法律相談センター検索 弁護士検索
2018年6月 の投稿

私はドミニク

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ドミニク・レギュイエ 、 出版  合同出版
国境なき医師団(MSF)という組織は知っていました(MSFはフランス語です)。でも、国境なき子どもたちという組織があるのは、この本を読んで初めて知りました。
ドミニク(著者)は、MSF日本の事務局長でした。10年つとめたあと、今の国境なき子どもたちを設立したのです。
ホームレスの人々が路上生活するに至った原因は、人道援助団体にとってはどうでもよいこと。病気、親類縁者との関係疎遠、社会からの疎外、失業など、路上生活に至った原因はさまざまだけど、その原因を苦境にある人々へ人道援助の手を差し伸べるかどうかの判断材料にすることがあってはならない。人道援助とは、人が人に示す連帯の証(あかし)であり、すべての人が平等であることの証なのだから。
ところが、ホームレスの人々に対して、
「身から出たサビで、あの状況にあるのだから・・・」
「自分で選んだことでしょう」
「本気になれば、路上生活から抜け出せるだろうに・・・」
と批判する人が少なくない。私も、遠くから批判しているだけではダメだと思います。
常に相手に向きあうこと、理解しようと努めること、人々をありのままに受け入れること、互いの違いを認めあうこと、自分の価値観だけで、相手を判断しないこと・・・、これが大切。
子どもにとって学校とは、学ぶ場である前に、仲間と一緒に過ごしながら、社会性、社交性を身につける場である。
ストリートチルドレンは道徳や法の規範からは外れているが、彼らは自立している。彼らに教えなければいけないのは、人に頼ってもいいという事実だ。他人を尊重すること。そして、何よりも自分自身を大切にすること。これこそ彼らが学ばなくてはならないこと。
子どもとは、両親や家族、教師を頼って生きる存在である。そして、自分というものを主張しながら大きくなっていく。思春期になれば、選択すること、理解しようとすること、許容と拒否、許し、そして忘れることを学んでいく。
わずかなひとときであっても、安心して過ごせる時間、尊重してくれる人と過ごす時間は、その一瞬一瞬が成功の証だ。
フィリピンのマニラ地区、カンボジア、タイ、ベトナム、東ティムール・・・、世界各地へ子どもたちの自立を援助して不屈にたたかう組織なのです。
世界各地の子どもたちの実情に目を大きく見開かさせる本(写真もたくさんあります)でした。ぜひ、手にとってごらんください。
(2017年11月刊。1500円+税)

朝鮮大学校物語

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 ヤン ・ ヨンヒ 、 出版  角川書店
私は映画『かぞくのくに』を見逃してしまいました。見たい映画であっても、上映期間が短いと、どうしても見逃すことがあり、残念です。
私の大学生のころ、寮委員会の主催で寮食堂で朝鮮大学校の学生との交流会があり、参加したことがあります。まだ、大学「紛争」の起きる前の平和な時代のことです。
朝大生の発言が、いずれも、いかにも祖国愛と使命感に燃えているのに圧倒されてしまいました。す、すごいなあと、声が出ないほど驚いたことを覚えています。ただ、彼らの発言を聞いただけで、懇親会には参加していません。彼らのホンネはどうだったのかな、今どうしているのかなと、この本を読みながら思ったことでした。
在日朝鮮人の就職状況はとても厳しくて、医師になる人が多いと聞きました。実業界では金融業やパチンコ店も多いという話を弁護士になってから聞きました。
この本は、私たちの団塊世代よりずいぶん後の世代なのですが、ええっ、そんな教育がされていたのか・・・と驚かされました。
舞台は1983年に著者が朝鮮大学校に入学するところから始まります。体験に基づく小説だと思います。
「わが文学部は、日本各地にある小・中・高の朝鮮学校において、在日同胞社会の新しい世代を育成する優秀な教員たちを養成するための学部であり・・・。一部の卒業生は総連の基本組織や傘下の機関で働くこともありますが・・・。ほとんどの文学部卒業生は、教員となり、民族教育の発展に人生を捧げることによって、敬愛する主席様と親愛なる指導者同志に忠誠を尽くす革命戦士としての・・・」
「朝鮮大学校は民族教育の最高学府であり、総連組織を担う幹部養成機関です。組織にすべてを捧げるという忠誠心は、偉大なる首領と親愛なる指導者同志が望んでおられることなのです。
一切の妥協は許されません。自分がいかなる場所に身を置いているのかを自覚し、生活のなかから『倭国』、『洋国』を追放するよう努めなさい」
そんな朝鮮大学校にいて、寮生として過ごしながら、観劇に夢中になり、日本人大学生と恋愛関係を維持しようと必死になるトンデモナイ話のオンパレードでヒヤヒヤさせられ通しでした。日本のなかに北朝鮮の社会があったのですね、ここまで徹底していたとは知りませんでした。「ここは日本であって、日本ではない」という教育がなされていたのです。
著者の経歴をみると、文学部を卒業して、決められたとおり朝鮮高校の国語教師になっていますが、その後は、劇団員となり、ジャーナリストの世界に入って、映画監督になったのでした。
もっともっと真の交流があったらいいよね、この本を読みながら本気で思ったことでした。
ちなみに、福岡県にも在日朝鮮人・韓国人(正確にはどちらなのか、私は知りません)の弁護士が何人もいて、人権分野をふくめて大活躍しています。
(2018年3月刊。1500円+税)

刑務所しか居場所がない人たち

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山本 譲司 、 出版  大月書店
この本を読むと、現代日本社会が、いかに弱者に冷たいものになっているか、つくづく実感させられます。
「ネトウヨ」の皆さんなど少なくない人が、自己責任を声高に言いつのりますが、病気やケガは本人の心がけだけでどうにかなるものではありません。
社会とのコミュニケーションがうまく取れない人は、孤立してしまい、絶望のあまり自死するか犯罪に走りがちです。そして、犯罪に走った人たちの吹きだまりになっているのが刑務所です。いったんここに入ると、簡単には抜け出すことができません。
刑務所を、悪いやつらを閉じこめて、罪を償わせる場だと考えている人は多い。しかし、その現実を誤解している。いまや、まるで福祉施設みたいな世界になっている。本来は助けが必要なのに、冷たい社会のなかで生きづらさをかかえた人、そんな人たちを受け入れて、守ってやっている場になっている。
いま、日本では、犯罪は激減している。たとえば、殺人事件(未遂をふくむ)は920件(2017年)。10年前と比べて270件も少ない。しかも、その半分は家族内の介護殺人によるもの。殺人犯は受刑者2万5千人のうち218人。少年事件も激減している。2016年に3万1千人の検挙者は、10年前の4分の1でしかない。いまや全国の少年鑑別所はガラガラ状態になっている。犯罪全体でも285万件(2002年)が、91万件(2017年)へと、15年間で3分の1以下に減った。
知的障害のある受刑者は再犯率が高く、平均で3.8回も服役している。しかも、65歳以上では、5回以上が7%である。この人たちにとって、帰るところは刑務所だけ、刑務所がおうち(ホームタウン)になっている。
刑務所が1年につかう医療費は、2006年当時、受刑者が7万人をこえていて、32億円。ところが、10年たって受刑者は5万人を切ってしまったが、なぜか医療費は60億円と2倍近くになってしまった。
著者自身が国会議員のときには考えもしなかった現実にしっかり目を向けあっています。自分が服役した経験もふまえていますので、とても説得力があります。
素直にさっと問題点がつかめます。日本社会の現実を知りたい人には、おすすめの本です。
(2018年5月刊。1500円+税)

潜伏キリシタンは何を信じていたのか

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 宮崎 賢太郎 、 出版  角川書店
筑後平野の真只中に潜伏キリシタンがいて、明治になって名乗り出て、今では今村地区に壮大なカトリック教会堂がそびえ立っています。踏み絵だとか五人組という厳しい試練をくぐり抜けて江戸時代も信仰を捨てず、現代に続いているのです。信じられない奇跡です。帚木蓬生の『守教』は、今村地区の潜伏キリシタンの存在(存続)をテーマにしています。
この本は同じように江戸時代を生きのびた長崎県の潜伏キリシタンを分析しています。長崎県の生月(イキツキ)島などでは、今もカクレキリシタンのまま信仰を続けている人たちがいます。しかし、それも次第に減っています。
カクレキリシタンが350年以上の時を隔てて今日まで続いてきたのも、日本仏教とまったく同じ受容と土着の原理にしたがって、日本の諸宗教の中に溶け込んでいったからだ。キリシタンを隠れ蓑として、仏教というスタイルを用い、先祖に対する篤い信仰を守り通してきたのだ。カクレキリシタンはオラショの言葉の意味を理解して唱えていたのではなく、ありがたい呪文として唱えていた。
当時の人々がキリシタンに改宗したのは、それまで日本人がおすがりしてきた諸々の神仏の上に、さらに効き目のある、何でも願いごとをかなえてくれそうな南蛮渡りの「力あるキリシタンの神」を、ひとつ付け加えたに過ぎなかった。つまり、従来の神仏信仰の上に、さらにキリシタンという信仰要素をひとつ付け加えたに過ぎなかった。
 領主たちはポルトガル船から期待される収益のために、領民を強制的にキリスト教に改宗させた。
キリシタン思想をある程度まで、理解できた日本人は、京阪地方を中心とした一部の知識人層のみだった。そして、キリシタン弾圧が始まると、まず多くの武士層や知識人層が放棄した。
長崎県下のカクレキリシタンは、昭和60年代初めに400~500軒、1500~2000人ほどだった。現在では、激減して120軒(厳密には80軒)ほどでしかない。
カクレキリシタンにとって、仏教や神道は、キリシタンであることを隠すためのカモフラージュではなく、この三つの要素が完全に一つとなり、三位一体のような形をとって、これまで続いてきた。カクレキリシタンの信仰対象は先祖が命かけて今日まで伝えてきたもの。大切なのは、それが何かではなく、誰が大切なものとして伝えてきたか、ということ。カクレキリシタンは、ごく当たり前の仏教徒として、また神道の氏子として、その努めを果たしてきた。
17世紀はじめの日本にキリスト教信徒が45万人ほど、人口の3%ほどいた。現在、日本のキリスト教カトリック信徒は44万人ほど。まったく同じだけど、人口比率では0.34%でしかない。プロテスタント(合計57万人)を含めても0.81%でしかない。
キリスト教系の大学はたくさんあるのに、日本人のキリスト教信者が一向に増えないのはなぜなのか・・・・。
宗教とは何か、など、いろいろ考えさせられる本でした。
(2018年2月刊。1700円+税)

極夜行

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  文芸春秋
太陽が昇らない、暗い冬の北極を犬とともに命をかけて歩いた極限の体験記です。
いわば、『空白の五マイル』の続編なのですが、この冒険旅行も次々に必殺パンチが繰り出されてきて衝撃度は極大です。
ところはカナダより北のグリーンランド。ここは、太陽が地平線の下に沈んで姿を見せない、長い長い漆黒の夜、極夜(きょくや)がある。
世界最北の村であるシオラパルクは、世界で一番暗い村でもある。
極夜という異常環境の下では、白熊対策の番犬として、犬は絶対に必要。犬なしで極夜の旅をするのは、目隠しで地雷原を歩くようなもの。シオラパルクでは、各家庭で10頭から20頭の犬を飼っていて、日常的に犬ゾリを移動の手段としている。
極夜病というものがある。関心の欠如、不脈、かんしゃくなどの心理的な症状が特徴だ。
人間は、あまりに暗い環境が長々とつづくと憂うつになり、何もする気がなくなってしまう。著者は、この極夜行に4年間もの歳月をかけて準備した。
冒険旅行では、GPSを使いたくない。機械の判断に自分の命をまかせたくないからだ。
極夜行のときには、身体に脂肪分をたくわえるように努力する。72キロの体重を80キロ近くにまで太らせた。
テントは、冬の極地の旅では、コンロとならぶ最重要装備だ。風で飛ばされることのないようにする。したがって、強風時のテント設営は、手順を守って慎重にすすめる。
氷点下20度台と30度台とでは、かなり明確な断絶がある。氷点下30度台は、明らかに人間の生理的限度をこえていて、このままでは肉体が消耗して、そのうち死ぬなという予感を無理なく持つようになる。氷点下30度の壁を乗りこえるには、1週間ほどの期間が必要だった。
1日の行動を終えてテントに入ると、必ずコンロに火をつけた。コンロで手を温めてから、防寒衣の内側にこびりついた霜をたわしでこそぎ落とし、毛皮靴についている雪を丹念に払い落す。
食糧は1日5千キロカロリーの摂取を目安とした。
極夜では、毎日しっかり乾かさないと衣類は濡れていく一方となる。衣類が濡れると生活のストレスが非常に大きくなってしまう。
1頭の犬を連れて歩いているうちに、目標を見失い、食料の補充の可能性がなくなり、犬はガリガリにやせ、自分が生きのびるためには、その犬を食べてしまおうと考えたほどに追い詰められます。
その迫力のすさまじさは、ただただ声も出せずに、くいいるように目を近づけて一気に読了したのでした。それにしても極寒の地を生き抜くためには鉄砲でウサギを撃ち、 解体して食べる技(ワザ)が必要なのです。生半可にやれる旅ではありません。
また、こんな極夜の地にも日本人男性が長く現地で生活をしているということに驚いてしまいます。
(2018年4月刊。1750円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.