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2019年2月 の投稿

寒川セツルメント史

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 寒川セツルメント史出版プロジェクト 、 出版  本の泉社
私は1967年(昭和42年)4月に大学に入ると同時に川崎セツルメントに入り、4年間近くセツルメント活動に没頭しました。セツルメントなんて言葉は聞いたこともありませんでしたが、なんとなく目新しいものを感じましたし、なにより新入生歓迎会に参加すると元気な女子大生がたくさん参加していて大いに心が惹かれました。同じころ、ダンスパーティーにも参加したことがありましたが、踊れませんし、歌えもしませんので、気遅れしてしまいました。セツルメントでは話し込めるというのも魅力でした。
セツルメントとは、イギリスで知識階級の人々が貧民街へ定住(セツル)し、労働者階級とともに生活改善をおこなった運動。施しではなく、自活する術を身につけられるように労働者教育を行った。
最近の映画『マルクス・エンゲルス』をDVDでみましたが、19世紀の産業革命によって労働者階級が誕生したものの、その貧困と窮乏が激しくなっていきました。そのころ、大学教授たちが労働者の住む町へ出かけて労働者や夫人に教育を与えていく活動を展開していったのが大学拡張運動(セツルメントハウス・ムーブメント)でした。セツルメント運動の父は、かのトインビーです。トインビーホールが学生たちによって各地につくられました。
イギリスのセツルメント運動はやがて欧米諸国に広まり、移民の多いアメリカでは数多くのセツルメントハウスがつくられ、医療・教育・芸術まで多様な活動がすすめられた。
寒川セツルメントについては、私も全セツ連大会で何度も名前を聞いていましたし、全セツ連書記局を支える有力なセツルでした。寒川セツルメントは、1954年、千葉大学医学部の社会医療研究会(社医研)から誕生したサークルです。
寒川セツルメントは1960年代、70年代には100人以上のセツラーをかかえる大サークルで、全セツ連に毎年、書記局員を送り出し、全セツ連を支えた。ところが、1980年代にはいってセツルメント運動は退潮して、全セツ連は消滅し、1987年に寒川セツルも全セツ連から脱退した。1989年に子ども会サークルに名称を変更し、今も存在している。
この本は、1954年に生まれ、1989年まで存在した寒川セツル35年の活動を振り返ったもので、大変貴重な戦後史になっています。これに匹敵するものとして『氷川下セツルメント史』(エイデル研究所)があります。残念ながら、私のいた川崎セツルメントは、私の『星よおまえは知っているね』(花伝社)と『清冽の炎』(花伝社)があるだけで、類書はありません。
『氷川下セツルメント史』には、70年代以降のセツルメントがどうなったのかの解明が課題としていますが、今回の『寒川セツルメント史』では、70年代以降もきちんと明らかにしています。
セツルメント活動は、うたごえ運動と結びついていました。「地底の歌」や「子供を守るように」など、よく歌をうたいました。合宿するときには総括文集とあわせて歌集を印刷してもっていったものです。地域の現実を見つめながら、私たちは自分を語りました。そして、社会変革と自分の生き方とのかかわりも考えました。それは決して、地域の人々を踏み台にするものではなく、地域の生活に触発されて問題意識をとぎすまされたということができます。そのなかで生まれた仲間意識はとても強く、心地よいものがありました。
貴重な資料を満載した400頁の本です。かつてセツルメント活動に関わった人も、そうでない人も、セツルメントって何だろうと疑問に感じている人にも、ぜひ読んでほしい本です。
(2018年12月刊。2500円+税)

自衛官の使命と苦悩

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 渡辺 隆・山本 洋・林 吉永 、 出版  かもがわ出版
私の依頼者に自衛官は何人もいましたし、大災害救助のときの自衛隊出動には心から敬意を表しています。警察でも消防でもまかなえない役割を果たしている点は高く評価します。でも、自衛隊がイラクやソマリアに行き、ジブチに基地をつくっているのには賛成できません。幸いにして、これまで日本人が殺されることもなく、現地の人々を殺したこともないというのは、本当に良かったと思います。でも、戦闘に巻き込まれるような危険な役割をアメリカ軍と一緒になってやるなんて、無益であり、有害だと思います。
安倍首相は憲法改正の理由として、自衛隊員に肩身の狭い思いをさせてはいけないからと言っていましたが、災害救助でがんばっている自衛隊員を日本人の多くは高く評価していると思います。次に、地方自治体の6割が自衛隊員の募集を拒否しているとか言い出しました。まったく事実に反します。自治体のほとんどは、自衛隊員の募集に協力しています(私は、これがいいことだとは考えていません)。
この本は、現代日本の苦悩(矛盾)の産物である自衛隊について、その高級幹部だった人が語った本です。
どうすれば戦争にならないのか、侵略があったとき、日本はどう立ち向かうのか、正面からきちんと考えるべきだと柳澤協二氏は解説しています。
なるほど、そのとおりだと思います。
 それにしても、イージスアショアという2千億円もの軍事予算をつかうかどうかの国会質疑のとき、安倍首相が自衛隊員が自宅から通勤できるところにつくると答弁したのには思わず腰を抜かしました。米朝会談がすすんでいるときに、そもそもイージスアショアなんて不要だと私は考えていますが、それにしても自衛隊員の通勤圏内に「基地」をつくるという首相答弁は許せません。2千億円ものムダづかいは絶対に認められないことです。そんなお金があったら、大学生の奨学金(給付型)を拡充してください。介護保険料の徴収をやめて、年金を増額してください。
 自衛隊の高級幹部のナマの声に耳を傾ける意義はある、しかも大きいと痛感させられる本です。
(2019年1月刊。1700円+税)

アメリカの大都市弁護士、その社会構造

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ジョン・P・ハインツ・ロバート・L・ネルソンほか 、 出版  現代人文社
今のアメリカの弁護士の状況が分かる本なのかな、と思って手にすると、実は、少し古くて、主として1995年までの状況が語られています。せいぜい2002年までです。したがって、20年ほども前の状況ということになりますが、最近出版されたということは、今日もあまり変わっていないということなのでしょう。
20世紀前半までは、アメリカの法律プロフェッションのエリートは、ユダヤ人弁護士を差別し、ロースクールと弁護士会は黒人と女性を締め出すための公式の防壁を打ち立てた。
1971年に、女性弁護士はわずか3%しかいなかった。しかし、1995年には女性弁護士は24%を占めていた。
2002年には、法律事務所のパートナーの女性は16%だった。有色人種はアソシエイトの14%と、パートナーの4%のみだった。
アメリカの弁護士会の内部では格差が拡大している。単独開業弁護士のもうけは1970年代はじめに始まった。シカゴの弁護士は、1975年から1995年の20年間で2倍になった。単独開業弁護士の収入は、10万ドルから5万5千に下がってしまった。
1995年に、最大規模の法律事務所の所有者は、前年の中位値が35万ドル(3500万円)だった。所得のギャップが著しく拡大した。
政府機関で働く弁護士の平均所得は、1975年の6万3000ドルから、1995年の5万ドルへ23%も減少した。
女性弁護士の所得は、男性よりも有意に低かった。1975年には27%低く、1995年には13%低かった。
シカゴの弁護士は、1975年には57%が民主党を支持し、1995年には55%となった。
シカゴの弁護士は、1975年には53%がビジネスに力を注いでいたが、1995年には3分の2が企業を顧客とする業務に従事している。
どの弁護士会にも所属していない弁護士の割合が1975年から1995年にかけて2倍となった。
日本とアメリカ、弁護士のあり方については、とんでもなく遠い存在のように思えますが、実は意外に共通点があることを思い出させてくれました。
(2019年1月刊。4800円+税)

神さまがくれた漢字たち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山本 史也 、 出版  新曜社
はじめ、漢字は、おおむね亀のお腹の甲らや、牛や羊や鹿の肩胛骨に刻まれていた。なんと人の頭骨にも刻まれた。
殷(いん)の国が安陽に定着し、武丁(ぶてい)という王の時期に漢字の世界は成立した。
王は漢字をたよりに神の許しや助けをしきりに求めた。そして、もし要求が実現したときには、それは神の認めによるものだと確信した。そして、神と王とは溶けあい、一体化した。この融合によって、王自身は神とひとしく、神聖な存在となった。
漢字は3300年にわたって生き続けている。漢字ほど時間をこえて生命力をもち続けている文字は世界のどこにもない。
エジプト王朝にも文字があった。ヒエログリフだ。しかし、このヒエログリフは滅びてしまった。シュメール文字も線刻文字も学者の研究対象ではあっても、世界の誰もが使うことがない。
「民」の字は、もとは、大きい矢か針で目を突き刺す形だった。殷王朝を脅かす異民族を戦争で補え、その「人」の「目」に加える処罰を示すものだった。
「童」は、もとは「目」の上に入れ墨(ずみ)がほどこされた形。刑に処せられて僕(しもべ)の身分に落とされた者を「童」(どう)という。
「取」(しゅ)は、戦場で敵の首を討ち取ったとき、敵の左の耳を手で切りとるさまを示す字。
「文身」(ぶんしん)とは、身体に図柄や模様を彫りつけたり、塗りこめたりする聖化の方法のこと。「文」は、もともとは身体を清めるために施す図柄や模様を指していう語だった。
日本の江戸時代、大坂では初生児の男の子には「大」、女の子には「小」の文字を、その額に朱色をもって記した。そのしるしを「あやつこ」と呼んだ。
「女」の字は、両手を交えてひざまずく「女」の姿勢を表している。それは「男」に屈服しているのではなく、つつましく神に仕えて従っている姿。「女」とは、本来、神のかたわらにあることを許された特権的な性をいう。それが「女」の本質であった。
「母」の字は、「女」の胸にゆたかな乳房を加えたもの。「たらちね」とは、本来、満ちたりた乳房の意味。「母」の子をはらむ姿は、「身」の字で示される。
漢字の成りたちを、その根源から説明されていて、とても興味深く読みました。
(2018年5月刊。1300円+税)

熱狂のソムリエを追え!

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ビアンカ・ボスカー 、 出版  光文社
私は赤ワインを少々たしなみます。フランスを旅行するときは、カフェにすわって、コーヒーではなく、一杯のグラスワインの赤を道行く人を眺めながらちびりちびりと飲むのが楽しみです。夜のディナーのときは、大き目のグラスで2杯の赤ワインを飲みます。陶然とした気味を味わうのです。
この本は、ソムリエとは何かを究めようとしています。ソムリエとは、レストランでの食事のとき、ワインを選んですすめてくれる給仕役の人物です。ソムリエとは、フランス中部で駄馬を意味するソミエという語から来ていて、あっちからこっちへと物を運ぶ荷役動物的能力を発揮する仕事に就いた人物のこと。
高級レストランでは、一般に1杯のグラスワインに対して、そのボトル1本の卸値と同額を請求される。ボトルで頼むと卸価格の4倍を請求される。グラス4杯がボトル1本の値段になる。グラス売りのワインは誰にとってもおいしい商売だ。生産者と卸業者はグラス売りの場を欲しがる。というのも、商品の回転が速いし、安定して注文が入るから。
マスター・ソムリエのブラインド・テイスティングでは、25分で赤3本、白3本の計6本の評価をしなければならない。
第一段階でワインの外観を見る。グラスの脚をつまんで、手首を数回すばやく回す。ワインが回転し、グラスの内側に薄く付く。滴(しずく)の広がりとそのスピードを見守る。手をとめて、ころがり落ちる「涙」を観察する。濃くてゆっくりと落ちる涙は明らかに高アルコールであることを示し、いっぽう薄くてさっと落ちる涙は、またシート状になって落ちるときはアルコール度が低いことを意味する。
次は香り。グラスを持ち上げ、ほぼ床と平行になるまで傾けてワインの表面を空気にさらす。あらゆる角度からアロマを嗅ぐ。
一流のテイスターたちは、ソムリエコンクールに挑戦するずっと以前から舌と鼻を調整している。グラスの前に座る数日前、数時間前、数分前まで自分の身体をどう整えているかが、テイスティングと嗅ぐ技の結果を左右する。
テイスティング前の飲食と歯磨きをやめる。空腹状態で、フレーヴァ―を嗅ぐのだ。マスター・ソムリエ試験の前、舌がやけどしないように、1年半ものあいだ微温以上の飲み物は一切口にしなかった。冷たい飲食物だけの人もいる。テイスティングの前日は、重たい食事は避ける。生のタマネギ、ニンニク、強いカクテルも遠慮する。
合法的にワインに入れることのできる添加物は60以上もある。1000ドルもする樽の代わりに1袋のオークチップをつかう。コクがなければ、アラビアゴムで口あたりを重くする。メガ・パープルを数滴たらせば、ワインをふくよかにし、フィニッシュを甘くし、色を濃くし、青臭さを覆い隠してくれる。20ドル以下のワインには、すべて入っている。
高級レストランの売上げの3分の1はワインからというのが現実。ソムリエが店の運命を担っている。
完璧なソムリエとは、帰宅した客の記憶に残らないような存在でなければならない。
楽しい会話、客の懐(ふところ)具合と要望を知り、1000種もの候補のなかから適切な数本を選ぶのがソムリエの任務であるとしても・・・。
ワイン選びのむずかしさ、そしてソムリエの存在について教えてくれる本です。
(2018年9月刊。2300円+税)

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