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2019年12月 の投稿

南北戦争の時代

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 貴堂 嘉之 、 出版  岩波新書
アメリカのリンカーン大統領とカール・マルクスは同時代に生きていました。マルクスがリンカーンに大統領就任を祝う手紙を送っていたことは知っていましたが、マルクス自身がアメリカへの移住を真剣に考えていたというのは本書を読んで初めて知りました。
マルクスは、1845年に「北米移住のため」、具体的にはテキサスへの移住を真剣に考え、そのためプロイセレ国籍を離脱し、無国籍者になった。マルクスは、結局はイギリス・ロンドンに移住したわけですが、ヨーロッパ系移民を積極的に受け入れるというアメリカの法律にひかれたようです。そして、リンカーン大統領が再選を果たしたあと、それを祝うメッセージを送ったのでした。
リンカーンは、南北戦争の前は、人種間の分離が人種問題を防ぐ唯一の手段であり、そのためには黒人をアフリカに移住させるしかないという持論を展開していた。これまた知りませんでした。アフリカのリベリアへアメリカの黒人が移住する運動がありました。
アフリカへの黒人植民論は、北部や西部で圧倒的な支持を得ていた。
1860年の大統領選挙でリンカーンは勝利したものの、有権者の一般投票の40%しか得ていない。南部の10州ではまったく選挙人を得ていない。
南軍が当初のうち北軍に勝っていたのは、南軍は優れた軍人が多数いて、兵士の士気が高かったこと、南軍は射程距離の長い、近代的なライフルと塹壕をもっていた。苦しくなった北軍は、徴兵制を導入し、また黒人奴隷が軍務に就けるようにした。
北軍による海上封鎖は徐々に効果をあげていき、南部経済は大混乱となった。
北部社会では、戦前から反黒人感情が強かった。移民労働者は、黒人を排斥することで、「白人性」を身につけて社会的な上昇を果たしていった。労働者階級の「奴隷ではない」という意識の上につくられた自由労働イデオロギーに白人優越意識が埋め込まれており、人種差別意識を内包していた。
奴隷は、憲法の解釈上、人格ではなく、私有財産だと認められていたので、その解放は、憲法で保障された財産権の侵害となる恐れがあった。
リンカーン大統領の奴隷解放宣言のもつ歴史的意義は大きかった。黒人が軍に所属し、国のために戦う権利が認められたことから、20万人もの黒人兵士が北軍の軍役についた。
南北戦争の戦死者は両軍あわせて62万人。当時の人口は3100万人なので、大変な人数だ。病気で死亡した兵士は、戦場で命を落とした者の倍以上だった。
白人男性(13~43歳)のうち北部で6%、南部で18%(全体で8%)が死亡した。
今のアメリカは軍事化された社会だが、兵士の男らしさや犠牲を英雄的なものとみなす価値観は、南北戦の時期のあとアメリカ社会に定着した。
南軍が敗北したあと、捕虜収容所の所長が唯一、捕虜虐待によって死刑になっただけで、南部連合の指導者は誰ひとり死刑にはなっていない。
今もなお、南軍旗がアメリカでよみがえっているというのは不思議な話です。白人至上主義のシンボルになっています。嫌な話というほかありません。アメリカの歴史研究者による濃密な新書でした。
(2019年7月刊。840円+税)

グレタ、たったひとりのストライキ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 マレーナ&ベアタ・エルンマンほか 、 出版  海と月社
今や全世界から注目されているスウェーデンの高校生、グレタさんの両親がグレタさん本人と妹と一緒に書きあげた本だと紹介されています。とても読みごたえがあります。
それにしても恥ずかしいのは安倍首相です。国連でスピーチを申し入れて、断られたそうです。きれいごとのスピーチではなく、具体的に日本が何をどうするかという話をしないのだったら意味がないという理由で断られたのでした。小泉環境大臣が、同じように国連で、「セクシーだ」とか、訳も分からず意味不明のことを言ってのけたのと同じです。今の安倍政権は言葉の遊びをするのは長(た)けています。中身はまったくないのですが・・・。
グレタさんの母親はプロのオペラ歌手で、父親は演劇役者。グレタさんがアスペルガー症候群だと分かってから、仕事を辞めたそうです。なにしろグレタさんは、朝食のバナナ3分の1を食べるのに1時間近くもかかるのです。親は辛抱強く見守るしかありません。
グレタさんは聡明で、映像記憶ができます。世界中の首都の名前をスラスラ言えます。スリランカの首都の名前を言い、そのつづりを逆さに読むこともできます。頭の中で、単語の終わりから読めるのです。いやはや、とても信じられません・・・。
妹のベアタさんも、ADHD女児です。姉妹は、二人とも思春期の始まりにあたる10歳から11歳にかけて、爆弾のスイッチが入って点で共通している。
グレタさんは主張します。危機の原因をつくったのは全員の人々ではなく、ごく一部の人たち。だから、地球を救うためには、彼らの会社、彼らのお金を相手にたたかって、責任をとらせなくてはいけない。私も、まったく同感です。みんなが悪いというと、本質的に問題をつくり出している人の責任を軽減し、見えにくくします。その結果、問題解決が先送りされてしまうのです。グレタさんは、それがガマンできません。
飛行機に乗るという行為は、個人が環境に支える影響のなかでも最悪中の最悪の出来事だ。なので、グレタさんはアメリカへ行くときも帰りも船に乗っていたのでした。私は、申し訳ありませんが、月に1回は飛行機に乗っています。
世界でもっとも裕福な10%の人が全温室効果ガスの半分を排出している。
グレタさんは、2018年8月20日(月)にたったひとりでストライキを始めた。翌日は、グレタさんは一人ではなく、1人ふえ、2人ふえ、さらに大学生まで加わった。そして、テレビのニュースになり、ネット社会で学校ストライキの様子が拡散していった。
グレタさんのインスタグラムのフォロワーは一気に1万人になった。
グレタさんは訴えます。
気候危機は世界中の問題。パリ協定の目標を達成できる可能性は5%だと言われている。地球温暖化を2度未満におさえなければ、私たちは悪夢のシナリオに直面してしまう。
いま私たちは、毎日、1億バレルの石油をつかっている。今のルールに従っていると、世界を救えないことになる。私たちは、今6度目の大量絶滅の真っただ中にいて、通常の1万倍もの速さで、日々、200もの種が絶滅している。私たちの家は焼け落ちつつある。
私は、基本的に自分が必要だと思うときにしか話をしない。今が、その必要なときだ。
私のような自閉症スペクトラムに属する者にとって、ほとんどすべてのことは白か黒かだ。ウソをつくのが上手ではないし、みんなが大好きなソーシャルゲームに参加することもあまり興味がない。多くの点で、自閉症児のほうがノーマルで、その他の人たちのほうがかなり変だと思っている。
グレタさんの言うとおりですね。危機が目前に迫っているのに、そこから目をそらして安免にふけった生活することは許されないのです。ユーチューブで彼女のスピーチを字幕つきで見ました。素晴らしい。堂々として落ち着いた話しぶりで、深い感銘を受けました。
(2019年12月刊。1600円+税)

「生類憐みの令」の真実

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 仁科 邦男 、 出版  草思社
生類憐みの令から個々の動物に対する愛情はほとんど感じられない。
著者は、このように断言します。ええっ、では一体なぜ、なんのためのものだったの・・・。その謎を解き明かしていく本です。最後まで面白く読み通しました。
徳川五代将軍綱吉は、将軍になる前の27年間、松平右馬頭(うまのかみ)綱吉と呼ばれていた。娘のほか馬と鶴には特別な愛情をそそいでいたが、それ以外には犬をふくめて可愛がったという形跡はまったくない。
江戸城内に「御馬屋」はあっても「御犬小屋」はなかった。
綱吉は、少年時代から人や動物の死に対する嫌悪感が強かった。12歳のとき、明暦の大火を体験している。このときは綱吉邸も燃えている。死者は10万人をこえ、町には、人や牛馬、犬猫の死体が山積みされた。
鷹狩りの鷹は、犬の肉が餌として与えられていた。
江戸城内には狐が多く、大奥では、狐が嫌がる狆(ちん。犬の種類)を座敷に放して、狐の侵入を防いでいた。
生類憐みの令は、まず、江戸限定の犬の車事故防止・養育令として登場した。当時の江戸には、大八車(だいはちぐるま)が2000台もいた。そして、犬が大八車にひかれて死亡する事故が相次いだ。
町の犬たちは、あらゆる生ゴミを食べるので、町の清潔さを維持することに貢献していた。
大八車による犬や猫の事故については処罰されたが、逆に故意でない人身事故は罪に問われなかった。「人」の生命は軽く、「生類」の生命は重かった。
令が出たことで、江戸の町には人を恐れない犬が次々に生まれていった。
綱吉は、虫を飼うことも禁止した。ただし、江戸限定だった。
綱吉が本当にこだわり続けたのは馬だった。
生類憐みの令の「生類」のなかに「人」はふくまれていない。
綱吉が力をいれたのは「捨て子の保護」ではなく、「捨て子の根絶」だった。綱吉は捨て子を防ぐため、町民の妊娠まで報告させた。
綱吉のころの江戸には、5000人をはるかにこえる非人がいた。
綱吉は理屈を好んだ。少年時代から学問が好きだった。
犬小屋の話は有名ですが、収容された犬は、ストレスから来る病気などのために早死したようです。知らなかったことがたくさんありました。
(2019年9月刊。1800円+税)

暁鐘、革命家・李大釗の物語

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 大川 純彦 、 出版  藤田印刷エクセレントブックス
第二次大戦前、革命前の中国で活動していた李大釗(りたいしょう)の物語です。
1927年4月6日、ソ連大使館に逃げ込んでいた李大釗と李を従う青年19人そして家族やソ連大使館ら60人余りが中国兵に踏み込まれて、逮捕・連行された。当時の北京政府総司令・張作霖の厳命によるもの。もちろん、外国公館への武装立ち入りを禁止する国防法を無視したものだ。ところが、欧米列強は、これを黙認した。ロシア革命が拡大、波及することを恐れていたから。
李大釗らは軍事法廷に引きずり出され、20人全員に死刑が宣告され、その日のうちに絞首刑に処された。李大釗は38歳だった。これは、軍閥政府による共産党大弾圧事件の犠牲者だった。
李は北京大学の図書館長をしていたとき、生活に困っていた毛沢東に図書館の仕事を世話した。周恩来は、北京で李から直接指導を受けていた。
魯迅は北京大学の講師として、李の同僚だった。
孫文が、「国共合作」をすすめるうえで、協議を重ね、信頼していた共産党の指導者は李だった。
李大釗は日本に留学し、早稲田大学政経学科に入学した。李大釗が日本にいたのは1913年から1916年までの3年間ほど。大学のゼミで指導を受けたのは、キリスト教社会主義者として名高い安部磯雄教授だった。安部教授によって李は社会主義への目が開かれた。安部教授は東京の下町である氷川下町でのセツルメント活動をしていて、ロビンソン牧師も一緒だった。
李は中国共産党の命名者でもあった。そして、国民党に入党し、「国共合作」をすすめた。李大釗は孫文と「国共合作」を協議して。その具体化をすすめた。
李大釗の死後、すぐには葬儀すら出来なかった。ようやく葬儀が出来たのは刑死のあと6年もたってからだった。
中華人民共和国が成立するのは1949年ですから、李大釗が亡くなって20年後のことでした。まだまだ厳しい苦難の日々が続いたのです。
李大釗の長女の回想録をもとにした自伝小説風になっていますので、とても読みやすい本です。
(2019年4月刊。1200円+税)

幸福な監視国家・中国

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 梶谷 慎、高口 康太 、 出版  NHK出版新書
中国の地下鉄駅ではX線による荷物検査を受ける。日本の新幹線のような高速鉄道に乗るには身分証の提示が必須。
街中いたるとこに監視カメラがあり、全国で2億台。2020年には6億台になるだろう。
中国をお訪問すると、その監視社会ぶりに驚かされる。
このように現実世界でもインターネット上でも、すべてが政府に筒抜けになっている。ところが、現状を肯定的にみている。これは驚くべきこと・・・。
中国の新・四大発明とは・・・。
1つは高速鉄道、2つはEC(電子商取引)、3つはモバイル決済、そして、4にシェアサイクル。EC、つまりネットショッピングは、全世界の40%を占め、世界一。
淘宝には、客がショップの信用評価をする仕組みがあり、このためショップは懇切丁寧に対応する。ネットショッピングの割合は日本が5.8%、中国は19%と3倍以上。
中国のモバイル決済は2680兆円に達する。そして、この巨大な資金の動きがアリババグループとテンセントの2社に把握されている。つまり、重要情報をこの2社だけで独占している。
アリババグループが展開する信用スコアの芝麻信用は、ユーザーの金融能力を点数で評価する。そのため、借りて返したという履歴を企業に引き渡すことで、自らを優良ユーザーとして証明でき、それが信用評価を押しあげる。
監視カメラは、日本ではひっそり目立たないように設置されている。しかし、中国では、むしろ、これ見よがしに、「監視しているぞ」と誇示する設置の仕方が多い。
住民の道徳的信用スコアは、どうなっているか。一切の違反がないと1000点。A級とは970点以上、850点以上はB級、600点以上をC級。それ以下はD級。
中国のインターネットユーザーは8億2900万人。全国民の60%に相当する。10年前の2008年には、まだ22.6%だった。
IT化の先進国・中国から、日本はいろんな面で大いに学ばねばならない。そう思ったことでしたが、同時に国民のプライバシー保護をどうするか、大きな課題です。
(2019年8月刊。850円+税)

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