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2014年12月 の投稿

ヒトラー演説

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  高田 博行 、 出版  中公新書
 ヒトラーの演説の移り変わりを丹念に分析した本です。大変興味深い内容でした。
 1913年、ヒトラーは、ウィーン時代と同じくミュンヘンでも絵を売って生計を立てていた。そして、マルクス主義に関する本を読みあさった。信奉していたのではなく、「破壊の教義」と考えていたのです。
 1920年ころ、ヒトラーの演説は夜の8時半に始まって、11時ころに終わった。ふつう2時間は演説した。このころ、1年半前には民主主義と社会主義の夢にとりつかれていた民衆が、今や国粋主義に熱狂している。
 ミュンヘンのビアホールには、面白い見世物があるのを楽しもうという人々が集まった。そこでは、大げさぶりが一番通用する場所だった。ヒトラーは、きちんとした演説原稿を用意することはなかった。その代わり、演説で扱うテーマについて、扱う順番にキーワードもしくはキーセンテンスを書いてまとめたメモを作成した。そのメモを手元に置いて、演説をはじめ、演説を終わることができた。
 1923年11月のミュンヘン一揆の失敗でヒトラーは刑務所に収監されたが、その獄中生活は待遇が良く、『我が闘争』の原稿をつくった。ヘスに自分の考えを口述筆記させた。
 大衆の受容能力は非常に限定的で、理解力は小さく、その分、忘却力は大きい。
 大衆は、頭の回転が遅いため、一つのことについて知識を持とうという気になるまでに、常に一定の時間を要する。したがって、もっとも単純な概念を1000回くり返して初めて、大衆はその概念を記憶することができる。多くを理解することができない大衆の心のなかに入り込むには、ごくわずかなポイントだけに絞り、そのポイントをスローガンのように利用する。
 演説家は、その時々の聴衆の心に話しかけることが大切だ。
 聴衆の反応をフィードバックしながら演説を修正していくことが必要だ。
 同じ演説するにしても、どの時間帯でするかによって、効果に決定的な違いがある。
 朝10時では、さんざんだった。晩の方が午前より印象が大きい。晩には、人間の意思力はより強い意思に支配されやすい。
 ヒトラーは、敵対的なあり方をユダヤ人に代表させて、唯物主義、金銭至上主義として表現している。聞き手は、共通の敵が設定されていることによって、集団としての一体感を獲得する。ヒトラーは、演説のとき、「わたし」ではなく、「われわれ」をもちいる。
 知識層を好まないヒトラーは、初めは大学生をナチ運動に取り込むことに積極的ではなかった。しかし、合法政権を掌握したあと、考えを改め、ナチス学生同盟を重視するようになった。
 1930年、ヒトラーの演説を聞いた人は、次のように報告した。
 「彼はタキシードに身を包んでいた。ヒトラーは生まれながらの弁士だ。徐々に高い熱狂へと上りつめ、声は次第に大きくなる。大事なところは、両手をあげて繰り返して言う。その後すぐに、牧師のように両手を胸に当てて語る」
 聴衆の期待感、切望感を高めるため、ヒトラーは演説会場に意図的に遅れて到着した。
 1932年、ヒトラーは、オペラ歌手から発声法の個人レッスンを受けた。
 「最初はできる限り低い声で語る。そして、あとで高めていく。それまで大きな溜ができる。静寂と劇場のちょうど間に、弾劾する声を置く」
 「前列に目をやるのではなく、常に後ろのほうに目を向けておかないといけない」
 ヒトラーが政権を握る前のナチ運動期の演説でよく出てきた名詞は「人間」そして「運動」だった。それが、ナチ政権期には、「国防軍」「兵士」「戦争」などに変わった。
 ヒトラーが公共の場で演説することが少なくなったことから、人々はヒトラーとのつながりが減り、溝が広がっていった。大きな演説は、1940年に9回、41年に7回、42年に5回、43年は2回のみ。
 ヒトラーの演説に力があったのは、聴衆からの信頼、聴衆との一体感があったから。ラジオを通してヒトラー演説を聴く国民には、今や信頼感が全く欠けていた。この現実を前にして、弁論術はそれ自体いくら巧みで高度なものであったにしても機能せず、国民のなかに入っていくことはできなくなっていた。演説内容と現実とが極限にまで大きく乖離し、弁論術は現実をせいぜい一瞬しか包み隠すことができないでいた。
マイクとラウドスピーカー、そしてラジオという新しいメディアを駆使したヒトラー演説は、政権獲得の1年半後には、すでに国民から飽きられはじめていた。
 ヒトラー演説は、常にドイツ国民の士気を高揚させたわけではない。
 ヒトラー演説の絶頂期は政権獲得前の1932年7月の全国53カ所での演説だった。
 恐るべき狂気の天才的扇動家であるヒトラー演説がよくよく分析されていると思いました。ポーズだけで騙されてはいけないということですよね。安倍首相には、要注意です。
(2014年6月刊。880円+税)

平和と命こそ

カテゴリー:社会

著者  日野原 重明・宝田 明・澤地 久枝 、 出版  新日本出版社
 憲法九条は世界の宝だ。
 こんなサブタイトルのついた、読めば元気の出てくる本です。
 医師、俳優、作家の三人が自分の体験をふり返りながら、平和の大切さ、そして憲法九条への思いを熱く語ってくれます。
 初めは澤地久枝さんです。
 私は、バカな戦争中の軍国少女であったことを自覚して以来、戦争はやってはならないと思ってきた。原発はやめたい、核兵器のすべてをなくしたいと思って生きてきた。
 自分の収入とか地位とかが脅かされるということで逃げたか?
 私は一度も逃げたことはない。
私は、日本の敗戦を中国東北部(満州)の吉林で迎えた。
14歳だった。そのときから国というものを信用していない。
自衛隊は憲法違反だから、あれをなくして、それに代わるものとして災害派遣隊を税金でつくったらいい。
 憲法は、すごい危機の下にある。九条を吹っ飛ばし、96条も骨なしにして、日本がアメリカの同盟国として、いつ終わるとも分からない戦闘状態に入っていく、その前夜に私たちはいる。
 私は、権力に対して非常に警戒的で、闘争的かもしれない。でも、権力は、放っておけば悪いことをする。
 私のことを「アカ」と言う人がある。権力に対してハッキリものを言うのが「アカ」ならば、日本中みんなが「アカ」になればいい。そうしたら、政治は確実に変わる。せかっく、この時代に生まれてきて、やられっぱなしでは悔しいではないか。一人一人の力は小さくて弱くても、少しずつ少しずつ広がっていったら、確実に世の中を変える力になる。
 二番手は、俳優の宝田明さん。1934年4月に、朝鮮の清津(チョンジン)で生まれた。
 敗戦のとき、ハルビンにいて、小学5年生だった。
 8月16日、ソ連の85トンの重戦車が何十台もハルビンの中心部へ進入してきた。
 戦後、日本に帰ってきて、俳優になることができました。1954年(昭和29年)11月、映画『ゴジラ』は、961万人という観客を動員した。宝田さんはその主役に抜てきされたのです。
私をこれまで支えているのは、日本へ引き揚げてきたときの辛い体験だ。
日本を守るというのなら、武力とは違った方法で守ったらいい。どこかの国に加担したり、どこかの国におんぶしてもらう必要など全然ない。戦争が起こる前に行動するのが、外交そして政治というもの。
 間違っても、あのような戦争を二度と起こすまい。日本は世界に冠たる憲法九条をもっている国だと言うことを、声を大にして強く発していくときだと思う。
 憲法九条は、世界の宝だ。日本に軍事力はいらない、軍隊もいらないと宣言したのだから、世界の誰に恥じることなく、もっと堂々としていたらいい。
 最後の三人目の日野原さんは、100歳をこえて、今なお現役の医師です。
 敗戦のとし、1945年3月10日未明の東京大空襲のとき、聖路加国際病院で内科医長をつとめていた。アメリカ軍は、日本を占領したとき、この聖路加国際病院を接収してアメリカ軍の野戦病院とするつもりだったので、あえて爆撃はしなかった。
 人は創(はじ)めることさえ忘れなければ、いつまでも若い。いい言葉ですよね、これって。
 私は、人を殺す戦争というのは、基本的によくないから、自衛隊が国防軍になるようなこと、アメリカやその他の国の兵隊と一緒に任務につくようなことはやめて、沖縄その他の基地をできるだけ縮小して、そして10年後には、日本からアメリカの軍事基地をなくしたい。
 今のままでは、自衛隊が国防軍になり、空軍や陸軍、海軍が必ずできるだろう。これは、たいへんなこと。せっかく憲法九条で戦争を放棄したのだから、放棄した時点にもう一度戻り、世界の平和のために、大きな志のもとに団結しようではないか。
 勇気ある行動を起こすためには、まず自分を変えなければいけない。
 よき友をもとう。未来に向かって勇気をもって、ともに前進しよう。これは世界平和のためなのだから・・・。
 100歳をこえる日野原先生の熱い呼びかけに私たちも応えないわけにはきませんよね。
(2014年7月刊。1200円+税)

自分で考える集団的自衛権

カテゴリー:社会

著者  柳澤 協二 、 出版  青灯社
 40年ものあいだ防衛官僚だった著者の問題提起ですから、いかにもずっしりと重たいものがあります。
 安倍首相は、「同盟というのは、もともと血の同盟なのである。アメリカの青年が血を流すのなら、日本もアメリカのために血を流さなければいけない」と言う。そして、若い人のなかには「自衛隊員は、そのために給料をもらっているのでしょう」と言う人がいる。しかし、自らは血を流すつもりがないし、そのような立場にもいない人が、他人の流す血について軽々しくしゃべるのには同意できない。それは、人として大切なことを見失った議論ではないだろうか。
 自分の息子が自衛隊にいて、「尖閣を守れ」「上陸作戦に行け」と言われたとき、あなたは親として大喜びで万歳三唱で息子を戦地へ送れますか。
 一人の人間としての当然の苦悩もなしに「血の同盟」などという言葉を軽々しく使うのは、本当に許せないことだと思う。
 橋下徹・大阪市長は、従軍慰安婦の問題について、そのようなものはあって当然だと発言した。では、「橋下さんには6人も子どもがいるのですから、お嬢さんを出しますか?」と問いかけたい。
 わたしにも娘が二人いますけれど絶対に嫌です。あんなひどいことを許すなんていう発想の人は、人間として、まともではないと私は思います。政治家として失格という前の問題です。
 安倍首相も橋下市長も、著者の問いかけにまともに答えるべきだと私は考えます。
 ポピュリズムの特徴は、理屈や論理ではなく、国民の耳に一番心地よいキーワードを語ること。安倍首相も、小泉元首相と同じくワンフレーズに近い手法ですすめている。
 今の集団的自衛権の議論について、外務官僚の多くは賛成しているが、防衛省のなかでは必ずしももろ手を挙げての賛成ではない。かりに犠牲が出たら、責任を負うのは防衛省ということになるから・・・。
 日本は「二流国」でいいのだ。人を殺さない、殺されない国でいい。強気一辺倒では、かえって相手を強硬にし、しなくてもよい戦争の危機を招くことになりかねない。
 自分は一流でなくてもいいのだと考えれば、やたら尖らずに、妥協するところは妥協し、もっと自由に、自分らしい生き方を追求することもができる。
 安倍首相は、集団的自衛権を容認しても「他国の戦争に巻き込まれるというのは誤解です」と言うけれど、巻き込まれるどころか、初めから意を決して日本がアメリカの戦争に参加することになる。
 集団的自衛権というのは、日本を「自衛」するものではなく、アメリカと一緒になって海外へ戦争しに出かけていくこと。
日本だって、いつ戦場になるか分からないのです。実質的な憲法改正でもあります。
 著者の体験に裏付けられた話は、何回聞いても、とても論理的で、かつ説得的です。毎回、うんうんと深くうなずきながら聞いています。そんな話を聞いているように、すっと胸に落ちてくる本です。ぜひ、ご一読ください。
(2013年10月刊。1400円+税)
 日曜日に期日前投票してきました。投票所はガラガラでした。新聞によると、前回比で3割減だということです。国のあり方が問われている大切な選挙なのです。投票率が5割ほどで安倍政権が信任を受けたとして、選挙のあと集団的自衛権行使のための法改正を断行するなんて、考えただけでもぞっとします。
 夕方、曇天の下、少しだけ畑仕事をしました。そこへいつものジョウビタキがやってきて挨拶してくれます。10月にロシアから渡ってくる鳥だということです。その愛らしい仕草に、寒さのなか、心がほっこり癒されます。
 チューリップを少しばかり植えました。あと100個ほど球根を植えるつもりです

ミッキーマウスのストライキ

カテゴリー:アメリカ

著者  トム・シート 、 出版  合同出版
 アメリカにも労働組合がありますし、ストライキもあるようです。でも、あのウォルト・ディズニーのスタジオに労働組合があり、ストライキを決行し、デモもしていたというのです。
 1941年のディズニー・ストライキに参加し、ウォルト(経営者)側についたアニメーターたちは、著者の目を見て話すことが出来なかった。視線が床を泳ぎ、口ごもったり、うなったりする。ところが、ストライキに参加した人たちは、視線がまっすぐで、静かな自信が感じられた。老年にもかかわらず、目の輝きは失われず、天下のディズニー・スタジオを活動停止に追い込み、ウォルトを大激怒させた思い出話を語ってくれた。やっぱり、こんなに違うんです。
 アメリカのユニオン会員(労働組合員)数は、1929年以来、最低の人数になっている。そのため、300万人のアメリカ人が健康保険を受けられず、数千万人が蓄えも老後の資金もない状況にある。
 1930年代には、誰もが週46時間、休みは日曜日のみ、土曜日は朝9時から昼1時まで働く。月曜から金曜までは朝9時から夕方6時まで働いた。このころ、有給休暇はなかったし、年金制度もなかった。
 第一次世界大戦で戦った元兵士の一群がボーナスの支給を求めてワシントンを行進した。立ちはだかったのは銃剣隊だった。
 このころ、ヘンリー・フォードは、自宅に機関銃を備え付けさせた。
 ハリウッドにマフィアが浸透していった。労働組合側にも、経営者側にも、マフィアが入りこみ、支配するようになった。
 コメディ番組「アイ・ラブ・ルーシー」の主役のセシル・ポールは子どものころ、祖父によってアメリカ共産党員として登録されていた。孫の将来を考えてのことである。孫たちに何かあったとき、ユニオンや共産党が支えになってくれるという期待があった。それは普通にありふれたシーンだった。アメリカにも、そんな社会状況がかつては存在していたのですね。驚きました。私も子どものころ、よく「アイ・ラブ・ルーシー」を見て笑っていました。
 上下2段組で600頁もある大作です。ディズニー映画が好きだったものとして、その内幕を暴露している本書は貴重な資料になっていると思います。それにしても、日本がアメリカと同じように労働者の権利を行使しないようになり、まったくたたかおうとしないのは、本当に残念です。
 日本のアニメ界で働いている人の大半は、労働組合に加入せず、がむしゃらに働かされているとのことです。ひどい話ですね。
(2014年6月刊。6200円+税)
 明後日(10日)、特定秘密保護法が施行されます。今でも、国民に十分な情報が知らされていないのに、ますます私たちは必要なことを知るのが難しくなってしまいます。
 土曜日(6日)昼、天神で三浦会長を先頭にこの悪法の廃止を求める宣伝活動をしました。珍しくテレビ、新聞の取材があり、昨日(7日)の西日本新聞は一面トップで取りあげていました。私も写真に小さくうつっています。
 いよいよ選挙の投票日が近づいてきました。事前予想では自民党が大勝するとのこと。憲法違反の集団的自衛権を行使できる法改正が現実化していくことが怖いです。自民党の大勝といっても支持者は減っています。4割の得票で8割の議席を得るという小選挙区制のマジックなのです。国会に民意が反映しないのでは困ります。ともかく、投票所にみんな行きましょう。

やさい学園(1)

カテゴリー:生物

著者  前原 三十日 、 出版  秋田書店
 いやあ、面白くて、勉強になるマンガ本です。著者は大牟田市出身とのことです。
 やさい学園というから、何の話だろうと思うと、野菜たちが主人公なのです。
 立派な野菜になるべく、日々、勉学に勤しんでいる、いろんな野菜が擬人化して登場します。主人公は、恥ずかしがり屋のシイタケ。ハラタケ目キシメジ科だ。
当学園では、完璧な野菜になるべく、さまざまな知識を学び、どこに出しても恥ずかしくない、立派な野菜に育てる。
 ここに、入学したからには、悔いのないよう、目標の料理に合うような野菜に育ってほしい。シイタケの旬(しゅん)は春と秋。春は身が締まってうまみがあり、「春子」と呼ばれ、秋は香りが良く、「秋子」と呼ばれている。
 基本は四コマ・マンガなのですが、ちゃんと学園ものとしてのストーリーがあって笑わせるのです。そして、野菜のことが、笑っているうちに身についていくという、大変なマンガ本なのです。
 ぜひ、あなたも手にとって(買って)読んでみてください。
(2014年9月刊。429円+税)

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