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2015年9月 の投稿

ステーキ!

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 マーク・シャッカー   出版 中公文庫
 
私は、マックは食べません。昔、食べたことがありますが、牛肉を食べているのか、添加物を食べているのか分からないようなものは今では食べる気がしません。恐ろしいからです。
牛肉だったら何でもいい。安ければいいというのは、私の信条にあわないのです。
そして、久しくアメリカには行っていませんが、アメリカに行きたくもありません。ステーキといったら、とてつもないボリュームです。しかも、塩とコショウの味つけのみ。繊細な牛肉の味わいを楽しむことができません。もちろん、高級な店では違うのでしょうが、、、。
1850年ころまで、牛は地元で解体されるものだった。生きた牛をカウボーイが都市部まで連れていって、肉屋がステーキやロースト用に切り分けていた。一切の品質管理は、カウボーイにゆだねられていた。
今や、牛肉は、とうもろこし、砂物、ゴム、大豆、ウラン、原油、銅、パーム油と同じ、量産品である。大量に生産され、画一的で、生産の予測ができる。
霜降り牛肉を手に入れるには、蒸したとうもろこしフレークを牛に大量に与える。
餌にまぜこまれた抗生剤のおかげで、肝臓や他の臓器の働きが保たれるため、98%の牛が精肉工場からのトラックで迎えに来るまで生きている。牛を大きくして肉を安くするために投与するホルモン剤は、味に影響しない。
牛はストレスに弱い。牛も鶏も豚も、なんでもかんでも早く成長させようとしすぎだ。それでは、風味は生まれない。
おいしい牛を育てるには草を食べさせること。自然な状態にある牛は草を食べたがる。草を食べていると肝膿瘍にならないし、第一胃も酸性化しない。穀物肥育の牛の体脂肪は、飽和状態で、脂分過剰で動脈を詰まらせかねない。これに対して、草肥育の牛の脂肪は、天然の鮭の脂肪に似て、より健康的。草肥育牛は、牛肉らしい味がする。
日本の名産牛も、もちろん登場します。ここでは、九州の佐賀牛と鹿児島牛についての記述を紹介します。
どっちも、サイコロ型の肉を上下の奥歯でつぶすとジェル状の中味がプシュッと飛び出す食感が面白い。牛肉のおいしさがあふれ出す様子は強烈。完熟バナナみたいにやわらかくて、かといってベチャベチャでもドロドロでもないし、組織はちゃんとあるのに、嚙んでも抵抗がない。
日本の牛は30ヶ月かけて完成する。アメリカの肥育場の5ヶ月と比べて、ずい分長い。松坂では、35ヶ月かけて仕上げた牛には、検査官が5よりもさらに高いランクを付ける。特産松阪牛と呼ばれるその肉の霜降りとやわらかさは、他の追随を許さない。
現代のステーキの風味は、牛肉の風味とは違う。大量生産されるものと、甘酸っぱいソースの風味。そんなものは混じり気のないおいしさとは言えない。本物のステーキを一度でも味わったら、とてもおいしいとは思えなくなる。
福岡の西中州にある「和田門」で、私も本当の牛肉の美味しさに開眼しました。また、地元の肉屋さんから、とび切り美味しい牛肉を何回か分けていただきました。いずれも素材の違いを実感しました。食べる餌と飼育方法がまったく異なるのですね。 
アメリカ式の大量生産方式の牛肉は、マックのように化学調味料で味付けして、ごまかすわけです。
美味しい牛肉を食べたら、あとは、もうベジタリアンになるしかないですよね、、、。
(2015年1月刊。1100円+税)
 

ウルフ・ウォーズ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  ハンク・フィッシャー 、 出版  白水社
 アメリカのイエローストーン公園にオオカミを復活させる取り組みをたどった本です。
 オオカミは、かつては嫌われものの筆頭でした。赤ずきんちゃんの話でも、オオカミは悪い奴として登場します。なので、オオカミを打ち殺すのは当然という風潮がしっかり社会に定着していました。同じようにピューマが家畜を襲っても、ピューマを根絶やしにしろという声が起きたことはありません。ピューマを見た人が少ないこともありましょうが・・・。
 アメリカ北部のオオカミの回復は軌道に乗っている。そのための一つは、家畜生産者がオオカミの被害にあったとき、民間の基金によって補償金を支払うという制度をつくったことです。その二は、自分の土地でオオカミが子を産んだとき、その土地の所有者に5000ドルを提供するようにした。
 オオカミを復活させるためには、やはり、このような経済的手当も必要なのですね・・・。
 1930年、アメリカのほとんどの州からオオカミの姿は消えてしまった。かつて、イエローストーン地域だけでも、オオカミは3万5000頭以上いると推定されていた。オオカミがいなくなると、シカが急速に増えはじめた。
 1995年1月、アメリカの魚類野生生物局は、カナダから空輸してきたオオカミ4頭を原生地域に放した。
 いま、イエローストーン公園には、年間350万人もの観光客が押し寄せる。そして、その相当部分がオオカミ目当てだ、ここではオオカミによる人身事故は起きていない。オオカミ目あての観光客は、地域経済をうるおし、オオカミの復帰で回復した自然は世界中から来る観光客を魅了するだけでなく、教育の場として、多くの親子連れや学生たちでにぎわっている。
 オオカミの大半は、発信機なしの野生のままの状態で生息している。人々は、それを見て、当たりまえのことと思っている。
日本でも、北海道でエゾシカやキタキツネが増えすぎていることが以前から問題になっています。それもオオカミがいないことによる現象の一つです。
 日本でオオカミを復活させるのはできないのでしょうか?
 ちなみに、オオカミが人を襲う心配は、ほとんどないということです。
            (2015年4月刊。2600円+税)

ごみと日本人

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  稲村 光郎、 出版  ミネルヴァ書房
 江戸時代の末期、開港させられた日本は、ヨーロッパにボロを輸出していた。金額にして8千ドル。これは、磁器や和紙より多い。ヨーロッパは、日本のボロを洋紙の原料にしていた。
 当時の日本では、ボロは主として衣類の補強材として使われていた。
 さらに、もっと価値ある輸出品として屑まゆや屑糸が、ヨーロッパでは工業製品である「絹糸」の素材になった。絹糸は、まゆから直接製糸する生糸とは異なり、屑糸や真綿など短い繊維を紡いでつくるもの。ヨーロッパは、絹糸紡績の原料をアジアで求めていた。
 以上、二つは私の知らない話でした。
 江戸時代、屎尿と同じようにごみも農村へ運ばれ、有機系肥料として利用されていた。 
 明治10年ころの日本にいたモースは、日本人の清潔さに驚いている。しかし、他方で、日本人は、町内のごみが腐敗臭を放っているのを問題とし、新聞は投書を載せていた。
 明治10年代の日本でコレラが流行し、8000人が死亡した。
 紙屑が本格的に洋紙原料として、重要視されるのは、さらに昭和になってからであり、古雑誌や新聞は一般市民が日常生活上で再使用するのが常識だった。
 ごみをめぐる日本社会の扱いの変遷がまとめられていて、大変興味深い内容でした。
 
(2015年6月刊。2200円+税)

徹底批判!カジノ賭博合法化

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 全国カジノ反対連絡協議会   出版 合同出版
 
日本はすでに世界一のギャンブル大国と言われる。パチンコ、スロット、競輪、競馬、競艇、オートレースと、、、。
全国のパチンコ店は、減ったといっても、まだ1万2000店以上もある。
カジノの収益の90%は、10%のギャンブラーに依存している。大金を賭ける優良顧客は10%であり、優良顧客をいかに確保するかがカジノ収益を左右する。
カジノ企業は、1人でも多くの客をギャンブル依存の状態に誘導し、「滅びるまで賭け」させ、限られた「優良顧客」から高収益を得ている。
アメリカでは、一般受刑者の30%がギャンブル依存症だと言われている。
日本ではギャンブル依存症の60%に500万円以上の借金がある。
日本にカジノを設置しようとしているのは、日本に来る外国人の金持ちが狙いではない。あくまで、日本人ギャンブラーからお金を吸い上げようというもの。ここをカジノ協議連盟などのカジノ推進派はごまかしている。
カジノの「経済効果」とは、「不幸をまき散らすビジネス」でしかない。
カジノの実現を狙う議員の多くは、戦争法案の推進派でもあります。根っこはひとつ。自分の金もうけのためには、国民の多くが不幸になってもかまわないという我利我利亡者であるということです。情ない連中です。
   (2014年8月刊。1200円+税)

人びとはなぜ満州へ渡ったのか

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 小林 信介   出版 世界思想社
 
戦前の満州(現在の中国東北部)には、100万人をこえる日本人がいた。その3分の1は農業移民だった。そして、長野県は満州移民をもっとも多く送り出した。
満州への農業移民には、3つのパターンがあった。
自由移民・・・個人単位で満州に渡った。
分村移民・・・ひとつの村が送り出しの母体となって移民を送り出す。
分郷移民・・・近隣町村が合同してひとつの開拓団を組織した。
戦前の恐慌は1934年が底で、その後は長野県の経済は回復傾向にあった。そして、徴兵・徴用が相次いだことから、農村は労働力不足の状況となった。そこで、農家の過剰人口を前提とする大量の移民送出は困難になったが、大陸政策上の理由から、満州移民は要求され続けた。
一般開拓団が行き詰まりをみせはじめると、多くの青少年が義勇軍として満州へ送られた。関東軍の予備兵力である。
1945年8月9日、ソ連軍は満州へ侵攻を始めた。このとき、関東軍は主力が南方に派遣されており、また、関東軍による「根こそぎ動員」によって満州各地の開拓村には壮年男子はおらず、老人、女性、子どもが残されていた。
満州開拓は、日本の大陸侵略を前提としたものであり、満州の大地に根をおろしていなかった。現地の中国人は、開拓民をうらんでおり、日本人を歓迎するどころではなかった。
長野県が送り出した開拓民2万6000人のうち、日本に帰還したのは1万1000人ほど。半数以上が日本に帰国していない。帰国できなかった。
この本は、阿智村の長岳寺の住職・山本慈昭氏の活動を紹介しています。私も先日、映画『望郷の鐘』をみました。山本慈昭氏ら開拓民の悲惨な体験を身近に実感できる内容の映画です。泣けて仕方がありませんでした。2013年4月には、満蒙開拓平和記念館が開館しています。
長野県が青少年を満州へ義勇軍として送り出すのが多かった原因の一つに、教師が農家の二・三男をそそのかしたことがあげられる。それは、前段に長野県では「教員赤化」事件で138人という、大量の意欲的な教師が特高警察から逮捕されたこと、このとき信濃教育会も当局からにらまれたことによる。そこで、信濃教育会は、「海外発展」を打ち出すことによって信濃教育会への風当たりを援和させようとしたのだろう。
国の政策(国策)は、コロコロ変わる。その犠牲(しわ寄せ)は国民にかぶってくる。
このことを改めて実感させられる本でした。アベ政権にだまされてはいけません。「国を守るため」というのは、「国民を守る」ことに直結しておらず、矛盾することが多いことを学ぶべきだと痛感させられました。
(2015年8月刊。2500円+税)
 

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