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2018年8月 の投稿

海軍機関学校8人のパイロット

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 碇 義明 、 出版  光人社
戦争の主役が軍艦から飛行機に移ってからは、航空部隊の中堅となる若手士官不足に悩んだ海軍は、エンジニアリング・オフィサーの中からもパイロットを採用することにした。機関学校50期を卒業した76人のなかから最初の8人が選ばれた。彼らは出撃したものの、わずか1ヶ月半のあいだに7人が相次いで戦死した。
そのうちの1人に杉野一郎がいる。大正8年9月に三池郡銀水村(現・大牟田市)で生まれ、昭和19年10月12日に鹿屋基地を発進して戦死した。25歳だった。中尉だったのが死後2階級特進して中佐となっている。
元市長の息子だった親友が一高、東大に進んだため、本人も一高進学を希望したものの、親がお金がないとして拒絶したため、海軍機関学校に進学した。
杉野一郎の写真も紹介されています。フィアンセがいたようで、並んでうつっています。「死と隣り合わせの搭乗員にとって、切ない逢瀬であった」というのがキャプションです。
杉野一郎は9人兄弟、農家の長男として生まれ、一高受験をあきらめて農作業のかたわら猛勉強にいどみ、海軍機関学校に進んだ。機関学校50期76人は昭和16年3月に卒業した。昭和13年4月に入学したときは80人だったのが、病気などで4人が減っていった。
この年(1941年)12月に日本はアメリカの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まった。杉野一郎は機関整備学生時代から、友人の妹の上津原ツヤ子という女性と交際し、結婚の約束まで交わしながら、ついに結ばれることはなかった。死ぬ確率の高い飛行将校としてためらいがあったのか、あるいは適当な時期を考えていたのか、いずれにしても結論を出す前に杉野は戦死してしまった。
杉野一郎中尉 ら165人の第39期飛行学生が第一線から離れていた昭和18年は4月18日の山本連合艦隊司令長官の戦死をはじめ、連合軍側の本格的な反攻によって、多数の航空機や艦艇が失われたことから、戦死者が激増した。
杉野は昭和19年6月末、内地に帰ったとき、親友にこう語った。「オレは、あと1ヶ月ぐらいで死ぬかもしれん。死ぬごたる・・・」一度、三池の家に帰ったが、そのとき、「明日、この上空を飛ぶから待っていてくれ」と言った。翌日、三機編隊の双発機が編隊から離れると、顔が見えるほどの低空に降り、旋回しながら翼を振った。それが家族への快別の挨拶だった。
「もう帰らんかも知れん、あとを頼む」と言った一郎の言葉を弟は忘れられない。
星をながめながら、後輩に杉野はこう言った。
「おまえなあ、馬鹿にならなければいかんよ。人間は馬鹿でなければ、本当の仕事はできんのだぞ」
この言葉は、杉野のやり切れない思いをぶつけたものとも受けとれる。
この杉野一郎は、私の事務所につとめる事務職員の祖母の兄にあたります。その縁から本書を読んで紹介させていただきました。
(1991年2月刊。2000円+税)

法学の誕生

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 内田 貴 、 出版  筑摩書房
近代日本にとって、法とは何だったのか、明治の日本で活躍した穂積(ほづみ)陳重(のぶしげ)と八束(やつか)兄弟の足跡とその学説を比較・検討した412頁もの大著です。
たくさんの著書が参考文献として紹介されていますので、それだけでも本格的学術書だというのは明らかで、私がどれほど理解できたのかは、いささか(かなり)心もとないものがあります。でも、せっかく最後まで読み通しましたので、心にとまった部分だけ紹介してみます。
まず、伊予松山出身の秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)兄弟は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』で、日露戦争に至る日本人として、あまりにも有名です。
それに対して、伊予宇和島出身の穂積兄弟のほうは、世間的には知られていないだけでなく、学問的にも忘却の彼方にある。兄の陳重は、東京帝大教授から最後は枢密院議長にまでのぼりつめていて、明治民法の起草者の一人として知る人ぞ知る存在。弟の八束は、東京帝大の初代憲法担当教授だけで、天皇絶対の国家主義イデオローグとして、今日では全否定された存在。
本書は、そんな穂積兄弟に焦点をあてていますので、今どき、どうして・・・という疑問が湧いてきます。
ヨーロッパから法学が日本へ入ってきたとき、訳語をどうするか、大問題になった。自然法は「天然の本分」、国際法は「万国公法」そして「民人の本分」。「本分」とは、「権利」と訳される前の言葉。社会生活は「相生養の道」と訳されている。何と読むのでしょうか・・・?
戦後、最高裁判事になった穂積重遠(しげとう)は、戦前・戦中、東大の学生セツルメント活動を擁護した一人でもあります。
明治24年(1891年)に発生した大津事件のとき、陳重は大審院の児島惟謙院長に対して意見書を提出し、不敬罪を適用するのは不可だという児島院長の見解を支持した。ただ、これは正式な手続で求められて提出したのではないようです・・・。
陳重はヨーロッパに5年ほど留学したあと、明治14年(1881年)6月に帰国した。そして、すぐに東京大学の法学部教授兼法学部長に選ばれた。
陳重は、旧主君に対する忠誠と、父親・長兄に対する敬愛、そして自分の先祖に対する尊祟の念のきわめて強い人だった。また、宇和島の恩師に対する敬慕も格別だった。親兄弟、そして祖先に対する敬愛の念の延長として理解される家族国家観は、まさしく陳重の実感だったであろう。
八束は、陳重の5歳だけ年下の弟。八束とその弟子の上杉慎吉は、学界で孤立していった。八束は祖先教という言葉を用いて、天皇への崇敬の念を正当化しようとする。
日本という国家は、父母を同じくする家が重層的に重なり、それをさかのぼっていくと、万世一系の天皇家につながる。つまり、天皇の始祖は日本民族の始祖であり、日本という国は、その始祖の威霊のもとに国民の家が寄り集まって一つの血族的な団結を形づくっている。これこそ、わが国の民族的建国の基礎だという。
これは、実は、八束が学んだドイツナショナリズムにならった民族概念が宗教的装いで援用されている。万世一系の天皇のもとで歴史的に形成されてきた日本の国体という政治体制のもとでは、日本という国の家長である天皇は、通常の家における戸主と同じ地位にある。そして、通常の家で子が戸主である親に敬愛の念をもつように、日本では国民が天皇を敬愛し、他方、通常の家で戸主が家で戸主が家族を保護するように、日本という国では、天皇が国の家長として国民を保護する義務を負っていった。
家族をめぐる日本の伝統なるものは、一定の長い期間にわたって不変ではなく、そもそも一色でないうえに、たえざる変化の渦中にあった。
たとえば、庶民のあいだでは、財産の分割相続が広く実施されていた。つまり、明治民法における「家督相続」なるものは、実は明治民法とともに始まっている。このように、日本的家族観なるものは、明治期以降につくりあげられた「創られた伝統」の一つでしかない。
こんな難しい本でも、すでに第3刷まで発行しているとのこと。うらやましい限りです。
明治期の日本民法の生成過程を少しは理解できた気がしました。
(2018年7月刊。2900円+税)

インターネットは自由を奪う

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 アンドリュー・キーン 、 出版  早川書房
全世界に水洗トイレを利用できる人は45億人であるのに対して、ケータイをもつ人は60億人。
インターネットのユーザー30億人が毎日、1分あたり2億400万通のメールを送り、72時間分の動画をユーチューブに投稿し、400万回の検索をグーグルで実行し、246万点のコンテンツをフェイスブックでシェアし、4万8000点のアプリをアップルストアでダウンロードし、8万3000ドル分の商品をアマゾンで購入し、27万7000回のつぶやきをツイッターに投稿し、21万6000点の写真をインスタグラムに投稿した。
このうち、私もメールを送受信し(私のできるのはメールを読むだけ)、フェイスブックを開いて眺めること、アマゾンで本を注文する(事務職員に頼みます)ことです。入力はできませんし、しません。ブラインド・タッチの入力なんて練習したくもありません。
アマゾンは雇用を生みだすどころか、雇用をつぶしている。2012年だけで、アマゾンは正味2万7000人分の雇用を破壊した。アマゾンには労働組合がなく、投資会社には金のなる木であっても、労働者にとっては悪曹のような職場だ。
グーグルは、2014年に時価総額4000億ドルで、世界の企業価値ランキングで、アップルに次いで2位を占めた。グーグルのオーナーであるブリンとペイジは、それぞれ300億ドルの資産をもつ世界屈指の大富豪だ。グーグルの従業員は4万6000人。ゼネラルモーターズの従業員は20万人をこえる。
フェイスブックは2014年に時価総額が、コカ・コーラ、ディズニー、AT&Tを上回る1900億ドルだった。
IT企業のオーナーは、頭脳・魅力・先見の明、知性、カリスマ性をもっている。ただし、彼らには、自分ほど成功していない人々への思いやりというものは欠如している。
ネット上で、女性軽視・嫌悪の犠牲となった女性はとても多い。ネット上の憎悪にみちた攻撃によって少年少女たちの心が傷つき、その結果として自殺してしまう少年少女が少なくない。
テロ集団、たとえばISISはソーシャルメディア(ネット)を効果的に利用している。
イスラエルとハマスとの紛争では、双方とも、それぞれ専門チームを編成して攻撃しあった。プロパガンダ、嘘の応酬があった。
これって、怖いですよね。何が真実か、容易に判明しませんので・・・。
ウィキペディアの医療関係項目の9割に間違いがあり、そのほとんどに「多くの誤り」があった。ネットを簡単に信用してはいけないっていうことなんですよね。それでも、手軽なものですから、つい信じ込んでしまいがちです。
IT企業のエンジニアのうち女性の占める割合はわずか3%ほどでしかない。
サンフランシスコは、全米でも格差の大きい四大都市の一つとなっている。極端な勝ち組が多く集まり、多数の負け組は狭い地区に閉じ込められているのです。
ネットは必要ですし、使いこなさなければなりませんが、階級差を一層拡大させる危険なものでもあることがよく分かりました。
(2017年8月刊。2300円+税)

戊辰戦争後の青年武士とキリスト教

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 目黒 順蔵 ・ 目黒 士門 、 出版 風濤社
『五日市憲法』(岩波新書)を読み終わって、戊辰戦争と自由民権運動の関わりを認識されられていると、その直後にフランス語仲間から、この本が贈られてきました。
戊辰戦争で負けて朝敵となった仙台藩士が東京に出てキリスト教とフランス語に出会い、学校の教員となったあと医師になり、故郷の仙台に戻って自由民権運動とも関わりをもったのでした。
目黒順蔵は仙台藩の次男として生まれた。戊辰戦争では仙台藩の兵士として参戦し、なんとか生きのびたが、「朝敵」、「奸党」の汚名を受けることになった。
明治4年(1871年)、順蔵は東京に出て、フランス人神父の主宰するマラン塾に入った。そして、キリスト教の洗礼を受けた。その後、葉山の学校で教員として働くようになり、さらに、東京の西洋医学校に入って医学を学んで、医師となった。
明治12年に医師として仙台に戻り、病院で働くようになった。
明治18年に、内外科と眼科を開業した。
明治39年、東京に転居した。長男三郎にカトリックとフランス語を学ばせるためだった。
目黒三郎は暁星小・中学校から東京外国語学校(東京外大)仏語部に入学した。そして、大正9年(1920年)4月から小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)の助教授となった。当時の学生に小林多喜二や伊藤整などがいた。NHKの発足とともに始められた「フランス語講座」の初代の講師をつとめた。
私は弁護士になって以来、NHKラジオで毎朝フランス語講座を聴いています。いつまでたってもちっともうまく話せませんが、おかげで聞き取り能力だけはかなり(としか言えません)アップしました。
順蔵は、関東大震災の5年後の大正7年(1918年)に71歳で亡くなった。
この本は、三郎の死後、その書斎から順蔵の手書き原稿を発見したことから、順蔵の生きた社会状況を順蔵の書きのこした文章を手がかりとして再現したものです。
順蔵は大槻文彦(『大言海』の著者)と親交を結んでいた。
順蔵は古川で病院長をしながら自由民権運動に挺身する青年たちとまじわっていたが、それは村民や青年を扇動するものだとして仙台への転勤を命じられた。それが嫌で、独立・開業することになった。
戊辰戦争と自由民権運動の結びつき、またキリスト教やフランス語との結びつきの具体例が分かり、戊辰戦争のあとに苦労しながら奮闘し、自由民権運動にも目ざめたのが『五日市憲法』の千葉卓三郎だけでないことを知り、大変な感銘を受けました。
目黒ゆりえ様、大いに知的刺激を受けました。贈呈ありがとうございました。
(2018年7月刊。2800円+税)

核戦争の瀬戸際で

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ウィリアム・J・ペリー 、 出版  東京堂出版
アメリカ国防長官をつとめていた著者は、核兵器に抑止力なんてないと断言しています。まったく、そのとおりです。
著者はキューバ危機以来、核兵器を扱う政府の指導中枢にいた。核戦略を選択する場に身を置き、それに関する最高機密に直接アクセスできる人生を歩んできた著者の出した結論は、核兵器は、もはや我々の安全保障に寄与しないどころか、いまや、それを脅かすものにすぎない。
9,11同時多発テロは数千人レベルの死者を出したが、核爆弾テロは即死者8万人、重傷者10万人超となり、9,11テロの100倍の犠牲者を出すだろう。
世界の人々は、今や偶発の事故にせよ人間の判断ミスにせよ、核のひきおこす大惨事の可能性にさらされるようになった。この危険性は、決して単なる理論上のものではない。アルカイーダが宣言した目標は、9,11のような、単にアメリカ人を数千人殺害するのではなく、数百万人を殺害することにある。そのため、核兵器を入手すべく懸命の努力を続けている。
キューバ危機のとき、全世界は核兵器によるホロコースト、つまり人類滅亡の瀬戸際まで追い込まれた。世界を未曾有の破滅から救ったのは、キューバからの撤退を決断したフルシチョフのおかげである。
大規模な核攻撃の破壊力に対して、何ら可能な防御手段は存在しない。
唯一意味のある防御手段は、それを起こさせないこと。
我々が優先すべきは、核攻撃からの防衛という無意味なことに資源を投入するのではなく、むしろ攻撃を未然に防止することに投入すべきである。
アメリカ陸軍は、信じられないことに、戦術核兵器をほかの爆弾と同じように使える大型爆弾と見なし、おかげで正常の爆弾ほど数はなくしてすむくらいに考えていた。
アメリカの国防長官だった人が核兵器の抑止力なんて全然ないし、核兵器はなくすべきだと公然と主張している画期的な本です。南北会談そして6月12日の米朝会談の意義を過小評価したがる人は少なくありません。そうは言っても少なくとも朝鮮半島での戦争の復活はなさそう(あったら困ります)し、朝鮮半島の平和が確立したら、アメリカ軍基地が日本国内にある「必要」はないでしょうし、日米安保条約だって無用となるでしょう。ところでイージス・アショアが当初1基800億円だったのが3000億円かもしれない(2基で6000億円)というニュースが流れました。呆れてモノが言えません。必要のないものに、効果だってないのに、こんな大金を投入するなんて、馬鹿げています。アメリカ軍需産業は喜ぶでしょうが、日本の福祉・教育予算がますます削られてしまいます。
本書の一読を強くおすすめします。
(2018年1月刊。2500円+税)

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