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2016年11月 の投稿

忘却された支配

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 伊藤 智永 、 出版  岩波書店
中国人の強制連行は、日米開戦の1年後、産業界の要請を受け、日本政府が「内地移入」を閣議決定し、1944年2月から本格化した。3万8935人が拉致同然に連行され、鉱山、土木、建設、造船、港湾荷役など、35社の全国135事業場で、「牛馬にも劣る」労役を課せられ、6830人が死亡した。
敗戦後、日本政府は中国人強制連行について連合国側からの追及に備えて、専門調査員16人を全国に派遣して詳細な実態調査を行っていた。その調査結果は30部限定で極秘だったが、何者かが東京華僑総会にもち込んだりして世に出た。
ところが、韓国についての強制動員は、政策的に黙殺、封印した。
日本に侵略され交戦した戦勝国の中国、日本に支配され解放された植民地の朝鮮。実態は同じ戦時での強制連行労働でも、情報の整理と開示、補償と決着のつけ方が、これほど違っている。
紀州鉱山には英軍捕虜300人、朝鮮人労働者1350人が働かされていた。朝鮮人の半数は氏名すら分からない。国の施策にもとづき和歌山県が「朝鮮人労働者募集要綱」で毎年度の目標人数を承認し、会社が労務係を朝鮮に派遣していた。労務係は朝鮮に渡ると総督府そして割り当て地域の地元警察署に出向き、「手間賃」か「心付け」を100円ずつ渡し、警察署から朝鮮人の里長や区長に割り当て人数が伝えられた。日本へ行かされる人間は区長が選んだ。労務係は郡の警察署で待っていて、予定の人数だけ集められた徴用者を名簿と一緒に引き渡され、集団で紀州鉱山へ引率した。これは「強制連行」ではなかったが、同じようなものだ。
実は、戦前、私の父も同じ労務係として朝鮮から300人の労働者を三井化学に引率したことがあります。「喜んで日本に来る人もおったばい」と語り、悪いことをしたという罪悪感をもっていませんでした。それは、当時の朝鮮半島には、日本が激しく収奪していたことから、食うに困った人々が多かったことの反映です。
日本人は過去の負の遺産を忘却してはいけない。そのことを痛感させてくれる本です。歴史の掘り起こしは大切だと私はつくづく思います。
(2016年7月刊。2200円+税)

へんろみち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 あいち あきら、 出版  編集工房ノア
四国遍路というと、ロマンを感じますが、現実はかなりの難行苦行のようです。お遍路さんとして歩いた体験が、よくぞここまでと思うほど刻明に再現されています。
もちろん、道々に記録していたのではないでしょう。かといって宿に入ってからも、詳しい日記をつける余裕があったとは、とても思えません。いったい、この道中記はいつ、どうやって書かれたのでしょうか・・・。
お遍路さんといえば、私が親しい仲間と一緒に貸切バスに乗って四国路を走っていると、なんと菅直人元首相が歩いているのを目撃しました。同行取材を受けていたので、遠くから見て気がつきました。3.11の直後、原発から完全撤退しようとする東電に激怒したということですが、私は真実なのではないかと考えています。
テクテク歩いていると、慣れないものだから足がひきつってくる、足の指にマメが出来て、血が出てくる。まあ、いろんな身体の不具合いにとらわれます。
山の嵐にさらされながら急な坂をおりていく。厚くふり積もった落ち葉の道。雨水を吸いこんで、すべりやすい。気をつけようと思ったそのとき、木の根っこを踏んでしまった。ツルリと足がすべって、体がふわりと浮き上がり斜面に落下してドスンと尻もちをついた。左の腰と右ひじをしたたか打った。声が出ないくらい痛くて唸った。すぐには立ち上がれず、斜面にへたり込んで、じっと痛みをこらえた。ようやく参道に戻ると、お遍路の団体がやってきた。先頭を歩く先達さんが声をかけてきた。
先達さんは、お遍路の案内人で、四国を何周もしたことのある経験と知識のある人がつとめている。その資格を得るのは容易ではない。
先達さんが言った。
「あなた、それは良かった」
「それは、泥に汚れたのではなくて、神の峯の泥にお清めされたのですよ」
「泥だらけになって良かったのですよ・・・」
何事も、考えようなのですよね・・・。著者は私と同じ団塊世代です。これは、5年前の5月から6月にかけて、四国88ヶ所巡礼、49日間を歩き通した苦闘の体験記なのです。すごいです。
札所にお参りすることを「打つ」という。巷のへんろは、小さな木の札に名前、出身地、願いごとを記し、札所のお堂に木釘で札を打ちつけていった。札所を「打つ」というのは、その名残だ。今は、木の札に代わって紙の「納め札」をお堂に置かれた箱に納めていく。
橋を渡るとときに杖をついてはいけない。橋の下でお大師さんが休んでずられると、礼を失するから。歩き遍路のルールだ。カンカンと杖をつく音がいけない。
お接待を受けるにも作法(ルール)がある。お接待してくれた方には「納め札」に名前や住所を書いて手渡し、手を合わせる。これが礼儀だ。
四国88ヶ所の遍路みちは、総距離1270キロ。昔から、1200年も前から続いている。
著者は、両足に17個のマメをつくった。足をひきずり、顔をしかめながら、ともかく歩き通したのです。えらいですね。私にはとても出来そうもありません。無理です。この本を読んで、歩いた気分に浸るだけにしておきます。
(2016年8月刊。1800円+税)

敗者の古代史

カテゴリー:未分類

(霧山昴)
著者 森 浩一 、 出版  KADOKAWA(文庫)
筑紫君石井(つくしのきみのいわい)が継体大王(ヲホド王)と戦った。これを「磐井(いわい)の乱」と呼ぶのは正しくない。石井(いわい)は北部九州を治めていた地域国家の王であって、ヤマト政権に服属していたわけではないから。
筑紫を「つくし」と読むのは慣用であって、古くは「ちくし」(竹斯)である。
当時の国際情勢は、磐井が新羅と組み、ヲホド大王が百済と組んだことが読みとれる。継体21年(527年)におこった継体・磐井戦争は、朝鮮半島での情勢と連動していた。地域国家の王としての磐井の立場では、侵入者と戦うのは当然の行為だった。
磐井は、玄界灘にのぞんだ糟屋に海の拠点をもっていた。磐井は海の王者でもあった。そして磐井は、火(肥後と肥前)と豊(豊前と豊後)に勢力を伸ばしていた。
磐井戦争の最後は、高良山と御井と呼ばれた泉のある土地でおこなわれた。磐井は負けて斬られたが逃亡した。しかし、その子は港は奪われたものの存続することができ、筑紫の君として、地域の豪族となった。
磐井の墓である岩戸山古墳は、墳長132メートルで、北部九州では最大規模である。ちなみに、ヲホド大王の今城塚古墳は、墳長190メートルの前方後円墳。
いま、岩戸山古墳のあたりはきれいに整備され、博物館もあります。まだ行っていない人々は一度ぜひとも行ってみて下さい。
山鹿市には鞠智(きくち)城が復元されています。一般には白村江の戦いで、日本軍が大敗したため、朝鮮半島が攻めて侵入してきたとき、太宰府で喰い止めきれなかったときの備えと位置づけられています。
ところが、著者は、そうではなくてクマソ勢力を威圧するための施設だと考えています。この鞠智城見事に復元されています。ここもまた一見の価値のある場所です。
さすが古代史の権威の本だけあって、とても驚くような話が満載の読んで楽しい日本史の本です。ぜひ買って、手にとって読んでみて下さい。
(2016年10月刊。800円+税)

プルートピア

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ケイト・ブラウン 、 出版  講談社
アメリカは西のワシントン州東部のリッチランド。ロシアはウラン山脈南部のオジョルスクに、プルトニウムのまち、原子力村をつくった。特異なユートピアが、そこにある。
核兵器製造ラインの全行程のなかで、プルトニウムの製造がもっとも汚い。最終的な製品1キログラムにつき、何百何千ガロンもの放射線廃棄物が生じる。
リッチランドの設計について、デュポン社と陸軍工兵隊が合意すると、まちはわずか18ヶ月でつくりあげられた。
放射能の危険についての知識は、その階級的な差に応じて分け与えられた。放射性溶液にもっとも近いところで働く者は、もっとも訓練を受けておらず、もっとも情報を与えられていない者が多かった。黒人やメキシコ系アメリカ人は雇われず、全住人が白人だった。多数派はプロテスタントで、15%がカトリック、10人がユダヤ人だった。
はじめ、デュポン社は女性の雇用は考えていなかった。妊娠可能な年齢の女性に対する遺伝学的な悪影響を恐れたから。ところが、女性は賃金が安いので、女性を雇うほうが安上がりだったことから、女性が雇われるようになった。
1940年代までに、科学者たちは、放射能が不妊症や腫瘍、内膜障、癌、遺伝学的変異、早老といった病状と早期の死をもたらすことを知っていた。
ソ連では、原子力計画の指導者たちは、放射線の危険に対して無頓着な態度をとった。自らを放射能汚染にさらすことは、工場の書かれざる規約の一つだった。
労働者は、100~400レムを被曝した。400レムは初期の放射線による老化を生じるのに十分な量で、これは、慢性的な疲労、関節痛、骨の粉砕を招き、最終的には癌や心臓病、肝臓病をひきおこす。
ソ連初の核実験は秘密主義で行われたが、核爆発を隠すのは難しかった。
アメリカのリッチランドには自由企業はなく、自由な出版権もなかった。
組合活動をする者は、左翼で、裏切り者で、不忠な者として嫌われた。組合攻撃は便利なものだった。
ソ連では、チョコレート、赤肉、そしてウオッカが工場の労働者に与えられた。これらが放射性同位体を浄化するのに役立つと考えられた。
若い女性が突然老けてしまった。半分以上が50歳になる前に癌になった。
そして、新しい病気、病気の若者、工場労働者の死因は、国家機密とされた。
アメリカでは、全年齢の癌発病率が1950年から2001年までに85%も上がった。かつては医療的に稀だった幼少期の癌がアメリカの子どものもっとも多い病気になった。
ロシアの子どもの3分の1しか、健康な状態で生まれない。
放射性汚染物質の恐ろしさがひしひしと伝わってくる本です。この目に見えない敵に人類が勝てるはずはありません。ノー原発、ノー核兵器と叫びましょう。ところが、アベ政権は核兵器廃絶の取り組みに、国際社会で公然と「ノー」と宣言したのです。信じられない暴挙です。やめてください。なんでもアメリカ頼みでは世界と日本の平和は守れません。
(2016年7月刊。3000円+税)

水危機を乗り越える

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 セス・M・シーゲル 、 出版  草思社
イスラエルが砂漠の国であること、そこで海水の淡水化をふくめて真水確保で大きな成果をあげていることを知りました。
イスラエルの学校では、最少の水で歯みがきする方法が教え込まれている。それだけ水の大切さが繰り返し教えられている。
パレスチナには1200万人がいて、イスラエルに800万人、ヨルダン川西岸とガザ地区に400万人が住んでいる。
1948年にイスラエルが独立を宣言したとき、国の人口は80万6千人だった。
ネゲブ砂漠を通る国営水輸送網が完成して、1200億ガロン(4億5千万立方メートル)の送水能力を得て、南部の荒涼たる土地でも、種類を選ばずに作物を育てられるほどに大量の水が利用できるようになった。そのため、イスラエルにたどり着いた移民はネゲブ砂漠に入植して農民として生計を立てていくことになった。
イスラエルで点滴灌漑の手法が開発され、実用化された。一滴ずつ灌漑すれば、水分の蒸発はおさえられ、作物の必要とする水を直接その根に届けてやることができる。節水効果はばつぐんで、蒸発や不必要な土壌への浸潤で減少する水はわずか4%にすぎない。
点滴灌漑農法によると、湛水灌漑やスプリンクラー灌漑を上回る収穫を必ずといってよいほど達成できる。現在では、2倍以上の収穫が標準だ。40%の用水を節約しながら、湛水灌漑より550%の生産量をあげている。
もちろん、点滴灌漑の装置は、降雨に比べると、はるかに高額だ。
この灌漑法では、水と溶解性の肥料の混合液が作物にたびたび投与される。これが養液点滴灌漑である。
イスラエルでは、点滴灌漑が標準農法で、灌漑されている耕作地の75%の地下もしくは地上部分に滴下装置を認めることができる。残る25%はスプリンクラー灌漑である。
この点滴灌漑農法がもっとも劇的に増加しているのは、中国とインドである。
今日、イスラエルでは排水の95%が処理され、利用されている。残る5%は汚水処理タンク方式で処置されている。
海水の淡水化にもイスラエルは取り組んでいる。ソレクに建造された施設は世界最大にして最新で、一日に62万立方メートル(1億6500万ガロン)の淡水を生産している。
海水淡水化はイスラエルの水事情を根底から変え、その影響はこの国の社会の隅々に至るまで感じられる。
海水淡水化とは、他人をあてにしなくてもよいということ。これがあるから、我々は自らの運命をコントロールできる。イスラエルの農家にとって、再生水は、今や貴重な水源で、処理して際しようするために国の廃水の85%が集められている。
イスラエルは水問題の解決法においてたくさんの発明をうみ出し、世界の水のあり方を変えてきた。
世界で「水戦争」が深刻化しているという本を読んだことがありますが、こうやって解決する方向で実践している国があるのですね・・・。日本は、その点、どうなっているのでしょうか。
この本の解説に日本がバーチャルウォーター(仮想水)を輸入していると書かれていますが、よく分からない文章でした。残念です。ともあれ、イスラエルという国を見直しました。世界の平和に少しは貢献しているのですね。
(2016年6月刊。2800円+税)

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