんど支払っていない。レンタカーを利用して日本国内の観光旅行に出かけているのに、アメリカ軍の通行証が発行されているかぎり、それは軍用車両として免除されることになっている。そして、その車で交通事故を起こしても、「公務中」となって日本の警察は手が出せない。それが日米地位協定だ。
首都東京の上には巨大なアメリカ管制下の空域あるため、JALもANAも、日本の航空会社の飛ばす民間飛行機は富士山の上空は飛行できないので、ぐるっと大まわりをさせられる。無駄なことだし、使用するジェット燃料を浪費するし、危険性も増す。これがアメリカ軍のラプコンだ。
アメリカ兵が刑事事件を起こしたとき、日本の警察はすぐには逮捕できない。そして、たとえ逮捕できたとしても、実際に刑事裁判で有罪になるとは限らない。というか、その多くが無罪・放免になっている。
アメリカ軍の飛行機が墜落したとき、沖縄県警は動けなかったし、動かなかった。というか、アメリカ軍によって構外にはじき出されて、その様子をみるだけにした。人体にきわめて有害な泡消火剤が基地の外に出たとき、日本政府はアメリカ軍の基地に立入調査することすら出来なかった。
ドイツでもイタリアでも、そんなことはない。イタリアではアメリカ軍の基地にイタリア人将校が常駐している。
韓国は1994年に、ついに平時の作戦統制権を取り戻すことに成功した。そして、平時のデフコン4からデフコン3への引き上げるには、現場の士官が建議したあと、陸海軍の三軍のトップが承認し、さらにアメリカと韓国の大統領の承認も必要となる。
要するにデフコンが3から4に代わることにはとてつもないエネルギーを要し、ほとんどありえない状況になっていて、平常時であるかぎり、韓国軍の指揮権は韓国軍が有する。
今どき、なんで日本全国にアメリカが我がもの顔でたくさんの基地をもち、首都の上空を占有しているのが、不思議でなりません。沖縄の辺野古新基地づくりだって、アメリカの押しつけであり、日本のゼネコンを喜ばせるだけなのに、菅新首相をマスコミがもてはやし、コロナ禍のなかでも基地建設を強引にすすめるなんて、許せません。
この本はひらがなにすべきところを旧来の漢字を多用するという読みにくさはありますが、著者の熱意と分かりやすい政治マンガによって、日米地位協定の問題点が浮きぼりにされています。この改定は日本政府の当面する主要課題の一つだと、つくづく思ったことでした。
(2020年8月刊。1700円+税)

植物はなぜ毒があるのか

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 田中 修 ・ 丹治 邦和 、 出版 幻冬舎新書
ジャガイモによる食中毒が毎年、学校で起きている。それは秋ジャガではなく、春ジャガに限られる。ジャガイモの表皮の内側に有毒物質がある。そこは虫にかじられることが多い部位。食べられるのを防ぐため、緑色の部分には有毒な物質がふくまれている。そして、このジャガイモの有毒物質は、お湯で茹でたり、油で揚げたりして調理しても、毒性は消えない。
この有毒な物質は、ジャガイモが芽を出すには必要なもの。つまり、有毒な物質がつくられなければ、芽を出さない。それだけジャガイモは慎重で、用心深い。
私はジャガイモを毎年つくっていますが、幸い、食中毒になったことはありません。もちろん、掘りあげたあとに日光にあてて緑色に変色しないよう、用心はしています。
江戸時代後期の外科医、華岡(はなおか)青洲(せいしゅう)が世界で最初の全身麻酔で、乳がんの手術に成功した。この手術で用いられた麻酔薬の原料は、チョウセンアサガオだった。このチョウセンアサガオは英語でエンゼルス・トランペットというとされています。ダチュラという名前もあります。
でも、わが家には、チョウセンアサガオもエンゼルス・トランペットもあります。花の形は、まったく違います。どこかで混同・混乱が起きているようです。誰か教えてください。
アジサイの葉っぱを食べると食中毒を起こすそうです。気をつけましょう。
ビワは、果実も葉っぱも健康を保つ効果のある成分がふくまれている。しかし、ビワのタネの中味には、有害物質がふくまれている。
広島で原爆のあと何十年間にわたって、花も木も育たないと言われたのを裏切って真っ先に咲いたのがキョウチクトウだと聞いています。排気ガスに強い木として、街路樹としても良く見かけます。うちの庭にも紅白の花を咲かせてくれます。このキョウチクトウは、葉っぱや枝におそろしく有毒な物質をもっている。そのため、虫に食べられることがほとんどない。フランスでは、この枝をバーベキューの串として使ったため、死者が出たそうです。怖いですね…。
蚊取り線香は除虫菊の成分であるピレトリンが蚊の神経を麻痺させてしまう。人間には、ピレトリンが神経細胞に届く前に、人間の身体のなかで分解されて、毒性がなくなってしまうので、蚊にとって危険であっても人間には安全だ。なーるほど、ですね…。
コーヒーは、1日に3~4杯が適切で、それ以上は飲み過ぎになる。緑茶のほうは1日5杯以上のんでいてもいいどころか、もっとも死亡率が低い。
黒にんにくはアルツハイマー病を防ぐ可能性があると紹介されています。依頼者の一人の手づくりの黒ニンニクを以前から食べていますが、これは良かったと思いました。
世の中は、本当に知らないことだらけですよね…。
(2020年3月刊。800円+税)

殿、それでは戦国武将のお話をいたしましょう

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 山崎 光夫 、 出版 中央公論新社
戦国時代の武将について貝原益軒が福岡藩第三代藩主の黒田光之に語ってきかせたという体裁で、いろんな武将が紹介されています。
貝原益軒って『養生訓』で有名ですよね。85歳まで長生きした体験にもとづく健康法ですから、現代でも重宝されています。この貝原益軒には、98部247巻に及ぶ膨大な著作集があるといいます。恐れいりますね。江戸時代随一の博識家と評価されているとのこと。
貝原益軒は、和漢の古典を読破し、儒学者として黒田藩に地位を確保して、『黒田家譜』を書き上げるのでした。1年で草稿を書きあげ、7年かけて12巻にまとめ、17年目に17巻本として完成させた。そして、全15巻の『朝野雑載』として、戦国時代の逸話をまとめた。
この本は、この『朝野雑載』をもとに短い読みものとしています。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康そのほか戦国時代の名だたる武将が次々登場してきて、読ませます。
そうか、戦国武将を主人公とした小説を書くのなら、この『朝野雑載』は有力な手がかりになるんだな、と思ったことでした。私も知っているような有名なエピソードが大半ではありますが、なかには、えっと驚くものもありました。
福島正則は、関ヶ原の戦いの前に、いち早く家康に味方することを高言して、家康を勝利に導いた。ただし、家康は本当に福島正則が自分のために戦ってくれるのか疑うところがあって、じっと様子をみていた。
関ヶ原の戦いのあと、大坂冬の陣のときには、福島正則は江戸城に留め置かれた。正則の変心を家康が恐れたから。
信長の家臣のうち、とくに優れた四将が俗謡に歌われた。
「木綿・藤吉(とうきち)、米・五郎左、かかれ柴田に、のき佐久間」
木綿は、普段着としてなくてはならないもの。木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は、信長になくてはならない側近だった。五郎左は丹羽長秀。柴田勝家は、戦闘時に先陣を切ってかかっていく強者(つわもの)。「のき佐久間」は、佐久間信盛。退却戦が上手だった。柴田勝家が秀吉に敗れたのは、本能寺の変を天下取りの好機ととらえる発想がなかったし、軍師もいなかった。
「井伊の赤備(あかぞな)え」というのは有名ですが、それは、武田二十四将の一人である山県昌景の部隊を引き継いだというのを知りました。武田の「赤備え」が「井伊の赤備え」になったのです。
そして、家康の家臣だった石川数正が秀吉の家臣になったのは、実は、家康を裏切ったのではなく、それは表向きのことで、本当は間者(かんじゃ。スパイ)となって大坂方に潜入したという説がある、とのこと。
ええっ、これって本当でしょうか…。私がこれまで読んだ本には、間者説はまったくありませんでした。まあ、世の中には、いろんなことがありますので、その説もあながち間違いだと決められません。
戦国時代の武将をとりまくエピソード満載の本でした。
(2020年5月刊。1700円+税)

心友、素顔の井上ひさし

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 小川 荘六 、 出版 作品社
井上ひさしが亡くなったのは2010年4月9日。75歳だった。飾り花は一切ない祭壇。棺のなかには、花の代わりにたくさんの芝居のチラシが入れられた。骨壺には、愛用の丸いメガネと太い万年筆が入れられた。
著者は上智大学以来、54年間、ずっとずっと井上ひさしと親密に交際していたことがよくよく分かる本です。そして、著者の娘さんが井上ひさしの秘書をつとめていました。すごいです。
それにしても、井上ひさしは、まことに天才的人物ですよね。私にとっては、手塚治虫に匹敵する人物です。
著者が井上ひさしに出会ったのは1956年(昭和31年)4月、上智大学文学部のフランス語学科です。男子学生ばかり15人ほど。井上ひさしは、いちどドイツ語科に入って、そのあとフランス語科に入りなおしたのです。ところが、井上ひさしは、フランス人の神父さんから中学・高校のときフランス語の基礎を叩き込まれていましたので、それほど苦労せずフランス語はできたのでした。
しかも、入学当初から、浅草フランス座(ストリップ劇場です)の文芸部員であり、放送作家のアルバイトもしていたのです。そんな井上ひさしは、学生仲間のくだらない遊びに率先して参加していたというのです。なーるほど、さすがユーモアあふれる作家は実践の人だったのです。
そして、著者の実家のある横須賀まで、金欠病の井上ひさしたちは巧妙なキセルで通い、麻雀にいそしんだのでした。往復300円かかるところを90円ですませたのです。
私も東京での大学生のとき何回かキセルをしましたが、そのうちに、そのスリルのドキドキ感がバカらしくなってやめました。そんなことより安心して車中で本を読むのに集中したかったのです。
ところが、井上ひさし自身は麻雀をしないで、徹夜組につきあっていたというのです。これまた驚きます。実家の稼業であるもやし栽培の手伝いをしていたようです。そのほかは、世界文学全集を徹夜で読んでいたというのですから、さすが偉大な作家は違います。
井上ひさしには家庭の団らんの経験がなかったこともあり、貧乏学生にとって「天国のような所」だったと振り返っています。
井上ひさしは、大学について、こう語った。
「大学で必要なのは、学問の中味ではなく、そこで誰に会ったか、誰と友だちになったか、誰とつきあったか、そして自分の人生を生きていくための新たな基本的な姿勢といいますが、それをつちかっていくというのも大事なこと、大事な役目だと思います」
まったく依存ありません。私にとって、それはセツルメントというサークルでしたし、セツラー仲間でした。あれから50年だった今も大切にしています。
井上ひさしの人形劇「ひょっこりひょうたん島」が始まったのは1964年(昭和39年)4月。私の高校1年生のときでしたが、夕方、楽しみにみていました。視聴率25%というお化け番組で、ついには40%近い視聴率になった国民的な人気番組でした。
ところが、その内容が左翼思想で、拝金主義を揶揄したものになっているというのにNHK上層部が気がついて、5年も続いたあと打ち切りになったのでした。
このころビデオ録画ができなかったというのが、本当に残念です。それが出来ていたら「寅さん」シリーズのように何度も繰り返し再放送されていることでしょう。
井上ひさしは、本を速く読むコツがあるかと著者がたずねたとき、「あるよ。速く読もうとすればいいんだ」と答えたそうです。私も同じです。井上ひさしほど速くはありませんが、年間500冊の単行本を30年来、読んでいるのは速く読もうとつとめているからです。でも、これ以上は、速く読むつもりはありません。頭に何も残らなければ意味ありませんからね…。
井上ひさしは、高いところは大の苦手で、飛行機も大嫌い。
井上ひさしは、旅行するときには、記録用の新しいノートを必ずもっていく。私も海外旅行するときには、毎回、小さなノートブックを購入し、肌身離さず日時とともに記録していました。そして、帰国してから写真と一緒に冊子をいくつもつくりました。こうすると、行く前、行ったとき、帰ってから、3回も楽しみがあるのです。
すばらしい本でした。おかげで井上ひさしという偉大な作家の雰囲気をたっぷり味わうことができました。ありがとうございます。
(2020年7月刊。2200円+税)

インドネシア大虐殺

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 倉沢 愛子 、 出版 中公新書
私にとって、インドネシアという国は、なんだか不気味なイメージの国です。だって、私が高校生のころ(1965年から1967年ころまで)に、少なくとも50万人、ひょっとしたら200万人以上もの罪のない人々が裁判にもよらず虐殺され、今に至るまで何ら真相解明されていないというのです。
これに匹敵するルワンダの大虐殺は、今日では、かなり明らかにされていますし、虐殺した犯人たちは裁判にかけられ、社会復帰もすすんでいるようですよね。
カンボジアの大虐殺だって刑事裁判になって、それなりに真相が解明されたわけでしょ。ところが、インドネシアのこれほどの大虐殺が今日に至るまでまったく不問に付されているなんて、信じられません。
このインドネシアの大虐殺と大きく関わっている中国の文化大革命も大変な犠牲者を出していますが、少なくとも文化大革命の悲惨な実情は、今日ではかなり明らかになっています。しかし、インドネシアでは、今なお、この大量虐殺はタブーに等しいようです。
しかも、日本人の好む観光地のバリ島は、その大量虐殺の一大現場のようなのです。
インドネシアでは、このとき、100万人ほどの人々が裁判も終えないまま残酷な手口で命を落とした。その犠牲者の多くは、軍の巧みな宣伝や心理作戦に扇動された民間の反共主義者によって一方的に虐殺された。
この一方的な虐殺をした犯人たちの現在を撮ったルポタージュ映画を私もみましたが、彼らは、処罰されることもなく、フツーの市民生活を送っているのに身も凍る思いがしました。
罪なきユダヤ人を次々に殺していったナチスと同じです。
なぜ、インドネシアの大量虐殺が問題にならなかったし、今もならないのかというと、アメリカそしてイギリスがそれに積極的に加担していたこと、ソ連も中国も、それぞれの思惑から抗議の声をあげえなかったことがありました。いわば大国のエゴが人々の生命を奪ったようなものです。
インドネシア共産党は、この直前まで世界的にみても強大なものでした。アイディット議長は、若かったのですね。そして、毛沢東に軍事蜂起路線をけしかけられていたようです。毛沢東が文化大革命を起こす直前ですので、このころは落ち目で、なんとか挽回しようと秘策を練っていたようです。それにしても毛沢東は無責任ですし、それに乗せられてしまったインドネシア共産党は哀れでした。
スカルノ大統領は欧米諸国ときわめて険悪な関係にあり、また国内では経済が発展せず、人々は食うに困る状況だったようです。
スカルノ大統領の妻の一人であるデビ夫人(根本奈保子)が有名ですが、日本はインドネシアの経済には深く食い込んでいたようです(今も)。でも、自力更生を唱えるスカルノ大統領の下で、庶民は飢餓状態にあったというのです。やはり、衣・食・住がきちんと保障されていない社会では大虐殺の歯止めがきかないのでしょうか…、残念です。100万人もの人々がほとんど抵抗もせず、逮捕・連行されて殺されていったというのですが、それにはこのような社会が飢餓状態で麻痺していたということも大きかったのではないかと推察します。
インドネシア共産党(PKI)は1955年の国政選挙で、16.4%の得票率で39議席を獲得し第4党となった。そして、1963年末には250万人の党員を擁すると自称した。9.30事件の直前の1965年8月には、PKI関係者は1500万人から2000万人、つまり人口の6分の1だった。それほどの勢力をもっていたのに、たちまち圧殺され、その1割もの人々が虐殺されたなんて、まったく信じられない出来事です。
このときの大量虐殺について、ときの検事総長は、「殺害された者が共産党主義者であったという証拠が提示できれば十分で、それがあれば殺害行為の責任は追及しない」と明言したとのこと。信じがたい暴言です。
インドネシアでは、庶民の住む地域では宿泊した人は24時間以内に隣組長に届出が必要だというのです。いやはや・・・。それでも少なくない人々が、偽名をつかって生きのびたとのことで、ほんの少しだけ救われました。
私は、インドネシアが本当に民主主義の国になるためには、この大虐殺の事実と責任を明らかにすることが不可欠だと改めて思いました。なにしろ、起きたことがひどすぎます…。この本を読みながら、泣けてきました…。
(2020年6月刊。820円+税)

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