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2018年8月 の投稿

ホロコーストの現場を行く

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 大内田 わこ 、 出版  東銀座出版社
ポーランドには、ナチスがただユダヤ人を殺す、それだけのために建て、計画が終わったら事実を消すために、すべてを取り壊した絶滅収容所がある。そこで200万人のユダヤ人を殺した。
ナチスは肉体的に殺しただけでなく、ユダヤ人がこの世に存在していたという事実をも消そうとした。しかし、彼らすべてに名前があった。家族もいれば、生活もあった。未来もあったのだ。そのすべてが一瞬にして葬り去られた。
ところが、このひどい歴史がいまだに広く知られていない。
ナチスは200万人をこえるユダヤ人をガス殺した。そのあと、施設をすべて破壊して更地にした跡に樹木を植えて、殺戮の跡をきれいに消し去った。だから、アウシュヴィッツのような引込み線、ガス室跡は何もない。
著者は、そこへ出かけ、虐殺を感じとるのです。
ベウジェツ絶滅収容所で虐殺された50万人のうち、脱走に成功したのは、わずか5人のみ。その一人が体験記を書いている。
移送は、毎日、1日も絶えることはなかった。1日に3回、1列車は50車両、1車両に100人が詰め込まれていた。ナチスの隊長が大声で叫ぶ。
「きみたちは、これから浴場へ行く、それから仕事場に送る」
人々は、瞬間、うれしそうになる。仕事に就けるという望みから、目が光った。しかし、実際には裸にされてガス室へ追いたてられ、たちまち苦悶死に至る。
「ママ―、ぼく、いい子にしていたよう。暗いよう、暗いよう・・・」
なんという叫びでしょうか・・・。
ユダヤ人を放っておくと、優秀なアーリア人(ドイツ人)が逆に絶滅させられるという危機感をヒトラーたちはあおっていたのでした。ひどすぎます。
アウシュヴィッツ強制収容所に音楽隊がありましたが、ベウジュツにも音楽隊があったようです。アコーディオンをかかえた人、バイオリンを弾いている人、トランペットを吹いている人などがうつっている写真があります。これらの人々も、きっと殺されてしまったことでしょう。
決して忘れてはいけない歴史です。日本から現地に行った人がとても少ないようで、心配です。といっても、残念ながら私も行ったことはありません。
(2018年6月刊。1389円+税)

社長争奪

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 有森 隆 、 出版  さくら舎
幸か不幸か、私は会社づとめをしたことがありませんので、サラリーマンの悲哀なるものを実感していません。この本を読むと、およそサラリーマンとは上司ともども失意の日々を過ごさざるをえないことが大いにありうる存在なのだなと、ついつい同情してしまいます。自分の能力とか努力・実績とは無関係なところで、いつのまにか自分の処遇が決まっていくのだとしたら、本当に嫌ですよね・・・。
会社というものは、やっかいなものである。つねに派閥が存在し、経営トップをだれにするかで揉める。社長派、反社長派の不満がたまって、いつ爆発するか分からない活火山みたいなものなのだ。ときどき噴火し、内紛、お家騒動、権力闘争として世間の耳目を集める。
会社には必ず派閥ができる。社員が3人いれば、2つの派閥ができるのが常だ。会社における派閥は、フォーマル(公的)なものと、インフォーマル(非公式)のものに大別できる。
フォーマルとは、会社の組織を単位とした派閥。大企業では、経営企画室が巣窟となるケースがある。経営企画室長は社長の側近で、経営トップの登竜門となっている。営業部門対総務部門。そして製造部門でも商品別に派閥ができる。デパートでは紳士服部門より婦人服部門のほうが集客・売上高が上まわって、力が強い。また、労働組合は絆(きずな)が強い。
インフォーマルな派閥は出身大学などの学閥、地縁閥、ゴルフなどの趣味閥、プライベートな人脈による派閥もある。
経営首脳の対立は、起きると派閥の出番となる。親亀こけると、子亀も孫亀も、みなこけてしまうからだ。なので、ボスのために体を張る社員が出てくる。
社内で、秘密警察さながら社員の動向を探る。怪文書が飛び交う。相手が倒れるまで戦いは止まない。勝てば官軍、負ければ賊軍。粛清人事と論功行賞人事が同時並行的におこなわれる。
大塚家具の父と娘が激突したときには、プロキシ―ファイト(委任状争奪戦)があった。これは、株主総会で自らの株主提案を可決するために、他の株主の委任状を、経営側と争奪する多数派工作のこと。
このとき、社員取締役の弁護士が「軍師」として活躍することがある。東京丸の内法律事務所の長沢美智子弁護士は「女軍師」と呼ばれた。娘側に立って次々に先手を打ち、父親を敗退させて名をあげました。
ただし、問題は、その先にあります。勝った側が会社を支配したのにかかわらず、会社の業績をひどく低下させてしまったのでは、本当に「勝った」ことになれるのか・・・、そんな疑問が湧いてきます。まさしく今の大塚家具の浮沈は瀬戸際にあります。そして、このとき弁護士として、いかに関わるかが問われます。そこが難しいところです。
野村証券の元会長の古賀信行は大牟田出身。ラ・サール高校から東大法学部に進み、野村証券では大蔵省の接待担当(MOF担)をつとめた。MOF担は、各金融機関のトップへの登竜門だった。悪名高い、ノーパン・シャブシャブ接待をしたのが、このMOF担です。
この本で古賀信行は、みるべき実績をあげることのできなかった無能な社長・会長だったと酷評されています。たしかに学校の成績が良ければ会社の成績も上げられるというものではないでしょう。営業を知らないエリート官僚タイプの社長が野村を決定的にダメにした。ここまで断言されています。気の毒なほどです。
同時に、この本は野村証券の闇の勢力との結びつきも明らかにしています。
総会屋に便宜を図っていたこと、銀行から270億円ものお金が貸し付けられていたこと、そして、第一勧銀の元頭取は自宅で首吊り自殺をしたことも明らかにされています。
ノルマ証券という別名をもつ悪名高い野村証券も、先行見通しは明るくないようです。
会社は、社長で決まる。結局、会社は社長はすべて。会社が存続できるか、つぶれるかは、9割以上は社長の力量で決まる。新任の社長は、社長として未熟なのに、すぐに結果を出すことが求められる。それが社長の現実である。
パナソニック(松下電器)の歴代社長の決して表に出せない、しかし最大の経営課題は、松下家の世襲をいかに阻止するか、だった。ええっ、これって会社が私物化されているっていうことの裏返しの話ですよね。信じられません。
経営の神様とも呼ばれた松下幸之助の最大の誤りは、自分の後継者に無能な娘婿(むすめむこ)の松下正治を選んだことにある。無能といっても正治は東京大法学部を卒業し、家柄も良く、スポーツマン。それでも、会社経営では無能だったということ。
経営トップの交代がうまくいく会社は栄える。それかうまくいかない会社、後継争いでゴタゴタする会社や無能な人をトップに選んだところは衰退に向かう。
無能な経営者ほど、寝首をかかれることを怖れ、自分より器の小さな人間を後継者に選ぶ。
会社経営の難しさがなんとなく伝わってきます。果たして弁護士は、そこまで気を配ることが出来るでしょうか・・・。
(2018年7月刊。1800円+税)

司法試験トップ合格者の勉強法と体験記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 大島 眞一 、 出版  新日本法規
司法試験について、かつての試験よりも現行試験のほうが良いと評価されていますが、これって一般的に定着した評価なのでしょうか・・・、誰か教えてください。
旧司法試験は、問題文や時間が短く、出題された問題によって合格者が大きく変わってくると言われていた。実力不足の者でも、狙っていた問題が出ると、詰め込んだ知識で高得点をたたき出し、合格することがあった。逆に、実力をもっていても合格できなかった者が多数いた。
これに対して、現行司法試験のほうは合格すべき者が合格している。自分の頭で考えることを体現する試験になっていて、旧司法試験に比べると相当な(ふさわしい)試験である。
私は40年以上も前の自分の受験体験記を最近『小説・司法試験』(花伝社)として発刊したばかりです。その本では、受験勉強のすすめ方だけでなく、短答式、論文式そして口述試験のそれぞれについても、前日そして当日の過ごし方の実際を紹介していて、おかげさまで大変参考になったという感想をもらっています(自画自賛です)。
司法試験トップの人は、予備校に通わずに講義と基本書を中心とした勉強をしていたそうです。私のときには、そもそも司法試験予備校なんてまだありませんので、講義と自主ゼミと基本書でいくしかありませんでした。
基本書を読むと、一つの立場から一貫して法律を勉強することができるというメリットがある。今は、「採点実感」なるものが公表されているようですね。知りませんでした。確かに傾向と対策を知り、自分の答案を振り返るのは役に立つことでしょう。ただ、私は、論文式試験問題については過去問をみて答案を書いた覚えがありません。自主ゼミこそ参加していましたが、そんな答案を書いても、誰にもみてもらえなかったからです。たとえば真法会の答案練習会(答練)に参加したこともありません。
ナンバーワンの人は、原理・原則や条文から考えていることを答案で示すようにしたと言いますが、私も、実践できたかはともかくとして、気持ちとしては同じことを考えていました。
この本には、私と同じように論文式試験の過去問を解くことへの疑問も呈示されていて、私は強く同感でした。要するに、論文式の過去問を解いて相互検討すると、一問につき6時間も7時間もかけることになるが、消化した時間に見あったものが得られる保障はない、ということです。まったく同感です。
私は、その代わりに手紙をたくさん書いたりして、自分の考えたことや気持ちを文章でうまく言いあらわす練習を心がけました。
論点について、基礎・基本についての正確な知識でもって、分かりやすい日本語を書いたらいいという指摘があり、私もまったく同感です。
首尾一貫しない日本語、何を言いたいのか分からない日本語では困ります。もちろん、法律用語の基礎をふまえた文章でなければいけませんが・・・。
答案を書く前に、時間をとって答案構成をしっかり考える。答案は4枚から6枚程度にし、7枚も8枚も書く必要はない。逆に途中答案にならないよう、時間配分を考えて書きすすめる。
私の『小説・司法試験』でも、論文式試験での答案構成そして答案の書き方の実際を再現しています。何事も口で言うほど簡単ではありませんが、論文式試験の臨み方、その心得は考えておいてほしいと思います。
受験生に実務的に役立つ本として、私の本とあわせて一読をおすすめします。
(2018年7月刊。1800円+税)

ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ラウル・ヒルバーグ 、 出版  柏書房
ヒトラー・ドイツによってヨーロッパのユダヤ人が絶滅されていく過程をきわめて詳細に明らかにした大部の書物の上巻です。長いあいだ課題図書として「積ん読(ど)く」状態にしていましたが、箱から取り出して読みはじめました。なにしろ上下2段組みで上巻の本文だけで515頁もありますし、内容が重すぎますので読み飛ばしも容易ではありませんでした。
ヨーロッパ各国でユダヤ人はヒトラー・ドイツの要求の下で移送・絶滅の道をたどっていったわけですが、イタリアではそうではなかったのですね。イタリアの国王は「ユダヤ人に限りない同情」を感じていると高言し、イタリアにはユダヤ人の運命に動揺している「2万人もの意気地ない人間がいる」とムッソリーニが言ったとき、国王は、「自分もその一人だ」と答えたのでした。
イタリアでは、比較的多数のユダヤ人が官吏や農民として生計を立てていた。イタリアのユダヤ人社会は、2000年の歴史をもっていた。イタリア・ユダヤ人はイタリア人の隣人と疎遠にはならなかった。彼らはイタリアの言語や文化を吸収した。小さなユダヤ人共同体が、芸術・科学・商業・政治の各分野で多くの地位の高い個人や目立った人々を生み出していた。
ユダヤ人の非常に多くが軍の教授であるばかりか、政府の最高のレベルで公僕として活動していた。首相・外相・国防相・蔵相・労働相・法相・教育相にユダヤ人が就いていた。
イタリアのファシストは、有言不実行だった。イタリア人は、心のなかでは、ドイツ人やドイツの生活様式をひどく嫌っていた。
問題はイタリアには存在しない。ユダヤ人は多くないし、例外はあるが、彼らは害にはならない。ヒトラー・ドイツはイタリアではユダヤ人絶滅を思うように進めることが出来なかった。
フランスにいたユダヤ人はイタリアのように安全ではなかった。1939年末、フランスのユダヤ人は27万人。パリだけで20万人以上のユダヤ人がいた。そして、フランス人はドイツ支配下においてユダヤ人絶滅のための「移送」を「効率良く」すすめていった。
ヒトラー・ドイツがユダヤ人絶滅する必要があるとしたときの「理由」に一つが、「ユダヤ人はコレラ菌だ」というものでした。その「伝染力と浸透力」を考えたら、絶滅するほかないとしたのです。
ヨーロッパで迫害されたユダヤ人たちは、迫害者に対する他国のユダヤ人組織による報復行動を拒絶した。それは、状況をいっそう悪化させないためだった。
なるほど、これがヒトラー・ナチスによるユダヤ人の絶滅策が粛々と進んでいった要因の一つなのですね。
ユダヤ人は暴徒が来ることを知ると、共同墓地に避難し、群がり祈りながら死者の衣服を身につけて殺害者たちを待った。屈従である。ユダヤ人にとって、反ユダヤ主義的な法令への屈従は、常に生きることと同等だった。暴力に対するユダヤ人の反応は、つねに苦難軽減への努力と屈従だった。
いやはや、これはとても理解できない反応です。
ポーランドにおけるユダヤ人評議会は、ユダヤ人の苦しみをやわらげようと、ゲットーにおえける大量死に歯止めをかけるという見込みのない努力を最後まで続けた。同時に、ユダヤ人評議会はドイツ人の要求に素直に応じたし、ドイツ人の権力者へのユダヤ人社会の恭順を呼びかけた。こうしてユダヤ人指導者たちは、ユダヤ人を救いもしたし、滅ぼしもした。
ユダヤ人のアンナ・ハーレントはユダヤ人評議会の屈徒を厳しく批判したため、戦後のユダヤ人社会から激しく非難されたのです。でも、どうなんでしょうか・・・、銃殺される寸前にユダヤ人は羊のように従順でおとなしく、ジプシーたちは騒々しく抵抗したと聞くと、無神論者の私なんか、湧き上がる疑問を抑えることができませんでした。
ゲットーのユダヤ人組織のなかでも、本部のユダヤ人たちはブーツを履いて快適な事務室で執務していたようです。また、ゲットーにも金持ちのユダヤ人たちの生活区画があったとのこと。なかなか疑問は絶えません。
ポ^ランドのワルシャワ・ゲットーにおけるユダヤ人の武力衝突は、2000年におよぶユダヤ人の服従政策の歴史のなかの突然変異だった。
ユダヤ人からなる評議会は、ドイツ政府との完全な協力という方針にすべてを賭けていた。ええっ、そんなのが「生き残る方策」としてありえたのでしょうか・・・。
なぜ、我々は黙っているのか。
なぜ、森に逃げるように叫ばないのか。
なぜ、抵抗を呼びかけないのか。
私にも、この「なぜ」は、その実行できなかった理由がとても理解できません。「2000年の屈従の歴史」と言われても・・・、という感じです。
ユダヤ人評議会のリーダーたちは、このように考えたのでしょう。
ワルシャワ・ゲットーに38万人のユダヤ人がいる。ナチス・ドイツに抵抗すると、その少数者のために多数者が犠牲になることは目に見えている。6万人を移送したとしても、38万人すべてを移送することはないだろう。では、しばらく様子見て見よう。ともかく、今は武力行動はやめておこう・・・。
そして、もう一方では、ドイツ人は報復しても、数万の命であって、まさか30万人ではないだろう、という見方もありました。現実には、このどちらも甘すぎたのでした。ユダヤ人絶滅策は、文字どおり実行されたのです。なんと難しい思考選択でしょうか・・・。
(1997年11月刊。1万9千円+税)

先生、オサムシが研究室を掃除しています

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 小林 朋道 、 出版  築地書館
先生シリーズも、ついに第12作です。すごいです。
鳥取環境大学のコバヤシ先生が大学内外での観察日記がオモシロおかしくて、動物行動学の勉強になるものとして展開していくので、ついついひきずり込まれてしまいます。それに、たくさんの写真があるので、コバヤシ先生の話があながち嘘ではないだろうという気にもなってきます。まあ、それほどウソっぽい語りが途中でたくさん入るわけなんですが・・・。
私が唯一みているテレビ番組「ダーウィンが来た」にコバヤシ先生がニホンモモンガとともに登場したときには、ついに我らがコバヤシ先生も全国版の有名教授になったと拍手したものです。
コバヤシ先生は動物行動学を専攻する学者ですから、なんでも実験し、比較・検討しなければ気がすみません。
ヤギは、たとえ大好物の葉であっても、それに自分の唾液にニオイがすると、プイと顔をそむけて食べようとしない。
5頭いるヤギのうち1頭だけ残して4頭をよそへ連れていくと、残った1頭のヤギはたちまち元気をなくしてしまった。そして、10日後に仲間たちが戻ってくると、いつにない再会の挨拶をして、たちまち元気を取り戻した。
このような、嘘のようなホントの話が満載の本なのです。
(2018年5月刊。1600円+税)

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