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2019年12月 の投稿

さし絵で楽しむ江戸のくらし

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 深谷 大 、 出版  平凡社新書
私は江戸時代に大変興味があります。現代日本とまったく違った時代であるようで、実はものすごく連続性がある時代なのではないかと今では考えています。
その江戸時代の実際の様子を絵で実感できるって、すばらしいことです。
年始の挨拶まわりは、1月1日は休んで、1月2日からしていた。というのも、1月1日は、旧年中の疲労がたまっているから、門を閉ざして休んでいたからだ。うひゃあ、そうだったんですか・・・。現代日本で、コンビニやスーパーが1月1日から開いているのは異常なんです。みんな休みましょうよ。
そして、もっていくお年玉はお金ではなく品物、たとえば、手ぬぐいや扇(末広がりで縁起がいい)だった。
新春の挨拶用語としては「御慶(ぎょけい)」という言葉がフツーだった。ええっ、聞いたことない言葉です・・・。
江戸時代は、キセルに詰めるタバコが大流行していた。「舞留(まいとめ)」と「龍王」が当時のタバコの有名ブランド。そしてタバコを売る店では、歯磨き用品も売っていた。
嫁入り婚となったのは江戸時代から。そして、結婚式は夜の行事だった。新郎と新婦は並んで座ってはいなかった。
二月の初午(はつうま)の日は、6歳か7歳になった子どもが寺子屋に入門する日だった。そして、寺子屋に入学するときには、子どもたちは、それぞれマイデスクを持ち込んだ。
町人社会は、50歳ころまでに隠居するのが通例だった。
江戸時代、下駄は高級品だった。裸足で外出する人も多かった。だから履物を玄関先で脱いだまま放置しておくと、盗られる恐れがあった。下駄はぜいたく品だったが、足袋も高級だった。遊女は冬でも足袋をはかないのが常だった。
江戸時代は、家族が一つの卓を囲んで食事するという習慣はなかった。めいめいが自分の膳に向かって食べた。
たくさんの図をもとにした解説なので、よくイメージがつかめます。
(2019年8月刊。800円+税)

アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ハーラン・ウルマン 、 出版  中央公論新社
著者は1941年生まれで、アメリカ国防大学特別上級顧問、ヨーロッパ連合軍最高司令官管轄下の戦略諮問委員会のメンバーもつとめました。アメリカの海軍士官学校を卒業し、ベトナム戦争にも従軍していて、まさしく軍事専門家です。
冷戦が終結した1991年から現在までの26年間、あわせて19年にもわたって、アメリカは大がかりな武力衝突や武力介入に、つまり戦闘に従事してきた。
アメリカは、過去72年間のうち、その半分以上の37年間は戦争状態にあった。その戦績はそれほど目覚ましいものではない。朝鮮戦争は引き分けだった。ベトナム戦争は不面目な敗北に終わった。
この60年間で唯一明白な勝利と言えるのは1991年の第一次イラク戦争(湾岸戦争)だけ。
第二次湾岸戦争は、ブッシュ大統領が指揮をとったが、これは南北戦争以来最大の戦略的誤ちであった。この第二次湾岸戦争のあと、イスラル国(IS)の興隆につながり、現在もまだ戦闘が続いていて、収束の目途もたっていない。
ベトナム戦争の真最中、海軍基地での講義のなかで退役陸軍中佐がこう言った。
「神はすべての善良な人間を敵側に置いたのではないかと思うよ・・・」
いやあ、これはすごい言葉です。
こんな戦争にアメリカが、いかに超先進的な兵器を有していたとしても敗北するのは必至ですよね・・・。
ベトナム戦争のとき、北ベトナム軍の総指揮をとっていたボー・グェン・ザップ将軍は、アメリカ軍の至近距離の戦闘にもちこむよう指示した。アメリカ軍の優れた空軍力と兵器を無効にしようという作戦だ。
アメリカがベトナム戦争でみじめに敗北したのは、北ベトナムの持久力と国内の統一への意思と熱意を理解できなかったことによる。北は、負けないことで、勝利をつかもうとした。北の政府は、アメリカ軍よりも長く持ちこたえることが勝利への鍵だと理解していた。
敵の文化を知ることは成功の必須の条件だ。戦争においては、敵とその戦略をよく知らなければいけない。
ISとの闘いは、組織に対するものではなく、思想と運動に対する戦いであることを理解しなければならない。
ISは自爆テロを実行する子どもたちをリクルートすることで対応している。子ども兵士が武装組織に取り込まれることは、過去にもあった。常備軍を倒すより、思想と運動を混乱させ、破壊することのほうが、はるかに難しい。
戦後アメリカの「失敗」の主因は、あくまで最終的判断を下す大統領の資質にある。
アメリカのような戦争が大好きな国と平和憲法をもつ国が対等平等の関係であるはずもなく、アベ首相はいつだってトランプ大統領の舌先三寸で動かされてきました。嫌ですね・・・。
アメリカの戦争の敗北の本質を考えさせられる本です。
(2019年8月刊。3200円+税)

欺す衆生

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 月村 了衛 、 出版  新潮社
本当は、こんな本は読みたくないし、すすめたくもありません。思わず目をそむけたくなる話のオンパレードなのです。
欺(だま)す側の心理と論理が実によく描写されています。私も商品先物取引の加害者(刑事被告人)の供述調書をもとに一冊の本をまとめたことがあります。
この本は加害者(だます側)の家族生活にまで踏み込んでいますから、まさしく身につまされるストーリー展開です。ある面では切ないというところも感じます。でもでも、主人公は、結局のところ、一線を踏み越えて、悪の道を突っ走っていきます。そして、その家族はそれを受け入れて裕福な生活にどっぷり浸るのでした。
出発は豊田商事のだましの商法になっています。同じようなことが商品先物取引の世界でもありました。国内の先物取引会社で素人騙しの手口(テクニック)を身につけた連中が当局の規制が及ばない香港やロンドンなどの海外取引所を舞台とした先物取引に素人を引きずり込んで大金をだましとっていったのです。
本書では、豊田商事の残党たちが、原野商法、和牛商法そして、証券投資、さらにはアフリカを舞台とするインチキ商法を展開していく様子が見事に活写されています。そのときは、舞台装置として、公務員や大使館員を抱き込むのです。
そして、暴力団が登場します。もちつもたれつで、企業舎弟たちとだまし稼業に狂奔し、ついには大物政治家まで登場します。それは、「桜を見る会」でジャパンライフが首相枠で姿をあらわし、実は、この豊田商事に匹敵する大がかりなインチキ商法が、実は安倍首相とはその父親の代から親密な関係にあったわけですが、それと同じ本質だったのでした・・・。
だますときには、相手の資産状況だけでなく、本人の性格や経歴、さらには家族構成まで調べあげる。
「人を欺すためなら、自分を欺すことなんて簡単にできる。そういうもんだろ、人ってさ・・・」
「人を欺す仕事は最低だと思う。でも、その一方で、人を欺す快感は捨てられない。強欲な輩を欺すのは痛快だ。その一方で、そんな輩を欺す自分はなんだ・・・と考える」
だます男がだまされ、またいいようにあしらわれる。そして、暴力団にしゃぶられる。けれども、暴力団内部でも利害が一枚岩ではない。
そんな実情が、これでもか、これでもかと畳みかけられると、こんな世界に足をつっこまなくてよかった・・・と思えてきます。いくら大金があっても、心の平穏はどこにもないのです。
主人公が迷い、悩んでいたのがウソのように悪に徹していくのに、膚寒い思いがしてしまいました。見たくないけれど、直視しなくてはいけない現実だと思って、500頁もの大作を週末の土曜日に一日で読み切りました。
(2019年11月刊。1900円+税)
 11月に受けたフランス語検定試験(準1級)の結果を知らせるハガキが届きました。71点(12点満点)で合格でした。自己採点で73点、合格基準点は67点ですので、いつものように低空飛行でスレスレ合格です(合格率24%)。 1月末に口述試験を受けます。これが大変なんです。今から仏作文の練習をはじめるつもりです。
 ちなみに、準1級の合格証書は7枚もらっています。レベルアップは望むべくもなく、低下せず維持するのが精一杯です。

ふたりの桃源郷

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐々木 總 、 出版  文芸春秋
電気も水道もない山奥で暮らしている老夫婦を30年にわたってテレビで紹介していった番組について、裏話をふくめて活字にしたものです。似たような話があったような・・・、と私は映画のパンフレットを探し出しました。
2014年の韓国映画「あなた、その川を渡らないで」です。こちらは30年間ではなく1年3ヶ月間でしかありませんが、老夫婦はなんと98歳のおじいさんと89歳のおばあさんです。山奥の一軒家ではありませんが、小川の流れる小さな村に住んでいます。毎日、ふたりはおそろいの服(上着は、白で、チマはライトブルー)を着て、手をつないで歩いていきます。枯れ木や山菜をとりに山へ、市場へ買い物に出かけます。春には花を折って互いに飾り、秋には落葉を投げあってほほえみ、冬には雪合戦をしてはしゃぐ。そんな老夫婦の日々が淡々と紹介されます。韓国では480万人もの観客を動員していますが、その半数を20歳台の若者が占めたといいます。私も福岡・天神の映画館でみましたが、心が震えました。まだみていない方はぜひみてください。
日本のほうは、たびたびテレビのドキュメンタリー番組となり、全国放送もされています。2016年には映画(『ふたりの桃源郷』)化されたそうですが、残念ながら私はみていません。今も各地で上映されているそうなので、ぜひ、みてみたいものです。
寅夫じいちゃんは大正3年生まれ、2007年(平成19年)6月に93歳で亡くなった。フサコばあちゃんは大正9年生まれ、2013年(平成25年)1月に同じく93歳で亡くなった。
この二人が初めてテレビに登場したのは今から28年も前の1991年(平成3年)のこと。
地元の山口放送は1993年に30分番組で紹介した。それから2018年まで、実に27年間にわたって紹介したというのですから、中途半端な話ではありません。
桃源郷の山小屋には、電気も水道も通っていない。でも、四季を通じて山から水が湧き、切り拓いた土地をぐるっと囲むように2本の水流があるため、1年を通して水には困らない。何十メートルもホースをつなぎ、湧き水を山小屋のすぐ脇まで引いている。小屋の表にある水がめには、いつだってきれいな水があふれていた。
夜、明かりを灯したり、洗濯機をつかうときには発電機を回す。暖をとり、煮炊きするのには、もっぱら薪だ。毎日のように山の木々を切り出し、斧を振りおろして薪をつくるのは、70代も半ばを過ぎると、重労働だ。
1979年(昭和54年)秋、夫婦そろって18年ぶりに山に戻った。二人は、人生を山で再スタートしたのだ。
山口放送が取材して放送したのは27年間で100回にもなる。全国放送されたことも12回ある。
山には電話がないので、取材は事前にアポイントの取りようがなかった。テレビ取材は、アポなしの突撃取材だった。
風呂は五右衛門風呂。87歳のじいちゃん、82歳のばあちゃんの老夫婦二人だけの山での生活。「夫婦円満の秘訣は何ですか?」と訊くと、答えは、「そりゃあ、セックスじゃのう・・・」。これでは放送できない。東京から全国放送するとき、同じ質問があった。どうなるか・・・。答えは、「そりゃあ、『夜』じゃのう・・・」。
えがった、えがった・・・。なにしろナマ放送だったのです。
23年間続けた山での暮らしを寅夫じいちゃんとフサコばあちゃんは自分の意思で終わらせて、ふもとの町の老人ホームに入って生活するようになった。
こんな人生のすごし方も魅力的ですよね・・・。でも、山に住むということは、蛇だって、虫だって、すぐ身近な存在なんですよ。怖くもあります。都会生活に慣れていたら、やはり山に住むのは無理だと思います。窓にヤモリがくっつくのは可愛いものですが、ゴキブリが出てきて、ナメクジが台所あたりをはいまわるのが耐えられますか・・・。
(2019年10月刊。1500円+税)

ノモンハン、責任なき戦い

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 田中 雄一 、 出版  講談社現代新書
1939年5月に起きたノモンハン事件は、「事件」というより戦争そのものでした。
日本軍は歩兵を中心として1万5000の軍を投入し、ソ連軍は5万の兵員と、最新型の快速戦車や装甲車を大量投入し、物量と火力で日本の歩兵部隊を圧倒した。4ヶ月間で、日本側は2万人、ソ連側は2万5000人という膨大な死傷者を出した。ソ連でのジェーコフ将軍は人命軽視で督励していたようです。日本軍は主力の第23師団の8割が死傷するという壊滅的な打撃を受けて、主戦場となった国境エリアから締め出された。しかし、日本の国内ではこの敗北は一切隠され、国民は知ることがなかった。
関東軍の若き作戦参謀が事件を起こした。関東軍作戦主任の服部卓四郎中佐(当時38歳)、作戦参謀の辻正信少佐(当時36歳)が事件を引っぱっていった張本人だ。
辻参謀は少佐でしかないのに過激な言動によって関東軍内部で強い影響力をもち、陸軍中央まで引きずり回した。辻がいなければノモンハン事件は起きなかった。辻はノモンハン事件のあと責任をとらされ、ほんのしばらく鳴りを潜めていただけで、まもなく復活した。そして戦後は国会議員になり、タイの密林で消息を絶った。
辻ら若手参謀は、参謀本部に何ら知らせることもなく、モンゴル領内のソ連軍空軍基地の爆撃を決行した。これについては、昭和天皇も怒った。
ソ連軍はスターリンが42歳のジューコフ将軍を現地に派遣して態勢を立て直した。5万人をこえる兵員、時速40キロをこえるBTという快速戦車などを最前線に投入する。日本軍も満州全土から虎の子の戦車70両をノモンハン現地に終結させた。
ところが、日本の歩兵部隊を300両をこえるソ連軍の戦車部隊が襲った。日本軍のまったく予期しない事態だった。ただし、ソ連軍は、戦車50両、装甲車40両を喪うという大損害を蒙った。
日本の戦車は、ソ連軍の仕掛けたピアノ線にキャタピラがからまり身動きがとれなくなり、そこをソ連軍が砲撃して70両の戦車の半数が破壊・消耗した。
ノモンハン事件全体を通じて、日本側のうった砲弾は6万6千発、ソ連側は43万発。圧倒的な物量差が勝敗を決めた。
ソ連軍は日本側の甘い予測をはるかに上回る兵站(へいたん)線を構築していた。9000台をこえる貨物運搬自動車を終結させ、前線部隊を強力に下支えした。
死傷者数ではソ連軍の被害のほうが甚大だが、作戦目的を達したのはソ連だった。
日本軍が回収した日本兵の遺体は4386体にのぼった。そして、戦後、日本軍は現場の中下級指揮官にすべての責任を押し付け、自決(自殺)を強要し、免官、停職し、汚名を被せた。その反面、軍トップは辻参謀たちをふくめて温存、非を問われることはなかった。
今に通じる日本軍の無責任体質について、呆れるというより怒りすら覚えます。
(2019年9月刊。900円+税)

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