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2018年12月 の投稿

オウム真理教事件とは何だったのか?

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 一橋 文哉 、 出版  PHP新書
先日、民放テレビが「坂本弁護士殺害事件の真相」を描いた特集番組を放映していました。いつもテレビは見ませんので、録画してもらったのを見ました。久しぶりに坂本弁護士の笑顔に接することができました。そして、妻の都子(さと子)さんと3歳の長男(龍也君だったかな)と親子三人で楽しそうに公園で遊んでいる映像も流れました。
何の罪もない弁護士一家を、オウムは活動の邪魔になるといって殺したのです。しかも、弁護士だけでなく、妻と3歳の子どもまで・・・。オウムの男たち6人で就寝中の一家3人に襲いかかって殺害しました。途中、都子さんは子どもだけは助けて、殺さないでと叫んだというのですが、男たちは一家3人をその場で殺し、なんと3人の遺体はバラバラにあちこちの山林に埋めてしまったのでした。本当にむごいことをするものです。
そんな殺人教団に、今も信者が2千人はいるというのには驚かされます。信じられません。
この本の後半では、1995年3月30日の朝に起きた国松孝次・警察庁長官狙撃事件の犯人が今なお捕まっていないことを問題としています。
21メートル離れたところから動いている人間に3発の銃弾を命中させるというのはスナイパーとしてきわめて優秀でなければありえない。犯人として疑われた男たちにそんな能力があるとは思えない。オウム信者だった元巡査長の自供は客観的に疑わしいのに、なぜビジネスホテルに監禁して取調したのか。そもそも国松長官が、長官になる前に億ションとも呼ばれる超高級マンションを即金で買えたのは例の裏金(または餞別金)の成果なのではありませんか・・・。いろいろ疑わしいことだらけのまま、結局、迷宮入りしてしまいました。世界一優秀なはずの日本警察の親分(トップ)が狙撃されて瀕死の重傷を負ったというのに、その犯人を捕まえることができず、今もって犯人像すら不明というのでは、「優秀」だという看板が泣きます。
この本の前半には、教祖の麻原がオウム真理教をたち上げるに際して、3人の男の力を借りていることを紹介しています。「神爺」と呼ばれる70代の老詐欺師、阿含(あごん)宗のときから行動をともにしてきた「長老」、そして、インド系宗教団体にいた「坊さん」の3人が、麻原とともにオウム真理教の基礎を築いた。
なるほど、麻原は弁舌さわやかに人をたぶらかすことに長(た)けていたようですが、それは老詐欺師によって磨きをかけられていたということのようです。
私はオウム真理教事件を絶対に風化させてはいけないと考えています。まして、今なお殺人教団の教えを「真面目に」実践している信者が2千人もいるというのですから、彼らの「教え」の本質が詐欺であり殺人教団であったことを、事実でもって明らかにしていく必要があります。
その意味で、今回の死刑執行は間違いだった、少なくとも早すぎたと私は考えています。
今でもたくさんの解明すべき疑問点があるのです。時がたてば分かってくることもありうるのです。彼らを死刑執行するのではなく、生かして、もっと事実を語らせるべきだったと思います。それは裁判が有罪で確定したから不要だということにはならないのです。
いろんなことを考えさせてくれるタイムリーな本でした。
(2018年8月刊。920円+税)

憲法について、いま私が考えること

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 日本ペンクラブ 、 出版  角川書店
日本ペンクラブが憲法について語る本は、これが2冊目。1冊目は、1997年に井上ひさし選で『憲法を考える』(光文社)でした。
それから21年たって、今や日本国憲法の運命は大変な危機に直面しています。
アベ流のごまかし改憲が現実化する心配が強まっているなかで、ペンクラブの面々が、思い思いに憲法を語っているこの本は、大きな意義が認められます。
それにしても、アベ流改憲を狙っている人々は、そろいもそろって根っからの対米従属、対米屈従の人たち。歴代自民党政権の背後には、常にアメリカの指図があり、その世界戦略に都合のよいように自衛隊を位置づけ、そして日本という国のありようも変えようというのです。
ほれぼれするように立派で美しい憲法である。でも、この憲法には脆弱性がつきまとってきた。違憲であるものに常に足蹴(あしげ)にされてきた。この平和憲法を守るのは簡単でありながら、大変至難に思える(志茂田景樹)。
私たちは、すこぶる滑稽な時代を生きている。だって、そうではないか。大臣や高級官僚が、明らかに嘘とわかる大嘘を、平気で堂々と述べるのである。肝心なことは記憶にない、の一言ですますのである。嘘つきと健忘症たちが、国政をになっている(出久根達郎)。
私にとって、家庭とは父親がいないものだった。明治生れの父は外に女をつくり、家にはめったり寄りつかなかった。父の横暴と、ただ泣くしかなかった母の記憶は、私の世界観の基本である。力で人を従わせる人間への嫌悪。弱者を思いやる気持のない政治への怒り(赤川次郎)。
2017年の10~20代の行方不明者は3万3000人。ここ数年、10~20代の自殺者は毎年3000人。15~29歳の引きこもりは38万人(2015年)。
金子みすずと入選順位を競った詩人の島田忠夫は、戦時中は軍国詩人になったにもかかわらず、疎開先で文学をしていて地元民からスパイと疑われて警察に密告され、官憲から拷問を受け、終戦の一週間前に若くして急死した(松本侑子)。
安倍晋三や麻生太郎ならぬ阿呆太郎をふくめて、壊憲派(改憲派)は山口組の組長以下の歴史認識しかもっていない。侵略戦争をしたことへの痛烈な反省から9条は生まれているのに、それが分からないから、9条を壊して、また侵略戦争をしようとしている(佐高信)。
かつて「家族」とは、「戸主」が扶養すべき人々のことであって、戸主本人は家族の一員ではなかった(中島京子)。
「梅雨(つゆ)空に 九条守れの 女性デモ」
これが公民館だよりへの掲載が拒否された俳句です。ここまでアベ流改憲が押し寄せてきているかと思うと、暗然とします。それでも、日本ペンクラブって、がんばっているんですね。励まされました。
(2018年9月刊。1700円+税)
 帰宅したら、先日の仏検の結果を知らせるハガキが届いていました。どうせダメだったんだよな、暗い気持ちで開いてみると、意外にも合格していました。120点満点で62点とっていて、基準点60点をクリアーしていたのです。自己採点では61点でした。これまでは80点前後をとっていましたから20点も下まわって不合格したと思っていたのです。要するに、問題のレベルがいつもより難しかったということでしょう。
 1月末に口頭試問を受けます。気を取りなおして、毎朝のフランス語学習にこれまで以上に力をいれるつもりです。

中国はここにある

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 梁 鴻 、 出版  みすず書房
中国の農村の実情をよく伝えている本だと思いました。
農村から多くの男性が都会へ出稼ぎに行く。そして、年に数回、故郷の村に帰ってくる。すると、農村の生活はいったいどうなるのか・・・。
男性は故郷を離れ、1年に1回、多くて2回戻るだけ。その帰郷期間はあわせて1ヶ月にも満たない。彼らは、みな、まさに青春期あるいは壮年期であり、肉体的欲求のもっとも旺盛な時期でもある。そうであるにもかかわらず、長期にわたって、一種極度に抑圧された状態にある。
農村の道徳観は崩壊寸前で、農民工は自慰か買春で肉体的欲求を解消している。こうして、性病、重婚、私生児など多くの社会問題が引き起こされている。
農村に残った女性の多くも自我を抑圧しているため、色情狂、浮気、近親相姦、同性愛といった現象が起きることもある。これらは、農村のヤクザ勢力が暗躍する土壌を提供している。
「性」の問題がおろそかにされているということは、明らかに社会の農民に対する深い蔑視を呈している。政府やメディアは、インテリをふくめて農民工の問題について検討するとき、お金、待遇の問題のみで、「性」の問題に触れることはほとんどない。なぜなのか。中国の多くの農民には、お金を稼ぎ、かつ夫婦円満な生活を送る権利などないというのか・・・。
家を建て、子どもを学校にやるには、やはり出稼ぎだ。農村で仕事をするには、本のとおりにやったり、条例のとおりにやっても絶対にうまくいかない。
中国の政治体制において、村支部書記というレベルは非常にあいまいな政治的身分である。村支部書記は、国家幹部には属さず、いつでも農民に戻れるが、国家の政策を執行する重大な責任を負っている。
1980年代中後期から、1990年代末期まで、鄧小平の南巡講話以降、中国では市場経済がしだいに形成され、産業構造や就業形式にも変化が生じた。それ以前は、ずっと「土地」が主だったが、今は「出稼ぎ」が主で、社会全体が激動し、変化した。出稼ぎで賃金を得るようになり、家庭は小型化し、分散した。
2000年前後の趨勢(すうせい)が今も続いていたら、おそらく農村に危機が生じていただろう。農村は崩壊寸前だった。農民の負担は重く、情況はひどく、感情も高ぶっていた。今はずいぶん良くなった。お金を払う必要も、税金を払う必要もなくなり、そのうえ農業をやれば補助金がもらえる。
農村の文化理念に変化が生じ、新たな情況がもたらされつつある。第一に、農民の子どもは大学に進学したところで希望はない。今は大学に行っても活路がなく、たいして役に立たない。第二に、長期間の出稼ぎのため、家庭教育が失われている。第三に、思想信条の新たな危機がどんどん増え、宗教信仰が曖昧模糊としている。第四に、出稼ぎ労働者たちは低い訓練レベルのため相変わらず最底辺の仕事をしている。第五に、農村のインフラがどんどん劣化している。第六に、新しい情勢のもと、末端幹部の資質が低下している。
家庭の内部も変化している。かつては父母が日常生活を通じて子どもに行動の規範を教えていたが、今や祖父母あるいは親戚が代わりに教えるようになり、父母と子どもの関係は金銭関係に置き換えられた。
村の学校が閉鎖され、名望家の年寄りは、村の精神の指針であり、道徳的な抑制だった。その死亡により、文化的な意味での村は内部から崩壊し、ただ形式と物質としての村が残るだけとなった。この崩壊が意味しているのは、中国のもっとも小さい構成単位が根本的に破壊され、個人が大地の確固たる支えを失ったということ。
村の崩壊は、村人を故郷のない人間に変えた。根がなく、思い出がなく、精神の導き手も落ち着き先もない。それが意味しているのは、子どもが最初の文化的な啓蒙を失い、身をもって教えられる機会と、温かく健康的な人生を学ぶ機会を失ったということである。
農村は、単なる改造の対象ではない。私たちはそこに、民族の奥底にある感情、愛着、純朴さ、肉親の情などを見出すことができる。それを失うと、実に多くのものを失うことになる。
中国の農民は、政治生活にあまり関心をもっていない。政治、権利、民主というコトバは縁遠い存在だ。
国家、政府と農民とのあいだは根本的な相互作用、つまり理解・尊重・平等という基礎のうえに打ち立てられていた相互作用が欠けている。
この30年間で、農民は国家の主人公とはならなかったばかりか、逆に民衆の認知のなかで、負担、暗黒、落伍の代名詞にあてはまった。
農村人口の流動性の極端な高さが、民主政治を推進できない重要な原因になっている。家を出てお金を稼ぐことが第一の意義で、土地はもはや農民の重要な収入源ではなく、「命綱」でもない。出稼ぎのおかげで、農民たちはお金を稼げ、また地方経済を引き上げることができる。しかし、その背後には、人生の悲しみや喜び、消耗した生命がどれほどあることか。
中国の農村のかかえる深刻な実情をよくよく掘り下げたレポートだと驚嘆しつつ読了しました。
(2018年9月刊。3600円+税)

ヒトラーとドラッグ

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ノーマン・オーラ― 、 出版  白水社
ヒトラーという人間をとことん暴き出した画期的な労作です。アメリカのエルヴィス・プレスリーもフランスのエディット・ピアフも、そして日本の美空ひばりも、いずれも残念なことに晩年は薬におぼれて、病気で若死にしました。有名人であり続けることのプレッシャーから逃げたかったのでしょうね。ヒトラーも似たようなものです。
ヒトラーの最後のころの様子が次のように描写されています。
震えがひどくなり、急速に身体の衰えが目立った。高齢者のように背を曲げて涎(よだれ)を垂らしていた。上体を前に投げ出し、両脚を後ろに引きずり、身体を右に傾けたまま、冷たい壁にもたれかかり、居室から会議室への廊下をのろのろ歩いていく。薬物なしでは抜け殻同然で、その抜け殻の制服には米粥のしみがついていた。
ヒトラーは叫び、喚(わめ)き、荒れ狂い、怒りまくった。誰もがヒトラーの変わり果てた姿に不快感を禁じえなかった。ヒトラーの歯はエナメル質が溶け、口腔粘膜は乾き、ボロボロになった歯が何本も抜け落ちていた。
昔からの妄年がヒトラーの頭の中で堂々めぐりを繰り返した。被害妄想と赤い膿疱、ユダヤ人、ボリシェヴィキに対する病的不安である。恐ろしい頭痛も始まった。ヒトラーは黄金製のピンセットで自分の黄ばんだ皮膚をつっつき始めた。攻撃的で神経質な手の動きだった。
ヒトラーは、繰り返し何度も注射を受けていたときに細菌どもが自分の皮膚から体内システムに潜入し、いま内部から自分を破壊しようとしていると思い込んでいて、その細菌たちをピンセットでつまみ出そうとしているのだった。
ヒトラーはつらい離脱症状に見舞われ、苦しそうな息をしていて、見るも哀れな様子だった。頭のてっぺんから足の爪先まで不安におののき、口をパクパクさせて空気を吞み込もうとしていた。体重は減り、腎臓も循環系も、ほとんど機能していなかった。左まぶたは腫れあがり、もう手元しか見えなかった。ヒトラーは、絶えず左眼のあたりを押さえたり、擦ったりしていた。
歯がボロボロなので、甘いケーキをかまずに呑み込む。それで大量の空気がいっしょに腸に取り込まれ、臭気を発するガスになる。
ヒトラーは、1945年4月30日、自殺した。有毒な混合薬の過剰摂取によって破滅したのだ。
この本は、そんなヒトラーの主治医として求められるまま「有毒な混合薬」をヒトラーに投与していた医師テオ・モレルを中心に描いています。
驚くべきことに、ヒトラーが政権を握る前のドイツは、世界に冠たる薬物先進国だったというのです。コカインの世界市場の80%はドイツの製薬会社がつくっていましたし、モルヒネとヘロインの製造・販売もドイツは世界のトップでした。そして、これらの薬物が処方箋なしで入手でき、社会のあらゆる層に浸透していました。ベルリンの医師の4割がモルヒネ中毒だったとのこと。
ナチ・ドイツ軍の兵士たちはべルビチンを服用して戦上に赴いた。べルビチンはメタンフェタミン塩酸塩を成分とする覚せい剤です。日本人の長井長義がつくり出し、結晶化に成功したのも日本人の緒方章でした。そして、ドイツのハウシルトがべルビチンとして開発し、一種の万能薬としてドイツの家庭に常備されていました。
べルビチンは、国民一人一人が独裁制のなかで機能することを可能ならしめた。それは錠剤の形をしたナチズムだった。
兵士たちは、1日に2錠から5錠のべルビチン錠を服用させられていた。兵士たちは興奮状態となり、眠る必要がなく、ひたすら前進する。ドイツ軍による電撃戦はフランス軍をたちまち圧倒してしまった。
ダンケルクでヒトラー・ドイツ軍が空如として前進を停止し、イギリス軍が本土に帰還できたのは、このままドイツ軍が全面的勝利を手にしたとき、その指揮をとった将軍がいずれヒトラーを上まわる世間の評価を得て、ヒトラーに挑戦してきたら、自分(ヒトラー)が戦争を指揮していることをドイツ国民が忘れ、その将軍が戦争全体に対する指揮者として、ライバルとして登場してくることをヒトラーは恐れた。この解釈を読んで、私は思わず、「なるほど!」と心のなかで叫んでしまいました。
300頁もある本ですが、一気読みもできる内容ですので、ヒトラーとは何者なのかを知りたい人には強く一読をおすすめします。
(2018年10月刊。3800円+税)

脳科学者の母が認知症になる

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 恩蔵 絢子 、 出版  河出書房新社
先日、アルツハイマー型認知症の患者が何十万円という大金であっても十分に管理できたという裁判所の判決をもらって腰を抜かしましてしまいました。もちろん認知症といっても程度の差はありますが、攻撃・徘徊が出ているレベルにまで達しているのに何十万円、何百万円という自分の財産をしっかり管理できたという裁判所の判断が示されたのでした。そんなことはおよそありえないということをカルテ所見にもとづき主張し、それを裏づける医学文献もいくらか提出していたのですが、その点についてはまったく触れないまま独断的見解が示されたのです。裁判官の劣化はここまでひどいのかと悲しくなりました。
アルツハイマー型認知症は、初期に、記憶をつかさどる海馬の委縮が起こり、新しいことが覚えにくくなるのが特徴。神経細胞の死滅を引き起こす。一度死んでしまった神経細胞は元に戻らないから、一度なってしまうと完全に元に戻すことは、今のところ不可能な病気と言われている。
細胞死が起こる領域の拡大にともなって記憶力以外に言語力、問題解決力など、日常生活を送るのに必要な認知能力、運動能力が徐々に衰えていく。アルツハイマー型認知症という病名が診断されたあとの患者の平均余命は4年から8年。
認知症をもつ人々は、自分なりに状況を理解し、その状況に必死で適応しようとし、症状が進めばまた適応し直そうとする。生に積極的な人々でもある。
彼らは、自分がしてしまうミスにより、また、それに対する他人からの反応により、自分が無能であると感じ、自我が傷つけられ、脅かされていた。そのように自覚的だからこそ、失敗を隠し、とりつくろっている。自覚があるからこそ、本人たちは必死で自分を守ろうとする。
現実には起きていない、筋の通らない、妙なつくり話が増えるのも、ときに無神経・無感覚のようになるのも、その人が必死で自己を保とうとしている証(あかし)なのだ。
海馬が傷ついても、新しく学べることはある。言語では忘れていても、体のほうはしっかり学習していることがある。体の反応は感情の一種なのだ。感情は、理性だけではとても対応できないような、不確実な状況で、なんとか人間を動かしてくれるシステム、意思決定をさせてくれるシステムなのだ。
私たちが理性と思っているものは、実は感情から生み出されている。感情の豊かさが私たちの人生の役に立っている。
アルツハイマー病の人たちには感情が残っている。感情は生まれつきの個性であり、また認知機能と同じように、その人の人生経験によって発達してきた能力であり、いまだに発達しつづけている能力である。
アルツハイマー病をもつ人々は、体を通して新しいことを学び続けることができる。その経験は、意識的に取り出せなくても、身体には積もっている。
 アルツハイマー病になった母親とともに生活して、観察し、分析し考え抜いた娘である脳科学者による貴重な体験記です。あまりの面白さ(著者には失礼な言葉で、申し訳ありません)に、車中で眠気を起こすこともなく、一心不乱に最後まで読み通しました。
(2018年10月刊。1650円+税)

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