(霧山昴)
著者 玄 吉彦 、 出版 岩波書店
済州島四・三事件を子どもの目を通して自伝的小説です。
戦前、数えで7歳になって小学校に入った。牛をたくさん飼っているので、村の人たちからは金持ちの家だと言われている。
叔父は、漢文の本をたくさん読んだ長老として尊敬されている。
叔父に召集令状がきた。家の中に雰囲気が一変した。ぼくは、叔父が兵隊になるのがこの上もなくうれしかった。ところが、他の人はそうでもないのが不思議だった。
ぼくたち子どもは、戦争ごっこをした。日本兵と米軍とに別れて戦う。戦いは、いつも日本軍が勝った。
ぼくは、日本の兵隊も死ぬということが理解できなかった。銃もある。刀もある。大砲もあるのに、死ぬなんてバカなことがあるものか。
5歳上の兄がぼくの頭にげんこつを喰らわして叱った。
「兵隊になるって?人を殺す兵隊になるというのか。このバカ!」
叔父が戦死した。叔父は米軍のやつらと戦って死んだ。本当に立派で勇敢な人だと心から思った。
日本が戦争に負け、われわれが植民地支配から解放されたその時、ぼくは数えの8歳だった。それまで、学校では日本語ばかり勉強してきたので、ハングルはまったく知らなかった。
父は町長になった。ある晩、若い男たちがやって来て、父を連れ出した。父は帰って来なかった。二日目、村はずれの海岸の崖下の岩のあいだに死体で発見された。両手をしばられたままだった。
パルチザンの襲撃で家を失った村人たちは、焼け跡に急場しのぎの風よけをして数日をすごした。やがて、派出所と小学校を中心にして、石で城壁を築きはじめた。
山から下りてきたパルチザンは村を襲撃し、おおぜいの村人を殺した。討伐隊にとらえられたパルチザンザンたちは、学校や村はずれの海岸で処刑された。
ぼくら子どもたちは、またもや戦争ごっこに熱中した。ゲリラを捕まえて処刑する戦争ごっこは、1年生にのときにやっていた米軍と日本軍の戦争ごっこより面白く興味をそそった。ぼく自身が父を殺されてパルチザンに憎しみをもっていたからだ。
パルチザンは、本当にぼくの敵だったから、遊びといえども、やつらと戦って勝つと、気持ちがよかった。共産ゲリラによって家を失い、家族を失った子どもたちは、ゲリラを討伐する戦争ごっこに熱中した。ぼくらの戦争ごっこは、実際に起こりうる事件だった。
「戦争って、だれが起こすのかしら?」
「人間だろう」
ぼくは、ためらうことなく答えた。
戦争中には、ぴりぴりして、浮き足立っている人々がいた。
戦争に行った叔父やそれを見送った村の人たち、四・三事件のときの近所の人たちの目つきもそうだった。人が起こした戦争で人が死に、家を失い、故郷を去り・・・。
戦争が、どのような状況で起きるのか、そして進行していくときの社会状況を生々しく再現した小説です。いま、安倍首相と自民・公明の両党は日本と世界の平和を守るためと称して、嘘八百を平気で並べ立て、国民をだまして戦争へ駆り出そうとしています。
弁護士会は、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局元長官などとともに、この憲法違反の安保法制法案の廃案を目ざしてがんばっています。ぜひ、一緒に声をあげてください。
(2015年3月刊。2700円+税)
巣から何かが落ちてきました。
ヒヨドリの幼鳥です。あっ、子育て中だったんだ、何があったのか。幼鳥は、地上の草むらで鳴いている。どうしよう・・・。
まだ2羽のヒヨドリはうるさく鳴いている。あれれ、巣からヒモがぶら下がってきた。えっ、ヘビだ。ヘビ。ヘビが木の枝にぶら下がって、口には、もう1羽の幼鳥をくわえている。緑っぽい、白いヘビ。そして、揺れたあげく、どさっと落ちた。
きっとアオダイショウだ。あーあ、2羽目の幼鳥は食べられてしまったな。
一羽目の幼鳥が地上で鳴いているのを見つけた2羽のヒヨドリは、近くを飛びまわる。
このままにしたら、2羽ともヘビに食べられてしまう。それも可哀想。とりあえず、ダンボール箱にその幼鳥を入れてみた。
すると、ヘビが落ちた草むらで何かが動いた。もう一羽も助かったのだ。
戦争ごっこ
