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ごみと日本人

(霧山昴)
著者  稲村 光郎、 出版  ミネルヴァ書房
 江戸時代の末期、開港させられた日本は、ヨーロッパにボロを輸出していた。金額にして8千ドル。これは、磁器や和紙より多い。ヨーロッパは、日本のボロを洋紙の原料にしていた。
 当時の日本では、ボロは主として衣類の補強材として使われていた。
 さらに、もっと価値ある輸出品として屑まゆや屑糸が、ヨーロッパでは工業製品である「絹糸」の素材になった。絹糸は、まゆから直接製糸する生糸とは異なり、屑糸や真綿など短い繊維を紡いでつくるもの。ヨーロッパは、絹糸紡績の原料をアジアで求めていた。
 以上、二つは私の知らない話でした。
 江戸時代、屎尿と同じようにごみも農村へ運ばれ、有機系肥料として利用されていた。 
 明治10年ころの日本にいたモースは、日本人の清潔さに驚いている。しかし、他方で、日本人は、町内のごみが腐敗臭を放っているのを問題とし、新聞は投書を載せていた。
 明治10年代の日本でコレラが流行し、8000人が死亡した。
 紙屑が本格的に洋紙原料として、重要視されるのは、さらに昭和になってからであり、古雑誌や新聞は一般市民が日常生活上で再使用するのが常識だった。
 ごみをめぐる日本社会の扱いの変遷がまとめられていて、大変興味深い内容でした。
 
(2015年6月刊。2200円+税)

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