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2016年6月 の投稿

コンビニ店長の残酷日記

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 三宮 貞雄 、 出版 小学館新書 
 私はなるべくコンビニは利用しないようにしています。でも、他に商店がなければ仕方ありません。コンビニがなければ生きていくのが難しい世の中になってしまいました。
私の住むまちは、駅の周辺に喫茶店がありません。もちろん、以前はあったのです。
この本はコンビニの店主が自分の体験を語っています。店主って、コンビニ本部の言いなりに働かされている、現代版奴隷のような存在だと、つくづく思います。もちろん鎖なんかありません。でも、見えない鎖で、がんじがらめにからめとられ、ほとんど自由のない生活を24時間、過ごさざるをえないのです。
コンビニの仕事でもっとも重要なのは、売上を大きく左右する発注だ。発注は納品の2日前、端末からする。発注の権限といっても、本部が推奨する範囲で選ぶ権限でしかない。
建前上は「独立した経営」とされながら、「売りたいものを売る自由」はない。
コンビニで、たばこは粗利率こそ低いけれど、売上の2割を占めるので、重要な商品だ。
「自爆」というのは、営業ノルマをクリアするため、自社商品を従業員が自分で買うこと。暗黙の了解によって買わされる。
毎日、食品だけで10キロ前後の廃棄が出る。廃棄が増えれば増えるほど店の利益が減る。食品系のごみの多さはコンビニという業態の特徴。
廃棄を大量に出し、それをオーナー、家族そしてアルバイトがせっせと食べる。
廃棄分はコンビニでは売上原価にふくまれない。廃棄分は売上原価ではなく、営業費に分類され、加盟店が負担する。廃棄を食べると気になるのが添加物。
養豚業者に廃棄した弁当をまわしていたら、豚に異常が多発し、売り物にならなくなったという話がある。ええっ、本当でしょうか・・・。恐ろしいですね。本部は、自らの取り分を増やすために、廃棄ロスを原価に含めず、営業に含めて見かけ上の粗利を膨らませている。
日本全体では食品廃棄物中のまだ食べられる部分が年間500~800万トンにのぼる。世界全体の食糧援助が400万トンというから、それよりはるかに多い。
これは消費期限や賞味期限より早く「販売期限」を設定していて、販売期限を過ぎた商品は棚から排除しているため。
「機会ロス理論」はコンビニ店だけに押しつけられ、スーパーマーケットには適用されていない。
コンビニの仕事として、毎日の送金がある。売上の金額を本部に毎日、送金しなければならない。
コンビニのアルバイトを募集しても、最近は人が集まらない。時給1000円近くにしても確保できない。
コンビニ1店に10~20人のアルバイトを雇っていて、1年で半分は入れ替わる。日本全国のコンビニ従業員は70万人に及ぶ。
コンビニの平均客単価は600円弱。トラック運転手は1000円~2000円と高い。
全国にコンビニが5万3千店以上あり、年間売上高は10兆2千億円ほど。年間167億人の客が来るので、日本人は1年のうちに130回はコンビニに行っている計算になる。
ATM、公共料金の支払いがコンビニで出来るというのは大きいですね。そして、100円コーヒーもあります。私も缶コーヒーより何となく良さそうなので、よく利用します。
便利さのかげに、日本は大きな良いものを失いつつある気がしてなりません。
(2016年4月刊。740円+税)

731 日本軍細菌戦部隊

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者  15年戦争と日本の医学医療研究会 、 出版  文理閣
 日本軍の捕虜となった連合国の軍人やスパイ視した中国人を残酷な人体実験の材料として平気だった日本人の医者たちがいて、戦後の日本で戦犯にならずに平気で医者を続けていた、そんな連中がいたのですね・・・。そして、日本に医学界は、それを是認してきたのです。これは許されることではありませんよね。これって、自虐史観とかいうものではなく、「戦争責任」が問われるべき当然のことではありませんか・・・。
 731部隊にいた医学者たちは、そこでの人体実験の結果を医学論文として戦後の医学雑誌に書き、受理され、掲載されていた。731部隊(石井機関)の人体実験を日本の医学界は容認していた。
 石井四郎は、京大医学部を卒業したあと、近衛歩兵連隊、軍医中佐となった。石井は、京大の荒木総長の娘と結婚し、社会的な信頼と活動の基盤を得た。石井は、予算を過大に使い込んだが、お金が人を動かすことを学んだ。
 石井は、1933年(S8)、東郷部隊(加茂部隊)を組織し、捕虜を材料として炭疽菌接種などの人体実験を行った。この人体実験では、飢餓状態で水だけでどれくらい生きるかを見る実験、高圧電流でヒトがどのように死ぬか、青酸化合物でヒトをどのように殺せるかなど、さまざまな人体実験を試みた。このときだけで、200人の捕虜、政治犯を人体実験に使い、殺害した。
 内藤良一も、京大医学部卒業で、石井の「片腕」だった。英語が堪能で、戦後、アメリカ軍との免罪交渉で中心的な役割を果たした。
 北野政次は東大医学部卒で、戦後は、北里研交所の病理部長になった。
 戦後、かの有名な帝銀事件が起きたとき、青酸化合物を使い慣れた犯人として、石井部隊にいた人間の関与が疑われ、石井四郎も、それを認めた。ところが途中で、GHQから尋問中止命令が出た。おかしい、怪しい話です・・・。
731部隊には、家族・子どもふくめると3000人もの日本人集団が付属していた。だから、大都会ハルビンの近接(20キロ)に位置した。
 石井四郎はハルビンにある旧ロシア豪邸に住み、お抱え運転手で731部隊の基地に自動車で通っていた。石井四郎の放蕩生活は名高く、料亭や遊郭のない日常生活は考えられなかった。
731基地の工事費110万円というのは、関連軍司令部庁舎の100万円、満州国国務院庁舎の工事費150万円に匹敵するものだった。 
 石井四郎は、建設業からも巨額のリベートを受けとっていた。
 731部隊の基地建設を請け負ったのは、今もゼネコンである大林組だとこの本は推測しています。
大林組は、戦前、日本陸軍と関係がとくに深かった。満州国の主な建築物をほとんど手がけている。それは、上原・陸軍大臣と親密な関係にあることからくるものだった。
弁護士会も戦前戦中は戦争に協力させられたわけですが、この医師たちは自ら人体実験をしていますので、関与の度合いがまるで違いますよね。このような歴史はきちんと明らかにして今後に生かす必要があると思います。
(2015年8月刊。3600円+税)

灘・東大理Ⅲの3兄弟の母、知っておきたい130

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版 ポプラ社 
 読者からの質問に答える形で役に立つ勉強法が紹介されています。全部がやれなくても、その考え方には役に立つところが多いと思います。
著者は、子どもが18歳までは親(とりわけ母親)が子どものそばにいて、思いっきり手を差し伸べてあげることが大切だと強調しています。
親は勉強を教えることだけがサポートではない。情報を集め、子どもと一緒に取り組みながら、やりながら考えていく。親子が互いに信頼しあいながら、成果を出しながら進んでいく。それが受験だ。
子どもの集中力を高めるには、親がそばにいるだけでも効果がある。
子どもの成績を、絶対に同級生や兄弟姉妹と比べない。これは大切なこと。
子どもが3歳までに絵本を1万冊よんであげる。1日10冊。同じく童謡も、3歳までに1万曲。こ、これは、すごい、すごーい・・・。
早いうちから、たくさんの絵本を読み聞かせ、文字を何度も目にすることは、とてもいいことだ。幼いころから英語を習わせるより、美しい日本語を使える日本人として育てたい。
日本語の習得のほうに力をいれた。東大受験のときには、英検準一級はとるのが不可欠。
小学生のときには、親が教材を音読してやるのも効果がある。
中学受験で必要なのは計算力をきたえておくこと。
試験(模試)のときに緊張するのは、勉強が足りない証拠。十分な準備をしていれば、自信をもって試験にのぞむことができる。
実力を伸ばすためには、自分の出来ないところを、いかにつぶすかが勝負。
全教科にふり分ける力が100あったとしたら、そのうち50は算数にあてる。算数は放っておくと鈍りやすい。定期的に量をこなしておくことが大切。
勉強そして受験は、結局のところ、他人との争いではなく、自分との争いだ。孤独と向きあい、うち勝って、前に進む力を身につけるしかない。
子どもに勉強部屋は与えない。親と一緒に学習できる。どんな形でも学習してよい。これで、勉強部屋はリビングになった。
子どもに対して、感情的に叱っても、何にもならない。
このように、とても合理的かつ実践的な答えがあり、これなら私だってやれそうだと思えてくる130の問いと答えです。これで4冊目になりますが、本当にたいした母親です。なかなか、ここまではやれませんね・・・。
私自身は、親の援助を受けず、塾にも高校生のときには行かず、通信教育(Z会)と全国(旺文社)模試を受けただけでした。あとは自己管理と執念でしたね・・・。そして、3歳上の長兄が東大合格したのも大きかったです。身近にそんな兄がいるのは自信を与えてくれます。
(2016年4月刊。1400円+税)

百人一首の謎を解く

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 草野 隆 、 出版 新潮新書 
 お正月のころに登場してくるカルタと同じ、みなさんもよくご存知の百人一首には実はたくさんの謎があるのだそうです。
 「百人一首」は、その歌を選んだ選者が誰なのか、その作成目的は何だったのか、よく分かっていない。
 「百人一首」には、神様仏様や、菩薩と呼ばれるような徳の高い僧の歌は選ばれていない。経文や仏法を歌う釈教の歌もない。
 選ばれた歌人には、幸福な一生を過ごした人は少ない。また、「読み人知らず」の歌は全然ない。
「百人一首」が歴史に浮上するのは、室町時代のころ。定家が没してから190年もたっている。
 この本では、「百人一首」を定家が選んだとか、その名前にかかわったという説が否定されています。
 「百人一首」には、中納言や権中納言、または前中納言という身分の歌人が妙に多い(10人いる)。そして、内裏や政治的中枢から追われたことがある、ないし非業の死をとげた悲劇の歌人が目立つ(17人)。隠者や僧侶の歌人も多い(14人)。
 「百人一首」の歌の多くが、めでたいものではなく、悲しみに満ちたものである。
 全国を旅してまわっていた連歌師は、和歌の師匠として、「百人一首」に注釈を付して流布につとめた。地方の名士や和歌初学の人に示す教科書として、「百人一首」は格好のものだった。「百人一首」は、初学者向けの学習テキストとして重宝された。
「百人一首」に謎があることを知り、また、その謎の本質を知ることができました。引き続き、お教えください。
(2016年2月刊。740円+税)

光陰の刃

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 西村 健 、 出版 講談社 
 九州新幹線の新大牟田駅は田圃のなかにポツンとたっていて、周囲には店らしい店は何ひとつありません。在来線の駅から車で20分以上も離れていますので、乗り継ぎは考えられません。しかも、1時間に1本くらいしか停車しませんので、とても不便です。
その新大牟田駅前に巨大な銅像が佇立しています。そう、大牟田の三池炭鉱を三井の「ドル箱」にした団琢磨です。
団は75歳のとき、日本の経済界のまさに総帥だった絶頂の時点で、右翼(血盟国)の「一人一殺」によって暗殺されてしまいました。
この本は、団琢磨と井上日召(にっしょう)の生きざまを詳しく描きながら、交差させてたどっていきます。
なにしろ557頁もある大作です。しかも、活字が細かくて、読み通すのに骨が折れます。
でも、明治、大正そして昭和のはじめころの時代情景が詳細に書き込まれていますので、
団琢磨の苦労ぶりが手にとるように読めます。
 井上日召は、苦労したあげく予言者として名高い存在になったのですね。
 団琢磨は暗殺されたときに75歳。井上日召は、死刑にならず無期懲役となっていたが、早くも昭和15年10月には仮釈放となって刑務所を出た。死刑どころか、昭和42年3月まで生きていた。
 団琢磨と井上日召には、それぞれ詳しい研究書がありますが、この二人を組み合わせた読み物として完成度は高いと思いました。
(2016年2月刊。1900円+税)

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