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2020年7月 の投稿

花と昆虫のしたたかで素敵な関係

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 石井 博 、 出版 ベレ出版
コウモリが花と密接な関係をもっているというのに驚きました。
コウモリに受粉を依存する植物(コウモリ媒)の花は夜間に開花し、発酵臭など強い匂いをもつ。音を反響しやすい構造の花となっている(アメリカ)。
花の周囲に音を吸収する綿毛を生やすことで、花の反響音を際立たせている。種ごとに固有の反響音をもっていて、コウモリは、その音響指紋によって花の種類を識別している。
花にとっては、植物の多様性が非常に高く、同種の植物が近くに生育していないことが珍しくない熱帯の植物にとって、コウモリの飛行距離が長い(1晩で50キロメートルも飛びまわるコウモリもいる)、学習能力が高いことは重要な意味をもっている。
コウモリと花とが、こうやって依存しあっているなんて、不思議ですよね。
性的擬態を行うランは、多くの場合、たった1種の送粉者だけを利用している。
特定少数の相手とだけ関係を結んでいる植物種や訪花者のことを、送粉生態学の世界では、スペシャリストと呼ぶ。植物にとって、スペシャリストの訪花者に送粉を依存することは、異種植物間の送粉を軽減させるには有効。なぜなら、スペシャリストの訪花者は、浮気せず特定の植物種ばかりを訪花してくれるから。ところが、その訪花者がいなくなると、受粉できなくなるリスクをかかえることにもつながる。
自家受粉によって生産された種子は他家受粉によってつくられた種子(他殖種子)に比べ質が劣ることが多い。このため、自家受粉を行うのは、植物にとって好ましいことではない。
送粉と受粉を終えた古い花が花色を変化させる。古い花をしおれさせずに維持すると、株全体を目立たせることができ、より多くの送粉を惹き寄せることができる。しかし、もし株にやってきた送粉者たちが古い花にまで訪れると、送粉者に付着していた花粉が、古い花に付着してムダになってしまう。そこで、訪れてほしくない古い花の色を変えることで、その花が報酬をもたない、訪れる価値のない花であることを、送粉者にわかりやすく伝えている。
自然界で生物たちは、昆虫も花も、みんな知恵を働かせて一生けん命に生きていることがよく分かります。
農薬は、昆虫の免疫力を下げるため、寄生生物やウィルスへの抵抗性を下げ、これらの蔓延を招く危険がある。そうなんですね、豊かな自然環境をきちんと次世代につなげていきましょう。
不思議な生物界の話が満載の本でした。
(2020年3月刊。1800円+税)

木簡、古代からの便り

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 奈良文化財研究所 、 出版 岩波書店
木簡のことがよく分かる楽しい本です。
全国で見つかった木簡は50万点。その7割は奈良など、古代の都の周辺で見つかっている。630年代くらいが最古。
奈良研には6000個もの容器に入れた木簡を保有している。
木簡が残るのは、溝やゴミ捨て穴、井戸のように当時の地面を人為的に掘りくぼめた深い遺構の中。
地表に出ない場所で、日光と空気から遮断された状態で、地下水に守られながら腐蝕の速度が抑えられて初めて、木簡は1300年も残る。たっぷりの水と泥とで日光と空気が遮断され、バクテリアの活動が抑制された環境のなかで、かろうじて残っているのが実情。
そのため、木簡は科学的な保存処理を施すまでは、水に漬けて保管しなければならない。
奈良研では、毎年8月、「水替え」と呼ばれる水漬け木簡の総点検をしている。
奈良研では、室温20度、湿度60%に保たれた専用の処蔵庫で処理ずみ木簡を保管している。
木簡はもともとゴミなので、一つひとつの持つ情報は決して多くない。日常業務や生活に密着した事柄が多い。
古代に人々は、木と紙の双方の特性を熟知し、この二つを使い分けていた。
木簡は、表面を刀子(とうす。小刀)で削り取ると、厚みの許すかぎり何度でも書き直せる。たとえが、人事テータの管理には、加齢や異動などによる書き換えが前提となるので、紙より木簡のほうが適している。
木簡の用途や種類は多彩。くじ引き札。巻物の軸であり、背表紙のようなもの。手紙や帳簿。荷札・ラベル。文書の練習・落書。
奈良研で保管している30数万点の木簡のうち、80%以上は「削屑」(けずりくず)。
長屋王家木簡と呼ばれる木筒3万5000点が発見されたのは1988年(昭和63年)のこと。
(2020年2月刊。1800円+税)

歩く江戸の旅人たち

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 谷釜 尋徳 、 出版 晃洋書房
江戸の人々は旅を楽しんでいたようです。
誰が旅をしていたのか…。
平均年齢は30歳代ですが、最年長は50歳代後半でした。
5歳まで生きのびるのは、出生者全体の3分の2、40歳時点での生存者は当初の半分、晴れて60歳の還暦を迎えるのは3分の1。70歳に達するのは当初の2割。
ということは、旅に出た50歳代の男性は、連日の長距離歩行に耐えうる健康体を維持していた人々だった。
では、江戸の人は1日にどれくらい歩いていたのか…。男性で1日に35キロ、女性は28キロ超。1日に70キロ歩くのも不可能ではなく、最大50キロが普通だった。
朝の4時から7時ころに出発し、宿泊地には午後4時から6時ころに到着する。1日に少なくとも7時間、長いときには15時間にも及び、平均して10時間ほど。
江戸時代の庶民は寺社への参詣(さんけい)を旅の目的として藩の了解を得ておいて、真の目的は道中の異文化に触れて遊ぶことにあった。
近世庶民は、信仰を後ろ盾にして日本周遊旅行を存分に楽しんでいた。
伊勢参宮が最大だったのは文政13年(1830年)で、3月から6月までに427万人に達した。日本人の庶民の6人に1人が行った計算になる。
江戸の人々の歩き方は、現代日本人とは違っているようです。爪先歩行、前傾姿勢、小股・内股、歩行が奇妙であること。
日本人は歩行のとき足を引きずる。また、音を立てて歩く。こんなことに外国人が驚いています。
いまはコロナの関係で、それこそ自粛させざるをえませんが、日本人の旅行好きは昔からだということもよく分かる本です。
旅行ガイドブックがたくさん売られていました。それだけ需要があったわけです。
この本は江戸の旅人たちの様子をいろんな角度から紹介していて、大変勉強になりました。
ところで、旅の安全性はどうだったんでしょうか。女性の一人旅も少なくなかったと聞きましたが、本当でしょうか。ケガしたり、病気したときには、どうなる(なった)のでしょうか…。次々に疑問が湧いてきます。
せっかくここまで明らかにしていただいのですから、続編も大いに期待します。どうぞよろしくお願いします。
(2020年3月刊。1900円+税)

女帝・小池百合子

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 石井 妙子 、 出版 文芸春秋
中身がカラッポ。何をしようということはなく、ただ目立ちたがり屋なだけ…。もちろん、弱者救済とか環境保護というのも、まったく年頭にない。あるのは、どんな服装をして、どんなセリフを吐いたら世間受けするかということのみ。そんな女性を「救世主」かのようにもてはやし、持ち上げてきた日本の大手メディアの責任は重大だと、この本を読んで、つくづくそう思いました。
支離滅裂だけど、誰も気にしない。自信たっぷりに、美声でとうとうと話すから…。
小池百合子には仲間がいない。長くつきあっている人がいない。自分が目立つことだけを考えて他人(ひと)を利用してきた結果だ。人望がない。
築地市場を守り、豊洲移転を立ち止まって、考える。小池百合子は「ジャンヌ・ダルクになる」と言って、「築地女将(おかみ)さん会」の支持を得て都知事選挙に出て、圧勝した。ところが、小池百合子は「ジャンヌ・ダルクは、火あぶりになるからイヤ」と言った。そして、築地を見捨てて、豊洲の開設をすすめた。
小池百合子は自民党に帰順するにあたって築地を手土産(てみやげ)にしたのではないか、二階幹事長の推進するIR(カジノ)の候補地に築地を差し出したのはないか…。
希望の党の党首として、小池百合子はこう言った。
「安保法制に賛成しなかった人はアプライ(志願)してこないと思う」
「(民進党の)全員を受け入れる気はない。憲法観や安全保障で考えの一致しない方には、ご遠慮いただく」
「全員を受け入れるということは、さらさらありません」
「『排除されない』ということはございませんので、排除いたします」
選挙期間の最終日、小池百合子は夜8時に演説を終えると、その足でパリ行きの飛行機に乗った。開票結果を見守ることもしなかった。
希望の党は235人を擁立したが、当選したのは50人のみ。
小池百合子が公約としてかかげた「7つのゼロ」は、いずれも実現していない。「ペット殺処分ゼロ」も、老齢・障害・病気もちの150匹近い犬猫を殺処分したにもかかわらず、「ゼロ」だとカウントしている。
コロナ対策で東京都は明らかに遅れた。それは、小池百合子がオリンピック開催にずっとしがみついていたから。オリンピックの延期が決まり、安倍首相が小池支援を確約するや、今度は一転した「危機のリーダー」を演じるべく、連日、テレビで記者会見する。
小池百合子に親友があるとは見えてこない。同志といえる人もいない。何より、その心が見えない。だから感情がからみあわない。人間関係が希薄で、しかも長続きしない。他人に心を許さない。常に騙されるまいと思っている。用心深く、自分が生き抜くことを考え、得になる人とだけ付きあう。だから、利用価値のなくなった人、下り坂にある人との線はばっさり切り、ときには相手を悪者に仕立てる。
小池百合子は男社会と対峙するのではなく、寄り添い、男社会のなかで「名誉男性」として扱われることを好んでいた。
小池百合子は、女の皮はかぶっているけれども、中身は男性。平気ではったりができる。虚業に疑問を抱かない。見識や知識がなくても、それを上回る器用さと度胸がある。
小池百合子は政治家としてやりたいことはなく、ただ政治家がやりたいだけ。だから、常に権力者と組む。小池百合子は、ただ注目を浴びていたいだけ。
小池百合子の眼は笑っていない。孤独の深さが伝わってくる。いつも表情を作っている。
小池百合子は細川、小沢、小泉そして安倍と渡り歩いてきた。
小池百合子がエジプトのカイロ大学をちゃんと卒業したのかどうかという点では、卒業証書ではなく、卒業証明書または成績表を公表・公開すればいいのです。エジプトの政・軍部の支配下にある大学当局の卒業証明書では明らかに足りません。
この本を読んで、小池百合子は人間としては実に哀れな人だという印象を受けましたが、マスコミのつくりあげた虚像によって都知事として再選されるかもしれないとのこと。まことに、小池百合子も日本のマスコミも罪深い存在です。
いま一読に値する本です。
(2020年6月刊。1500円+税)

『世界』がここを忘れても

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 清末 愛砂・久保田 桂子  、 出版 寿郎社
アフガニスタンの女性・ファルザーナの物語というサブ・タイトルのついた絵本です。
アフガニスタン女性革命協会(RAWA)を支援している「RAWAと連帯する会」共同代表の著者がアフガニスタン現地での活動を通して知りあったアフガニスタン女性たちから聞いた話をもとに、「ファルザーナ」という女子大学生のストーリーにまとめた本です。
見開きに文章と絵があるのですが、描かれた絵がいかにも文章にマッチしていて、読み手の心をぐぐっとつかまえて離しません。
アフガニスタンというと、先日、惜しくも殺害された中村哲医師を思い起こしますが、国の再建にはまだまだ時間がかかるようです。
アフガニスタンでも大学に通う女子学生はいるのです。通学はバス。バスは、前のドアは女性客が、後ろのドアは男性客がそれぞれ乗り降りに使うといった区別がある。
アフガニスタンの就学率は男性68%、女性39%。大学は男性14%、女性5%になっている。女性の高等教育への進学はなお困難。
識字率は、男性55%、女性30%。15歳以上の半数近くは、読み書きができない。
タリバン政権時代は、女性への教育が禁止された。
アフガニスタンでは、カブール(カーブル)のような大都市を除いて、女性がひとりで外出するのは基本的に認められていない。夫や父・兄弟といった親族男性と一緒に出かけることが求められる。
アフガニスタンでは、今なお爆弾テロが絶えないようです。暴力(武力)には暴力で対抗するというのは、果てしない暴力の連鎖です。中村哲医師のような地道な取り組みこそ日本の果たすべき国際支援なのではないかと考えました。
よく出来た絵本です。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2020年2月刊。1800円+税)

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