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2015年6月 の投稿

タコの才能

カテゴリー:生物

                               (霧山昴)
著者  キャサリン・ハーモン・カレッジ 、 出版  太田出版
 オクト・パスは受験生必勝グッズです。
 タコは8本の足に3つの心臓をもち、変幻自在に皮膚の色を変えることができる。血液は青く、賢い生物。
 タコは、一生のほとんどをひとりぼっちで過ごす。タコは繁殖のときのほかは、仲間と付き合おうとはしない。タコは単独行動で、引っ込み思案のうえ、夜行性である。
 タコは、タラやイカとちがって群れない。巣穴にひとりで暮らし、ひたすら人目を忍んで自分の居場所を確保する。タコには、縄張り意識はあまりない。
 タコのスミには、チロシナーゼという成分が含まれている。敵の目をひりひりさせ、嗅覚や味覚を混乱させて追っ手をまくためのもの。
 タコはアメリカの食卓では、めったに見かけないにしても、世界じゅうでは何百万人もの人々が口にしている。アジアや地中海では、何千年もの前からタコは定番料理になっている。
 タコは、ほぼ全身が筋肉と言ってよい。だから、タコを捕まえたら、石で30~40買いたたくべきだとも言われる。タコは冷凍すると、食感が良くなる。冷凍されると、いちだんと身がやわらかくなる。
タコを解剖すると、青い血が出る。タコの血は、酸素を含んでいるときには青く、酸素が欠乏してくると、だんだん色味が薄れて透き通ってくる。
 タコは、横歩きするカニや逃げようのない二枚目が好物だ。
 太平洋のタコは、1時間のうちに177回も色や模様を変えることができる。
 タコには、3億個の神経細胞がある。人間は1000億個だ。
 タコは、おもちゃと遊ぶのを好む。
 タコって、賢いのですね。バカには決して出来ません。それにしてもタコ焼きって久しく食べていませんが、おいしいですよね。タコの見直しを迫られる本です。
(2014年3月刊。2300円+税)

『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  瀬川 裕司 、 出版  平凡社新書
 映画『サウンド・オブ・ミュージック』をもう一度ぜひみてみたいと思わせる本です。
 この映画の出だしは素晴らしいですよね。森のあいだに平らな草原が開けている風景。そして木々に囲まれた平地に、小さな人影が見える。そして、ジュリー・アンドリュースが登場し、両手をあげて歌いはじめる。
 この本によると、ヘリコプターからカメラをまわして映像をとったそうですが、十数回もとり直しがあり、そのたびにプロペラの強風を受けてジェリーは、地面に倒れていたとのこと。
 たしかに、それだけの圧倒的な迫力がある冒頭シーンです。
 このとき、ジュリーは、白樺のなかで歌をうたう。ところが、この白樺は、映画のために一時的に植えられたものだった。歌詞にあわせるために・・・。
 小川が見え、ジュリーが小川に沿った走る場面がある。この小川も、映画制作スタッフが牧草地を掘り、シートを敷いて水を入れたもの。水の表面のさざ波も、人工的なもの。
 いやはや、映画人は細かいところまで苦労しているのですね・・・。
映画では少女のように見えるジュリーは、実年齢は28歳。モデルになった女性は21歳だった。
 ジュリーがギターをかかえて、丘の上にある広い草原で子どもたちと一緒に歌うシーンがある。実際の場所は、急斜面のなかの、そこだけが平らな場所になっているところに、カメラを低い位置にすえてとっている。まさしく映画の魔術だ。
 オーストラリア人は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』を嫌っているそうです。というのは、映画のなかでうたわれる「エーデルワイス」という曲が、本当のオーストラリア愛唱歌ではないから。
 ジュリーは、実母が夫以外の男性との不倫によって生んだ娘だった。母が離婚した相手の義父からジュリーは性的虐待を受けていた。このことは本人が告白している。
 それでも、ジュリーの、圧倒的な歌唱力、演技力、そしてなにより愛らしさに、心底から惹かれてしまいます。
 トラップ一家は、実際には、鉄道でイタリアに行き、ロンドンからアメリカに行った。つまり、山ごえなどしていない。それでも、トラップ・ファミリーとしてアメリカでコンサート活動をしたのは事実でした。
 この映画の魅力を解説し、ロケ地に実際に行ってみるなど、映画の登場人物の紹介など、ワクワクさせられます。この本を読んで映画をみると、面白さが倍増します。
(2014年12月刊。780円+税)

腸が寿命を決める

カテゴリー:人間

                               (霧山昴)
著者  澤田 幸男・神矢 丈児 、 出版  集英社新書
 人間が生きていくうえで必要な栄養素と水分を体内に取り込む(吸収する)ことができるのは、腸だけ(胃はビタミンB1、鉄、カルシウムは吸収する)。
 人間が病気になるのを防ぐ、からだの「免疫システム」の80%は、腸が担っている。
 口の中でのそしゃくが不十分だと、口から取り入れた食べ物は半分ほどしか消化されずに体外へ排出されてしまうことになる。そしゃくはきちんとしないと、食べ物にふくまれた栄養素の消化・分解の下準備ができない。
 胃に入った食べ物は、胃壁から分泌される強力な胃酸で殺菌される。
 十二指腸がないと、人間は生きていくことができない。
 大腸は、栄養素を吸収することはできるが、消化できない。
 大腸には、消化のための酸素を出す機能はない。大腸内には、無数の外来細菌がすみついている。人間ひとりにつき、100種類を超え、合計数は100兆個以上になる。
 善玉菌(乳酸菌類)は、人間の身体には存在しない消化酵素をもっている。
 酵素は、小腸で消化できなかった残りの栄養素、とくに食物繊維やオリゴ糖などの糖質類を分解し、大切なエネルギーを作り出してくれる。
 健康な人の場合、便の80%は水分である。食べ物の残りカスは、3分の1ほどで、残る3分の2は、さまざまな現象によってはがれ落ちた腸内細菌だった。
 腸は、もっともっと大切にされるべきだという点は、私もまったく同感です。
(2015年4月刊。740円+税)

大脱走

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  サイモン・ピアソン 、 出版  小学館文庫
 1963年の映画『大脱走』は、私の若いころにみた忘れられない映画の一つです。スティーブ・マックィーンの格好いいオートバイ姿を思い出します。
 この本は、3度目の大脱走を敢行したロジャー・ブッシェルの実像を紹介したものです。実話だったのですね。しかも、捕虜収容所からの3度目の脱走だったとは、驚いてしまいます。
 映画の主人公でもあるロジャー・ブッシェルは、イギリスの空軍少佐でしたが、イギリスの弁護士でもありました。
ロジャー・ブッシェルは、ケンブリッジ大学卒の法廷弁護士だった。ロジャーたちは、11ヶ月かけて、収容所から外へ通じる3つの地下トンネルを掘りあげた。
 このとき、200人の捕虜が脱走する計画だった。そのため、偽造パスポート、コンパス、地図、食料、民間人の服、ドイツ軍の軍服を身につけていた。
 ロジャーは、9カ国語を話せた。フランス語も、ドイツ語も得意だった。すごーい、ですね。
 イギリス軍では、脱走マインドが軍隊のなかに植えつけ、育てられていた。脱走は将兵の義務である。軍人は、捕虜となっても、現役の戦力であり続けるのだ。日本とは、大変な違いですね。
トンネルの立坑は、振動音を記録するマイク音を拾えない深さまで掘られ、寝台や羽目板からはずしてきた木の板を支柱にして、頑丈にし、電灯で照らされ、換気システムも取りつけられていた。
 掘削はチームでおこない、安全と思われたときだけ作業することになっていた。安全が最優先だった。
 トンネルは、三つ。三つあれば、一つが発見されても、残りの二つに頼ることが出来る。
 トンネルを照らすための電力は、建物の二重壁のあいだを通っているドイツ軍の配線を分岐させることによって得られた。リード線は、二重壁の中を通り、そのあと床下から立坑へと通っていた。昼は電気が止められ、その代わりにマーガリンに詰めたランプが使われた。それは1回に1時間だけ灯り、毎夜、点検のために携行された。
 立坑が完成してからは、作業は朝の点呼のあとに始まり、夕方の点呼の数分前まで続けられ、そのあとトンネル掘削者の二番目の交代組が地下にもぐり、門限の直前まで作業した。この作業は三交代制だった。各作業員は6人だった。
 立坑と三つの部屋を掘るために3つのトンネルから、それぞれ12トンずつの砂が出た。さらに、トンネルを3フィート掘るたびに1トンの砂が出た。これを「ペンギン」となって、散布場所までもっていく。
この脱走プロジェクトに何らかの役割で参加していた600人のうち500人が脱走への参加を希望したが、定員は200人だった。最初の30人は、ドイツ語を自由に話せるなど、脱走成功が高いと脱走委員会が認定した人たち。残りは、さまざまな投票によって決められた。
 「みんなを国に帰すだけが目的じゃない。ドイツ兵のとんまどもの顔に泥をぬるうことにもなるし、脱走兵の捜索にドイツ軍の兵力を使わせることにもなるんだ」
 実際にトンネルから脱走したのは76人だった。それでも大戦中の脱走としては最大規模のものとなった。そして、大半のものが捕まり、銃殺された。それでも、3人の航空兵はイギリスに帰還することができた。
33歳で生涯を閉じたビッグXの壮絶な人生を知ることができました。
(2014年2月刊。924円+税)
 明日(13日)の土曜日は、午後2時から福岡市民会館(大ホール)で、弁護士会主催の安保法制に反対する市民集会とパレードが企画されています。雨は降らないようですので、ぜひ近くの方はお出かけください。
 それにしても、安倍政権の暴走ぶりはひどいものです。3人の憲法学者が国会で一致して違憲と明言したのは当然ですが、これを安倍政権は無視して強行採決にもち込もうとしています。こんな憲法違反は許せません。

天草四郎の正体

カテゴリー:日本史(江戸)

                              (霧山昴)
著者  吉村 豊雄 、 出版  洋泉社歴史新書
 島原・天草の乱には、「歴女」でなくても、大いに心が惹かれます。
 関ヶ原の戦い(1600年)から40年もたっていない1637年(寛永14年)、百姓を主体とする大規模な武力闘争事件が起きたのです。
 3万人をこす一揆群が幕府軍に皆殺しされ、この天草の「乱」は収束しました。
 私も「原城」跡に行ったことがあります。今では海に面した小高い丘があるだけです。現地に立つと、こんな狭いところに3万人もの人々が何ヶ月も生活し、最後には幕府軍によって全滅させられたというのは信じがたい思いがしました。
 この本は、天草四郎は、実は、一人ではなかったと主張しています。「四郎」とそっくりの少年たちが大勢いたことを強調しているのです。
 天草四郎は、「乱」の最後まで生きていたのですが、3万人もの一揆勢の前にはほとんど姿を現していなかったようです。不思議です。ごくごく狭い城内にいて、天草四郎が姿を最後まで3ヶ月のあいだ一揆勢に見せず隠しとおせたというのは、どういうことなのでしょうか・・・。
 島原・天草一揆(島原の乱の別名)の1年ほど前に、松倉・寺沢両家から若衆たちが集団で逃走していた。こんなこと、ちっとも知りませんでした。
 著者は、「島原の乱」を次のようにみています。
 この一揆は、百姓主体の一揆ではあるが、いわゆる百姓一揆ではない。蜂起の時点で領主側(代官)の血を流し、領主側との「合戦」と城攻めをくり返しているように、訴願に基礎を置く百姓一揆的な妥当性を切り捨てた、百姓一揆への退路を断った武力闘争、一種の「戦争」であり、有馬・小西の時代のような「キリシタンの時代」に回帰することを求めた、ある種の「聖戦」であった。
 島原・天草の状況は、キリシタン信仰へ立ち帰ったというより、ひそかに信仰を継続していた人々が信仰を公然化させたという形跡が強い。
 原城に籠城した男女は3万人以下の2万8千人ほど。軍事指揮にあたる軍奉行に牢人層が配され、村役人クラスが村々を持ち場ごとに配置した。城中は、「凝縮された村社会」を基礎にした籠城体制をとっていた。
 寛永12年末に、松倉家から、47人の家臣が退去し、牢人となった。そして、そのなかから一揆の首謀者があらわれている。
 一揆勢の盟主であり、総大将である四郎のもとに、数十人の若者・少年が組織されていた。
 幕府は、天草に「わらんべ共」は、生け捕りにして、火あぶりに処せられるべきとの命令を出した。むき出しの敵意を示している。
 天草四郎なる人物は、その最期まで一揆の全過程を通じて一揆勢の前に姿を現したことを確認できない。代わりに出てくるのが、「四郎のごとく」出で立ちをした四郎の分身たち、「十六、七の前髪の若者」たちだった。その存在は、具体的であり、可視化されている。
 一揆勢には、20人ばかりの「四郎のごとく」出で立ちをした「16,7の前髪の若者」たちがいて、どれが四郎本人であるが、教えられていなかったのではないか・・・。
 私は、この指摘を受けて、なるほど、そうだったのか・・・、と思わずつぶやいてしまいました。いま、原城跡には天草四郎の銅像が立っています。よく写真で紹介されていますが、海に顔を向けています。
 一揆勢はポルトガル船の救援を待っていたという説があります。平戸のオランダ商館長は、1638年5月1日(寛永15年3月18日)の日記に、四郎について、17,8歳の無名の人で、その首は見つからなかった。行方不明になったもの思われる」と書いているそうです。私も、なんとなく、そういうことじゃないのかな・・・、と思いました。
 世の中は、不思議だらけです。ですから、面白いのですよね。
(2015年4月刊。950円+税)

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