(霧山昴)
著者 柴田哲孝 、 出版 祥伝社
1949年(昭和24年)7月5日、初代国鉄総裁である下山定則は出勤前に日本橋の三越本店に立ち寄ったあと、そのまま消息を絶った。これが下山事件の始まりである。
そして、翌7月6日未明、足立区五反野の常磐線の線路付近で遺体となって発見された。
この本は、下山殺害の犯人をアメリカ軍の下にいた謀略部隊として話を展開しています。
下山定則は、国鉄総裁を辞めたあとは、国政選挙に出て代議士になるつもりだった。つまり、自殺するような動機はまったくなかった。
下山を三越本店に呼びつけたのは、計画的に拉致する目的からなされたこと。ただし、拉致したあと、殺害するしかないと考えていたグループと、下山の考えを改めさせればよいと考えていたグループの二つに分かれていた。
GHQのなかにも、国鉄の利権で甘い汁を吸っているグループと、それほどでもないグループがいた。利権派は、下山を役人としてクリーンすぎる、コミュニストに寛容だし、国鉄の電化に反対しているとして嫌っていた。
GSのケーディス大佐を失脚させたのは、吉田政権であり、旧内務官僚と日本の警察関係者だった。スキャンダル(女性問題)を騒ぎたてたのだ。
下山は、アメリカ軍(GHQ)了解の下で、日本の特殊機関の連中から血を抜かれて死亡し、現場に運ばれて列車からひかれた。だから、血が少なかったし、身につけていたはずのものが、いくつも見つからなかった。
これらは自殺だったら、ありえないこと。ところが、法医学教室の鑑定も結論が「まちまち」だった。強引な「自殺」説に符丁をあせた「鑑定」書が出されたのだ。
戦後まもなく日本では謀略がまかり通っていたのですね・・・。
中国大陸で何人も人を殺してきた体験者が下山殺害の実行犯だったようです。
小説(フィクション)だからこそいろいろ書けたようで、勉強になりました。
(2015年6月刊。2000円+税)
下山事件
