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2018年5月 の投稿

サルは大西洋を渡った

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 アラン・デケイロス 、 出版  みすず書房
私が大学生のころ、プレートテクトニクス理論が出てきて、まさか、大陸が動くだなんて考えられないと厳しく批判されていました。アフリカ大陸と南アメリカ大陸が昔はくっついていただなんて容易に信じられることではありません。ところが、今ではそれがまったく定説になっています。そして、大陸を動かすのは、地中深いところのマグマが地表面に吹き出してきて、大陸を少しずつ動かしているというわけです。
地上の大陸が動き、それぞれ別の大陸に分かれていくと、もともと一種だった動植物が、それぞれに独自の変化を遂げていくことになります。
これを頭のなかで観念するだけでなく、現実の動植物をじっくり観察して、間違いないと確かめたのですから、さすが学者は偉いです。
たとえば、ニュージーランドやニューカレドニア島は、かつてジーランディア大陸の一部であり、この大陸が海底に沈み込んでしまったあと、海上に残った島なのです。今から2500万年も前の出来事でした。
ジャガイモは、南アメリカのペルーで先住人が今から4000年も前に野生の原種をつくりかえて栽培したもの。インカ帝国は、ジャガイモを労働者や軍隊のエネルギー源とした。ヨーロッパにジャガイモが入って来たのは1550年代。初めは有毒植物と思われたが、1800年まではジャガイモ栽培は北ヨーロッパ全域に広がった。
アイルランドでは、小麦栽培が難しかったので、1600年代半ばにジャガイモ栽培がはじまった。その結果、人口爆発が起きた。1600年代初頭の人口150万人が200年後には800万人の人口をかかえるまでになった。ところが、1840年にジャガイモの病気が広がり、収穫の4分の3が台無しとなった。そのためアイルランドでは貧しい人々の主要な栄養源が失われ、3年間で100万人もの人が餓死、病死した。そのため200万人もの人々がアイルランドを逃げ出した。そのうちの50万人はアメリカに渡った。暗殺されたケネディ大統領もアイルランド系でしたよね・・・。
19世紀にロシアやドイツが世界の列強として台頭したが、それを支えたのがジャガイモだったと言ってよい。
ところで、訳者あとがきを読んで驚きました。著者の父親一家は、第二次世界大戦中に、アメリカ各地につくられた日系人の強制収容所に入れられたとのこと。母方の祖父母は、日本からの移民、父方の祖母も日系二世とのことなのです。世界は広いようで狭くもあるということなんですね・・・。
(2017年11月刊。3800円+税)

コンゴ共和国、マルミミゾウとホタルのいきかう森から

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者  西原 智昭 、 出版  現代書館
ゴリラは平和主義者です。大きな身体だけど静かな気性、不器用だけど、きれい好き。隣のグループとも、いたって平和的。泥沼に肩まで浸かりながら、幸福そうに目を細めて大好物の水草を食べる。
ゴリラは歌をうたう。ハミングで、うまい。ヨーロッパの民謡みたいなメロディーで、人間そっくり。草食性のゴリラの糞は草っぽい匂い。これに対して、肉を食べるチンパンジーの糞は人間と同じで臭い。ゴリラはチンパンジーとちがって肉は食べないが、アリやシロアリは食べる。
アフリカで生活するとき、マラリアには予防接種はない。予防薬をのみ、蚊にむやみに刺されないよう用心するしかない。しかし、村から遠く離れた森のなかで生活していると安全。人が住んでいないので、マラリア蚊がいないから・・・。
アフリカのジャングルにすむ野生動物は一般的に危険がない。基本的におとなしく、想像されるほどの危険はない。こちらがひどく相手を驚かさない、静かにしている、相手に異常に接近しない、武器をもたない、そうすると加害を加えてくることはまずない。危険なのは、視界の悪い森のなかで急に鉢合わせしたときくらいのこと。
あえて危険な動物をあげるとなると、ヘビだろう。
アフリカで何より怖いのは、東京のド真ん中と同じで、人間。内戦があって殺し合いが始まると、その前に逃げ出すしかない。
アフリカの森に無数のホタルが明滅する森があるといいます。ぜひ行ってみたいです。
学者って、森の中でじっとゴリラを観察し続けるのですよね。その忍耐強さに驚嘆します。
(2018年1月刊。2200円+税)

穢れ舌

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 原 宏一 、 出版  角川書店
面白いです。前に『星をつける女』(KADOKAWA)を読みましたが、同じシリーズのような本です。
料理研究家やレストランのインチキ、さらには産地偽装のカラクリまでを暴いていく過程は、手に汗を握るハラハラドキドキ感もあり、なるほど、この分野ではこんなことが起きているのかという知的好奇心もたっぷり満たしてくれます。
料理研究会と銘うっている女性は、実は黒幕に踊らされているだけの存在でしかありません。へとへとになるまで働かされます。そして産地農家と提携というのもインチキ。その場しのぎの契約でしかありません。
どうやって、そのインチキを暴くのか・・・。
日本酒の特定銘柄がネットでプレミアムつきで転々売買されている。しかし、その日本酒は実は桶買いでしかない。そんなに高値の日本酒がつくれるわけがない。また、どうやって秘密を守り通せるか・・・。
ネットで一般客をだますのは、いとも簡単のようです。サクラをたくさんつくって、さも人気商品であるかのように装ったらいいのです。
寿司店。銀座の高級寿司に私も一度は行ってみたいです。アベ首相やオバマ大統領の行った店でなくてもいいのですが・・・。
いいネタをどうやって安く仕入れるか、店の主人は苦労しています。そこで、大胆なインチキをする店のも出てくるというわけです。
『神田鶴八鮨ばなし』などを参考にしたというだけあって、料理場面はノドから手が出るほど、美味しそうです。
(2018年3月刊。1500円+税)

法の番人として生きるー大森政輔回顧録

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 牧原 出 、 出版  岩波書店
著者は青法協の会員裁判官でした。今も、安倍首相の集団的自衛権の解釈は憲法違反だと断言します。
著者は灘中・高から京都大学法学部に進学しました。学問の自由を戦った京大法学部にあこがれたのでした。京大法学部では社会主義に大きな関心をもち、自治会活動にも参加します。そして、司法試験を目ざして在学中に合格します。
司法修習生になったら、当然のように青法協に入りました。青法協は、市民に足を置く良心的な法律家の集団と思われていて、青法協に入る意欲のないような法律家は良識に欠ける存在だと思われていた。実際、最高裁のなかの所付判事補の多くが優秀であり、青法協の会員でした。
 学園紛争、70年安保ぐらいから、青法協会員だというのは、よほど過激な者だということになったようで、非常に残念。
私は、著者が青法協を脱会したことを責めるつもりはまったくありませんが、青法協会員だった最高裁のエリート裁判官たちがこぞって脱会したあと、裁判所内に自由闊達な雰囲気がなくなり、ヒラメ裁判官だらけになってしまったことについては、厳しく指摘してほしいと思いました。
著者が裁判官になるときの面接で、「政治活動はしないだろうな」という質問を受けたといいます。とんでもない質問ではないでしょうか。今は、こんな質問なんかする必要がない状況ですが、それをつくり出したのが、このような質問をする司法当局だと思います。
最高裁にいた若い局付判事補はほとんどが青法協の会員だった。若い時代には日本国憲法を擁護する意識をもつのが通常で、その意識のない若い裁判官は腰抜けだと考えられていた。結局、著者は、司法反動の嵐のなかで配達証明付の脱会届を送るのです。
岡山に赴任したときには、事務総局から青法協を逃げ出した男だという前評判で迎えられた。それでも岡山のあと東京に戻れなかったのは、青法協脱退をぐずぐずして抵抗したからだという理由があげられています。ひどい話です。
そのあと、法務省へ出向します。さらに内閣法制局への出向です。
安倍内閣の集団的自衛権の憲法解釈変更は明らかに暴挙だというのが著者の考えです。
舌先三寸で、黒を白と言いくるめられたら何でもできると思い上がった人が総理になるということほど恐ろしいことはない。このように著者は言い切ります。胸のすく思いです。
わが国を取り巻く安全保障環境の変化を考慮しても、憲法9条の改正がない限りは、集団的自衛権の行使は、今後とも憲法9条の下で許容できる余地はない。内閣の権限をこえたもので、とうてい認められない。
気骨あふれる裁判官の語るオーラル・ヒストリーは興味深いものがあり、一気に読了しました。
(2018年2月刊。2800円+税)

ほどよく距離を置きなさい

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 湯川 久子 、 出版  サンマーク出版
著者は九州で第一号の女性弁護士として活躍してきました。90歳の今も現役の弁護士です。事件を扱うときには稲村鈴代弁護士と共同作業のようですから、心配は無用です。
弁護士生活61年という体験をふまえていますので、その言葉には重みがあります。
先日、たまたま赤坂近くのけやき通りで著者に出会い、ほんの少しだけ言葉をかわしました。腰を痛めて能のほうはやめて、座ってできる謡(うたい)だけにしているとのことですが、足取りはしっかりしていて、とても90歳をこえているとは思えない元気の良さでした。
相談に来て目の前に座った人がうつむいてボソボソと力なく話しはじめたときには、こう言う。「顔を上げて、私の目を見てお話ししなさい」
すると、顔を上げ、目に光が戻ってくる。声のトーンが変わり、背筋が伸びてくる。問題をかかえた姿から、問題と向きあう姿勢に変わった瞬間だ。顔を上げ、前を向くだけで、未来を見る姿勢になる。
本当にそうなんです。逃げの姿勢から、物事に向きあい、乗りこえていく。これが求められています。
弁護士の事務所は、悩める人たちにとって、その心の病気の治療室のようなものである。
これまた、まったく同感です。
離婚問題をかかえたとき、長引けば長引くほど、人生の再起は遅れ、再起するためのエネルギーも失われていく。
たった1回だけの人生です。大切に扱いたいものです。
和解は、させられるときには納得いかないけれど、主体的に和解を選ぶようにする。発想を転換させるのですね・・・。
「話す」ことは「離す」こと。
話していくと、自分というものが、客観的に見えてくるようになるのです。
子どもは成長する過程で百粒をこえる喜びと幸せを親に与えてくれる。子どものことで傷ついた親は百粒の涙を流す。子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなる。
数多くの熟年離婚を見てきて、我慢の先に幸せはないと痛感する。
私は子どものために離婚をガマンしてきたという言葉を聞かされると、それは、子どもこそ気の毒だったと思います。もっとはやく親が別れてくれていたら、たとえ片親であっても笑顔の絶えない、明るい生活を過ごせたはずなのです。それを親の都合で子どもから奪いながら、子どもにあんたのせいだと責任をおしつけるなんて、親としてすべきことではありません。
こころに余裕がある人は、他人に寛大になれる。他人の幸せを妬んだり、うらやんだりすることもない。未来を向いて、今を楽しんでいると、幸福度は、ますます高まっていく。そのためには、いくつになっても好奇心をもち、新たな挑戦をしてみることです。
長生きは、ごほうびの時間だと考えている著者に、ますますのご健勝を心から祈念します。10万部も売れているとのこと。これまたすばらしいです。
(2017年11月刊。1300円+税)

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