法律相談センター検索 弁護士検索
2018年8月 の投稿

天文学者が宇宙人を本気で探しています!

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 鳴沢 真也 、 出版  洋泉社
この広い広い宇宙のどこかには、きっと地球の私たちのような高等生命体がいることでしょう。そして、そのうちに交信できることになるでしょう。でも、それが今すぐに実現できるとは思えませんし、今すぐだったら、免疫体系の違いなどから、下手に接触したらお互いに生命を維持できないかもしれませんよね・・・。
この本は、天文学者が真面目に真剣に学問として宇宙のどこかにいる生命体を探索している取り組みをレポートしています。
著者は結論として、宇宙のどこかに、きっと知的生命体はいるとしつつも、それは地球に既に来ているとか、来れるほどの近距離にはいないとしています。
知的生命体は、かなりレアな存在である。その最大の理由は、進化の偶然性にある。著者は、知的生命体はいるにしても、銀河100個に1文明、あるいは1000個に1文明ではないかとしています。どんなに楽観的に考えても天の川銀河に10も存在していないというのです。ということは、地球までUFOに乗ってはるばるやって来る可能性はほとんどないということですよね・・・。
この宇宙には、1000億の桁で銀河が存在していて、それぞれの銀河に1000億の桁で恒星が存在する。1000億かける1000億の星が宇宙にいるというのは、地球上のあらゆる海岸に存在する砂粒の数よりまだ多いだけの星があるということ。これだけ星があれば、知的生命体がどこかにいても何ら不思議ではない。ほとんどの天文学者が、そう考えている。
天文学者は、そのため大型の電波天文台を設置して探索にいそしんでいるのです。4光年という距離は、東京に1コのビー玉を置き、兵庫県に別のビー玉を置いておく。これがケンタウルス座アルファ星と太陽との距離である4光年を感覚的にあらわしたもの。
夏になると、夜に寝る前にベランダに出て、天体望遠鏡で月の素顔を眺めるのが私の習慣の一つです。夏の楽しみでもあります。ベランダにゴザを敷いて寝たこともありますが、さすがに今はできません。月の運河をくっきりと眺めていると、クラゲのような形をした宇宙人の存在を信じていた少年のころをなつかしく思いだします。
たまにはスケールの大きい宇宙の話に浸るのもいいものですよ。
(2018年4月刊。1600円+税)
 テレビを見ない私ですが、ロボコンを録画して見るのは大好きです。高専ロボコンも大学ロボコンも、どちらも楽しみにしています。
 先日は大学ロボコンがあり、東大が優勝しましたが、豊橋技術大学が東大キラーとして奮闘していました。高専ロボコンより大学ロボコンのほうが技術的には数段上だと実感しますが、素朴な面白さという点では高専ロボコンも捨てたものではありません。

はだかの起原

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 島 泰三 、 出版  講談社社会学術文庫
現代人の膚がすべすべして、毛皮をまとっていないのはなぜなのか・・・。
サルだって、チンパンジーだって、ゴリラだって、オランウータンだって、みんなみんな毛皮をまとっている。それなのに、ホモ・サピエンスだけ毛皮ではなく、肌はツルツル、どうして・・・。
ひところ、アフリカで湖に入って生活したためイルカのようにスベスベの肌になったという学説があり、私も惹かれていました。ところが、今では支持する学者は皆無のようです。
では、なぜ、人類だけがツルツル肌であり、洋服を着ているのか、それを探ります。
人類が裸で生き残るためには、特別な条件がなければいけない。それは、家、火、そして衣類だ。7万年前に、人間は衣類を発明した。
北京原人が火を使った跡はない。ネアンデルタール人が火を使っていたことは確実である。ネアンデルタールの分布と住居遺跡には、彼らが野生動物だったことを示している。野生動物として生きていくためには、毛皮がなくては不可能である。毛皮は、野生動物にとっての衣類ではない。毛皮は家である。そして、ネアンデルタールは、言葉をもたなかった。
アフリカ高地でしか裸の人間は成立しなかった。アフリカ低地にはマラリアがある。低地で裸の人間が生まれても、生き残る確率は非常に少なかったはずだ。しかし、高地ではマラリア蚊は少ない。
現代人は裸だったからこそ、氷と雪に閉ざされた世界で生き抜くことができた。現代人は、ネアンデルタールと違って、密閉された家をつくる能力をもち、家の中の温度調節をする能力をもっていたし、衣服をつくる能力もあった。
団塊世代の著者は『アイアイの謎』など、動物についてのたくさんの研究があり、いつも注目しています。ただし、東大闘争を扱った『安田講堂』だけは、まったくの間違いを平然とおかしています。自ら、体験しないことを、勝手に憶測していて、残念としか言いようがありません(たとえば、図書館前にいたのは駒場の学生が主体であって、「外人部隊」もいましたが、主として待機していて、全共闘と激しくぶつかりあったのは私たち駒場の学生なのです)。
若いときの間違いを今なおそのままひきずっている点は大変残念ですが、動物学者としての目ざましい活躍には心からの拍手をおくります。
(2018年5月刊。1250円+税)

ピラミッド

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 河江 肖剰 、 出版  新潮文庫
ピラミッドは誰が、何のために、どうやってつくったのか・・・。その知的好奇心をズバリ満足させてくれる文庫本です。
ピラミッドをつくったのは奴隷ではないようです。4000人の労働者が2班に分かれて、その2000人は20人の小隊が10組で中隊をつくり、10の中隊から成っていた。そして、これを支える労働者がいたはず。
労働者は長屋に住み、1日に1回パンが焼かれ、人々は4日に1度、巨大なパン(9494キロカロリー)を1個うけとっていた。パンとビールの他にも、肉やニンニク、玉ネギなどの食料が配給されていた。これでは奴隷とは考えられない。大量生産による大量消費を享受していた労働者たちによってピラミッドは築造された。巨石を運ぶ労働者だけに意欲ある人々をきちんと統率しなければピラミッド築造という成果をあげることは難しいこと。
著者たちは、このような労働者居住区の発掘に成功し、パン焼き工房を探しあて、当時の原材料で出来るパンを再現・復活したのでした。すごいです。
労働者居住区はクフ王やカフラー王のピラミッドの近くに存在していたのでした。彼らは決して奴隷ではなかったし、何十万人という人数でもなかったのです。
では、どうやって巨石をピラミッドの上へ積み上げていったのか・・・。
巨石はすぐ近くから切り出し、人工的につくり出した傾斜路で運びあげていった。労働者をきちんと統率できれば、クレーンなどを使わなくても可能なことが、現代科学で証明されている。要は労働者の統率力があるかどうか、だというのです。
ピラミッドが王の墓であることは、今日では学界の定説になっているようです。
ピラミッドをつくったクフ、カフラー、そしてメンカウラーは、まだファラオと呼ばれていなかった。ファラオと呼ばれ始めたのは、1000年もあとのトトメス3世のころから。
ファラオは、ペルアアというエジプト語から発生している。これは、大きな家、大宮、王家の土地を意味した。それが聖書でパロと訳され、いつしかファラオと発音されるようになった。
ピラミッド周辺の発掘にずっと従事している学者なので、その体験にもとづいて大変わかりやすくピラミッドを解説してくれています。
(2018年4月刊。630円+税)

笑いの手品師

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ジミー重岡 、 出版  花伝社
人間が生きていくうえで笑いは不可欠です。私は司法試験の受験勉強をしている苦しい日々のなかで、笑いを求めて、何回となく映画『男はつらいよ』を観にいきました。腹の底から屈託なく笑い切る。そんな時間が、たまには本当に必要なのです。
この本は、その笑いを手品師がつくりあげていく過程を紹介し、分析しています。
手品師は、単にショーを演じて、観客に我を忘れさせるだけではダメ。心の底からウサを吹き飛ばすような笑いをひっぱりあげる。それが手品師の役割だ。著者はこのように力説します。ですから、手品師が黙って手慣れた芸を見事に演じるだけではいけません。
なるほど、私もそう思いました。芸を感心して眺めているだけでは、すぐに忘れられてしまうでしょう。でも、そこに笑いがともなっていると、心の底に何かが残ります。その何かが大切なのです。
著者は、長い教師生活とあわせて、28年間も手品を演じてきました。月に平均2回か3回は手品を披露します。30分間の手品ショーのなか、10回は笑いが起きるといいます。たいしたものです。
手品ショー30分のうち、手品の演技は4割ほどで、残りは会話が中心。手品は、技がすごいだけではダメ。
本番の前には、事前に台本をつくり、十分練習してのぞむ。ゆっくりで良いので、言葉はよどみなく出るように心がける。言葉が詰まると、流れがギクシャクしてしまう。それでは、観客の心がすっと演技に吸い込まれない。
手品は笑顔で、はっきりと、自信をもって演じると、うまくいくし、楽しんでもらえる。
自信をもって楽しく振る舞うのが、手品の基本。
当日は、のどアメとのどスプレーを持参する。咳やくしゃみが出ないようにする。
「あのー」とは言わない。
著者が手品を演じるときは、シルクハットに上下の黒服。手品モードになってもらうため、衣装はとても大切。
観客のなかでは、小学生が一番手ごわい。
手品のからくりを見破ろうという人がいたら、助手になってもらうようにする。
なーるほど、そういうことなんですね・・・。
中学・高校で長く社会科を教えてきて、今では全国を手品師として駆けめぐっている著者の貴重な体験談です。実は、私の事務所でもボランティアの手品師を何回も招いて演じてもらったことがあります。その人(男性)も、この本の著者と同じようなことを力説していました。演技の技術以上に会話力が求められるのが手品師なんだということがよく分かる本でした。
(2017年11月刊。1500円+税)

面従腹背

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 前川 喜平 、 出版  毎日新聞出版
いま、一人でも多くの人に読まれるべき本だと思いました。
財務省がスキャンダルまみれになっても、その責任を誰もとらないまま、財務省の新体制が「組織温存」優先で決まりました。ひどい話です。ところが、今度は文科省のキャリア官僚が狙い撃ちにされているかのように東京地検特捜部が動いています。医科大学の裏口入学の話は昔からありましたが、文科省の局長クラスが自分の子どものために入学の便宜を供与させたという容疑は、それが本当だとしたら、今どき信じられません。ところが、次の業者接待は、どこの官庁でも、昔も今も、これからもやられるものですよね(もちろん、それが許されることだと考えているわけではありません)。なんで、いま文科省のキャリアだけ集中的に狙われるのか、という問題意識です。
この本で著者は文科省に入ったとき、連日のように麻雀し、タダで飲みに行っていたこと、出張旅費を浮かせた裏金づくりが日常的だったことを明らかにしています。これは警察・検察庁で問題となり、裁判所でも同じようなことがやられていました。
それはともかく、肝心なことはタイトルの面従腹背です。重い言葉です。
政治家が理に合わないことをせよと言う場合には、面従腹背も必要なときがある。後輩の官僚諸君には、そういう粘り強さや強靭さをもっていてほしい。
いまの著者の座右の銘は面従腹背ではなく、眼横鼻直(がんのうびちょく)。眼は横に、鼻は縦についている、という道元禅師の言葉。つまり、真実をありのままに見て、ありのままを受けとめる。そうすれば自他に騙されることもなくなるだろうという意味。
著者は、権力に従う点では、忖度(そんたく)と面従腹背は同じだが、忖度のほうは、この人はこうしてほしいだろうと考えて、言われなくても動こうとする、能動的な受動性がある。これに対して、面従腹背は、言われたことに従いながら、機を見て別な方向に舵(かじ)を切ろうとする。両者には微妙な違いがある。なるほど、そうなんですか・・・。
著者は読売新聞が「出会い系バー」に通っているというスキャンダル記事を書いたことで、吹っ切れたとしています。これでもう、官邸に義理立てする必要がなくなったし、官邸に忖度する必要はしなくていいと踏み切ったといいます。それまでは、世話になった人たちに迷惑をかけたくないと考えていた。しかし、このあとは、自分から出て行って話そうと思い、2017年5月25日の記者会見につながった。
すごい決断です。また、読売新聞の「スクープ記事」のひどさに改めて怒りを覚えました。
著者は、加計(かけ)学園獣医学部は、国家戦略特区で特例が認められるような代物(しろもの)ではなかったと断言します。
本来、認可すべきでなかったものを認可してしまったことの責任は重い。大学設置の認可権限というのは、国民の代表者がつくった法律にもとづいて政府が国民から預かっている神聖なものなので、決して私的に濫用されてはならない。ところが、加計学園のケースでは、それが私的利益のために使われてしまった。すべてが加計学園ありきだった。何らかの約束が安倍首相と加計理事長のあいだにあったと推測できる。そして、教育者の質が低下し、医療の質も低下してしまう。
著者は、面従腹背で、心ならずもやらざるをえなかった実例をいくつか紹介していますが、全国学力テスト、教員免許更新制、国旗・国歌、教育基本法の改正など、あげられているものは、いずれも今後の日本にとって大切なものばかりです。
著者が、名古屋市の中学校で講演したことを自民党のタカ派議員(安倍チルドレン)が問題としましたが、このとき著者が生徒に言ったのは次のことです。
自分の頭で考えることが大事で、自分で自分を変えることはできる、大きな宇宙の生命を感じること。
これは、何も問題ないどころか、本当に大切なことを子どもたちに真剣に伝えようとしていることがよく分かります。
著者は文科省の事務次官をやめたあと、現在は、自主夜間中学のスタッフとしてボランティア活動を続けています。そして、九州各地でも講演しています。宮崎、北九州で既に講演会があり、12月には福岡で予定されています。
著者が「7年先輩の河野愛さん」のことを本の冒頭に触れていて、私は大変うれしく思いました。河野さんは、私と同じ学年のセツラー(セツルメント活動をする学生をセツラーと呼びます)でした。セツラーネームはアイちゃんです(ちなみに私はイガグリです。大学生になるまで坊主頭だったからです)。
「河野さんは本当にまっすぐな人だった。一本気なだけに上司と衝突することもあった。河野さんも『青臭い』人だった」
残念なことに、アイちゃんは47歳の若さで病死しまいました。
著者は、「河野さんと寺脇さん、この二人の先輩のおかげで、私は組織に埋没することなく、組織から脱出することなく、違和感を覚えながらも自己を保ち、組織の中に棲み続けることができたのだと思う」としています。
安保法制法が成立する前、文科省の事務次官になる直前に、著者は国会前の集会に参加し、シールズと一緒に安保法制に反対するシュプレヒコールを叫んだといいます。そして、その前に発信していたツイッターが紹介されていますが、すごい内容です。拍手です。
「愛国心は、ならず者の最後の拠り所」
ぜひ、あなたも235頁、1300円の本書を手にとって読んでみてください。明日を生きる元気が湧いてきます。
(2018年7月刊。1300円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.