法律相談センター検索 弁護士検索
2018年2月 の投稿

杉山城の時代

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者  西股 総生 、 出版  角川選書
 杉山城って、聞いたこともない城ですよね。でも、これが今注目されている城なんです。なぜか・・・。
 杉山城は、埼玉県比企(ひき)郡嵐山(らんざん)町にある「土の城」。城といっても、城主である殿様以下の武士たちが居住していたものとは、どうやら違うようです。戦国時代の戦闘に備えた砦(とりで)のような城なのです。なぜ、それが注目されているのか、そして、誰が、いつつくった城なのか、少しずつ解き明かしていく本です。
 杉山城は、標高95メートル、比高42メートル。杉山城の特徴は、土橋や虎口(こぐち。出入口)に対して徹底的に横矢を掛けていること。横矢を掛けるための工夫(施設)を横矢掛りと呼ぶ。虎口から堀を渡った対岸に設けられたスペースのことを馬出(うまだし)という。馬出は一般に、城兵が逆襲に転ずる際に攻撃の足がかりとなる場所。これを局限することによって、虎口を一気に突破されないという効果も期待できる。
 杉山城の縄張りは大変に複雑だが、塁壕や通路をランダムに屈曲させた結果ではない。縄張りを構成する各部分は、敵の侵入を効果的に防ぐという観点から、いずれも合理的な説明が可能。したがって、城兵が正常に配置され機能したとしたら、攻城軍は容易には主郭に到達できないだろう。その縄張りは、あまりに緻密で論理的であるから。
 杉山城の発掘調査は、この城が領主の日常生活とも地域支配とも無縁な、純然たる軍事施設であったことを物語っている。戦国時代の比企(ひき)地方には、純然たる軍事施設としての城が次々に築かれていたのだ。
著者は杉山城について、次にように分析しています。杉山城に与えられた任務と守備隊の人数を具体的に意識し、弓・鉄砲をもつ兵を選抜して、ここに3丁、あそこに5丁といったように決められた火点に配置し、鑓(やり)をもった兵たちは白兵戦力として、まとまって使うことを考えていた。杉山城の特徴は、障碍(しょうがい)の主体を徹して横堀に求めていることにある。
 杉山城は2017年に、日本名城100選(続)に選定されたということです。かの忍城(おしじょう)とあわせて、埼玉県には見るべき城がたくさんありますよね。ぜひとも現地に行って縄張りを実感してみたいものです。
(2017年11月刊。1700円+税)

これが人間か

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 プリーモ・レーヴィ 誠二 、 出版  朝日新聞出版
 「アウシュヴィッツは終わらない」の改正完全版です。前にも読んでいますし、このコーナーで書評を紹介したと思いますが、ポーランドのワルシャワ動物園でユダヤ人救出を実行していた実話が映画になったのをみたばかりでしたので、改めて読んでみました。その動物園では、園長宅の地下室を中継地点としてユダヤ人をゲットーから救い出して逃亡させていたのでした。命がけで、そんなことをしていた人々がいたのですね。そんな勇気と知恵には頭が下がります。
著者は1943年12月に24歳のとき、捕えられました。まだ若かったので、生きのびることができたのですね、きっと、、、。
 貸車に詰め込まれて運ばれます。著者と一括の貸車にいた45人のうち、家に戻れたのはわずか4人のみ。
 収容所に着いたとき、96人の男と29人の女だけが助かり、残りの500人は2日と生きていなかった。その選別はあまりに手早く簡単なものだった。ナチス第三帝国に有益な労働ができるかどうかが選別の基準だった。
 ラーゲル(強制収容所)では、死は靴からやって来る。囚人は自分にあわない木靴をはかされる。足はふくれあがり、歩くのに困難となる。しかし、この判断で病院に入ると死が待っている。
起床時間になると、多くの者が時間の節約のため、獣のように走りながら小便をする。というのも、5分後にパンの配給があるからだ。パンは、収容所ではただ一つの貨幣でもあった。
 よごれ放題の洗面所の汚れで毎日体を洗っても、健康をたもてるほど体がきれいになるわけではない。しかし、活力がどれだけ残っているかを知る手がかりとしては重要だし、生きのびるための精神的手段としては不可欠なのだ。
 収容所(ラーゲル)とは、人間を動物に変える巨大な機械だ。だからこそ、我々は動物になってはいけない。ここでも生きのびることはできる。だから生きのびる意思をもたねばならない。証拠をもち帰り、残すためだ。そして、生きのびるためには、少なくとも文明の形式、枠組、残骸だけでも残すことが大切だ。我々は奴隷で、いかなる権限も奪われ、意のままに危害を加えられ、確実な死にさらされている。だが、それでも一つだけ能力が残っている。だから、全力を尽くしてそれを守らねばならない。なぜなら、それは最後のものだから。それは、つまり同意を拒否する能力のことだ。そこで、我々は石けんがなく、水が汚れていても、顔を洗い、上着でぬぐわなければならない。人間固有の特質と尊厳を守るために、靴に墨を塗らなければならない。体をまっすぐに伸ばして歩かなければならない。生き続けるため、死の意思に屈しないために、だ。
 収容所にいる人々にとって、月日は、未来から過去へ、いつも遅すぎるほどだらだらと流れるものにすぎなかった。なるべく早く捨て去りたい、価値のない、余裕なものだった。未来は、月の前によけ壊しがたい防壁のように起状もなく圧色に横たわっていた。歴史などなかった。
 冬が何を意味するか、それは、10月から4月までに、10人のうち7人が死ぬことを意味する。
 人を殺すのは人間だし、不正を行い、それに屈するのも人間だ。
 ドイツの軍事産業は収容所体制の上に築かれていた。収容所体制こそがファシズムにおおわれたヨーロッパを支えた基本制度だった。
 アウシュヴィッツ収容所の内外における人間行動を直視し、究明することは、私たちとは何が、何をなすべきかを考えさせてくれます。
(2017年10月刊。1500円+税)

転落自白

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 内田 博文 八尋 光秀、鴨志田 祐美 出版 日本評論社
 「日本型えん罪」は、なぜうまれるのか、というサブタイトルのついた本です。
 現実にあった間違った裁判のほとんどで、やってもいない人が「自白」をしています。この本は、やってもいない犯行を「自白」してしまうカラクリを明らかにします。
 この本の面白いところは、まず、やってもいない人が「自白」する流れを、一つの話としてまとめたところです。なるほど、無実の人がこうやって「自白」させられていくのが、読み手がぴんと来る仕掛けです。
 次に、実際にあった足利事件、富山氷見事件、宇都宮事件、宇和島事件を取りあげて問題点を解説します。警察官も検察官も、裁判官も、さらに弁護士までが、やってもいない「ウソの自白」を「ホントの自白」だと信じた。ところがひょんなことから、無実だと判断した。
 死刑判決が言い渡された事件でも冤罪事件はあった。免田(めんだ)事件、財田川(さいたがわ)事件、島田事件そして松山事件の4つ。死刑判決でも間違っていた。あやうく死刑が執行されそうになった人が少なくとも4人はいるのです。
いま、飯塚事件が問題となっています。死刑が確定して執行されてしまった人が無実だったのではないかという事件です。これは、そんな古い話ではありません。今でも、日本のどこかで無実なのにぬれ衣を着せられて泣いている人がいるかもしれないのです。
調書を中心とする供述分析は、世界中を見渡しても日本のほかには、あまり行われていない。日本の裁判は調書にもとづいてなされている。
 取り調べ場面を録音か録画されるのは、アジアでは韓国、台湾、香港ですでに実施されている。しかし、日本では、依然として取り調べ場面の全面的な可視化は実現していない。
 DNA鑑定の古いものは足利市の人口にあてはめると、同じ型の人が男性でも、100人もいるというレベルだった。ところが、新鑑定では、型が一致する確率は4兆7000億人に1人である。地球人口が70億人だとされているので、地球上に型の一致する別人はいないということを意味している。
供述調書の心理学的特性を究明する試みも紹介されています。
 犯行供述に被害者が不在であるという特徴のある供述調書は、体験記憶にもとづいて供述していると評価することは困難。
逮捕されたら、全生活を他者のコントロール下に置かれてしまう。食事、排泄、睡眠という基本的生活まで他者に支配され、自分が自由にできる範囲が大きく限局される。その結果、自己コントロール感を失う。誰も自分の無実を信じてくれる人がいないとの絶望感は、もはや無実を主張する気力を奪ってしまう。警察で認めたのに、検察庁や裁判所で否認すると厳しい取り調べをする怖い人にもどってしまうことを何より恐れる。
裁判官には、検察そして警察に対する仲間意識がある。裁判官は独立しているために孤立しがちである。
えん罪を日本からなくすために頑張っている若手弁護士との学者が、その勢いをもって書き上げた本です。広く読まれることを願います。ご一読ください。
(2012年7月刊。1900円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.